2019年8月30日金曜日

JAがコメの先物取引に反対するわけ~試験上場、4度目の延長。

2019.08.29
論座 に掲載(2019年8月15日付)

キャノングローバル戦略研究所(CIGS)
  • 研究主幹
    山下 一仁
  • [研究分野]
    農業政策・貿易政策

JAがコメの先物取引に反対するわけ~試験上場、4度目の延長。減反廃止なくして先物取引なし~


 8月7日、コメの先物取引についての4度目の試験上場延長が認められたと報じられた。2年前の3度目の延長認可の際に、私はこれについての分析記事を書いた(「『コメの自由市場を認めない人たち』)。政策的には地味な問題だが、コメ農政を象徴しているようなイシューなので、角度を変えながら、再び論じることとしたい。

農産物と工業製品の需給調整の違い

 いわゆるJA農協、農林水産省、農林族議員という農政トライアングルの中心にいるJA農協が、コメの先物取引に反対する表向きの理由は「主食であるコメが投機の対象となり、米価が不安定となる」というものである。
 しかし、まさに価格が不安定となりやすい一次産品であるがこそ、先物取引が必要なのである。
 工業製品の場合には、需給調整は基本的には数量(在庫の増減)で行われる。需要が減少すると価格を下げるのではなく、在庫を増やすことで対応する。逆に需要が増加すると、在庫は取り崩される。価格は一定で変動しない。これに着目して当時としては画期的な経済学を構築したのが、ジョン・メイナード・ケインズである。
 これに対して、農産物などの一次産品では、需給調整は基本的には価格で行われる。需要が増えたり、供給が減少したりして、需給がひっ迫すると価格は上昇する。逆の場合には、価格は低下する。ケインズ以前の伝統的な経済学は、このような経済を対象に考えていた。
 つまり農産物では需給を反映して価格が上下に変動することは当然なのである。野菜も、天候不順で供給が減少すると価格は上がる。逆に、豊作だと価格は下がる。市場経済の下では、コメも同じである。

一次産品で先物取引が行われるのはなぜか?

 もちろん、価格が下がると、生産者にとっては都合が悪い。テレビについては、その値段が半分になれば購入量を倍に増やすかもしれない。このとき、企業からすれば、価格に供給量を掛けた売上高は変わらない。
 しかし、食料品の場合には、胃袋が一定なので、価格が半分になったからと言って倍の量を食べるわけにはいかない。価格半減でも、わずかな供給量の増加しか市場は吸収できない。逆に言うと、農産物=食料品については、わずかの供給量の増加を処理するためには市場価格が大幅に低下しなければならないという特徴がある。これを経済学では、食料品の需要は非弾力的だという。
 わずかの供給量の増加で価格が大きく下がれば、売上高は減少する。これが"豊作貧乏"と言われる現象である。
 これを回避するために作られたものこそ、先物取引なのである。
 先物取引とは、商品を将来の時点である価格で売買することを、現時点で約束する取引のことである。生産者にとって、価格が変動するというリスクを回避し、経営を安定させるための手段である。これは、リスクヘッジと言われる行動である。
 具体的に言うと、作付け前に、1俵(60キログラム)1万5千円で売る先物契約をすれば、豊作や消費の減少で出来秋の価格が1万円となっても、1万5千円の収入を得ることができる。豊作で生産量が増えていれば、先物取引に参加しない生産者に比べ、売上高は逆に増加する。

投機的だから先物取引を廃止すべき?

