2019年11月25日月曜日

「世界と日本の”まちづくり”比較近現代史」

NPO法人 住宅生産性研究会(HICPM)の戸谷英世理事長のメルマガからです。
都市計画、建築、土木に係わっている皆さん、ご一読下さい。ご意見を下さい。

なぜ、我々の住宅が資産形成することができず、大きな損失を生み、不幸になってしまうのか、その意味が判ります。

欧米の住宅は、経年しても投資に見合う、或いはそれ以上の評価を受けているのに、日本では過去半世紀で500兆円の評価損を生んでいます。下段に国土交通省のデータを添付しました。「住宅価値の日米比較:投資額と資産額」をご覧ください。

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HICPMメールマガジン第857号(2019.11.25)
みなさんこんにちは

第15回 広域行政と関連した都市計画法の制定
1960年日米安全保障条約は改正され、新しい東西対立の中で、わが国は石炭から石油への基幹エネルギーの転換に併せて、わが国の米軍の兵站基地としての役割が、重化学工業による兵站基地活動を担うことになり、それに対応する産業政策が全国総合開発計画と新全国総合開発計画としてまとめられ、新産業都市と工業整備特別地区の開発がその基本に置かれた。日米安全保障条約の改正に合わせ、米国の極東軍事戦略に併せた重化学工業による米軍の兵站基地機能を整備するために、全国総合開発計画(全総)を全面改定した新全国総合開発計画(新全総)により、国家の基幹エネルギーを石炭から石油に転換することで巨額なガソリン税を国税の財源にすることが出来た。その結果、全国の道路整備計画を実現する財源が新しく生み出された。

60年日米安全保障体制下の新全国総合開発
1960年日米安全保障条約の改正は、自由化政策と一体に所得倍増計画がわが国の経済成長政策として進められた。都市が無秩序に急成長を始め、この状況を放置することは都市の未来に混乱が生じると判断された。政府は英国に見られるような秩序ある都市をつくるために、英国の都市農村計画違法に倣って、1968年わが国の都市計画法が制定された。政府は「全総」とそれに続く「新全総」「3全総」という日米安全保障体制に応えた米軍の兵站基地に合わせ、政府の意図通りの財政配分を行なった。

政府は都市計画法と地域計画を扱う新全国総合開発計画とを関連付けて、田中角栄は自民党幹事長時代、下河辺淳経済企画庁計画官及び大塩洋一郎建設省都市計画課長をブレーンに「都市政策大綱」を発表した。その後、同じブレーンが『日本列島改造論』をまとめた。それが全国総合開発計画の骨子となり、わが国の地域計画及び都市計画を具体化する財政・経済政策になった。米軍の兵站基地としての機能を果たすための地域開発計画と都市計画が、「地方自治」を定めた日本国憲法に違反して進められた。産業活動を拡大する経済政策に対応して日本住宅公団の創設が行われた。新しい経済政策として産業連関表を使った経済の波及効果が検討され、道路による物流を円滑に行なわれた。

地域計画及び都市計画において経済活動を飛躍的に拡大する政策がとられ、その政策が地域計画及び都市計画の目的と考えられた。欧米の地域計画及び都市計画のように、その計画を地方分権を基本に、人文科学的な考え方で国民の生活環境を整備するものではなかった。道路計画が地域計画及び都市計画の基本と考えられ、公共事業として行われる道路計画が、わが国の基幹インフラ整備とされ、物流による経済効果を図ることと併せて、公共事業投資による経済的波及効果の観点でしか検討されていなかった。

「新全総」は、東西対立の地球上での戦闘の高度化により、米軍の兵站基地としてのわが国が果たすべき役割はますます広域化し、それまでの新産業都市と工業整備特別地域振興を重化学工業を基本にした大規模プロジェクト構想 が具体化された。わが国は戦場に軍隊を送らなかったが、東南アジアにおける戦争には、国産の軍需物資が投入された。わが国は軍需産業需要を受け右肩上がりの経済成長を続けた。東南アジアの戦場にはわが国で生産された重化学兵器が大量に投入され、その非人道的な重化学兵器使用に国際的な非難は拡大した。

