2012年3月13日火曜日

ガーデン・シティとリース・ホールド事業

ここでは,エベネーザー・ハワードが創った世界初のガーデンシティー(田園都市)について説明します。

田園都市論と実際の建設

 エベネーザー・ハワード(Ebenezer Howard, 1850年1月29日 - 1928年5月1日)は, 重工業が発展するロンドンの、あまりの環境悪化と貧困の拡大を憂いて、アメリカ・シカゴのガーデンシティー構想から刺激を受け、「都市と農村の結婚」を目指して1898年に「明日-真の改革にいたる平和な道(To-morrow;A Peaceful Path to Real Reform)」を出版。1902年にわずかに改訂され「明日の田園都市(Garden City of To-morrow)」と題名が改められた。
 
'99年,安江が現地のハワード記念館で撮影した
ハワードの人形

 産業革命が進行したイギリスでは、雇用の場である都市に人口が集中し、人々は自然から隔離され、遠距離通勤や高い家賃、失業、環境悪化に苦しんでいた。
 これを憂いたハワードは、「都市と農村の結婚」により、都市の社会・経済的利点と、農村の優れた生活環境を結合した第三の生活を生み出すことによる解決を目指し、1898年に「明日-真の改革にいたる平和な道(To-morrow;A Peaceful Path to Real Reform)」を出版した(1902年にわずかに改訂され「明日の田園都市(Garden City of To-morrow)」と改題)。

 ハワードの提案は、人口3万人程度の限定された規模の、自然と共生し、自律した職住近接型の緑豊かな都市を都市周辺に建設しようとする構想である。そこでは住宅には庭があり、近くに公園や森もあり、周囲は農地に取り囲まれている。
 不動産は賃貸し(リース・ホールド:後述)、不動産賃貸料で建設資金を償還するので、都市発展による地価上昇利益が土地所有者によって私有化されず、町全体のために役立てられる。
 この理論は一定の支持者を獲得することができ、1899年にはハワードを中心に田園都市協会が設立された。この協会は、1903年にはロンドン北郊のレッチワースにて初の田園都市建設に着工した。この事例では田園都市を運営する土地会社が住民たちに土地の賃貸を行い、土地会社の資金を元手に住民たち自身が公共施設の整備などをすすめた。

レッチワースの駅舎
Letchworth Garden Cityと書かれている
 第一次世界大戦後には二つ目の田園都市、ウェリンを作り、その後ドイツで建築家ヘルマン・ムテジウスやブルーノ・タウトらと接触し、彼らによってワイマール共和国時代のドイツ各地での住宅開発計画が進められた。ハワードは1928年没するが、レッチワースなどの成功はイギリス政府を刺激し、その後政府の手で30以上のニュータウン・コミュニティが建設された。(Wikipediaより)


世界への影響

 彼の著作及びレッチワースをモデルとした都市計画が、著作出版から10年以内に北米・ヨーロッパ・ロシア・日本など世界各地に出現した。21世紀の今日でもニュータウン建設や郊外住宅建設にあたってはハワードの理論が引用されることが多い。
 だが、それらの多くは田園都市の美名の下、単なるベッドタウンに終わり、職住近接の自律した都市や、住民によるコミュニティまでを実現しようとした例、実現した例は多くない。



 アメリカで1909年からニューヨーク郊外に計画されて開発された郊外住宅地フォレスト・ヒルズ・ガーデンズ(Forest Hills Gardens)も、この田園都市運動の影響下に建設されたものである。建設した財団研究員のクラレンス・ペリーはここに居住して近隣住区論(TND論:別ページで掲載)を発表している。
 さらに、この近隣住区論を実践しようと開発されたニュージャージー州のラドバーン(Radburn)では、車と人を分離する道路システムが生み出された。この近隣住区とラドバーン計画の考え方は、世界各地の都市建設で活用されている。

 日本では,関西で,小林一三が経営する阪急電鉄が1910年に池田駅近郊の室町1911年に桜井駅(箕面市)、1930年代には千里山(吹田市)、大美野田園都市(堺市)、初芝(堺市)など沿線周辺の宅地分譲を行い噴水やロータリーを設けた「田園都市」を相次いで開発した。 
 東京では,渋沢栄一らが1918年に田園都市株式会社を設立し、洗足や田園調布を噴水やロータリーを設けた「田園都市」分譲開発した。小林一三は、東急の役員などを勤めるなどして、東京の郊外の開発にも関わった。(Wikipediaより)

(以下は,住宅生産性研究会の資料を引用)


 運営会社が地主から土地を借り上げ,リース・ホールド事業(註2)によって、住宅地経営は一元的な管理下でおこなうべきという考え方である。
 又、住宅地は全体として有機的な関係をマスター・プランによって作成し、その計画を守ることが居住者の生活を護るためには不可欠であると考えている。



