2012年6月26日火曜日

アメリカのタウンハウス,そして日本は?

住宅生産性研究会(戸谷英世理事長)のメールマガジン第458号を転載させて戴きます。


欧米では,市民の住生活を豊かにするために,多くタウンハウスが造られ続けていますが,何故日本ではできないのか。
前回のブログにもありましたが,何ともヒドイお話です。
前回のブログ「日本の2×4工法」の秘話につながる内容です。


尚,掲載者の判断で,キーワードと思われる語句をベージュ色に表示しました。註は,掲載者がWikipedia等から引用致しました。


HICPM第458号ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


米国の2×4タウンハウス(耐火建築物)とランドプランニング


米国で1960年代以降「アパート並みの住宅費負担で,庭付き戸建住宅並みの住環境を提供する住宅地開発技術として「2×4タウンハウス(註1)とランドプランニング(註2)」が、米国の住宅地開発として「燎原の火」のように拡大し、米国の住宅産業を発展させることになりました。

米国は,2×4工法住宅の耐火性能確認大火災実験カナダの成果(1958年、セントローレンスバーンズと呼ばれるダム決壊後の廃村での実験)で、「2×4工法タウンハウスに対し、耐火建築物ができる」とするカナダ及び米国の建築法の改正を受け、米国連邦住宅庁(FHA)が、2×4工法タウンハウスのモーゲージに債務保証(MBS)を与えた。
その結果、タウンハウスに対してモーゲージが実行されることになった。タウンハウスは戸建住宅に対し、1.5~2倍もの土地の高密度利用可能にするだけではなく、エンベロップ面積(註4)を少なくして建設コストを30%以上引き下げることになり、「戸建住宅並みの住環境を、共同住宅並みの価格で取得できる」として全米に広がって行きました。



註1:タウンハウス(townhouse):集合住宅の2種類のひとつである。建築法規では、一般のマンションは共同住宅、タウンハウスは長屋と称される。
長屋とは「2つ以上の住宅を1棟に建て連ねたもので、各住宅が壁を共通にし、それぞれ別々に外部への出入口を有しているもの。(Wikipediaより)
欧米では,住居の機能・性能を変えずに,地価の高い地域でも安価に住まうことができるため,ファーストバイヤーに人気があり,多く建てられている。

註2:ランドプランニング:敷地内での配置計画や外構設計をさします。住棟配置や管理棟、シンボルツリーや木立などの植栽計画、公園、コミュニティ広場、遊歩道、アプローチのデザイン、駐車場やゴミ置場などの配置がプランニングされます。



註3:モーゲージ:普通はモーゲージローンの省略形。日本語にすると「不動産を担保にした貸付」ぐらいか。一般にはモーゲージローンを裏付けとして発行された不動産担保証券(MBS)のことを指す。これはノンリコースローンである。
ノンリコースローンとは,返済が不能になった時は担保だけを差出せば債務が消える。日本の住宅ローンのように,競売されても債務が残ったり,首を吊って生命保険で弁償する必要もない。貸し手責任なので,欧米の住宅金融では不動産の実質担保力が重要な意味を持つ。

註4:エンベロップ:外壁のこと。タウンハウスは連棟なので,外壁が約半分になる。


マボリシーハイツ(タウンハウス)と2×4工法タウンハウスモデル事業

日本でも2×4工法を普及させる取り組みが今から35年ほど前、住宅金融公庫が2×4工法タウンハウスをランドプランニングの技法で進めることで活用しようとして取り組んだ事業の一つが、青山正昂(NOVAS設計事務所)が設計し、西武不動産が施工したマボリシーハイツ(タウンハウス)です。
この開発による住宅は、現在も建設当時の価格以上で取引され、依然、高い需要に支持され、2×4工法タウンハウスの優秀性を発揮した開発です。この事業には、以下の米国の2×4工法タウンハウス・ランドスケーピング技術が、住宅の資産形成技術に採用されています。

1.前面壁面後退技術:道路幅員と同じ幅のセットバックをする
2.集合駐車場:集合駐車場により歩車空間の分離を図る 
3.中庭空間:中庭空間を設けることで間口を狭め、
  奥行きの長い住宅とし密度を高めている
4.ランドスケーピング:土地利用密度を高め優れた住環境を形成する

当時、全国各地で同様の優れたタウンハウスが、建設され、住宅地環境としての街並みを作る事業として社会的に評価を高めていました。

政府がハウスメーカーの要求に迎合して潰したタウンハウス事業

しかし、残念なことに、中途で大多数の差別化戦略で住宅販売を拡大しようとするハウスメーカー利益と、それと癒着した官僚、日本住宅公団理事、大規模宅地開発業者とそれらに関係する政治家の利益のために、ランドプランニングを駆使したタウンハウス事業は抹殺されることになりました。