しかし、わが国はそれらの軍事兵器の供給国であるにもかかわらず、「戦争の放棄」を規定した日本国憲法を口実に白を切りとおし、戦争に参加している事実を否定し続けてきた。これまでの新産業都市と工業特別整備地区に加え、大規模工業開発の候補地、苫小牧、「むつ」・小川原、西南地域(山口・愛媛・福岡・大分・宮崎の各県に囲まれた瀬戸内沿岸地域及び志布志湾)が挙げられ、日米安全保障条約との関係を捨象して新全国総合開発計画を考えることは出来ない。

欧米の住宅地経営と日本の住宅地開発と欧米の住宅、都市計画教育
欧米の建築学教育では、住宅や都市を設計する場合、まず土地に定着した「基本コンセプト」を明らかにする取り組みから始める教育をしている。その「基本コンセプト」は、開発しようとする「土地」とそこで「生活する人」という2つを基本コンセプトの相互作用で生活環境を造る計画をしている。

土地は過去から未来に向けて時系列を追って変化するが、その地理学上の位置は変わらない。土地はその土地と連続する「時間の流れの縦軸」と「都市空間の広がりの横軸」と不可分な相互依存の関係と切り離すことが出来ない。そのため、土地利用はその土地と時・空間で連続する空間とそこで生活する人びとの生活と人々が構築する生活環境との関係で考えなければならない。

土地とそこで生活する人は、主体的に計画条件を決めることができるように考えがちであるが、土地も人もそれを取り巻く歴史文化に大きく影響され縛られている。利用する土地も、その土地を利用する人も、その土地とそこに立地する企業や事業所の就業機会や就労条件に関係する人々の生活に関係している。それらの就労条件は産業の歴史文化を反映した社会科学的、人文科学的条件や、その地域の生活環境や産業の雇用条件や社会的通勤交通条件と労動者の就労条件との相互関係と切り離して存在しない。

資本主義社会が誕生した当時は、産業が圧倒的に大きな力を持っていて、産業資本が雇用機会を創造し、その労働条件を決定していた。しかし、民主主義国家が成立し、国民の国家における集権が認められる国家が成立することによって、労働者と資本家の政治的力が均衡するようになると、労働者と資本家は社会的に合意が得られる社会秩序を形成し、国民主権の都市経営を行うことになる。

欧米の住宅や都市は居住者とともに成長するように計画され、建設され維持管理されているのに対して、近代以降のわが国の近代都市は産業本位の都市経営が行なわれ、産業とともに栄枯盛衰を繰り返し、そこに生活する消費者の生活本位ではない。欧米の優れた都市を物づくりとして模倣した施設計画をし、建設することが行われるようになっているが、そこに居住している消費者にとってその都市の住宅生活環境が住民が主体背を持って経営する地方自治として行うことは重視されてこなかった。

ガーデンシティの計画論「近隣住区論」の開発
「物づくり」として欧米に追いつくことを目的にした明治政府の取り組みは、条約改正を目的にしていて、そこに作られた都市や住宅とそこで生活する人との関係は必ずしも明確ではなかった。その点、エベネザー・ハワードの「レッチワース・ガーデンシテイ」に触発されて、ニューヨークのラッセル・セイジ財団の理事長夫人が取り組んだ「フォレスト・ヒルズ・ガーデンズ」は、住宅購入者に資産形成を可能にする住宅地経営を提起するとともに、それを学び追い付き、追い越すような米国の住宅地経営者考え方を明確に示すものであった。住宅地経営意図も住宅地で生活する人たちの目線で、住宅地経営の具体的取り組みも明確にするもので、ハワードの住宅地計画理論は、ラッセル・セイジ財団の環境問題の研究者C.A.ペリ―がその住宅地に生活して「近隣住区論」としてまとめたものであった。

大正時代に欧米の住宅地経営をわが国に取り入れた小林一三による田園都市開発は、郊外電鉄経営と住宅地開発を結んだもので、ハワードのガーデンシティの理想の都市経営を取り入れたものであった。小林一三の住宅地開発は、その経営的視点を明確にしながら、住宅地への居住者の視点を大切にしたものであった。つまり、田園都市に生活の拠点を定めた住宅購入者の生活を計画の対象にした「ストック重視の住宅地開発」という欧米の住宅地経営と同じ性格を持って開発されている。これらのわが国の戦前の住宅及び住宅地開発は、地縁的な関係を重視した住宅地開発が取り組まれた点で、居住者本位の人文科学的な計画理論で資産形成を重視して作られている。戦後の住宅、中でも高度成長経済の中でのスクラップ・アンド・ビルドの時代以降の開発業者の利益追求を目的とした「フローの住宅」とは違っている。「フローの住宅」の最も現代的な住宅が「手離れの良い住宅」といわれる「差別化」住宅である。