(註2:リース・ホールド事業:定期借地権:但し,英国と日本では思想と手法が違う)





コミュニティの文化:「恒久的な都市文化の担い手」と「仮設住宅地文化」

 英国の「リース・ホールド事業」は、人々の豊かな生活を実現させるための仕組みであって,日本のように期限がきたら居住者を追い出すということはない。居住者は,100年目に住宅を買い戻すことも、借家として住み続けることもできるため、そこには人々の生活文化が育まれ継続されていく。

 リース・ホールド事業は、土地所有者が、「土地を資本化」(現物出資)することによって都市経営に参加する方法であり、土地運用利益である地代を配当利益として手に入れることになる。
 このように,土地は定期借地契約になるため、住宅購入者は、土地を購入する必要がなくなり、住宅ローンのすべてを住宅建設に投入することができる。従って,質の高い住宅を持つことができる。
 

その結果、土地所有者は,リース・ホールドの期間満了時には、その投資効率の良い住宅不動産のすべてを自分の財産とすることが出来る。

 ここで注目すべきは,彼等の住宅メンテナンスである。ヨーロッパでは100年以上使われる建物は無数にある。メンテナンスの良い家は100年経っても良い値で売れるから,メンテナンスは自分の資産保全である。1000年以上の歴史を持つ城を市役所にしている市もある。

 日本の「定期借地権事業」は、期間が50年であり,定期借地権満了時には住宅を取り壊して更地化されるため、居住者は強制排除となるので、生活文化はその時点で破壊される。
 
原則50年目で住宅を取り壊して更地にすることは、資産の放棄であり、コミュニティの破壊である。その扱いは、災害仮設住宅の扱いと基本的に同じである。


経年的に「資産形成ができる」住宅地か、「衰退する」住宅地か

 西欧の「リース・ホールド事業」は、土地所有者の資産形成が究極の目的であるため、住宅地は熟成するよう経営される。同じ住宅でも、豊かなサービスが提供されるところには所得の高い人が集まる。

 特にリース・ホールド事業では、住宅購入者は土地を購入する必要がない分、家計支出に余裕が生まれ、豊かな生活を営むことが出来る。その結果、住宅地全体に余裕のある豊かな生活が形成され、居住者のニーズにあったサービスも育つという良循環が生まれる。
 その住宅地の評価が上がると、転売される時にはより所得の高い世帯が入ってくる。

 新しい入居者はより高い資産形成利益を手に入れることを期待し、自分のコミュニティに磨きをかける。結果として,土地所有者はより高い地代を期待することができる。
 英国の「リース・ホールド事業」は、都市経営事業者(法人)が土地所有者になり、当初の開発事業者を住宅地全体の経営管理業務に参加させている。この仕組みが質の高いサービスを可能にしている。


 出資者となった借地人は,開発地の評価が高まれば高配当となって還元されることになる。そのため、リース・ホールド事業として経営される住宅地には,その評価が高まるための住宅地経営管理システムが必要となる。



その住宅地経営管理システムが「3種の神器」


詳細は他ページに説明するが,項目は以下の通りである。

第一の神器:ニュー・アーバニズムによる基本計画(マスター・プラン)の実現を各住宅所有者に遵守させるための建築設計指針(アーキテクチュラル・ガイドライン)

第2の神器:住宅所有者全員の強制参加を義務付けた住宅地経営管理自治団体(HOA法人:ホーム・オーナーズ・アソシエイション)

第3の神器:開発事業者、住宅所有者、住宅地経営管理自治団体間によって締結される住宅地管理基本契約約款(CC&RS:カベナント・コンデイションズ・アンド・リストリクションズ)


米国に渡った住宅地経営(リース・ホールドからフリー・ホールドへ)

 1929年から,米国ニュージャージー州、ニューヨーク・シテイ・コーポレイションが取り組んだラドバーン開発は、それまでのディード・リストリクション(土地利用規制に関する契約)による住宅地開発を、英国のガーデン・シテイの考え方による手法に変えた。

 「三種の神器」をとりいれた。

そこで,ニューヨーク・シティ・コーポレイションは,住宅地経営管理基本契約約款を定め,ラドバーン全体の住宅地経営管理協会(自治団体)に強制加入することを住宅購入の条件とした。

 ガーデンシティーと違うのは,リース・ホールド(99年定期借地権)からフリー・ホールド(所有権分譲)に変えたこと。
 しかし,上記「三種の神器」採りいれたことによって,資産価値を向上させるために有効な住宅地管理経営が可能となった。

 つまり,開発事業者が、主体性を持って住宅地経営を実施できるフリー・ホールドによる住宅地開発手法が確立された。これを主導したのがJ・C・二クラスとC・アッシャーである。


<参考資料>
田園都市:http://ja.wikipedia.org/wiki/田園都市


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