5.どうしてこんな誤解が ノーベル賞の罪
「卵を食べると血中コレステロール値が上がるから、卵は控えなさい」と言われたことのある人は多いだろう。そこで問題になるのは、そういう結論を最初に出したのは誰か、またその実験はどのようになされたのか、ということである。
そういう疑問を最初に出したのは、分子栄養学の開祖と言われる三石厳博士である。三石先生によれば、その研究をやったのはロシアの医学者アニチコフである。彼は1908(明治41)年頃に、ウサギに卵や牛乳を食べさせたり飲ませたりしたのである。そうしたら、血中のコレステロール値が高くなった。
それで医者の先生たちは、「卵のようなコレステロールを含む食品を食べると血中コレステロールが上がるから、卵を食べてはいけない」というようになった。つまり、「コレステロール神話」は明治41年頃に卵を食べさせられたウサギに起源があるというのである。
もちろん、ウサギは草食性動物で、卵も食べないし牛乳も飲まない動物である。つまり、コレステロールを含む餌は食べない動物なのである。アニチコフはウサギでなく、パブロフのように犬で実験すべきだったのだ。
この「コレステロール神話」で迷惑している鶏卵業者は、有志を募って毎日10個ずつ卵を食べてみた。しかし、コレステロール値に有意の上昇はなかった。しかし、鶏卵組合の人たちは素人集団だからというわけで、今度は国立栄養研究所で同じ実験の追試をやった。
しかし、結果は鶏卵業者たちのものと同じだった。ここから空恐ろしいことが浮き出てくる。卵は相変わらず医者たちに嫌われているのだ。患者の食膳に卵がついているのを見て、栄養士に激怒した医者の話もある。「卵を食べさせられたウサギ」の神話は、医学界でもう百年以上も続いているのである。
私は15年ぐらい前に三石先生の本を読んで、毎日卵を食べるように心がけ、家内にもそれをすすめている。私は81歳、家内は76歳だが、今年受けた血液検査でもコレステロール値は正常値の範囲内である。三石先生の本『1901年生まれ、92歳、ボクは現役』(経済界、1993年)および『医者いらず、老い知らず』(PHP研究所、1995年)は正しかったのだ。
そして驚くべきこと、また恐るべきことは、放射線の危険説が「ウサギと卵」の神話と完全に同じ構造をしているのである。まず、放射線が生体に有害であるという実験は、いつ、誰によって、どのようにしてなされたかを見てみよう。
「いけない点」とは
いまから80年以上も昔、私が生まれる3年前の1927(昭和2)年に、ニューヨーク生まれでコロンビア大学で学んだアメリカ人の遺伝学者、ハーマン・G・マラーが、フート・フライと呼ばれる昆虫、日本語ではミバエとかショウジョウバエ(学名・Drosophiria melanogaster)と呼ばれるハエを使って、動物の変異の問題の研究をしていた。
当時は生物進化の理論をめぐって、体細胞の遺伝はあるのか否かなど、アウグスト・ヴァイスマンなどが出て活発な議論が起こっていたのである。マラーはショウジョウバエのオスの生殖細胞にX線を当てることによって変異、つまり奇形が生ずること、そしてそれには遺伝性があることを確認することに成功したという論文を発表した。
これは、ラマルク系統の主張である体細胞起源(somatic influence)の変異説を葬り去ることに連なる重要な発見であった。彼の「X線の遺伝形質上の効果(Heredity effects of Xray)に関する論文には、その年のアメリカ高等科学学会賞が与えられた。
この彼の研究は、進化論論争関係の研究としては極めて重要なものであり、学会賞に値するものであった。しかし、それによってラマルク系統の進化論者たちが降参したわけではない。むしろ今日では、ラマルク再評価論が有力である(たとえば日本では西原克成博士)。だからこのままなら、マラーの名も、一人の重要な進化論関係論争の学者として残っただけであろう。
ところが、思いがけないことが彼の論文の18年後に起こった。広島と長崎の原爆である。世界中の人が核爆弾は人類の滅亡につながるのではないかと恐れた。そして放射線が人体に及ぼす影響、特に遺伝子に及ぼす影響におびえた。そこで浮上したのがマラーの論文である。遺伝子に放射線が当たれば奇形児ができるだろうという恐れである。
マラーの実験結果は、彼の名を知らぬ一般人にも知られるようになったし、学会でも新しい注目が向けられ、マラーの研究にノーベル生理学・医学賞が与えられた。日本の空で2つの原爆が炸裂した翌年、昭和21(1946)年のことであった。
マラーは時の人となった。しかも、彼は政治的なことにも積極的に発言するタイプの人であった。核戦争や核実験から出る放射線は、長期にわたって人類に危険なものになると主張してやまなかった。その時点において、彼の信念は正当であり、主張は良心的であった。彼の実験にごまかしはなかったし、結果は嘘でなかった。
その点、ウサギに卵を食べさせたアニチコフも、データをごまかしたわけでない点では同じである。 アニチコフの「いけない点」は、卵を食べないウサギに卵を食べさせたことである。では、マラーの「いけない点」は何であったのか。
6.マラーの実験の致命的欠陥
それはマラーの責任ではないのだが、ショウジョウバエのオスを実験対象にしたことなのである。なぜ、マラーはショウジョウバエのオスを実験に選んだのか。それは彼の責任ではない。当時はまだDNAの研究がそれほど進んでいなかったのである。当時もヴァイスマンの研究からその方向への研究の流れがはじまっていたのであるが、その研究が飛躍的に進むのは、J・D・ウォトソンとF・クリックがDNAの分子構造や遺伝の仕組みを1958(昭和33)年に明らかにしてからである。二人には1962(昭和37)年にノーベル生理学・医学賞が与えられた。そして、遺伝の仕組みもどんどん明らかにされてきている。