この技術は、欧米先進工業国では優れた街づくりの技術として使われており、現代の日本においても国民の利益になる日本の住宅産業にとって救いの技術として、もう一度復興させるべき技術です。



(特定非営利活動法人 住宅生産性研究会理事長 戸谷英世)

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2012年6月24日日曜日

「日本の2×4工法」の秘話

住宅生産性研究会(戸谷英世理事長)のメールマガジン第459号を転載させて戴きます。当時,建設省でこのことにかかわっていた戸谷先生の記述です。


住宅産業に携わってきた人間の一人として,これを読むと,非常に情けない気持ちになり,やりばのない怒りが湧いてきます。欧米で当たり前に通用している建築基準が日本ではできないのです。
ツーバイフォー建築(俗称)が,正当に紹介されなかったことによる日本の損失は莫大だと思います。
そんな時,「人間を幸福にしない日本というシステム」(ウォルフレン著)のことを思い出します。この本の題名通りになっています。
「犬と鬼・知られざる日本の肖像」(アレックス・カー著)でも,そのことが強く指摘されていましたが,いい加減に国のシステムを変えるべきと痛感しております。


尚,掲載者の判断で,キーワードと思われる語句をベージュ色に表示しました。註は,掲載者がWikipedia等から引用致しました。写真も掲載者が載せました。


HICPM第459号 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「日本の2×4工法(ツーバイフォー)(註1)の秘話の紹介をします。
日本の2×4工法は、英国、フランス、ドイツと同時期にカナダからの働きかけで取り組んできたにもかかわらず,貧しい住宅と住宅地の担い手にしかなれないできました。
現在の日本が、欧米のように社会的に大きな役割を担えていない理由は、工法自体の問題ではなく、日本の官僚が間違った住宅政策をしてきたためです。


註1:2×4工法:木造枠組壁構法(日本語訳:もくぞうわくぐみかべこうほう)とは、建築構造の木構造の構法の一つである。欧米では標準的な木造住宅の構法であるが、日本でも1974年頃から建築されるようになった。床・壁・屋根をパネルにして組み立てていく工法。合理的で強度の強い構造体である。素人でも造れるシステムになっている。

カナダ大使館の「疑心暗鬼」から始まった日本の「2×4工法政府調査団」の派遣

ツーバイフォー工法の構造
カナダ政府の2×4工法用木材の対日輸出が見込みないと判断した矢先、米国から3人の大工が来日し2×4工法住宅のデモンストレーションを行いました。彼らは延べ面積100平方メートルの2×4工法の住宅のフレーミングを、69マン・アワー(人・時間)で実施すると予告し、建設省建築研究所構内で、新聞関係者や住宅関係者を集め「施工実験」を実施しました。

実際は72マン・アワーを要しましたが、その生産性の高さは当時の日本の工務店と比較し想像できないものでした。五大紙は、その結果を4-5段抜きの記事として取り上げ、今にも日本の全て住宅は米国の2×4工法に転換するかのような記事を掲載しました。
一番あわてたのはカナダ大使館でした。カナダは足掛け7年、巨額の費用と時間を投じ、地味な2×4工法ランバーの売込みをしてきました。その林産物資のカナダからの輸出需要を、米国が「とんびが、油揚げをさらう」ように持っていってしまうと勘違いしたのです。

米国には無関係の日本人による「施工実験」

オレゴン市のツーバイフォーの家
建築研究所を舞台に行われた「2×4工法の施工実験」は、米国政府や米国林産業からシステムとして2×4工法を導入したものではありませんでした。当時、米国の都市住宅開発省(HUD)(註2)は「工場で住宅を生産する」方式をOBT(オペレーション・ブレーク・スルー:突破作戦)として鳴り物入りで推進していました。日本の住宅関係者はそれを学ぼうと米国(HUD)詣でを繰り返していたとき、偶然出くわした「道草」みたいな取り組みだったのです。米国(HUD)に出かけたついでに2×4の建設現場に立ち寄ったところ、生産性が高いことに驚き、米国の大工を連れてきて日本でデモンストレーションを「芸者遊び」の気持ち実施したものでした。

