2014年12月7日日曜日

地方創生の問題提起

”田舎暮らし”のことを考えると必然的に「地方創生」に想いが及びます。そこで、政府がやろうとしている地方創生を知ろうと思い、ネットで「nippon.com」という日本財団の援助を受けているJETROの下部組織のブログを見つけました。

我々は、『”田舎暮らし”コミュニティづくり』で、地方創生の受け皿を創ろうと実行に入っています。 

「nippon.com」の2014.10.24下記ブログよりコピーさせて頂きました。
http://www.nippon.com/ja/behind/l00072/

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「地方創生」目指す安倍内閣
—地方の人口減少を克服できるかー


 政府は「地方創生」をスローガンに、地方の活性化と人口減対策のための総合戦略策定に乗り出した。若者にとって魅力ある町づくり、ひとづくり、仕事づくりを推進する。地方から東京圏への一極集中が続く中で、地方が成長する活力を取り戻し、人口減少を食い止めるのが狙いだ。

止まらない東京圏への人口流入

「地域が元気になれば、日本が元気になる」――。歴代政権はこうした掛け声で、地域活性化のための諸施策に知恵を絞ってきた。しかし、東京、名古 屋、大阪などの大都市圏と過疎化や高齢化に直面する地方との格差はなかなか縮まらない。とりわけヒト、モノ、カネが集中する東京首都圏には、日本が人口減 少社会に入った現在でも若者を中心に人口流入が続いている。
第2次安倍内閣発足後、安倍晋三首相が繰り返してきたのは「景気回復を全国津々浦々で実感できるようにする」ことである。しかし、経済再生を表看板に掲げ、デフレ経済からの脱却を目指す安倍政権は、必ずしも地方の問題に大きなウエートを置いてこなかった。

人口減による「消滅可能性都市」の公表

ところが、2014年5月、民間研究機関の「日本創生会議・人口減少問題検討分科会」(座長・増田寛也元総務相)が公表した、今後の人口減少予測を 基に消滅可能性のある自治体をリストアップした報告書が大きな反響を呼んだ。20歳~39歳の若年女性の人口をその地域の将来を決定づける指標と捉え、将 来推計を自治体別に試算したものだった。
「消滅可能性都市」の候補に挙げられた自治体からは異論や反論もあったが、危機意識は共有され、安倍内閣に軌道修正を迫る形となった。特に、来春に は統一地方選を控えた時期でもあり、霞が関や永田町が地方の人口問題への認識を変えるきっかけになった。政府はこうした認識の基で、「地方創生」を新たな キーワードに、中長期的な観点から総合的な地域対策の検討に着手した。

「地方創生国会」で本格論議

安倍首相は2014年9月29日、臨時国会開会の冒頭、この国会を「地方創生国会」と位置づけた。この中で、首相は地方が直面する人口減少や超高齢 化など構造的な課題に危機感を表明し、「若者が将来に夢や希望を持てる地方の創生に向けて、力強いスタートを切る」と力説した。基本的な目標は「地方が成 長する活力を取り戻し、人口減少を克服する」ことだ。
安倍内閣はそのための態勢づくりとして、前自民党幹事長の石破茂氏を新設ポストの地方創生担当相に任命し、内閣府に地方政策を担う「まち・ひと・し ごと創生本部」を創設した。石破担当相の下には各省の出向者を含め約70人を配置。この新設組織で、地方への新しいひとの流れをつくり、地方での仕事創出 や若い世代の結婚・出産・子育ての希望を実現できるような環境づくりに取り組む。

年内にも総合戦略を策定

政府は臨時国会に地方創生の関連法案として、①人口減対策の基本理念を定めた「まち・ひと・しごと創生法案」、②自治体支援の窓口を一本化する「地 域再生法改正案」の2本を提出し、審議を本格化させる。さらにアベノミクスの成果を地方に浸透させるため、1兆円超の予算措置を検討している。
ただ、地方創生に向けた課題には、多様な論点があり、一筋縄ではいかない。具体策や各論の議論はこれからだが、まち・ひと・しごと創生本部は早けれ ば年内にも長期ビジョンとともに、2015年度から5年間の総合戦略策定を目指す。政府は歴代政権の失敗を踏まえ、国主導のバラマキ政策ではなく、地方の 自主性を尊重する姿勢を強調している。

成果乏しい歴代政権の地方対策

歴代政権が取り組んだ地方活性化策はどのようなものだったか。主な施策を振り返ると――。
竹下登内閣(1988-89年)では「ふるさと創生事業」を打ち出し、全国の市区町村に対し資金1億円を交付した。使途は自由で、各自治体が創意工 夫してこの1億円を地域振興やまちづくりに活かそうというものだった。そのユニークな資金の使い方がニュースや話題になったが、政府によるその後の経済効 果測定はされていない。
小渕恵三内閣(1999年)では、15歳以下の子どもがいる家族と65歳以上の高齢者らに対し、2万円分の「地域振興券」を交付し、消費を刺激しよ うとした。しかし、配布対象を子供とお年寄りに限定したため、家計支出には目立った変化はなく、地域振興券発行が景気回復に結びついたとの評価は少ない。
第1次安倍内閣(2007年)では「頑張る地方応援プログラム」に取り組んだ。少子化対策や定住促進、若者の自立支援など地域活性化に意欲的な自治 体に地方交付税の一部を重点配分した。さらに民主党政権下の菅直人内閣(2011年)では、「地域自主戦略交付金」として、国が使途を特定する補助金の一 部を自治体が自由に使い方を決められる一括交付金に切り替えた。

政権の真価問われる「地方創生」

いずれの政策も地域活性化や少子化対策で十分な効果を上げたとは言えない。翻って、第2次安倍内閣は「地方創生」を旗印に、「従来の取り組みの延長 線上にはない次元の異なる大胆な政策を、中長期的な観点から、確かな結果が出るまで実行していく」(まち・ひと・しごと創生本部)と宣言した。
しかし、過疎化や人口減少に悩む地方が直面する構造的な問題の解決は容易ではない。これらの具体策は今後、国や自治体が一丸となり検討する。例え ば、①人口急減・超高齢化への対応、②若い世代の就業・結婚・子育て支援、③東京圏への人口の過度の集中是正、④地域特性に即した地域課題の解決などだ が、いずれも1~2年では成果の出ない難問ばかりだ。
とはいえ、日本が直面する人口減・超高齢化のスピードは諸外国と比べても際立って速い。10~20年をかけるほど悠長な話ではない。政府が一連の地 方活性化策の総合戦略とその政策の具体化にどこまで踏み出せるか。女性閣僚の辞任劇で揺れる安倍内閣は「地方創生」でも政権の実行力と信頼度が問われる。
カバー写真=地方の商店街の代名詞・シャッター通り(提供・時事)
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地方創生の「長期ビジョン」および「総合戦略」要約 