 今や先物取引は、農産物だけでなく金、原油、通貨、指数まで広範な商品について認められている。我々が国際的な穀物相場としているのは、シカゴ商品取引所(Chicago Board of Trade)の先物価格である。価格が変動する農産物などの一次産品では、先物取引が当たり前なのである。
 今では、コメの国民生活に占める位置は低下している。原油や通貨の方がはるかに重要である。投機的だから認められないというJA農協の主張が正しいのであれば、原油や通貨の先物取引は即刻廃止すべきだろう。
 シカゴの先物価格は、市場全体の需給を反映して動いている。これがなくなれば、世界の穀物生産者は、何を目安に生産を増やしたり減らしたりすればよいのだろうか?
 先物価格が上昇すれば、生産者は穀物の生産を増やそうとするので、将来実現する現物価格は低下する。これは市場を安定させるという効果を持つ。アメリカで、投機的なのでシカゴ商品取引所を廃止すべきだという主張をしようものなら、その人は知性を疑われるだろう。亡くなった竹村健一さん風にいうと、「JA農協の常識は世界の非常識」ということになろう。
 しかも、JA農協の主張は日本の常識ですらない。
 世界で初めての先物市場は、江戸時代の1730年に開設された大阪堂島のコメ市場である。先物取引を発明したのは日本人である。当時、コメは農業の中心というより、経済の中心だった。コメは貨幣に代わる役割を果たしていた。大名の収入も年貢米だったし、侍の給料もコメで支払われていた。「コメを投機の対象とするな」と言うが、現在と比較にならないほど、コメが日本人の主食としての重要性を持っていた時代ですら、200年の長きにわたりコメの先物市場は日本経済の中心として活動していた。
 堂島市場が閉鎖されたのは、1939年、戦時経済の中で食料不足が起こり、政府が直接コメ市場を統制するようになったからである。
 今我々は統制経済下にいるのだろうか?JA農協の主張には何らの根拠もない。しかし、JA農協の反対により、日本人が発明した世界遺産として登録されてもおかしくないコメの堂島先物市場は試験上場にとどまり、本上場にはならない。

JAが先物取引に反対するのはなぜか?

 JAの本当の狙いは、米価の高値安定・維持である。
 減反政策は豊作貧乏とは逆の事態を実現しようとするものに他ならない。供給増加で米価が大きく下がるなら、反対に供給を減らせば米価を大きく上げることができる。生産の減少以上に米価が上がるので、売上高はかえって増加し、JAの販売手数料収入も増加する。
 JAが先物取引に反対する理由も、減反や相対取引を推進してきたのと同じく、米価を高く操作できなくなるからである。JA農協の意向を受けた自民党は、長年先物取引を農林水産省に認めさせようとはしなかった。
 2011年やっと試験上場が認められたのは、民主党に政権が移ったからである。
 JA農協の機関紙である日本農業新聞は、農家読者に対し、コメの生産量が増えて米価が下がることに強い懸念を発信し続けている。JAの意向を受けて、農林水産省も需要にあった生産を行うよう、つまり需要が減少傾向なので生産を減らすよう、都道府県以下の自治体など(これらを通じて生産者)を強く指導している。