雑誌『こーむてん』を発刊者でJETRO(註3)のS理事、木材新聞の記者U、T、工務店のK社長、日本ホームズのM社長らが集まり企画しました。それに建設省のK課長、明治大学のS教授らが、建築研究所で実施することで行政的に便乗し、国内の「米国住宅に関心を持っている工務店」関係者から「見学料」(施工実験実費)を集め、「米国の大工が日本でも米国内同様の現場生産性を挙げられる検証」したものでした。この実験プロジェクトの裏に米国政府や米国の林産業界との関係は、全くありませんでした。米国では工業化を進めようとするHUDとホームビルダーを守ろうとするNAHB(全米ホームビルダー協会)(註4)の対立で、日本の住宅産業に関心を向ける余裕はありませんでした。

註2:HUD:United States Department of Housing and Urban Development



3:JETRO:Japan External Trade Organization2003年(平成15年)101日設立。現在の組織長は、石毛博行(いしげ ひろゆき、通商産業省入省、元経済産業審議官)理事長である。前身は、1951年(昭和26年)に設立された財団法人海外市場調査会である。


註4:NAHB:National Association of Home Builders:NAHBは、住宅を国家プライオリティーにするために活動する同業組合です。1942年に設立され、一般のメンバー、住宅産業と市民に奉仕してきました。同業の進歩・発展と顧客のための現実的な活動を続けており大きな組織と政治力を持っている。アメリカで,毎年,大規模なホームビルダーズ・ショーが開催されている。


水鳥の羽音に驚いたカナダ大使館

施工実験に対する新聞の取り上げ方が異常に高く、その上、直前まで米国、カナダとの間で屋根材(シングル)材をめぐる厳しい市場競争があり、カナダ大使館は日本での実験の裏には、米国政府または米国業界の作戦が隠されていると疑心暗鬼になっていました。
1月末時点で米国の大工のデモ事業が行われたため、カナダ大使館はその予算年度(4月から3月)の残り2ヶ月で使える出張旅費を集め、日本政府に対し、カナダ林産事情視察調査団(4人分)の派遣を要請しました。派遣要請は、カナダの林産業を日本に理解させることでした。当時、建設省も林野庁も2×4工法を真面目に検討する気持ちはなく、カナダ政府がそれほどカナダの事情を見てくれというのなら、見ておくことも悪くはないので、関係職員を派遣するという程度の認識でした。

2×4工法自体の実力が日本での2×4工法を推進

私は調査に取り組む限り、徹底して調査しようと考えました。2×4工法導入の判断には、2×4工法がカナダの国民にどのような住宅を提供し、工務店経営や職人の賃金にどのような経営環境を提供しているかを見たいと考え、調査内容を変更してもらいました。
出張直前まで、建築基準法5次改正で避難・防耐火規定の改正を担当したため、2×4工法と防耐火の関係にも関心を持っていました。カナダでは1958年の建築法の改正で、「ファイアーコンパートメント(防火区画)の規定の導入し、それと引き換えにファイアーゾーニング(防火地域)の規定を削除していました。
木造2×4工法と一体的に石膏ボードを使ったドライウォール工法で、「木造による耐火建築物」を実現できることが2×4工法の普及の最大の鍵を握っていました。このカナダの建築法の防火区画の採用が、米国の建築法に倣った(日本の)建築基準法第5次改正の竪穴区画(註5)などの防火区画技術の始まりだったのです。


註5:竪穴区画:階段や吹き抜け、エレベータのシャフト、パイプシャフトのように縦方向に抜けた部分は、煙突化現象によって有害な煙や火炎の熱を容易に上階に伝えてしまう。また、階段は避難時の重要な経路であり、ここが使用不能になることで被害が拡大する。法令により、3層以上の竪穴には、竪穴区画が必要となる。

日本での2×4工法のオープン化

2×4工法はカナダ国民に優れた性能(デザイン、機能、性能)住宅を供給していました。中でも、その生産性の高さがホームビルダーに高い利益と、大工、ドライウォーラー、プラマーなど全ての建設職人に「工場労働者に比べて3割以上も高い賃金」を提供していました。カナダでの2×4工法の果たしている役割を見て、是が非でも2×4工法を日本に導入しなければならないと考えました。

わずか3週間程度のカナダ旅行では詳細まで理解できませんが、既に日本では中村合板、永大産業、坂巻商店、日東工営、日本ホームズなどの住宅会社が米国やカナダの2×4工法を一部取り入れ、建設大臣の「特認工法」として間違った工法を展開していました。