”田舎暮らし”のことを考えると必然的に「地方創生」に想いが及びます。そこで、政府がやろうとしている地方創生を知ろうと思い、ネットで「nippon.com」という日本財団の援助を受けているJETROの下部組織のブログを見つけました。

下記コピーは、『「地方創生」目指す安倍内閣——地方の人口減少を克服できるか』(2014.10.14)の中からです。 要点が判り易いです。

支援策がたくさん書かれていますが、問題は受け皿です。
我々は、『”田舎暮らし”コミュニティづくり』で受け皿を創ろうと実行に入っています。

新たな情報がございましたら、編集者(安江)の下記メールアドレスまでご一報頂けると幸いです。
takasuke@mitsuyakogyo.co.jp


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「長期ビジョン」および「総合戦略」に関する論点

まち・ひと・しごと創生本部が2014年9月に作成した「長期ビジョン」と「総合戦略」に関する論点の主なポイント(抜粋)。
「長期ビジョン」の趣旨
50年後に1億人程度の人口維持をめざし、日本の人口動向を分析し、将来展望を示す

<論点>

Ⅰ 人口の現状と将来展望
1、日本は2008年をピークに人口減少時代へ突入し、今後一貫して人口が減少し続けると推計されている。地域によって状況が異なり、地方では本格的な人口減少に直面している市町村が多い。
2、人口減少により、経済規模の縮小や国民生活の水準が低下する恐れがある。
3、 地方から東京圏への人口流入(東京一極集中)は続いており、特に若い世代が東京圏に流入している。
4、出生率の改善が早期であるほど、人口減少に歯止めをかける効果は大きい。

Ⅱ 目指すべき将来方向と今後の基本戦略
1、目指すべき「将来方向」…将来にわたり活力ある日本社会を維持することが基本方向。国民の地方移住や結婚・出産・子育てといった希望を実現する。
2、中長期的な政策目標…①若い世代の就労・結婚・子育ての希望実現、②東京圏への人口の過度の集中是正、③地域の特性に即した地域課題の解決
3、これらの問題への対応姿勢…▽国民的論議を喚起し、人口減少は国家の根本にかかわる問題であるとの基本認識を共有し、中長期的な目標を掲げ継続的に取り組む ▽地方の発意と自主的な取り組みを基本に、国がそれを支援していく。
「総合戦略」の趣旨
長期ビジョンを基に、今後5カ年の政府の施策の方向性を提示する

<論点>

Ⅰ 取り組みの基本姿勢
▽中長期を含めた政策目標を設定し、効果検証を厳格に実施 ▽「縦割り」を排除し、ワンストップ型の政策を展開 ▽地方の自主的な取り組みを基本とし、国はこれを支援

Ⅱ 政策分野ごとの取り組みの例
1、地方への新しい人の流れを作る…▽地方移住希望者の支援 ▽企業等の地方移転・地方債用・遠隔勤務 ▽地方大学等の活性化
2、地方に仕事をつくり、安心して働けるようにする…▽地域産業基盤の強化(人材、雇用事業基盤等) ▽個別産業の基盤強化(サービス業、製造業、農林漁業、観光、医療福祉等)
3、若い世代の結婚・出産・子育ての希望をかなえる…▽多子世帯・三世代同居の支援▽育児拡充など「働き方」の改革 ▽企業・業界の取り組み支援
4、時代に合った地域をつくり、安心な暮らしを守る…▽中山間地域等の地域の絆の中で、小さな拠点の生活サービス支援 ▽地方中枢拠点都市および近 隣市町村、定住自立圏における地域インフラ・サービスの集約・活性化 ▽大都市圏における高齢者医療・介護対策、国土形成計画の見直し
5、地域と地域の連携…地方中枢拠点都市および近隣市町村、定住自立圏における「地域連携」の推進

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2014年12月6日土曜日

日本版スローシティ [著]久繁哲之介

地方創生の”まちづくり”にピッタリの考え方だと思います。
スローフードの運動を生み出したイタリアが新たなスロームーブメントを起こした。
BOOKasahi.com に掲載されていた表題の本の書評をコピー・掲載させて頂きました。

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[評者]広井良典(千葉大学教授)  [掲載]2008年06月22日   [ジャンル]人文 
表紙画像 著者:久繁哲之介  出版社:学陽書房 価格:¥ 2,700
ひさしげ・てつのすけ 民間都市開発推進機構都市研究センター研究員。  

■人と人がつながる都市の構築を探る

 日本を訪れた外国人に対するアンケートで、「日本に来て 不便に感じたこと」の1位が「街にベンチが少ないこと」だったのを以前見たことがある。確かに日本の都市、特に大都市は、いかにも“生産者中心”にできて いて「ファスト」そのものだ。加えて個々の建物が、周囲の環境を顧慮することなくばらばらに作られ互いに“孤立”している点を合わせると、日本の都市は 「ファスト&クローズド(速く、かつ閉じている)」と言わざるをえない。

 こうした現在の日本の都市のあり方とは異なる“もう一つの道”を、「ス ローシティ」という概念を基本にすえて追求しているのが本書である。スローシティとは、イタリアの四つの小都市が「スローフードの精神をまちづくりに適用 しよう」という理念のもと、1999年に始めた都市の姿だ。著者は、こうしたスローシティの考え方を、人々のライフスタイルや消費構造などを含めた視点か ら吟味し、また「サードプレイス」(自宅と職場以外の、都市の中での居場所)の概念を併せて重視しながら、日本におけるスローシティ実現の可能性を様々な 事例の分析を通じて議論している。