英国のガーデンシテイと米国のガーデンシテイ
ハワードのガーデンシテイは、エドワード・ベラミーの『顧みれば』に触発されて開発された人文科学的な思想に立った住宅地開発で、その開発の思想自体に人類文化史に立った居住者とともに成長する住宅地開発である。私はハワードのレッチワース・ガーデンシテイには、過去に何度も訪問しその計画については理解していたので、そのモデルになったレッチワース・ガーデンシテイとフォレストヒルズ・ガーデンズとを比較をすることを中心に考えて現地調査を行なった。

ハワードのガーデンシティの考え方が、フォレスト・ヒルズ・ガーデンズにどのような形で影響を与えていたかを知るために、私は事前に文献でその歴史や計画内容を調べてから現地訪問を行った。その現地調査は1年間に3回、季節を変えて訪問調査を行うことが出来た。ハワードの考えた住宅地計画理論をどのように採り入れられているかを理解するため、真夏の暑い季節と、ニューヨークが雪で荒れた冬と、穏やかな春に3度、現地調査をしたが、いずれの季節も居住者を引き付ける住環境であることを確認した。

フォレスト・ヒルズ・ガーデンズは、J・C・ニコルズによるカンザスシテイにおけるカントリークラブと並んで、英国のエベネザー・ハワードの提唱した『ガーデンシテイ』の実践に刺激されて、当時「資産価値を増進できる住宅地開発」が取り組まれていたときの代表的事例である。英国のガーデンシテイをモデルにした米国での最初の取り組みというだけではない。新しく台頭した米国の産業人たちの住宅地を、住宅購入者の資産形成できるものとして、さらに発展させる意図を持って取り組まれた住宅地である。フォレスト・ヒルズ・ガーデンズは期待どおり100年先の成長を展望して計画されたと言われるとおり、購入者の不動産投資として、その資産価値は予想を超えて上昇し続けている。ニューヨークでも優れた住環境、教育環境を備えた憧れの住宅地になっている。

現代建設されているすぐれた住宅地
多くの書籍で、住宅地計画の重視すべきとされたことは、悉く実践されているモデル住宅地計画のテキストと言ってよい住宅地である。居住者は子供の成長に合わせて通学させる学校を住宅地は賑やかな盛り場(ショッピングセンター)やスポーツクラブや各種クラブハウスがあって、居住者が生活を楽しめる生活施設を住宅地内に持ち、子供たちは安全に通学できる。街には計画された人たちの生活要求に応えて施設が整備されるとともに、人びとの要求に応えて充実されることになる。

施設計画が充実していても、必ずしもすべての居住者の多種多様な要求を満足させていることにはならない。また施設計画が優れていても居住者が主体的に都市経営に参画していない住宅地では、その住宅地に対して多様な居住者の立場から、無条件で「良し、悪し」の判断は難しい。住んでいる人たちに満足できる「高い売り手市場」を維持している住宅地は生活利便性の高さとともに、多くの人たちが個性を尊重し合い、生活者の良い住環境を形成されることである。生活者の合意形成によってよい人間環境形成ができ、相互理解がなされ、楽しく生活できると居住者が理解し合える住宅地となり、売り手市場を形成し、将来的に資産形成が見込まれる。「売り手市場を維持できる住宅地」は、購入した住宅資産は上昇し、時代とともに熟成する住宅地が居住者満足の高い住宅地であると説明できる。

1980年代に米国の建築家ピーター・カルソープが提唱し、実践したサステイナブル・コミュニティは、住宅地の評価の中心を、第2次世界大戦後の産業本位の都市計画からから、エベネザー・ハワードが「ガーデンシティ」で提唱した居住者生活本位に立ち返ることにしたもので、消費者が「住宅地に持続的(サステイナブル)に住み続けたいと望む住宅地」に開発の軸足を置くべきことを提唱した。産業活動本位ではなく、生活者が主体的にその住宅地に住み続けたいと考える住宅である。それは居住者がその住環境の主人公で、住宅地経営に参加する仕組みに作られていることである。