これを放置しておくと住宅産業界に混乱すると判断し、政府としては理解できる範囲の2×4工法の一般基準を作成し、その後、本格的な調査検討をし、耐火構造などの基準を改正しようと考えました。
その合意を住宅局内で取りまとめ、最初の2×4工法の基準「枠組壁工法の技術基準」を「建築基準法第38条に基づく基準」として纏めました。K課長を「建設基準の告示名」の命名者になってもらうことで基準の制定を促進しました。
K課長は事前に準備した「プラットフォーム工法」といった北米で使われていた名前はすべて排除し、「この工法は、S君が枠材を組んで耐力壁を造る工法であるといっているので、枠組壁工法とせよ」と指示し、技術基準告示名称が決まりました。省内で持ち回りで建設大臣の決裁を得て告示を公布しました。

そのころ、私は菊竹清訓と黒川紀章の建築士法上の業務停止処分をめぐりK課長と対立し、住宅局から大臣官房に追い出されました。配置換えをされた大臣官房技術調査室では総合開発プロジェクトの予算を扱っていました。
そこで2×4工法を北米並みの建築基準にするため、総額5億円5年間の開発研究を予算化し、米国やカナダ同様の木造耐火基準とすべく、その後、事務次官となったT室長(元横浜市長)の理解を得て予算計上しました。
予算計上できた理由はカナダで見た2×4工法の衝撃が、私を介してT室長を動かし、建設省会計課、大蔵省を納得させ、実際に北米の2×4工法の可能性を知った日本の関係者に影響したためでした。

国民の利益より業界と官僚の利益

その後の2×4工法の国内での展開は、それまでの取り組みを蹂躙した全く別のものでした。政治家になった元住宅局M局長は、郊外での建売重視のMホームと癒着した利権保護のための政策を取りました。カナダ大使館とカナダ林産業業審議会(COFI)をうまく操り、カナダに全額費用負担をさせたキャラバン事業(日本の各地で2×4工法の普及事業を起こし、関係者をカナダに派遣する事業)を進めるとともに、Mホーム社長を永代会長とする裏約束の下に日本ツーバイフォー建築協会(註6)を設立し、日本における2×4工法の健全な発展を妨害しました。

Mホームはその後、政治家に転出したMの資金集め団体となり、見返りにMホーム社長は建築審議会委員を勤めるなど、2×4工法はMホームの利益と一体に進められました。
戸建住宅中心に2×4工法を進めたいとするMホームの要求に迎合し、都心部で2×4工法を耐火建築物として造れるようにするために技術調査室で予算計上した研究開発を妨害しました。
そのために利用された御用学者が鉄筋コンクリート研究者Kです。Mはセメント業界の御用学者で、2×4工法を知らないKを2×4工法の研究委員長に据え、彼らと一緒になって、2×4工法の合理性を国民の住生活に提供することを妨害しました。

Kは、「2×4工法は、北米では耐火建築であるかもしれないが、所詮、都市に火災荷重を増やすことに変わりがない。だから、日本では耐火建築にはできない」と非科学的なことをいい、鉄筋コンクリート構造が排他独占的に維持してきた耐火建築物の牙城に木造2×4工法の参入を妨害しました。
Kは、建築関係者が2×4工法とドライウォール工法によるものは耐火建築物であることを認めた後も、「2×4工法の住宅は、それが耐火建築物と認められても防火地域には建てさせてはならない」と主張し、M局長のMホームの利益擁護と相俟って、自己矛盾を犯した現行法が作られました。
その証拠が建築基準法に醜い痕跡を残しています。それほど、Kは2×4工法による耐火建築物を妨害し、セメント業界の利権を守るという非道な義理を果たした御用学者でした。

註6:日本ツーバイフォー建築協会:(ホームページより)北米を源流とするツーバイフォー(枠組壁工法)住宅は、その合理的な生産方式と優れた性能が評価され、昭和49年に建設大臣の技術基準告示によってオープン化されてより、わが国の住宅生産供給の一翼を担って着実に普及して参りました。
当協会は、昭和51年11月、建設省の社団法人認可を得て設立以来、ツーバイフォー住宅の普及啓蒙に努めると共に、その普及実態に即応した性能、品質の一段の向上を目指して、所要の技術開発や試験を重ねてまいりました。また、これと連動する技術者や技能者の研修・教育あるいは資材流通体制の整備等々、業界の発展と供給環境の改善に努めてまいりました。歴代会長は,Mホーム社長が務めている。

