2017年6月17日土曜日

『貧しい人々のマニフェストーフェアトレード の思想―』


獨協大学・北野 収教授からいただいた自著『貧しい人々のマニフェストーフェアトレード の思想―』(フランツ・ヴァンデルホフ著、北 野収訳、創成社、2016 年) 紹介文です。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


はじめに
 欧米での普及状況にはまだまだ及ばないもの の、日本でも少しずつフェアトレード商品を街 で見かけるようになってきた。また、一部の学 生のフェアトレードへの関心は高い。フェアト レードの起源には諸説あるが、認証ラベル制度 を一つの「起源」とみなせば、世界初のフェア トレード認証ラベル「マックス・ハベラー (Max Havelaar)」(現 Fairtrade International)が 1988 年にオランダで設立されたことは今日のフェア トレードの隆盛のきっかけの一つといえる。

 本書の著者、フランツ・ヴァンデルホフ(Fran- cisco VanderHoff Boersma または Frans van der Hoff, 1939-)は解放の神学の流れを汲むオラン ダ人カトリック司祭である。彼は、チリおよび メキシコシティでの労働司祭活動を経て、今日 に至るまで 40 年近く、メキシコ南部のオアハ カ州の山岳地帯で経済的極貧状態にあえぐ先住 民族コーヒー農民とともに暮らし、UCIRI 組合(Unión de Comunidades Indígenas de la Región del Istmo)を設立した。そして、「コヨーテ」と 呼ばれる現地の仲買人からの脅しやオランダ国 内で大手企業からの差別的扱いを受けながら、 世界初の国際フェアトレード認証の仕組みマッ クス・バベラーを設立した。フェアトレード運 動の「父」と言われる所以である。

 本書は、いわゆるフェアトレードの解説本や 現地実証調査の研究書ではない。「経済のため に人間が存在するのではない。フェアトレード運動の父、ヴァンデルホフの壮絶な闘いからの メッセージ。新自由主義市場を特徴づける搾取、 暴力、不正義に対するストレートかつ挑発的な 批判を述べる」。このコピーは私が書いたもの ではなく、販売側が作成したものだが、本書の 意義を的確に説明している。第一義的に、本書 は「マニフェスト」以外の何物でもない。本書 を読んだ者は、フェアトレードに「チャリティ、 支援の一形態」といった意味以上の深く、大き な意義を感じざるを得なくなる。

 ヴァンデルホフの生い立ち、農民とともにフェ アトレードを提案した経緯については、拙著『南 部メキシコの内発的発展と NGO』(勁草書房)お よび N. ローツェン・F.ヴァンデルホフ『フェ アトレードの冒険』(日経 BP 社)を参照され たい。

日本語版の概要
 オリジナルは 2010 年のフランス語版で、拙 訳の底本にしたのは 2014 年のイギリス版であ る(最初の英訳は 2012 年のカナダ版)。以下、 日本語版の概要を述べる。

 第1章「経済危機に直面する貧困者」では、執 筆当時のリーマン危機を念頭に、グローバル資 本主義と新自由主義の矛盾の歴史的必然性とと もに、世界各地でみられる社会的連帯経済の萌 芽、資本主義の矛盾を克服するための手段とし てのフェアトレードの意義と抱負が述べられる。

 第2章「危機が持続する構造」では、リーマン 危機への対応でのオバマ大統領の迷走、グロー バルな「自由競争」を謳歌してきた大手銀行の 救済のためにアメリカ国民の血税が投入された ことを例に、誰も失敗の責任はとらず、そのツ ケは国民に回される仕組みが制度化された新し い「金権政治」(企業が政府を操る)という構造 が資本主義の矛盾の現時点での到達点であることを確認する。 

 第3章「下からのグローバリゼーション」では、この構造的矛盾に目をつぶり、富裕国・富 裕層が上からの一方的なチャリティ活動、開発 支援を行うことが、問題の解決にはつながらず、 むしろ矛盾から目を背けることに加担すると指 摘する。対策として、貧困者自身の主体性と倫 理的消費者との連帯に基づいた真の代案が必要 であり、メキシコ・オアハカ州テワンテペック 地峡で始まったその実践(フェアトレード運動) は既にグローバルなレベルにまで拡大している ことを確認する。

 第4章「もう1つの世界は可能だ」では、小 規模金融やフェアトレードなど第三世界各地で 立ち上げられた社会的連帯経済の意義の再定義 と可能性が述べられる。興味深いのは、ムハマ ド・ユヌス(グラミン銀行)とヴァンデルホフと の違いである。ヴァンデルホフはユヌスの「社 会的資本主義」というコンセプトを批判する。 社会的ビジネスの重要性は否定しないが、「ビジ ネス」だけで、金権政治、ウルトラ資本主義を 改めることはできない。人々による道徳的な対 抗運動も必要だというのが、彼の立場である。 ブータンの国民総幸福量(GNH)、ボリビアの モラレス大統領、ガンジーやマンデラ等のエピ ソードに言及し、「開発」の政治性から目を背け るなというメッセージが暗喩される。