私たちが購入者に対し「売り手市場を維持する住宅地」は、フォレスト・ヒルズ・ガーデンズのような高級住宅地だけではなく、中・低所得の人や貧困な所得の人達にもあるはずである。ニューアーバニズムは、現代の多様な社会において、多様な居住者の要求に向けて開発される住宅地開発で、住宅関係者が努力を結集させるべき住宅地形成の思想である。ワシントン州ウエストシアトルにあるハイポイントは、汚染した河川に「鮭を俎上させる」水環境問題と、人びとの生活環境問題とを併せてニューアーバニズムによる住宅地再開発をHOPE計画で進め、持続的に成功し続ける代表的な成功例である。

物づくり本意の住宅地の挫折
私は官僚時代にスラムクリアランス事業を担当し、米国が当時誇っていたスラムクリアランス法に倣い、住宅地改良法が制定された。モデルにされたスラムクリアランスであるミズーリ州セントルイス、プルーイット・アイゴウ団地の歴史的な総括(再開発された住宅地がダイナマイトを使って破壊)の事実を10年後に知らされた。それは米国における関係者のだれも予想出来なかったことであった。

しかし、米国のスラムクリアランス事業の失敗を知ってから、その理由を振り返って考えると、わが国の住宅地区改良事業の基本的欠陥が立法自体に内包されていることを理解することが出来た。その基本的欠陥とは、住宅も住宅地も物理的な形に幻惑される危険性が有り、物として美しいものを作れば、その美しさで生活環境も改善されると思いがちである。「ものづくりで環境改善ができる」考え方に偏って考えることが多い。しかも計画段階で、又は、建設後短期にその計画の欠陥が露見することはそんなに多くなく、外観によって事業の失敗が隠蔽されることも多い。外観が住宅地経営に影響することは在っても、外観が住宅地経営を変化させることはない。居住者に生活改善の意欲を吹き込まなければならない。

わが国では明治の初めから、建築学は工部大学校(その後の東京大学)工学部の建築教育として、事実上は「建築意匠教育と言って、欧米の建築物の「意匠の模倣」を行なう教育が建築教育として行なわれてきた。建築学と呼んだり、その教育の目的は不平等条約の改正に向けた『欧米に立っている建築物の形態模写を、「建築意匠教育」として行われてきた。その後関東大震災以降、「建築安全か、意匠か」論争の結果、建築工学と呼ばれるようになってきたが、その教育内容はシビルエンジニアリング(工学)でもなければ、建築意匠教育でもない。人とモノを相互作用させる人文科学的事業が求められている。
(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世) 

特定非営利活動法人 住宅生産性研究会(HICPM)
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住宅価値の日米比較:投資額と資産額http://shinshumachidukuri.blogspot.jp/2016/12/blog-post_30.html 

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2019年11月16日土曜日

Tabooに挑む ―世界の常識と日本の良識


チャンプ (藤沢市湘南台:代表山本儀子) の会員梅澤正巳様より
素敵な論文を頂きました。難しい言葉や表現が使われていますが、
読んでみると判り易いです。
赤文字は編者が変換したものです。
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  著者梅澤正巳氏紹介:1941年東京生まれ。ソニーと半導体販売の合弁企業現UKCHD
を設立。一部上場達成、副社長、最高顧問を経て隠退。以後、経営コンサルティング会
QJ()を設立し、75才まで代表を務めた。この論文は隠退の際、後輩経営者のため
20173月に書かれた。チャンプ(藤沢市湘南台:代表山本儀子)会員。(安江髙亮記)