ハウスメーカーの利益にならぬタウンハウスを潰した官僚 

国民の利益のために新しい技術を取り入れる前向きな取り組みの後ろには、御用学者が利権がらみで不正を正当化する理屈を口にしています。「なぜ、欧米でやれることが日本で実施できないのか」、という疑問に彼等は全く答えられません。
アメリカのタウンハウス 5連棟
壁は各戸毎にあるので,隣家との境は二重になっている
タウンハウス(註7)の技術は、「差別化を売り物にする」ハウスメーカーにとって、住宅環境を作る事業は住宅地開発自体に手間が係り、簡単に売り逃げすることのできません。開発の責任を追及される事業であるため人事も時間も必要です。
地価の高い都市域での事業を前提とするタウンハウスは、全国一律で住宅販売をするハウスメーカーの住宅販売の脅威になりかけていました。タウンハウスをまともに批判する口実は全く存在しません。
そこで、ハウスメーカーは「官民の役割分担論」を持ち出し、「公団・公社は宅地供給を行い、住宅供給は民間に任せろ」という圧力を政府に掛け、公団、公社がタウンハウス事業からの撤退を強要しました。その先頭に立って実行したのが住宅公団のK理事でした。
彼は公団内部でも、区画整理地に無政府的にハウスメーカーの「差別化と、手離れのよい販売」を支援し、その競争相手となる住宅環境を創るタウンハウスの事業を邪魔してきました。
「土地は公団、建物はハウスメーカー」が供給するという「共同分譲方式」による「差別化政策」を支持しました。さらに、既成住宅地では、既存の住環境に配慮しない「建て替えによるスクラップアンドビルド」を繰り返す事業を支持し、ハウスメーカーが利益を上げることを重視しました。

註7:タウンハウス(townhouse):集合住宅の2種類のひとつである。建築法規では、一般のマンションは共同住宅、タウンハウスは長屋と称される。
長屋とは「2つ以上の住宅を1棟に建て連ねたもので、各住宅が壁を共通にし、それぞれ別々に外部への出入口を有しているもの。(Wikipediaより)
欧米では,住居の機能・性能を変えずに,地価の高い地域でも安価に住まうことができるため,ファーストバイヤーに人気があり,多く建てられている。

御用学者・研究者と腐った官僚の癒着

2×4工法に係る事業では、K住宅局長は日本住宅公団理事時代を通じ、一貫して米国の技術を理解しようとせず、N事業協同組合の利益を守る立場をとり続けてきました。ハウスメーカーと自ら強いパイプを持つほか、木造住宅の破壊実験で業者と深い利害関係を持つことで学者の権威を維持してきたS教授を介して業界の利益を代弁してきました。

欧米の構造理論を学ぼうとはせず、過去に建設大臣の許認可を与えた実験を利用して自己主張するS教授や弟子のA教授の科学的合理性のない構造理論を行政権を隠れ蓑に維持してきました。
北米で当然の技術を、官僚と御用学者が日本建築センターの構造審査を介し妨害しました。学会、国土交通省の権威を隠れ蓑にして、勝手な耐力壁偏重理論を譲らず、「無理を通せば道理引っ込む」の諺どおり、2×4工法のダイアフラム構造理論を歪めてきました。
そのため、北米であれば可能な構造計画がことごとくゆがめられ、国民に大きな不利益を与えてきました。
御用学者一般がやってきたように、「自分が考える構造理論どおり地震力が働く地震国」と言わんばかりに、国民に間違った構造理論を押し付け、行政権を背景に権威を濫用しました。

東京大学に籍を置いたS教授がカナダのUBC(註)客員教授の肩書きで勝手な理論を構造審査で行っていたので、カナダのフォリンテックを訪問した際、UBCでS教授と交流があった教授に、何がS教授のUBCでの研究テーマかと研究内容を尋ねました。すると即座に、「SさんはUBCの客員教授ではなく、彼の名誉のためにも、彼の研究のことは何も言えない」と言いました。「ただし、彼はテニスが特別うまかった」と答え、それで話は打ち切られました。
S教授は日本の2×4工法の行政と癒着した御用学者として、国民に2×4工法の利益が及ぶことでK局長ともども妨害してきたのです。

註8:UBC:The University of British Columbia

住宅産業を汚染した東電原発と同様の「官僚と御用学者が潤ってきた構造」

鉄筋コンクリート業界が海岸を埋め尽くしてきたテトラポット、戦後、電柱のため植林した唐松を排斥して都市の見苦しい景観を形成してきたコンクリート電柱、国土を網の目のように結んだ鉄筋コンクリート道路網、コンクリート護岸の河川や港湾、コンクリートトンネル、コンクリート擁壁で造られた宅地造成、コンクリート擁壁で作られた水田や圃場整備など公共事業の物造りで「東電の原発並み」の利権で政治家と御用学者を縛ってきました。