 たとえば、(1)中心市街地再生に関するコンパクトシティ論で有名な富山市と青森市を対比的に分析したり、 (2)いくつかの地方都市における経済の地域内循環を検証し地域再生のための戦略を吟味したりするなど、「スロー」のための方策と同時に地域経済の活性化 などを総合的に検討している点が興味深い。そして著者の議論は「コミュニティ」に収斂(しゅうれん)し、「開放型コミュニティ」の構築こそがスローシティ 実現のための必須条件であるとのメッセージに至る。

 持続可能な都市、創造都市など都市論は新たな賑(にぎ)わいを見せているが、スローシティは 高齢者なども過ごしやすい“福祉都市”ともいえる。日本において重要なのは、スローという方向とならび、挨拶(あいさつ)などを含めた人と人との「関係 性」の再構築にあるだろう。それが著者のいう「開放型コミュニティ」と重なっているように思われる。

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2014年12月2日火曜日

「スローシティー」~小都市の連携が生み出す、住民主体のまちづくり


”まちづくり”の世界的ムーブメントの一つになっているスローシティについて、日経Bizアカデミーの ブログに、良い記事を見つけましたので、転載させて頂きました。

著者は、新語ウォッチャーのもり・ひろし氏。

1968年、鳥取県出身。電気通信大学を卒業後、CSK総合研究所で商品企画などを担当。1998年からフリーライターに。現在は新 語・流行語を専門とした執筆活動を展開中。辞書サイト・新聞・メルマガなどで、新語を紹介する記事を執筆している。NPO法人ユナイテッド・フィー チャー・プレス(ufp)理事。
  
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「スローシティー」~小都市の連携が生み出す、

住民主体のまちづくり

2009.08.21

20世紀は、世界各地でグローバリズムを背景にした都市の肥大化や画一化が進んだ。そこで近年、これを見直す「まちづくり」が 盛んになった。約10年前にイタリアで誕生したスローシティー運動(伊語でCittaslow, チッタズロー)もそのひとつ。地域性や持続可能性を重視して、住民が主体的にまちづくりにかかわろうとする運動だ。日本も近年、まちづくり行政の理念を縮 小均衡にシフトしている。したがってこの運動から学べる教訓も多いものと思われる。

 グローバル化や都市化を背景とする地方都市の衰退は、世界各国で共通する現象といえる。かつてはイタリアもこの問題に直面していた。1960年代 のイタリアでは、冷害や輸入農作物の影響で、農業が大きなダメージを受けた。そこで、職を失った農業従事者が都市に移住。地方都市の過疎化が進行した。
 ところが20世紀末のイタリアでは、逆に地方都市を見直す機運が高まった。具体的には、都市生活者や外国人による地方移住が盛んになったのだ。こ れには様々な要因がある。まず第1に地域社会に根ざした協同組合が大きな力を持っており、これが地方都市での雇用を下支えしたこと。また第2には中小企業 の連携的組織が、地方都市の産業力や情報発信力を高めていたことがある。

 この動きにうまく合致したのが、かの有名なスローフード運動だった。運動が生まれたのは1986年。創始者はイタリア北西部にある小都市ブラ (Bra)でジャーナリストとして活動していたカルロ・ペトリーニ(Carlo Petrini)氏。運動のきっかけは、マクドナルドによるスペイン広場(ローマ)への出店計画に抗議するキャンペーンだった。同運動ではファストフード を「グローバル化を象徴する存在」「地域の食文化を脅かす存在」として捉え、そのアンチテーゼとしてスローフードという造語を生み出した。この運動が地域 文化の見直しという大きな流れを作った。

 そしてスローフードに始まるスロームーブメントは、食以外の分野にも拡大していくことになる。つまり「地域文化に根ざした多様 で自律的な社会」を模索する運動について、スローの語が冠されるようになったのだ。日本で独自に定着したスローライフ概念も、この一種と捉えることもでき る。

 その意味でスローシティーは、まちづくり版のスロームーブメントだと言える。母体となったのは、ほかならぬスローフード運動だ。1998年にイタ リア中部の小都市オルビエト(Orvieto)でスローフード運動が年次総会を開催。そこに集まったオルビエト、ブラ、グレーベ・イン・キャンティ (Greve in Chianti)、ポジターノ(Positano)の各首長が意気投合したところから、組織的な運動が始まった。運動の中心となったのは、当時オルビエト の首長だったステファノ・チミッキ氏(Stefano Cimicchi)である。

 スローシティーの概念をひと言で説明するなら「住民にとって住み心地のよい小都市づくり」となる。地域における独自文化や伝統産業、さらには持続 可能性などを重視したうえで、住民が主体的に都市や産業の「舵取り」にかかわれる環境をつくる。その軸足になるのが、住民自身が考える「生活の質や楽し さ」だ。スローシティーは、住民の感性を重視した、ボトムアップ型のまちづくりとも言える。

 同運動の実体は、世界各国の小都市をネットワーク化した協会組織である。参加資格は人口5万人以下の都市であること、州の首都でないこと、スロー フードの加盟都市であることなどだ。またこのほかに大項目で6個(小項目で55個)ある指標についての評価も実施。これらをまとめたレポートで一定以上の スコアを満たすことが認証の条件となる。なおこの認証は3年毎に見直す。

 スローシティーに求められる55の指標とは次のようなものだ。まず必須項目として環境政策(代替エネルギーへの助成など)、社会資本政策(緑地整 備など)、生活の質(歴史的美観の保持など)といった指標が並ぶ。また推奨項目として地元生産物の活用(食育プランなど)、ホスピタリティー(多言語によ る標識の整備など)、住民意識の向上(啓蒙プログラムの実施など)といった指標も並んでいる。

 協会に参加する都市は、2008年10月時点で16カ国・100都市以上にのぼる。欧州の都市が多く、本家イタリアのほか、ドイツやイギリスなど にある小都市も参加している。また欧州以外にもオーストラリアや韓国の小都市も参加している。世界遺産である海岸や映画『アマルフィ~女神の報復~』など で知られるイタリアの小都市アマルフィ(Amalfi)も、スローシティーのひとつだ。