 第5章「私はもう1つの世界の夢を描いた」 は、こうしたメッセージが広汎に受容されるに は、もう1世代分の年月を要する(第4章末尾) と考える 1939 年生まれの彼が将来世代に託し た「遺言」である。
 実は、マニフェスト部分は英語版でわずか 88 頁、拙訳書も図版込みで 103 頁に過ぎない。日 本語版には、私が新たに書き下ろした 61 頁の 解説エッセイ「認証ラベルの向こうに思いをはせる」を収録した。解説エッセイの構成は「は じめに~フェアトレードについて~ヴァンデル ホフの半生~「フェアトレードの思想」を考え る視点~回想のテワンテペック地峡~開発・発 展をめぐる天動説と地動説~おわりに」である。 私がヴァンデルホフに面会した時のエピソード も綴った。

貧者に「寄り添う」こと
 日本語版の冒頭に私は次のメッセージを書い
た。「本書のメッセージは過激で非現実的だと 感じる方が少なくないと予想する。ヴァンデル ホフ神父の言葉は一見、あまりにも反資本主義 的で不愉快で偏向的なものとして映るかもしれ ない。だが、1つだけお願いしたいのは、ヴァ ンデルホフがいかなる時代をどこで生き、どの ような現実を見てきたか、何を経験し、何を想 い、その結果この思想を見出したのかについて、 想像しながら読んでいただきたいということで ある。そこには、今日の国際フェアトレード運 動の父ともいえる人物が、30 年以上の長きにわ たって先住民族と暮らし、ともにその思想を見 出したという事実がある」(iii)。

 現地の人々に「寄り添う」こととは、そこに ある多様な価値・固有の価値に耳を傾け、必要 に応じて、外部の知見や技術と接続できる関係 性をつくることである。本来、開発は価値中立 的な社会工学の応用ではなく、価値選択的で人 間的な営為だと私は考えている。どのような発 展を望むかは、現地の人々が選択する価値に連 動するはずだ。この意味において、本来的な開 発は社会変革の要素を含んでいる。人間的営為 である以上、変革としての開発にかかわる特定個人の経験や価値観はその人の仕事や実践に必 ず影響し、それは人間社会を改良する原動力の 1 つになりえる。

 チアパス州の先住民系コーヒー組合とのフェ アトレードプロジェクトを指導し、また、サパ ティスタ運動のテクスト分析の研究をした山本 純一先生は、外部から先住民社会に入り、変革 を促す人材のことを「内在的他者」と呼んでい る2 。一見、地域コミュニティ内部からの要求と みられるものが、外部から持ち込まれた価値観 によるものであった、または、それとのハイブ リッドであったことを示唆し、彼らの要求の内 発性・純粋性を批判的に捉える研究もある。こ うした視点とは別の観点、すなわち、時代と個 人の対話内在的他者としてのヴァンデルホ フの人生と彼が生きた時代を意識して、彼 の言葉の背後にある価値観を探り、外来・内発 という二項対立を止揚し、貧者に寄り添い共に 生きた者のみが語り得る言葉の意味を探るとい う点で、本書の学術的な価値は小さくないと考 える。
ヴァンデルホフのように、人々に添い遂げる人 生を送った人物は希有な存在である。だからこ そ、その人生と経験から紡ぎ出された言葉には、 私たちが耳を傾けるべき示唆が含まれている。

ヴァンデルホフの言葉から
 「経済は人間に奉仕すべきであり、その逆は あり得ない」と彼は言う。経済というものは人 間の生活の必要から生み出された。だが今日、 私たちは経済のなかで生き、経済に奉仕するこ とを余儀なくされている。本来、経済は人間社 会に埋め込まれていたが、今では、社会が経済の荒波に翻弄される存在である。経済が政治を 動かし、ルールを改変し、メディアを操る。だ が「経済とは、広大だが有限で閉じたシステム= 生物圏の部分集合に過ぎない。結論として、際 限なき成長は不可能」なはずだ(86-87)。無限 の権力を手に入れた大企業が暴走しても私たち に止める手段はなく、それに気づく機会さえ奪 われてしまった。第三世界の誇り高き貧者たち は、こうした事柄について先進国の人々以上に 敏感であり、免疫をもっているとヴァンデルホ フはいう。

 開発支援や援助に対する彼の指摘は辛辣であ る。「思いやりという名の下に、自分たちの意志 を貧しい人々に押し付けてしまう。(略)NGO には、非常に好意的かつ優秀で、善意に満ちあ ふれたスタッフもいる。だが、一般論として、 彼らのメンタリティは彼らが成すべきはずだっ たこととは逆の方向に作用する。(略)3~5 年 間プロジェクトを実施し、その後ことは考えず、 バトンを持ったまま帰ってしまった NGO を私 自身どれだけ見てきたことか。(略)彼らがやろ うとしていることは、不幸という名のカーペッ トを持ち上げて、自分たちの存在を世に知らし めることに過ぎない」(63)。農民は大金持ちに なることも、政府や NGO 等の外部からの支援 に依存しながら生き続けることも望んでいない。「借り」を作らず、衣食住と尊厳を維持しながら 生きる、それだけが願いだという。