その後の研究で、現在の日本人に最も関係のある発見は、DNAが絶えず傷つけられていること、そしてその傷がガンなどの原因になることである。特に活性酸素や自然に存在する放射線などにより、人体では一日に百万回くらいDNAに傷がつくという。
それなら人体はたちまちガンだらけ、病気だらけになるはずである。しかしならない。というのは、人体にはDNAの損傷を修復する酵素があるからである。修復し損ねたところがガンなどになるわけだが、通常はすべて修復されるので、われわれは無事に生きているわけだ。 ところが、例外的にDNAに修復酵素を欠く動物がある。それがマラーが実験に使ったショウジョウバエのオスの精子だったのだ。
しかし、DNAに与えられた傷を修復する酵素は、低線量の放射線被曝によって活性化するというのだ。これはラジウム温泉の説明にもなり得るし、宇宙飛行士が毎時0.045ミリシーベルト、すなわち半年で180ミリシーベルトの放射線を浴びながらも、帰還後に検査すると内臓の状態を示す数値はむしろより良くなっているデータの説明にもなる。女性の宇宙飛行士も、帰還後に子供を産んでも奇形児が生まれたケースがないことにも納得できる。
放射能ヒステリー
この妊娠と子供に対する被曝の問題は、特に重要である。マラーのシヨウジョウバエの奇形の写真の与えた印象は痛烈であったから、放射線ヒステリー現象ともいうべきものが起こり、広島や長崎の被爆者のなかには、健康体であるのに結婚に差し支えがあるのではないか、と被爆の事実を隠したり、また奇形児の生まれることを恐れて出産を断念した例もあったという。
しかし、半世紀に及ぶ研究の結果は、被爆者の両親から生まれた子供に遺伝子異常のある子供は一人もいないのだ。マラーの実験からできたモンスター・ショウジョウバエのようなものは、人間にはできなかったのである。人間のDNAにはショウジョウバエのオスの精子にはない修復酵素があり、それは低線量の放射線によって活性化されるからである。
ラッキー博士の研究によれば、先天性欠陥、死産、白血病、ガン、子孫の死亡率、男女の出生比率、発達度合い、遺伝子異常、突然変異など、長期にわたる研究で統計的におかしい点は、被爆者たちになかった(ラッキー・茂木『上掲書』七一ぺージ)。
それどころか、広島にある放射線影響研究所のデータによると、低線量放射線を浴びた胎児のほうが、死産、先天性異常、新生児死亡の比率が低いというのだ。このような研究は、それに協力してくれた被爆者たちとその子供たちを安心させてくれるはずだ。この人たちは、ショウジョウバエのオスの研究のおかげで長い間、放射線の遺伝子異常のリスクの風評被害を受けてきたのである。
マラーの研究の風評被害(?)は福島の事故のあと、病的なレベルに達した。世田谷区のある家の近くで放射線が発見されたというので、学童の通学の道路の変更までされた。ところが、その障害はある民家の床下に埋められていたラジウムであることがわかった。その家の人は何も知らずに50年もそこに住んでいるが、その人は現在92歳でお元気だそうである。
札幌医大の高田純教授によると、その方の年間被曝推定線量は90〜180ミリシーベルトになるという。「放射線はすべて有害」という先入観が強いために、「放射線の良好な効果」と解釈すべきところを、「不気味な」現象として報じている例を紹介してみよう。それは『週刊文春』2011年12月29日号(28ぺージ)の記事である。
そのタイトルは「放射能汚染福島で不気味な植物巨大化進行中」としてある。あたかも、マラーの実験でモンスター・ショウジョウバエが出てきたような表現だ。しかし、記事内容はどうか。福島で20年前からシャコバサボテンを育てている女性の話だ。このサボテンは老齢のためかここ数年、花も咲かなくなり、一昨年の夏から茎がボロボロになったので、捨てるしかないとあきらめていたところ、原発事故が起きた。そうしたら、ペラペラだった葉は肉厚になり、みるみる茎が太くなり、数年ぶりでつぼみをつけたが、こんな大きなつぼみは見たことがないという。サボテンだけでなく、自宅の庭に植えられた草花はどれも「いままで見たことないくらい」よく育ち、バラも例年の倍も花を咲かせたという。
同じく、福島市に住む女性もこういっていたと言う。
「今年は本当にすごかったよ。家庭菜園で育てているハーブなんて、普通は20センチくらいしか伸びないのに、今年は夏頃からニョキニョキ育って垣根を越えたんだから。トマトや茗荷もまるまる大きくなってよ、味もそりゃよかった。庭いじりやってる友達もみーんな『今年(2011年)はすごい』と言っている……」
人間や動物でなくても、放射線を断絶したところでは生育力がゼロになる海藻や大麦があることが知られている。ラジウム温泉が人間の健康に良いように、放射線は光や温度のように、植物の生育に必須なのである。福島の家庭菜園をやっている人たちはそれを体験したわけだ。去年は福島では米も野菜もできがよかった。けれどもほとんどが出荷停止で、基準値を下回ったものでも全ぐ売れないそうである。
福島の昨年の梨は一回りもふた回りも大きく、林檎も特に甘いけれども全く売れないそうである。私もよく行く天婦羅屋でタラの木の芽を食べた。独特の苦みがあってバカにおいしい。「どこの産のものですか」と聞いたら、主人は声をひそめて「福島です」と言って、「大きな声でそう言わないでくださいよ、他のお客さんが嫌がるから」とつけ加えた。放射線の風評被害を実感したことだった。
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