減反廃止なくして先物取引なし

 こうした中でのコメの先物取引についての試験上場再延長の認可である。
 実は、今回大阪堂島商品取引所は現在の試験上場から進んで本上場を申請しようとしていたが、農林水産省に本上場に必要となる十分な取引量がないと指摘されたため、試験上場の申請に切り替えたのである。
 十分な取引量がないと本上場は認められない。しかし、コメ流通の4割を握っているJA農協は、先物取引をボイコットしている。それだけではない。より重要で根本的なことは、生産者が先物取引を必要とする前提を、農政トライアングルが潰していることである。
 何度も「論座」で主張してきたとおり、減反廃止は安倍内閣のフェイクニュースで、実際行われたのは、エサ用コメへの減反補助金増額という減反強化だった( 『もうやめて!「減反廃止」の"誤報"』 )。国から都道府県への生産目標数量の配分は廃止されたが、農林水産省は、コメ生産を減少するよう、都道府県への指導をむしろ強化している。米価は一切下げないという政策対応である。
 つまり、コメは農産物なのに、工業製品のように、需給調整を価格ではなく数量で行っているのである。その手段として使われているのが、手厚い補助金と強力な国からの指導による減反政策である。
 日本農業に占めるコメの割合は2割を切ってしまった。コメを他の品目と異なる扱いにする理由はない。それなのに、食管制度時代の公定価格でコメ農家の所得を保証するという政策から脱却できない。政府の減反政策で維持されている米価は、準公定価格と言ってよい。いまだに、コメは市場経済の下にはない。
 政府の介入がなければ、コメの価格も他の農産物と同様、変動する。このとき、生産者が先物取引を利用すれば、先に述べたように米価低落の影響を回避することができるので、減反政策や価格低落時のコメ買入れなど国が米価維持のために支出している4千億円超の納税者負担(財政支出)は不要になる。先物取引は財政負担の軽減に貢献する。
 しかし、現物価格で手数料収入が決定されるJA農協は先物取引の利益を得られず、現物市場での米価低落の影響をまともに受けてしまう。先物取引は、生産者や納税者には利益があるが、JA農協にとっては好ましくない。生産者には先物取引という米価低落への対策・手段があるが、JA農協にはない。JA農協が現物市場での米価維持にこだわる理由がここにある。
 需給の変化によって価格が変動するというのが、農産物などの一次産品について先物取引が行われる前提だった。その前提を、コメについては農政トライアングルが潰しているのである。
 これでは生産者が先物取引を利用しようとするインセンティブは生まれない。価格が変動しないならリスクヘッジは不要となる。2年たっても本上場に必要な十分な取引量が集まるとは到底思えない。
 試験上場の5度目の延長はない。農政トライアングルが政策を変えない限り、本上場は実現できない。まさに"減反廃止なくして先物取引なし"だろう。

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【平成農政を振り返る】減反廃止はフェイクニュース、令和で真の改革を

2019.07.16
時事通信社『Agrio』 2019年7月2日号に掲載

キャノングローバル戦略研究所(CIGS)
  • 研究主幹
    山下 一仁
  • [研究分野]
    農業政策・貿易政策

【平成農政を振り返る】減反廃止はフェイクニュース、令和で真の改革を


平成の農政改革の成果として、政府は主食用米の生産数量目標の設定をやめたことで、「生産調整(減 反)を廃止した」とアピールする。これに対し、山下一仁・キヤノングローバル戦略研究所研究主幹はインタビュ ーで、「減反廃止とは転作補助金を廃止することだ」と強調。転作補助金はむしろ増えていることを指摘し、「減 反廃止はフェイクニュースだ」と反論する。令和の課題として、本当の減反廃止を行い、主業農家への農地集積 や輸出競争力拡大といった改革を実現すべきだと訴えた。(聞き手=編集長・菅正治)

◇自由化対策から始まった平成農政
 ―平成農政をどうみているか。
 自由化対策から平成が始まったと言っていい。日米農産物交渉が1988(昭和63)年に合意され、牛肉 はうまく処理した。輸入数量制限を関税化したが、これはGATT(関税貿易一般協定)のウルグアイ・ラ ウンド交渉の関税化のモデルとなった。関税率は初年度の91(平成3)年度が70%、次年度が60%、3年 目が50%で、その後はウルグアイ・ラウンド交渉の結果、38.5%になった。毎年1000億円ほどの牛肉関税収 入を国内の畜産対策に使うことにした。しかし、累計で2.5兆円も使いながら体質強化につながらなかった。 次の大きな出来事がウルグアイ・ラウンド交渉だ。86年に始まり、実質的に終わったのが93年12月15日だ った。なぜ日にちまで覚えているかというと、私自身がピーター・サザーランドGATT事務局長が木づちを振り 下ろして終結宣言をしたその場にいたからだ。 私はコメの関税化の特例措置や農業協定の最終ドラフト交渉を担当した。関税化すれば、ミニマムアクセス (最低輸入量)は基準年となる1986~88年の消費量に対して初年度3%、6年後に5%になる。しかし、 (関税化しない)特例措置を受けるのなら、何らかの代償を払わなければならないのがGATTのルールだ った。それでミニマムアクセスを初年度に4%、6年目に8%にすると約束した。途中で関税化に移行すると、毎 年の伸びが0.8%でなく0.4%になるため、今は7.2%、77万トンとなっている。