 では協会への参加によって、各都市ではどのような変化が生じたのだろう。例えば設立時の参加都市のひとつグレーベ・イン・キャ ンティでは、まず協会設立前の1980年代に外部からの移住が盛んになった。そこで税収が少ない同都市では「都市の規模を拡大せずに生活の質を高める」と いう政策を選択。その政策に合致したことからスローシティーに参加することになった。協会への参加後は、スローシティー憲章に基づくまちづくりを実践。住 民の意見を聞きながらゴミ収集のルール化、歩行者道路の整備、騒音防止対策、町並みの修復などの事業を行ったという。これは不動産価値の向上にも繋がっ た。

 これら一連の活動で注目すべきなのは、ネットワーク化した組織が相乗効果をもたらしている点だろう。スローフードもスローシティーも、互いに異な る文化を持った都市の対等な連携が活動の軸となっている。これにより大組織としての強い情報発信力と、各都市の強い個性とが共存可能になった。このことか ら画一化にも標準化にも頼らない「もうひとつのグローバル化」の可能性も感じさせる。

 さてスローシティーに似たトレンドは、日本にも存在する。そもそも日本の都市行政が近年では「均衡ある発展」から「縮小均衡的なコンパクトシ ティーの実現」に移行している。まちづくり三法(都市計画法、大店立地法、中心市街地活性化法)の2006年改正(一部指針改定)でも、歩ける範囲を生活 圏とする小都市の整備を志向している。都市の無秩序な拡大(スプロール現象)を防ぐ観点では、スローシティーとも共通する部分がある。

 一方、日本版スローシティーを提案する動きもある。都市問題の研究者、久繁哲之介氏は書著『日本版スローシティ』(学陽書房、1998年4月)な どでこれを提唱。対象都市の人口を5万人以下に制限しないこと、食文化に限らず独自文化を持つあらゆる都市を対象にすること……などの条件を掲げ、それら の振興可能性を論じている。同氏が提唱するスローシティーの条件にはヒューマニズム、スローフード、市民の主体的な関与、交流、持続性といった項目が含ま れる。この定義に従うと、地方都市のみならず都市に内在する過疎地区なども、議論の対象に含めることができる。

 世界のまちづくり手法を概観すると、そのトレンドが「似た方向に」変化していることが分かる。具体的には住民主体、縮小均衡、文化の尊重、差異を 内包できるネットワーク、持続可能性といった方向性だ。このうち日本のまちづくりで圧倒的に足りないと思われるのは、住民主体やネットワーク化などの観点 だと思われる。地方自治における財源や権限の問題のみならず、地域の精神的自立もこれまで以上に求められる時代であるようだ。


原文は下記URLです。

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090821/175702/


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2014年11月10日月曜日

団塊世代の地方移住が日本を救う

JBpress の2014年11月7日の記事です。
我々NPO法人信州まちづくり研究会がやろうとしていることがズバリ書かれていて感激です。特に佐久市のVSL(Visit,Stay,Live)段階の考え方がすばらしい!
記事を転載させて頂きます。

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 団塊世代の地方移住が日本を救う 
都市郊外のマイホームで淋しい老後を送るのか?

 
団塊世代の地方移住が日本を救う
都市郊外のマイホームで淋しい老後を送るのか?
「地方の衰退を止めるために、高齢者の地方への移住を進めよう」──。こう主張するのは、人口減少や高齢問題に関心が高い経済ジャーナリストのS氏だ。
 これまでの地方活性化策は、「企業誘致を行い若者を呼び戻す」のがメインだった。しかし景気が悪くなると企業が撤退し若者も定着しないため、「仕事を作り若者を呼ぶ」という手法には今や手詰まり感が強い。
 地方創生は安倍内閣の最重要課題である。1021日に総理官邸において、石破地方創生相ら関係閣僚、全国知事会など地方6団体の代表者らが出席した「国と地方の協議の場」が開かれた。その会議の場で安倍首相は「これまでとは異次元の施策に取り組んでいく」と発言している。だが、地方再生は長年の課題であり、具体的な成果を出すのが難しいのが現実だ。
 そこでポイントになるのが「異次元」というキーワード。これまでにない発想の転換が不可欠である。では、なぜ若者ではなく高齢者なのか。
健康でバイタリティーに富んでいる団塊世代
 高齢者が地方に移住することのメリットは、移住した高齢者の旺盛な消費により高齢者向けの新たな産業が発生し、若者中心に雇用の増加が見込めることである。消費税の地方分も増加するが、地方にとって何よりありがたいことは、若者と違って仕事を作らなくてもよく、雇用対策に金がかからないことだ。
 高齢者の中でもターゲットになるのは「ニューカマー」である団塊の世代である。
これまでの高齢者は戦前生まれであったため、質素倹約の道徳を植え付けられてお金を使わないとされてきたが、団塊の世代は消費意欲が盛んだ。
 公益財団法人日本生産性本部によれば、2013年の余暇市場は652160億円となり、前年比0.8%、4900億円増と2002年に0.7%増加して以来11年ぶりのプラスになった。
 項目別に見ると、「国内観光旅行(避暑・避寒・温泉など)」が3年連続で首位となり(5590万人)、レジャーの代表格として定着した。注目すべきは余暇生活の満足度だ。男女とも10代から40代までは低下するが、50代で上昇に転じ、特に60代以上の満足度の上昇が目立つ。
 あおぞら銀行は101日、60代を中心とする5574歳の男女2072人を対象に行った「お金の使い方や資産について」のアンケート調査を発表した。調査では、「子どもには財産を残さず、今を楽しむために使う」と回答した人が66%に達するなど「今どきシニアは自分の人生を謳歌したいと考えている」ことが分かった。平均金融資産額は60代が2254万円。回答者の6割以上が「自分の心の年齢は実年齢よりも若い」としている。
 団塊の世代は、健康でバイタリティーに富んでいる。パソコンが使える。レジャーを満喫することに関しては「現役」以上の活躍ぶりである。

「介護難民」が大量に発生する恐れ
 
「数の多さ」で戦後それぞれの時代の流行や文化・社会現象などをリードしてきた団塊の世代だが、彼らにも悩みの種がある。
 東京オリンピックが開催される2020年頃、団塊の世代にも介護需要が発生するため、東京をはじめとする大都市圏で介護施設やサービスに従事するスタッフが不足する問題が顕在化し、いわゆる「介護難民」が大量に発生する恐れがあるからだ。
 65歳以上の高齢者人口10万人当たりの介護老人福祉施設数は都道府県別で見ると(2008年時点)、トップは島根県の37.6カ所、最も少ないのは東京都や愛知県の14.5カ所だ。大都市圏は軒並み下位を占め、上位の県の約半数程度しかない。
 大都市圏に住む団塊の世代は「それなりのお金があるのに行き場がない」という事態に陥る危険性が高いのである。