工学部の研究はセメント業界が支配し、工学博士はセメント研究が中心になっています。耐震工学研究者やその材料研究者は、スポンサーに都合の良い研究成果を学問的真実として権威付け、業界の走狗になってきました。
学位論文や学会ではセメント業界が最大のスポンサーでした。今回の原発関係御用学者同様、象徴的御用学者が東京大学セメント材料学者Kです。木構造のS、Aはそれらと比べると赤子です。御用学者は己の利益のために間違った技術を行政に持ち込み、官僚と癒着し不正な利益を業界に与え国民の利益を妨害してきました。


(特定非営利活動法人 住宅生産性研究会理事長 戸谷英世)

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2012年6月22日金曜日

ガーデンシティとプリンス・チャールズ


住宅生産性研究会(NPO法人戸谷英世理事長)発行のメルマガ(メールマガジン457号)にて,住宅資産形成についてすばらしいポートを頂戴しましたので,ご承諾を戴き転載いたしました。

尚,掲載者の判断で,キーワードと思われる語句をベージュ色に表示しました。註は,掲載者がWikipedia等から引用致しました。写真も掲載者が載せました。



資産価値形成を実現してきたガーデンシティの研修ツァー 

5月18日から24日まで英国とドイツに住宅地経営の見学研修ツァーに出かけてきました。

このツァーの狙いは、エベネツアー・ハワードのガーデンシティ理論(註1)が、優れた住宅資産形成にどのように成果を上げてきたか」という事実を確かめることでした。

研修は110年前の英国での最初の「ガーデンシティ」の開発(1900年)から、戦前のドイツでの「ガルテンシュタット」(註2)の開発(1920年)、さらに戦後のフライブルクにおけるBプランとコーポラティブ(註3)による環境都市(1990年)の新開発(リーゼルフェルト)と再開発(ヴォーバン)を見学しました。

それから米国でニューアーバニズム(註4)と呼ばれる「現代のガーデンシティ」運動が、英国に里帰りした取り組みが、英国の現代の条件下で、「アーバンビレッジ」運動として展開されている様子(2010年)を研修することでした。

註1:エベネツアー・ハワードのガーデンシティ理論:下記URLの中に参考資料があります。
”まちづくり”論説・報告書


註2:ガルテンシュタッド:註1の中の『動画で見る「英国ガーデンシティ」と「ドイツ環境共生都市」』の5にあります。
100年前のテラスハウスによるガルテンシュタット(ガ-デン・シティ) ハスラッハ地区のこの住宅地は、町全体の基本計画とそれを忠実に遵守した建 築が未だに並び、100年を経ても人々の高い評価を受け資産価値も上がり続 けています。 英国や米国同様に欧米諸国では外観の改修やエクスペンシ ョンは許されず建物で個性を出すことは限られます。これが統一した素材と色 彩で「美しい」と感ずる欧米諸国の街並みを形成して来ました。(エコバウルフォーム・ニュースより)

註3:フライブルクにおける:註1・註2で紹介した動画に載っています。


註4:ニューアーバニズム:(New urbanism)60年代以降、米国では郊外の開発が進み、都心部にかつてあったコミュニティの一体感というものが希薄になってしまいました。80年代に入り、都市近郊において人間らしく暮らせるコミュニティを作ろうというニューアーバニズムといわれる動きが活発になりました。1982年に開発された米国のフロリダ州シーサイドが端緒となった。
ヨーロッパではコンパクトシティ、イギリスではアーバンビレッジが同様の概念を打ち立てている。


チャールズ皇太子による「ビジョン・オブ・ブリティン」の実践開発「パウンドベリー」

英国皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ)の領地(ダッチ・オブ・コーンウォール)は、ドルセット州ドルチェスター南端にある。ウエスト・ドルチェスター・ディストリクト・カウンシル(地方議会)は、この農業土地「パウンドベリー」を、1987年、地方の住宅需要に応えるため、都市開発地に選んだ。そして、プリンス・チャールスの都市論が、その地で実践されることになった。


パウンドベリーを歩くプリンス・チャールズ
(ナショナル ジオグラフィックより)
その都市論とは、1988年BBC放送で「ビジョン・オブ・ブリティン(邦訳:東京書籍「英国の未来像」)」として3日間にわたって取り上げられ、視聴者の99%がその主張を支持したものである。TV放映は同名の書籍として出版された。パウンドベリー開発は、そこで明らかにした「われわれが守るべき10の原則」を実践した事業である。


いわば、開発事業主であるプリンス・チャールズの「われわれが守るべき10の原則」を計画条件とし、ニューアーバニスト、レオン・クリエが計画者・設計者として纏めた事業である。ウエスト・ドルチェスター地方政府も、事業計画を策定する際のシャレット(註5)に加わって実施した官民共同のニューアーバニズム事業なのである。