 ◇コメは特例措置から関税化へ
 最初から関税化すれば5%のミニマムアクセスで済んだ。その方が有利だったが、関税化に絶対反対というの が農業界の意見だったので、無視できなかった。いったんは特例措置にしたものの、途中でミニマムアクセスの加 重に耐えきれなくなって関税化したということだ。 ―最初は8%で良いと考えたのに、なぜ途中で切り替えたのか。 そもそも冷静に考えると関税化の特例措置の方が不利益だった。関税化しても、ものすごく高い関税をかけ るから、関税を払って輸入するのはほとんどゼロだ。実質的に輸入するのはミニマムアクセスしかないので、これが 小さいほうがよい。これに農業界が気が付くまで時間がかかったということだろう。 ウルグアイ・ラウンド合意を受け入れる際に、ミニマムアクセスは国内の需給に影響しないという閣議了解が行われた。77万トン輸入するが、同量を国が買い上げるので、コメの需 給に影響は与えない、減反を強化しなくてよいということだった。 しかし、買い上げた77万トンを処理するために膨大な財政負担が生 じるという問題があった。援助用に売却するには、援助要請がなければ ならず、それまで保管しなればならない。その保管がまずくて後に問題と なったのが(保管中に汚染されたコメが不正転売された)事故米だ。 私は交渉をやっていて、国内対策には全く関係しなかったが、この時に は6兆100億円の国内対策が問題となった。6兆100億円は、積み上 げではなく、政治で決められた。ウルグアイ・ラウンド合意を受け入れたの は非自民の細川政権だったが、自民党農林族は「政権に復帰したら国 内対策をしっかりやる」と言っていた。実際に復帰したらその通りのことを 行った。これは本来やるべき対策ではなかった。

 ◇体質強化のチャンス失う
 ミニマムアクセス米が入っても、隔離すると言っているわけだから、国内 のコメに全く影響はない。しかし、いろいろな公共事業などを行った。体質 を強化するのなら良かったが、集落排水とか本来関係のないようなことを やっていった。公共事業でないが、例の温泉ランドも作った。基盤整備や 体質強化にもっと使っておくべきだった。あの時、そのチャンスを一つ失っ た。予算を獲得するときは役人の手柄になるので一生懸命にやるが、お 金を有効に使って立派な効果をあげようとするインセンティブは少ない。周りもこれを真剣に検証しようともしない。 環太平洋連携協定(TPP)でもそうだが、国内に影響はないということで合意しておきながら、国内対 策を打つのは矛盾している。国内対策を行うのであれば、農水省は細川内閣の時にしっかり検討して大蔵省 (現財務省)に予算要求しておくべきだった。それをしなかったということは、農水省として国内対策は必要な いと考えていたのだろう。

 ◇当初は減反を推進した大蔵省
 ウルグアイ・ラウンドの結果、輸入制度を変えなければならなくなり、95年に食糧管理法を廃止し、価格支 持効果を持った政府買い入れ制度がなくなった。食管制度の高米価政策で60年代後半にはコメの過剰在 庫を抱え、大変な財政負担をして処分した。そこで、減反のために補助金を出して麦や大豆を作らせ、コメの 生産を減らして政府買い入れを減らす方が財政的に有利だということで70年に減反政策が始まった。これは 過剰米処理を事前に行うことだった。 当時、減反を推進したのは大蔵省で、農業団体は全量政府買い上げを主張し、減反に反対していた。こ れまで増産と言っておきながら、なぜ減反なのかと国を突き上げていた。しかし、食管制度が廃止されると減反 が唯一の米価支持政策となり、大蔵省と農業団体の立場が入れ変わってしまった。大蔵省としては減反補助 金なんてもう出したくないが、農業団体にとっては米価維持のため減反維持が至上命令となり、今に至っている。 