都市郊外の淋しい老後

 団塊の世代は1947年から49年にかけて約806万人誕生したが、戦争中に都市部から地方に疎開していた女性が多かったため、東北や九州など地方で生まれた者が多い。
 その後、日本経済の復興とともに地方から都市部への大量の人口移動という現象が1960年代末まで続いたが、団塊の世代はまさに大都市に大量流入した世代である。
 「集団就職」は1954年に始まったとされるが、集団就職者の数は団塊の世代が中学校を卒業する時期にピークに達した(6365年の3年間で約23万人)。
 地方から学生服を着て夜行の列車で上野駅に上京してきた中卒・高卒の少年少女たちが、下町の町工場や商店の店員として働き、その後、マイホームを求めて郊外に移住した。地方から来た若くて貧しい独身の労働者が、豊かな家庭を持つ中流階級に上昇していくという営みが高度経済成長を推進する力となったと言っても過言ではない。
 団塊の世代は面倒な人間関係や「しきたり」という古い日本を否定し、新天地である都市郊外にマイホームをつくり、自分たちだけの幸せを築こうとした。しかし郊外に建設されたニュータウンはゴーストタウン化し、マイホーム主義者の淋しい老後が現実のものとなりつつある。
 団塊世代は農村部出身者が多いため、農業への関心は強い。都会に出てきてサラリーマンをしたのは、一種の仮の姿であるとの意識がどこかにあるのかもしれない。ボランテイア活動などへの参加意欲も高く、居場所や活躍の場が見当たらない団塊の世代(特に男性)にとって、地方への移住はまたとないチャンスになるかもしれない。

団塊世代を中心に転入が進む佐久市

 しかし地方を勝手に飛び出した団塊の世代にとって「マイホームを捨てて今さら地方に戻るなんて」という心のわだかまりがある。「若者の移住は歓迎されるけど、これから老後生活に入ろうという高齢者を受け入れてくれるのだろうか」という疑問も頭をよぎる。
 悩める団塊の世代にとって朗報なのは、高齢者の移住を積極的に受け入れようとしている地方自治体が現れてきていることだ。代表的な例を紹介しよう。
 佐久市は長野県東部に位置し、北に浅間山、南に八ヶ岳連峰、西に蓼科山など四方に雄大な山並みを望む高原都市だ。実は佐久市は、長野県内にある19市の中で唯一人口を増加させている。
 その秘訣は団塊の世代を中心に佐久市への転入が進んでいるからだが、これをもたらしているのは市挙げての積極的な取り組みだ。
 佐久市の取り組みの特徴は「VSL視点」、つまり「来訪する(Visit)」「滞在する(Stay)」「定住する(Live)」という3つの段階を意識して、その段階ごとに交流事業を展開し、これによって観光地としての魅力にとどまらない「住みやすさ」を実感してもらい、最終的には移住につなげていこうという発想だ。
 例えば、休憩施設に滞在して隣接する農園で自家菜園が満喫できる「滞在型市民農園事業」や、移住を希望している人に市内の空き家を紹介する「空き屋バンク」といった施策がある。空き屋バンクは全国でトップクラスの実績を挙げているが、実際の移住者を「移住・交流相談員」として配置するきめ細やかな対応をしていることが功を奏している理由の1つだろう。
 このように地方への移住は一方的に負担をかけるのではなく、地方も、高齢者に移住してきてもらうことを求める時代に入ったのである。佐久市の試みに追随する地方自治体も徐々にではあるが増えつつある。
 S氏は「団塊の世代をはじめとする高齢者は自信を持ち、移住というものを前向きに捉えよう」と主張する。国も、地方自治体の取り組みを制度面から支援すべきである。
 高齢者を地方に導くための第1の方策は、都市部の自宅を売却し地方に移転した場合に不動産関連の税を免除するなどの優遇措置を採ることである。
 さらに地方に「高齢者特区」などを設定することにより、高度な医療技術を持った高齢者専門病院・介護施設を誘致する。加えて、映画・演劇などの鑑賞施設、ハイキング用の山道等を整備して、高齢者が生活をエンジョイしやすい環境を作る発想も重要だ。
 これらに加えS氏は「同窓会の活用をはじめ、高齢者が移住した場合に溶け込みやすいコミィニテイ作り」の必要性を力説している。確かに地方移住を考える団塊の世代にとって、かつての同級生が多く暮らしていることほど心強いものはない。

もともと「のんびり」したかった団塊世代

 消費社会研究家の三浦展氏は、「団塊の世代の『量を質に転化させる力』をどううまく使うかが、これからの日本の社会の成否を分ける」と主張する。「猛烈サラリーマン」の印象が強い団塊の世代は意外にも「明治以来初めて若い頃から『がんばる』より『のんびり』を人生観とした世代である」という。
 1966年の高校生(団塊の世代)を対象に実施されたアンケート結果によれば、「生まれ変わって財産も才能も無限にあったらどんな職業につきたいか」という質問に対して、「別に働きたいと思わない」「職業などにはつかないで自分の好きなことをやる」といった回答が多数を占めた。
 貧しさから脱却するために嫌でも働かなければならない状況下では、安月給で夢がなく人に頭をぺこぺこ下げるサラリーマンになるしかなかったのかもしれない。だが、団塊の世代もようやく地方で生活をエンジョイできる時代が到来したのである。
 団塊の世代の生みの親である堺屋太一氏は「団塊の世代は競争に苛まれたとしても、諸外国の同世代に比べて先輩たちの築いた体制と価値観に安住できた幸せは大きかった」と指摘する。米国の戦後世代の多くがベトナムの戦場に駆り出されていく悪夢を経験し、中国の戦後世代が10年にわたる「文化大革命」に翻弄されたのに対し、団塊の世代が物心が付いた1950年代後半、日本の戦後体制はすでに出来上がっていたからだ。