註5:シャレット(仏: charette)、またはデザインシャレット、シャレットワークショップとは、アーバンデザインやまちづくりの手法の一つ。専門家が短期間に協同してデザインを行う。
本来はフランス語で荷馬車という意味。エコール・デ・ボザールの学生たちが、設計課題の提出日になると、荷馬車に図面を積み込み、学校に駆けつけて来ることから、「シャレット」という言葉が、短い時間に駆け込む(集中する)というような意味で使われるようになった。(Wikipediaより)
アメリカでは,ニュータウンの設計や許認可の審査において,関係部署,関係団体の担当者が一堂に会して作業を進める。関係者相互の意見を交換する機会が増え,参加者間の相互理解が進み,より良い設計・デザインを生み出す。何より時間が大幅に短縮される。本「サステイナブル・コミュニティ」より)
日本の官庁もこの方式を採用すべきと思う。

「われわれが守るべき10の原則」                     

1.ザ・プレース(場所):風景を蹂躙するな。

2.ヒエラルキー(序列):建築が自己を表現できなければ、
  建築物を理解することはできない。

3.スケール(大きさ):小さいものほど、より多くをもたらす。
  多過ぎるのはよくない。

4.ハーモニー(調和):聖歌隊とともに歌い(建築は讃美歌で)、
  そのリズムに逆らうな。

5.エンクロージャー(囲い込み):子供等に遊び場を与え、
  風はどこか違う場所で吹かせよ。

6.マテリアル(材料):材料は作るべきものに適したように使え。

7.デコレーション(装飾):むき出しな外殻とせず、詳細な装飾を造れ。

8.アート(芸術):ミケランジェロは、孤立する抽象彫刻を請負ったことはない。

9.サインズ・アンド・ライツ(標識と照明):公共の場に粗悪な標識を置くな。

10.コミュニテー(地縁共同体):住むべき人たちの意見を聴いて、住宅を建てよ。

(以上、10項目については、比喩的表現があり、解釈が難解なものもあります。)


「シーサイド」と「パウンドベリー」

シーサイド
プリンス・チャールズは、1888年のBBCで放映された「ビジョン・オブ・ブリテイン(英国の未来像)」では、著書の中の、TND開発事業・シーサイド(フロリダ)(註6)を紹介している。

この番組は、チャールズが戦後の機能主義という合理主義を背景にした1950-60年代の近代建築が地域の景観を破壊してきたことに疑問を感じ、70年代に入ってモダニズムに対する問題点を公式の場ではっきり批判をするようになっていった経緯を説明していた。

全く同じ時期に米国において、モダニズムと高速道路による郊外開発によるアーバニズムが、都市の個性の喪失とドーナツ化現象を生んだ。都心でも郊外部でも、住民の地域や地区への帰属意識が失われ、セキュリティの弱い都市が出現した。


日本では、「合理的な機能や性能の良い都市づくりをすれば、優れた都市となる」というアーバニズムの考え方が,現在でも大学で「都市工学」として教えられ,都市計画が推進されてきた。しかし、都市を都市工学的優位性で造ることは、人間にとって豊かな都市を作ることにならないという事実が、1970年代までに確かめられていた。

シーサイド
特に米国では、歴史的にセキュリテイの高い都市を実現するための調査が始まり、それは居住者が帰属意思のもてる、懐かしさを感じることのできる伝統的近隣住区開発(TND)であることが明らかにされた。その取り組みは、DPZ(アンドレス・ドゥアーニーとエリザベス・プラター・ザイバーグ)らによるマイアミ(フロリダ)を拠点とするアメリカ南部の都市調査に始まった。
その調査結果をもとに最初に取り組まれたTNDが,DPZとレオン・クリエによるシーサイド(フロリダ)である。この開発計画をプリンス・チャールズが知り、彼自身が考えていた都市の考え方と共通する理解により、DPZとレオン・クリエをプリンス・チャールズの領地に招き、今回見学したパウンドベリーの計画が取り組まれた。


註6:(TND)Traditional neighborhood development


ニューアーバニズムとアーバンビレッジ

TND開発は、その後、全米各地で取り組まれた。アメリカンドリームを実現する「資産価値が形成できる住宅地」として各地で取り組まれたサステイナブルコミュニテイ、地球環境を取り入れたエコロジカルな(グリーン)開発に先駆的に取り組んだ計画者、設計者が中心になり新しい住宅地の取り組みの原則・「アワニーの原則」を纏めた。そして、その原則を展開する都市づくりの考え方や手法を「ニューアバニズム」として纏め、世界で展開することになった。