Tabooに挑む
―世界の常識と日本の良識を考える―

戦争に明け暮れた20世紀が終わり、新世紀が始まって既に20年が経とうとしている。しかし、現下における世界の情勢は、永く人間社会を規定してきた常識や倫理を覆す兆候が強く現れ、其処では、わが国の戦後の良識とされてきた思考や行動も再考を迫られるのではと危ぶまれる程である。
そして、今年発せられた各国各首脳の年頭所感や実業界の領袖たちの観測に高揚感は見られず、寧ろ世界平和の側面では、宗教的信条の違いによる地域紛争や格差拡大に起因した「経済戦争」と云う火種によって、新たな冷戦への危機感が募り、当に世界には暗雲が立ち込めているかに観られるのである。
特に、世界がglobal化によって物理的にも時間的にも狭隘になり、緊密な連携が図られねば為らないとき、現実は其の真逆の方向へ走っているかに思える。自国優先主義やpopulismそして権威主義国家の台頭が其の現れである。
このような不安定な状況を反映してであろう「歴史における相似性」と言うことが、最近よく論じられる。世の中の情勢が100年前の第一次世界大戦の1910年代、あるいは70年前の第二次世界大戦直前の1940年代初頭に似ているからである。確かに、歴史においては全く同じ状況を再現することは無いであろう。
しかし、同じような状況は繰り返されるのである。あの両大戦前夜の悪夢の情景が、再び立ち現れていると世界の識見者は観ているのである。
一方、わが国の世情は、如何であろうか。世界の混沌と混迷は、他所事と捉えているのであろうか、昨日の延長に今日が、今日の先に当然明日があるのだと、極めて平穏無事に過ぎるものと、思い定めているかに見える。
その筈である、先の戦争が全面降伏であったにも拘らず、敗戦後の日本は真に幸運であった。独逸のように国を分断されることが無く、戦時賠償に国民が疲弊することも無く、専ら自らの復興に邁進することが出来た。米国の世界防衛戦略に基づいた政策が、日本の復興計画を、軍事出費を伴わない民需産業への特化を許したからである。お蔭で日本は、consumer electronics技術を梃子に経済発展を遂げ、一躍経済大国となった。戦時中の痛みは激烈であったが、戦後の痛みはEurope諸国に比べ、格段に大きくは無かったのである。しかし、其の与えられた「平和の代償」は、今現在に至ってbody blowとなってジワジワと効いて来ているのではないか。
確かに、戦後復興において我々日本人は懸命に働き、奇跡的な高度成長を成し遂げた。しかし、其れは米国によって設えられた安全保障体制の枠組みの中で、自国の安全を他国に委ね、自らは経済活動に専念して成し遂げた結果であった。
国の経済が安定し成長することは、国民の生活が豊かなることであり、何より望ましいことである。だが、自分の国を自分で守れない、守らない国というstyleはあくまでも非常時に許される姿である。其の仮の姿を何時まで続けていくのであろうか。世界の先進国の中で、そのような国は絶無なのである(平和国家として引き合いに出されるSwissは、相応の軍備を持ち、徴兵制を備えている)。
今、期せずして憲法改正問題が浮上している。そして、Marxの唯物史観で育ったこの国の進歩的文化人と云われる人たちは、挙って其れに強い拒絶反応を示している。戦争の悲惨さを強く身体に刻み、記憶に留めている超高齢者も同様である。おそらく、戦中戦後の心理的、物理的傷害をトラウマとして引きずっている所為であろう。
しかし戦争は、いずれの国、国民にとっても悲惨なのである。敗戦国であった独逸や日本のみでなく、戦勝国である英国、仏蘭西の欧州諸国、それに米国においてすら物心両面において大きな傷跡を残したことに変わりは無かったのである。
国連の下部機関としての世界銀行が、当初戦後世界の復興を目指し、安定と経済支援を目的として設立されたことによっても、戦争被害が如何に甚大で深刻であったかを類推できるのではないか。
そして2019年、日本で課題とされるのは、恒久平和を規定した憲法の改正であり、焦点は第9条である。
だが、70数年を経て、現下の世界はparadigm shiftの最中にある。
中国を筆頭に発展途上国は急速な成長を遂げ、勢いのある新興国となって先進国を脅かしている。科学技術の進歩は、政治や社会制度の改変を待つことなく、様々な枠組みに綻びを齎している(其の状況は、戦争の危機を表現するThucydidesの罠に準えられている)。このspeed社会の潮流に乗り遅れることは、即国際社会の競争からの脱落に繋がりかねない。70年の時間の経過は、急激であったからである。