◇農業団体にアメとムチを用意
 ―99年に食料・農業・農村基本法が制定された。 三つの柱があった。一つが食料自給率の向上で、もう一つが農地法を改正して株式会社の農地取得に道 を開くこと、もう一つが中山間地域への直接支払いだ。私は中山間の直接支払いの制度設計と実施、与党・政府部内の調整、すべてに関わった。当時の農水省幹部が私に言ったのは、「三つのうち二つは農業団体に 対するアメ玉だ」ということだ。食料自給率向上目標と中山間地域直接支払いはアメで、株式会社の農業参 入はムチ、苦い薬だということだった。苦い薬を一つ飲ませる代わりに、アメを二つ用意したということだ。 農地法は「耕作者=所有者」という考え方だが、株式会社の場合には耕作者が従業員で所有者が株主 となるから、この等号が成立しないといって認めてこなかった。ところが、財界から「株式会社を排除するのはおか しい」と言われ、農水省としても応じざるを得ない気持ちになっていた。ただ、いろいろ制限を加えて農家が法人 成りしたような場合に限ることにした。

 ◇WTO交渉は漂流、FTAが加速
 ―2001年に世界貿易機関の新多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)が立ち上がった。 ドーハ・ラウンドの開始と同時に中国がWTOに加盟した。これによって途上国の力がさらに強くなった。ウル グアイ・ラウンド交渉まではインドとブラジルがよく反対したが、この2カ国だけならまだよかった。 (WTO本部がある)ジュネーブでよく言われていたのが、「WTOを国連のようにすべきでない」ということ だった。国連ではさまざまな意見が出され、何か望ましい一定の方向に進むことが難しくなっていたからだ。しか し、WTOに中国が参加すると、インドもブラジルも力を得たような形になり、貿易の自由化に後ろ向きの力 が加わるようになった。 03年のメキシコ・カンクンの閣僚会議に先立ち、米国と欧州連合(EU)が農業分野で100%の上限関 税率を設けることで実質合意した。ウルグアイ・ラウンドまでなら米国とEUが合意したらそれで終わりだった。し かし、ブラジルがノーと言い始め、インドや中国もそれに乗った。それまでの意思決定のやり方が通用しなくなり、 ドーハ・ラウンドは漂流した。 これと並行して、2国間で自由貿易協定(FTA)を推進する動きが出てきた。日本も、農産物がないと いうことで最初にシンガポールと02年に結び、次いでメキシコなどとも締結した。03年ごろはWTOとしてもF TAは最恵国待遇の例外だと否定的な見方が多かった。しかし、ドーハ・ラウンドが停滞して何も決められなく なると、セカンドベストだという考えに変わっていった。

 ◇民主党農政は「山下案」からバラマキへ
 ―09年に民主党政権が誕生した。 私が00年に出版した「WTOと農政改革」(食料・農業政策研究センター)をある民主党の秘書が丹念 に読んでくれた。01年の参院選の民主党選挙公約に「コメの減反は選択制とする」「所得政策の対象を専業 的農家」とすると書いてあり、03年のマニフェストに「食料の安定生産・安定供給を担う農業経営体を対象に 直接支援・直接支払制度を導入する」と書いてある。これが民主党の農業政策の始まりだが、最初は山下案 だった。 その後、対象を主業農家に絞るということが除外され、バラマキになってしまった。07年の参院選で民主党が 勝利し、戸別所得補償法案を作った。このとき、減反廃止が削除され、減反を維持した上で、つまり米価を下 げないで戸別所得補償を行うことになってしまった。 民主党が政権を取る前の(08年9月に就任した)石破茂農水相はいろいろなことをやろうとしたけれども、 結局頓挫した。やっぱり減反は必要だということで、自民党が石破農政に乗らなかった。石破氏は減反の選択制を打ち出したが、後の民主党の政策も生産目標数量を達成すれば戸別所得補償を交付するもので減反 の選択制だ。減反をはっきりやめるのなら筋は通ったが、穏健派の研究者の意見を聞いてしまったのか、中途 半端なものになってしまった。 