英国のパウンドベリーでの街づくりは、ニューアーバニズムと基本的に同じ考え方である。プリンスチャールズはそれを「アーバン・ヴィレッジ」運動という形で取りまとめ、英国における国民の住宅により資産形成となる都市開発手法として展開してきた。

エトワール凱旋門を中心に
ニューアーバニズムでは、ジョルジュ・オースマンのパリ改造計画(註7)の考え方を明確にし、車と歩行者の関係を敢然と対立する交通手段として扱ったのに対し、アーバンビレッジは、事実上、車のスピードを人間の歩行者の行動を妨害できない程度に抑圧することが出来るならば、自動車交通が生活者を脅かさない時代に計画されたエベネッツアー・ハワードによるレッチワースガーデンシティのように、歩行者中心の歩車共存というT型フォードが登場する1920年代前の自動車と歩行者の関係として共存できると考えられている。

パウンドベリーの考え方は、ヨーロッパの既存市街地のように、自動車交通を消極的であるが受け入れている「ボンネルフ」(註8)と同じ考え方が採用されている。これは米国で最初に取り組まれたシーサイドにおいて、ロバート・デービスやDPZ,レオン・クリエらにより計画された道路の考え方は、「自動車の速度を安全とされる状態にまで確実に引き下げられるならば、歩車共存の道路を計画しても良い」として実施してきた。シーサイドやパウンドベリーを見る限り、自動車が歩行者空間に入っているが、「歩行者優先」を徹底的に実現している計画手法であるため、「歩車共用していても、歩行者の安全は第一にする」という仕組みに依存しているので、自動車が我が物顔に往来することを許すものではない。

シャンゼリゼ通り
コンコルド広場から凱旋門を見る
道路というより公園ですね!
註7:ジョルジュ=ウジェーヌ・オースマン(Georges-Eugène Haussmann、1809年3月27日-1891年1月11日)はフランスの政治家。1853年から1870年までセーヌ県知事の地位にあり、その在任中に皇帝ナポレオン3世とともにパリ市街の改造計画を推進した。入りくんだ路地裏をとりこわし、道幅の広い大通りを東西南北へと走らせた。また、凱旋門や広場から放射状に広がる大通りを建設した。この都市改造はフランスの近代化に大きく貢献し、現在のパリ市街の原型ともなっている。

オースマンは,都市は人びとのものであり、人々が交流するためには公園が必要と考えていたので,シャンゼリゼ通りに見るように,公園をつくる感じで道路を造った。





註8:ボンネルフ(woonelf):いわゆる「コミュニティ道路」のことで,車を徐行させる目的で街路を曲げたり屈折させたりして,あくまで歩行者優先で歩車道を一体化させた街路空間をいう。原義はオランダ語で「生活の庭」という意味。


フライブルクの環境都市の技法を取り入れた荻浦ガーデンサバーブ

ガルテンシュタット
フライブルク(註9)は、現在、世界で最も注目されている環境都市と呼ばれているが、そこには1920年代に開発されたガルテンシュタットという英国のガーデンシテイの街づくりの考え方を抜きにしては考えられない。緑と水と太陽をひとびとの生活空間に取り戻す取り組みが、フライブルクの既存市街地にも、ヴォーバン再開発にも、リーベルフェルトの新開発にも共通して取りいれられている。特に雨水を浸透する緑の大地と大きな樹木を住宅地に取り入れて炭酸同化作用と水の蒸散時に気化熱を奪うことにより、住宅地の気候を穏やかにする。




註9:環境都市として高く評価されるフライブルクの視察レポートが動画になっています。
英国・ドイツの"まちづくり"-5・田舎暮らし便り284号(蓼科より).mov


現在、福岡県糸島市で㈱大建が取り組んでいる「荻浦ガーデンサバーブ」(註10)も、松尾社長自身がレッチワース・ガーデン・シテイやフライブルクの環境都市や米国の多くのニューアーバニズムプロジェクトをつぶさに調査研究し、取り組んだ事業である。特に、そこでは緑と水と土壌というエコロジカルな環境都市に倣って、ヒートアイランド現象と全く逆な環境形成の小さな取り組みが行われ、エアコンをつけなくても快適に生活できる住宅地環境づくりを目指している。

註10:荻浦ガーデンサバーブ:下記URLに詳細な資料があります。
http://www.d-ken.jp/ideals4.html
荻浦ガーデンサバーブ【住宅基本コンセプト】 - YouTube(ステキです!)
http://www.youtube.com/watch?v=_Bgg8mxIurk


(特定非営利活動法人住宅生産性研究会理事長 戸谷英世) 
(下記URLには,たくさんの資料とメルマガのアーカイブスがあります。
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