現下の日本国憲法は時限立法的色彩が濃い、真の自主独立を表明するのであれば早晩、其れに相応しい憲法を制定することが、自国の独立(自分の責任範囲は、先ず自分で始末をする)を証明する上でも必須であり、それがまた同盟諸国からも促されているのではないか。
何故なら前述のように、日本社会の発展は、米国の庇護の下にAsiaの中で産業化にいち早く成功した先行者利益に他ならないのであり、最早自分本位な平和主義を掲げるだけでは、他国から信頼を得て、尊敬を勝ち取ることは叶わないのである。もし、一国平和主義が罷り通ると信じているなら、其れは余りにも幼稚でnaïveに過ぎる考えではないか。戦争は誰もが忌み嫌うことであり、その中で、一国平和主義を主張し殻に閉じ篭ることは、他国から観たとき、他人の犠牲(他国の若者に戦いを委ね、血を流させる)の上に成り立つ平和であり、偽善そのものと写るであろう。其れは論理の必然であり、Common-senseであろう。
そして、其の現実を知らしめる責任は、かの高度成長期に企業戦士として活躍し、政治や社会の論理を語ることを後回しにして、経済活動に専心していた我々高齢者に課せられているのではないか。
日本では今まで、仲間内で政治と宗教を語ることを好まず、暗に禁忌して来た。
親しい間柄に、波風を立てないための配慮があってのことであろう。
しかし、今世界の情勢は、大きく変わりつつあり、仲間同士の安寧だけを良しとする時機ではない、寧ろ積極的に「政治のこと」を話題とする局面を迎えているのではないか。表題を「Tabooに挑む」としたのは其の意図を表したものである。
今求められるのは「世界的な視野」であり「自国の立ち位置の明確化」である。
国際秩序の体系は、複雑である。経済を主体とした「利益の体系」だけではなく、善悪(正義)を規定する「価値の体系」があり、何よりも重い「力の体系=軍事」によって成り立っている。其れが国際社会の全体系であり、それをオブラートに包むことなく、真正面から見据え、日本をこれから支える者たちに、現実として開示することが、求められるのではないか。古いparadigmが終焉を迎え、新しいgameを始めるには、そのための知的な準備が必要だからである。
それでは、知的な準備とは何か。先ず、己を知り、他者を知ることであろう。
己を知るとは、戦後に切り捨てられた日本の伝統文化の核心を再認識することである。何時かしら日本文化の特性であった「恥の文化」が消え、破廉恥な行いが公然と行われて平気な社会となった。お天道様に恥じない真っ当な生き方は、時代遅れとなり、利己主義が持て囃されている。かって、「潔さ」は他人の上に立つ者の基盤にあり、規範であった。今、leaderといわれる人たちから其の気概が、抜け落ちている。そして、骨身を惜しまず「渾身」を籠めて生きる姿勢こそが、この国の民の倫理的な美徳であった。戦後に失われた日本の文化は、世界に誇れる文化であった。
現下、政官界や企業で起こっている様々な不祥事は、知識経験やskillの不足によるものではない。人間として当然あるべき姿が追求されることなく、経済価値のみが優先された結果ではないか。それに加えて、上に諂い、下に媚びる組織人の習い性「忖度」が流行語となる程各界では不始末があった。日本人はこんなに卑しい民族ではなかった筈である。惟は明らかに戦後の「平和の代償」=負の遺産である。
日本が、世界の中で存在感を高めるための新しい価値基準は、寧ろ日本の伝統文化の中にこそ有るのではないか。日本人が信頼に耐える民族であることを立証することこそ、自己を主張して世界世論に影響力を与え得る唯一の方法手段ではないのか。
そして、世界の他者を理解するためには、偏見に囚われることなく、自分の立ち位置を歴史的文脈の中で知ること、つまりContextual intelligence(時代の文脈を読み取る知性)が無ければならない。pinpointで座標軸が定まらないままでは、考えや意見が、どんなに正解と見えても、長期の時間軸の上では評価に耐えることが出来ない、正体不明の相手では対話が成立しないからだ。
そして、Mirror imaging(相手も自分と同じように考えているに違いないという思い込み)を捨て去ることである。それは思考を停止させ、発展的な議論の障害となる。日本人が良かれと思っていることは、必ずしも其の通りに、他国の人が、理解して、受け入れるとは限らないのである。