人生90年時代”のモデルを作れるか

 最近、堺屋氏はそんな団塊の世代に対し、「今こそ必要なのは、本当の新しい時代を次の世代のために用意することだ」という檄を飛ばしている。その意味では、「健康なうちに地方に移住し、移住先で生活をエンジョイしつつ社会的関係を築きながら歳を重ねていく」という“人生90年時代”のモデルを作り上げるのが彼らの責務ではないだろうか。
 団塊の世代が地方に移住すると、都市部の老朽化したマンション・家屋の再生が進み、若い人が都市部で居住できるようになる。自宅と職場が近づき、共働きが楽になり、子供が作りやすくなるという少子化対策にもプラスの効果をもたらす。
 S氏は「都市と地方の人口循環の確立」を提唱している。団塊世代の生活防衛、地方の再生、それから少子化対策は、まさに「三位一体」なのである。
 地方創生を達成するためには長い時間が必要となるが、「団塊の世代の地方移住」がその起爆剤となることは間違いない。

(参考文献)「団塊世代が日本を救う」(日本のこれからを考える会、文芸社)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42117 

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2014年11月8日土曜日

農楽しながら「”田舎暮らし”コミュニティ」を創る

この文章は、安江が月刊『ザ・フナイ』2014年10月号に寄稿したものです。
ご推挙下さった高井伸夫先生に深甚なる感謝を捧げます
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農楽しながら「”田舎暮らし”コミュニティ」を創る
NPO法人信州まちづくり研究会 副理事長 安江高亮
プロローグ

 46才から田舎の建設会社の二代目社長を務め、65才の時経営不振の責任をとり、会社は営業譲渡し、自分は引責辞任致しました。
 財産は全て失いましたが、ありがたいことに年金で最低限の生活は保証されているので、毎日農楽(のうらく:後述)しながら夢の実現を画策しているすこぶる健康な71才です。
 会社を辞任した時、何をするかが我家にとって最大の問題でした。妻からは「とにかくお金を稼いで欲しい」と再三懇願されました。無理もないことです。法的には問題はなくも大きな不義理があり、子供達や親戚のことを考えると世間体もあります。ですが、地方の景気は低迷しており、簡単な金儲けがころがっている筈もなく、いろいろ悩みはしましたが、農楽と共に、ライフワークと決めていた私の”まちづくり”の実現に向けて全てを組み立てていくことにしました。
 現役時代の住宅地づくりとは変わって、自分の現在の立場と時代に相応しい”田舎暮らし”コミュニティづくりです。
 私は、”田舎暮らし”を考える時、人間生存の基本である食べ物のことを組み込むべきだと考えていました。そして、田舎ならではの、農と楽しみが結びついた農楽と”まちづくり”の両方を知らなければできない仕事、それが”「”田舎暮らし”コミュニティ」づくりです。達成の暁には”田舎暮らし”のモデルとなるコミュニティができあがると考えました。6年前のことです。

 この原稿を書き始めた7月下旬頃、毎朝、食前の1時間は”田の草とり”をしていました。この時期になると、稲の草丈は腰まであり、青年期の稲の葉は勢いがありそれをかき分けて水草を取る私の二の腕を擦りヒリヒリさせました。
 主な水草は、ホタルイとコナギ。田んぼの水草の王者です。気を許せば稲は半作になってしまいますが、これを手で取るなどという行為をこの時代にやる者はいません。例外的に私の仲間にはいますが・・。
 「馬鹿なことをやってるよ。元社長の素人の道楽さ!」というのが大方の評価のようです。今年は新しい田んぼをお借りしたという特殊な事情があってやむを得なかったのですが、このバカにされる考えと体験がこれから説明する農楽と「田舎暮らしコミュニティ」づくりにつながっているのです。

 朝6時頃、ケイタイのアラームと暑さのため開け放してある窓の外から聞こえてくる小鳥の声で目をさまします。ベットの上で手・足・肩の軽い運動をし、NHKの「試してガッテン」で教わったパピーポジション(NHKが教えてくれた腰痛改善法。私は予防の為に)をしながら般若心経か修証義(※1)の一章を唱えてから起き上がり、作業衣になります。
 朝食前に1時間ほど朝の日課をこなし、ゆっくり朝食をとって9時頃からお昼まで外で動き回り、昼食後1時間はお昼ね、午後2時半頃から7時前後までまた動き回っています。妻も子ども達も「そんなに働くの止めなさい。熱中症になるよ」と心配してくれますが、私にはやりたいことがたくさんあり、次々にやりたいことが出てきて、それをやるのが楽しみなのです。だいたい私は労働とは思っていません。全て運動、或いはトレーニングと考えています。ちょっとキツイナと感じる時は三浦雄一郎さん(※2)のことを思うことにしています。

※1 修証義:しゅしょうぎ:曹洞宗で読まれるお経のひとつ。開祖道元禅師の主著「正法眼蔵」から主に引用し、1890(明治23)年にわかりやすく編纂されたもの。
※2 三浦雄一郎:1932(昭和7)年生まれのプロスキーヤー、登山家。2013年5月23日、3度目のエベレスト登頂に80歳で成功した。 

オレゴンの強烈な体験

 そもそも私が”まちづくり”とかコミュニティに興味を持つようになったのは、私が住んでいる立科町がアメリカオレゴン州のオレゴン市と姉妹都市だったからです。世界のことに興味があった私は「オレゴン市との友好町民の会」を仲間と共につくり、来訪者のホストをしたり、訪問団と共にオレゴン市を訪ねたりしました。
 初めてオレゴン市を訪問したのは1984年でした。アメリカで住みたい町人気ナンバーワンのポートランド市の空港に降り立ち、車で約30分で着きます。オレゴン市は、西部開拓史で有名なオレゴントレイルの終着点であり、ロッキー山脈西側で最古の町という誇り高い町でした。
 私は、その時に見たポートランド市の街並とオレゴン市の住宅地の美しさから強烈なショックを受けたのです。何故こんなに美しいのか、何故こんなに日本と違うのか!
 その時のショックを文章にしたものがあります。24年も前の文章ですから、状況が違ってきている部分もありますが、考え方は今もそのまま持ち続けています。そこから抜粋致します。