 五月革命世代であった彼がヨーロッパ時代に 経験した挫折は 1968 年の学生運動であった。 代案なき反対は空虚だと彼はいう(85)。フェ アトレードは、テワンテペック地峡のコーヒー 農民とヴァンデルホフたちがオランダのパート ナーとともに創り出した具体的な代案である。 おそらくは、西欧および北米での経験とラテンアメリカでの経験(チリ、メキシコ)から、彼は次のようなテーゼを見出した。「貧困者の叡 智はしばしば軽薄な経済学者や社会学者の知識 よりも重要な場合がある。貧困者の能力と富裕 者の能力は同じである」(86)。そして、貧しい コーヒー農民たちは、グローバル資本主義の矛 盾およびそれにどう対処していくかを既に知っ ているという。一方、「資本主義下では、誰も責 任を取らず、誰も罪に問われない。そこには市 民的責任の怠慢がある」(32)と断罪する。現 実を見ようとしないのは、「無知で貧しい」はず の貧困者ではなく、北の富裕層である。だから こそヴァンデルホフは、北の富裕層にも人間と しての本来的な資質が備わっているはず、とい う当たり前の事実に期待する。

 ここで、私が想起したのは「いかに人間が利 己的であるように見えようとも、人間の本質の 一部として、他の人の運命に関心をいだき、そし て他の人の幸福を自分にとってもかけがえのな いものとして感じる何らかの原理が明らかに存 在している。たとえ自分が得るものが何もなく ても、他の人の幸福を見るだけで嬉しいと感じ る何かがあるのである」というアダム・スミス の『道徳的感情論』の一節である。人間の本質 をどう捉えるかという点において、ヴァンデル ホフは根源的なヒューマニストだといえよう。

訳者にとっての本書の意味
  私にとって、この本には2つの意味がある。
第1は、食と農からグローバリゼーションを 批判的に捉える書として、農業のグローバル化 と北米におけるローカルフード運動について述 べた前訳書、トーマス・ライソン著『シビック・ アグリカルチャー食と農を地域に取り戻す』
(農林統計出版)の姉妹編という意味である。2 冊の拙訳書は、それぞれ、食料主権論のローカ ル版とグローバル版である。

 第2は、本誌第 16 号で紹介した拙著『南部 メキシコの内発的発展と NGO』(日本協同組合 学会賞学術賞と日本 NPO 学会賞優秀賞を受賞、 および、日本国際地域開発学会奨励賞受賞論文 収録)の延長線上の仕事という意味である。同 書に対しては、一部から手厳しい辛辣なご批判 を頂戴した。一方で、オアハカ州の先住民族ミ へ人の文化変容を長年研究されてきた先達の黒田悦子先生からいただいた「この本は必読文献、特にヴァンデルホフの章」という言葉は私の密 かな財産であり続けた。ヴァンデルホフの新し い本を見つけた時、自分が訳し、解説を書き、 日本の読者に紹介したいという思いが瞬間的に 頭を巡った。

ヴァンデルホフとの約束
 およそ 10 年前、イクステペック市にある UCIRI 事務所でヴァンデルホフと面会した際、 私は彼とある約束をした。もちろん、彼は私の ことも約束のことも覚えていないだろう。

 彼は私に次のようなことを言った。開発にか かわる外部者は客観的・科学的な技術をもたら す無色透明な存在ではない。そのように振る舞 う(貴方のような)人間は地域社会から情報だ けを一方的に持ち去る泥棒である。私は次のよ うに返答した。自分はあなた方に何も還元する ことはできないが、日本に帰ったら、あなた方 のことを授業その他を通じて大勢の人々に伝え ることをお約束します。前作『南部メキシコ』 もこの翻訳書も、私にとっては、この約束の一 部である。
 一人でも多くの方々に本書を読んでいただき たい、と切に願う次第である。  了

ーーーーーーーーーーーーー
トップに戻る

2017年6月9日金曜日

明治大学生田キャンパスにSELOWs株のラボ訪問

去る5月13日でした。SELOWs株式会社の土屋伸夫社長のご案内で、東京都多摩区三田に件名の訪問をしました。

 新築かと思われるようなきれいな研究室がたくさん並んでいました。
302号室がSELベクトル(SELOWs株式会社の系列)のラボになっていて、そこではリバイブソイルから生成された液肥の効能・分析試験が行われていました。
 リバイブソイルは岐阜県高山市で開発された土壌改良剤(堆肥)です。

 土曜日なのに、担当の名誉教授が「生き物ですから休めませんよ」と言いながら、説明して下さいました。「すごい結果が出ている」と、発芽試験状況や記録写真を見せて下さいました。かなりの経費がかかっていることも想像でき、有機と微生物の世界への取り組みの難しさを垣間見ました。

 生憎雨だったのでキャンパス全体を見ることは諦めましたが、ウグイスが鳴いていて、かなり環境の良い広大な敷地に多くの校舎と研究施設があることが案内図から伺えました。

 参考写真を掲載します。クリックすると拡大できます。
 写真に写っているのは、土屋伸夫社長と左俣名誉教授です。





ーーーーーーーーーーーーー
トップに戻る