さらに、Historical if(歴史的事象の中に、自分を投影して可能性の選択肢を探る)の思考である。今後の新たな方向性を見出すには、頑なな原理主義や教条主義的な拘りを棄て、歴史の現実の中に身を置いて、もし自分が其処にいたら如何にするかを自問することであろう。切実な擬似的体験をすることは、他人の経験を自分の経験とすることに繋がり、歴史認識を育むことになるからである。
何れも、激変する世界で生きるために視野を広げ、自分の立ち位置を明確にして意志を発進するための前提条件と言える。
終わりに、現代史から当該課題への示唆と為るであろう事例を検索してみた。
先に、世界趨勢の中における、日本人の立ち位置の捉え方と解釈が、甚だ幼稚でありNaïveであると言った。其れは、政治そのもの、あるいは政治家に対する我々の対応、評価にも繋がっていると思われるのである。政治は其の国民のlevelを写し、其の域を超えるものには為りえないと言われる。
そして、政治の世界は、よく魑魅魍魎の様態に例えられる、其れほど複雑怪奇だからであろう。当然、其処で活動する政治家も単純明快さと怜悧さだけで、遣り遂せる世界ではないのである。
其れなのに我々は、余りに理念型的な政治、政治家像を求めてはいないか
因みに、危機の時に名を残した世界の指導者は、皆な古狸で老獪であった。
第二次世界大戦時の英国の首相Churchillは、往時の国民に必ずしも真実を伝えただけではない。後にNobel文学賞を獲得する程の文才、rhetoricを駆使して、国難の時に英国民を鼓舞しNazisとの闘いを戦勝に導いた。
そして同時期の米国大統領Rooseveltは、「素晴らしき欺瞞」と呼ばれるpropagandaを用いて、混迷し分裂する国民を結束に導き、未曾有の世界大戦を収束させた。そして、これらは「noble Lie」と言われ、世界政治のinitiativeにおいては許容され、寧ろ賞賛されているのである。其れが、自分個人を益するための「嘘」ではなく、「国・公」のために付く嘘だからである。
この「大人の智慧」が、政治の世界では、必要なのだと思う。現実の世界は、理想郷ではなく、全てrealismで成り立っているからである。そして、其の「Noble Lie」を駆使することを許す寛容さは、我々成熟した人間が具有する特性と言わねばならず、尚且つ「大人のもてる智慧」を発進することが我々の責務ではないのか。しかし、其れは、難儀なことかもしれない。
我々が発信する環境や状況は複雑であり、いま今の事象をpinpointで見ても真偽の判別は難しいからである。そこで、一つの方法を提案したい。Extrapolation思考と言い、あらゆる兆しを、一時的なものとして観察するのでなく、一つの傾向線上に載せて考察する方法である。昔からの「時間の効用」の活用である。
其れによって、事態の進展、変化が明確になるからである。真偽は時間軸で観ることによって、始めて鮮明になる。そして、其れは我々の判断をより正解に導いてくれることになる。しかし、この思考方法は、若者には馴染まない、彼らは性急だからである。我々、超時間世代にして始めてもち得る思考である。
それ故、是非我々の「大人の智慧」を発揮して頂きたいのである。
そして、Be just and fear not. (正を踏んで怖れるなかれ)、惟は永遠の真理である。しかしこれも、現役の若者たちには中々出来ないことである。彼らは、仕事を成功に導き、生活を築き上げ、子供を育てる途中過程にあり、様々な「しがらみ」の中で生きねば為らない。
しかし、我々高齢者は「しがらみ」からは既に遠い。それ故、世を糾す発言は、我々に責務として負わされているのだと思う。幸い、自由民主主義体制は、脆弱ではあるが、皆が意識を一つにして支えて行けば、正常に反応する素晴らしいsystemである。絶対主義や権威主義に比べ、発言の機会は恵まれ、自由である。その上、憂国に根ざし、正鵠を射た発言は、公の場を得て真意を伝えられる可能性が高いのである。
さて、歴史を振り返ったとき、我々が問われるのは、何よりも生成というものに対する態度ではないか。過去という存在が無ければ、ほとんど現在というものが無い程、人間の存在は過去に多くのものを負っていると云われる。
そして、人類の過去の遺産を最も多くを受け継ぎ、恩恵に浴して生きて来たのも我々高齢者なのである。其の遺産が潰え、途絶えることがないよう、次世代に伝える責務が、我々に課されているのだと思う。    
18世紀の英国の天文学者Herschelは、斯く云っている、     
「わが愛する友よ、我々が死ぬときは、我々が生まれたときより世の中を少し為りとも良くして往こうではないか」  と。


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