美しい街づくりが日本の課題

第二次世界大戦直後,ライフ誌が「アメリカが全体主義のナチズムに勝ったのは,経済力でも軍事力でもない,アメリカのライフスタイルが勝ったの だ。そのライフスタイルとは,オープンマインドと合理性と効率性である。」という記事を掲載したそうである。
 今のアメリカの経済・社会はかっての隆盛はないが、美しい街に一戸建ての家を持つというアメリカンドリームは,このライフスタイルのコンセプトに支えられていたように思える。わたしはアメリカのオレゴン市へ姉妹都市の関係で行くようになって,初めて彼等のライフスタイルとその生活基盤である街並と家を見た。それまでも数回アメリカやヨーロッパも旅行した事はあったが,それはホテルへ泊まっての物見遊山であり,目に入る家も唯の風景でしかなかった。住宅地を見るなどということもなかった。

 しかしオレゴン市でいわゆるホームステイをし,彼等のライフスタイルに直に接し,家々を観察し始めると,わたしは日本との違いの大きさに愕然とした。
住宅街の家並み・街並がすばらしく美しかった。デザインは質素ではあるが全体に調和がとれていて美しく,家も庭も手入れが行き届いている。彼等の考えは,外から見える部分はたとえ自分が所有する物であっても,公共の側からの制約を受け,美しく管理しておく責任があるということのようだ。そのために、罰則のあるまちづくり条例が定められている。
この考え方は、一生の内に平均7回引っ越すと言われる彼らの財産保全に繋がっており,古くなっても日本のように「家はただ」というようなことはない。このことは,豊かさの実現にとってすごく重要なことである。公共の利益と自己の利益の接点が,住環境整備とコミュニティにあるというのがとても素晴らしいと思う。
・・・中略。
手入れの行き届いた中古住宅が気軽に自由に売買できるシステムができ上がっている。彼等は機能さえしっかりしていれば,家の古さはあまり問題にしない。価格は,景観・美観や自然・人的環境による地域の評価によって決まってくる。従って家の価値は古くなってもあまり下がることはない。80年,100年の家が平気で売買されている。
日本の中古住宅市場は新築住宅の約10分の1ですが、アメリカは新築住宅の7倍ある。恐らく一人のアメリカ人が,生涯に家のために掛けるお金は日本人の半分位ではないかと思われる。その差額が生活の豊かさに廻っているのだろう。よくホームステイさせてもらう中学校教師の家庭では小さいが裏庭にはプールがあり、キャンピングカーを持っている。共働きではあるが、年2回の長期バカンスの過ごし方といい、羨ましいほどである。彼の給料を聞いたが日本の先生より安かった。合理性と効率性の成果だろう。日本では気付かれず死角になっている重要課題である。

日本の現状を考えてみると,例外はあるが平均値では,家も街並も決して良いとは言えない。価格もかなり高い。成田から信州へ帰る道々で見る東京と沿線都市の景観はお世辞にも美しいとは言えない。これが世界でもトップクラスの経済力を誇る国なのかと悲しくなる。国の経済力と生活が大きく乖離している。木村尚三郎(当時東大名誉教授)さんが同じことを言っていた。為替レートと購買力平価弊化のギャップなのだろうか。
 ・・・後略。

 「美しい街づくりが日本の課題」は以上ですが、この頃から、社会インフラ整備を仕事とする建設業と不動産業の使命は”まちづくり”だと強く思うようになりました。社会のハードウェア造りを業とする者がそのソフトウェアに対して無関心で良い筈はないと考えたのです。”まちづくり”の重要性を一口で表現するなら、「人間再生産の場だから」と言いたいのです。

 そもそも”まちづくり”という言葉が曖昧なので理解しづらいと思います。インフラとしての家や道路があれば良いというだけではなく、それらがそこに住む人々の幸福に結びつくような考え方、造り方、管理・運営のシステムまで含んだものを意味すると考えています。
 コミュニティという言葉も曖昧ですが、延藤安弘著「まりづくり読本」によると、市民としての自主性と責任とを自覚した住民が,帰属意識を持ち,共通の目標を目指して生活し,自治されている地域。もともとは人々の間の望ましい結びつきを意味する。」とあります。まちのハードウェアに対するソフトウェアと理解しています。
 欧米では当前の”まちづくり”の考え方で日本の状況を見ると、日本の宅地造成と住宅団地形成のやり方は根本的に間違っているということが判ります。希少な例外はありますが、国や地方自治体や民間不動産業者がやってきたことはタダの土地ブローカー行為としか見えません。

 日本では土地を売りさばくことと建築工事を請負うことだけが目的で、その街の景観形成や目指すライフスタイルのこと、つまり”まちづくり”=コミュニティのことなどは全く埒外でした。自分がこの世界にいたのでよく判ります。
 過去20年以上、日本の建設業が猛烈なバッシングにあったのは、談合問題だけが原因ではなく、本来の使命を見失って金儲けと享楽だけに耽っていたところにこそあるように感じています。
 オレゴンのショックで”まちづくり”に目覚め、その目で世界の街を見て歩く内に、だんだん確信が深まりましたが、日本の現状は世界の非常識であることは間違いありません。”まちづくり”の総本山である当時の建設省には優秀な官僚がたくさんいた筈と思うのですが、何故こんなひどいことにしてしまったのか理解に苦しみます。”まちづくり”に関してだけ言えば、失われた戦後と言って良いのではないでしょうか。

サステイナブル(※3)・コミュニティとコウハウジングとの出会い

 平成9年のことでした。シニアタウンの勉強のためお招きした(社)生活文化研究所専務理事(当時)小金芳弘先生から一冊の本を紹介されました。その本の題名は「サステイナブル・コミュニティ」、川村健一氏(現在広島経済大学教授)と小門裕幸氏(現在法政大学教授)の共著で、学芸出版社からでした。現在お二人はNPO法人サステイナブル・コミュニティ研究所の代表理事も務めています。