◇安倍首相が「減反廃止」を表明 
(12年に)自公政権が復帰した後は、戸別所得補償が廃止され、これとリンクしていた生産目標数量の 配分も廃止した。そのかわりエサ用米の減反補助金を大幅に拡充して減反を強化した。しかし、安倍晋三首 相が生産目標数量の配分の廃止をとらえて減反廃止だと言い、40年間誰もできなかったことをやったのだと国 内外でぶち上げた このフェイクニュースにだまされた某主要紙はいまだに減反廃止と言っている。さらに減反を廃止したのに米価 が下がらないのはおかしいというとんちんかんな記事を書いている。減反廃止とは転作補助金を廃止することだ。 私が「減反を廃止すべきだ」と言うと、報道番組のキャスターから「減反は廃止されたはずではないですか」などと 言われる。農政の最大論点を隠してしまった安倍官邸を私は絶対に許せない。農水省は所信表明演説など でこの表現を使うことに反対したはずだが、官邸が押さえこんだに違いない。 

◇中身乏しい安倍政権の農政改革
 ―政府の輸出拡大計画をどうみるか。 評価しない。輸出を増やすのは良いのだが、輸出が増えないのは、価格競争力がないからだ。最も輸出でき るコメの価格を高くしているのは減反政策だ。農水省は輸入については「日本の農産物は価格競争力がない から高い関税が必要だ」と主張するが、輸出では価格競争力に触れずに「日本産は品質が良いから高くても 売れる」と言う。日本の農産物の品質が高く価格で競争する必要がないのなら、輸入で高い関税は必要ない。 輸入も輸出も貿易の異なる局面に過ぎない。国内価格が安ければ輸出されるし、高ければ輸入される。農 水省は支離滅裂だ。減反を廃止して価格を下げてコメを大量に生産して輸出すべきだ。 ―第2次安倍政権の農政をどう評価するか。 大きなことはやっていない。改革だ改革だと言う割には中身がない。農協改革として農協に手をつけたのは 良いことだが、県中央会には手を付けなかったし、全国農業協同組合連合会(JA全農)の株式会社化 は株式会社への選択の道を開くというだけで、実際には株式会社化しないだろう。准組合員問題は何も進ま ないだろう。本来、肥料や農薬を共同購入して農家に安く提供するために作ったのが農協だ。それなのに、高 い資材を売りつけて販売手数料を稼ぐというあってはいけないことをずっとやってきた。それを国に言われて改革し ていると言うのは意識レベルがおかしい。

 ◇減反廃止し水田活用を
 ―令和の農政では何が求められるのか。 端的に言って減反廃止だ。なぜ農協改革が必要かというのも、農協が減反に反対しているからだ。農協は 経済組織であると同時に政治組織でもあるという世界にない異常な組織だ。これが減反の維持に関心を持つ のは、米価を高く維持して、兼業農家を多く滞留させ、その兼業収入などを預金として日本第2位のメガバンク に発展したからだ。農水省は、水田の多面的機能のことを持ち出し、「水田は素晴らしい」と言いながら、水田 を水田として使わない減反政策を続けてきた。米価を高く維持するためだ。そこから早く脱却してもらいたい。 70年に減反を始めた時は「緊急避難的なもの」という意識をみんなが持っていたはずだ。まさか50年も続くとは 思っていなかっただろう。当時の人達は、そもそもは食管制度を守るために始めた減反政策が、食管制度が廃 止された後も続くとは想定しなかったに違いない。
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