 オレゴンにおけるショックを第一とすれば、この本との出会いが第二のショックでした。この二つのショックが、その後の会社と私の運命を変えてしまいました。
 200ページばかりの本ですが、そこには想像したこともない理想郷づくりが書かれており、しかも空想ではなく実在の町のリポートでした。私はそれ以来「サステイナブル・コミュニティ」の虜になってしまいました。そして、その年の11月には仲間8名と共に、川村健一氏のコーディネイトとガイドでアメリカ西海岸に渡ったのです。
 サステイナブル・コミュニティという言葉は、’86年にアメリカの建築家ピーター・カルソープが初めて使った言葉で、「半永久的に持続可能なコミュニティ」という意味です。サステイナブル・コミュニティのことをここで説明しきるのは無理ですが、概念だけを上記の本から引用致します。

※3 サステイナブル(Sustainable):持続可能な
 「サステイナビリティとは、千年後でもこの地球の上で生きていけるような町づくりをし、千年後でもこの地球で生きていけるような生活をするということを意味する。更に、物質文明が進展する中で民主主義の礎であるコミュニティが失われつつあるという反省にたって、その将来に立ちはだかる資源の有限性や地球環境の維持という壁に気がついて、新しい町づくりが始まっている」

 アメリカ西海岸の一連の視察で、サステイナブル・コミュニティの意味がよく判りました。特に、コミュニティには「公」の考えが不可欠だということを学びました。
 官と民、公と私については、「ローマ人の物語」で有名な塩野七生さんの不毛の対立まねく『官と民』の考え方」から教わりました。パブリックとプライベートという英語を官と民と訳したのが間違いであり、公・私なのだと。そして、官にも民にも、両方に公私があるのだと書いてありましたがその通りだと思います。

 わたしの解釈では,家に喩えるなら,インテリアは「私」だが,大衆の目に晒される外見は「公」ということになります。
 しかし、現在の日本のように、家や土地が「100%自分の物。私の勝手でしょう!」という価値観の中には,公とか周辺との調和という概念は入り得ません。だから日本のコミュニティは危機的であり,残念ながら日本に美しい街並みは少ないのです。ですが、昔(1945年の敗戦以前)の日本はそうではありませんでした。別の言葉で表現するなら、自由のはき違えをおこしたということだと思います。

 コウハウジングという小さなしかし素敵なコミュニティも知りました。これは北欧で生まれたエコヴィレッジ(2004年、NPOで視察)のコアーとして考えられた仕組みですが、アメリカではコウハウジング単独で全米に広がりを見せています。
 コウハウジングは、1030戸の小さなコミュニティで、住宅と生活におけるプライベートと共同を上手に組み合わせたシステムです。非常に合理的で経済的で人間的なシステムだと思っています。このシステムの一番の凄さは、そのコミュニティの規則を自分達で作り運営することです。民主主義の原点から創るコミュニティだということです。民主主義の成熟を証明するシステムかも知れません。

 欧米では20程前から急速な拡大を見せていますが、私の知る限りでは、日本ではまだ本格的なものはできていないようです。アメリカで流行るものは、何でもすぐとり入れる日本ですが、何故か住文化は入ってきません。察するに、日本人は自分達でルールを作り、それをキッチリ運営するという行為が苦手なのかも知れません。
 実は、このサステイナブル・コミュニティとコウハウジングの考え方が”田舎暮らし”と結びついたのが「”田舎暮らし”コミュニティ」なのです。

まちづくり”開発事業の展開、そして挫折

 かくして私は、建設業の使命は”まちづくり”であり、自分のライフワークは”まちづくり”だと決めて、平成初頭から10年間ほど、”まちづくり”の理念の下に、景観形成住民協定と特別自治会規約を条件とした小規模(20戸〜50戸)な宅地造成を長野県内東北信地区で展開しました。基本コンセプトは「オープンマインド」、キャッチコピーは「新しい暮らしの提案」でした。街並をトータルにデザインした電中の無い開発は、日本全体では判りませんが、長野県では初めてだったと思います。

  しかし、自分の考えはきっと理解してもらえる、この事業は成功する筈との思い込みは見事に外れました。全部合わせて6ヶ所150区画ほどでしたが、2割程売れ残ってしまい、経営責任を問われることになってしまいました。
 バブルと建設業界の崩壊という歴史的な変革と重なりましたが、根本原因は不動産事業への未熟さと、求めた理想と日本人の住宅と住宅地に対する価値観とのギャップについての認識が間違っていたと自己分析しています。物造り文化の導入は見事に成功していたので、住生活文化の導入も迅速に行われるだろうと考えたのが間違いでした。

 せめてもの慰めは、完売できた3ヶ所では80点位の”まちづくり”ができたことです。住宅不動産業界に一石を投じることはできたと自負しています。そして、引責辞任した後も、私はライフワークと決めた”まちづくり”を捨てることはせず、NPO法人信州まちづくり研究会において、「”田舎暮らし”コミュニティ」づくりを推進しようとしているところです。

何故、”田舎暮らし”なのか?

 たぶんいつの時代も、人間は常に難しい問題を抱え、悩み闘いながら生きてきたと思うのですが、現代の一番の課題は、あまりの物質文明の蔓延による人間性の喪失と歪みだと考えています。貧富などとは次元の違う劣悪な生活環境や、農薬や抗生物質の多用による目に見えない人間への物理的・精神的傷疾が原因だと思います。
 最近、信じられないような酷い殺人事件が続いていますが、脳と神経の異常としか思えません。被害者の悲惨は言うまでもありませんが、私には加害者も被害者に見えてきます。子どもは勝手に育った訳ではありません。「こんな私に誰がした?」と問われたら何と答えられるでしょう。

 こんな酷い言い方はしたくはありませんが、欠陥人間ができてしまっているのではないでしょうか。私は、ほっとステイという都市部の青少年の農村体験事業に参加していますが、都会から来る生徒の中に発達障害と思われる子どもが多いのに驚いています。やって良いこと、悪いことの判断がつかない、丁寧に説明しても、ごく単純な作業ができない子供達です。原因は特定できていないようですが、普通でないことが起こっている訳ですから異常を起こさせるものは何かと考えれば見当はつきます。彼らは被害者だと思います。

 言いたいことは、劣悪な環境と食べ物が人間をおかしくしているということです。これは私が言っていることではなく、大勢の医師・識者が言っていることです。私はこの問題を解決できる有力な手段が”田舎暮らし”だと考えています。
 毎日自然の中で土と接していると判ります。全うな人間性と常識的な感性を養うのは、自然と土なしにはあり得ないということです。ステンレスとコンクリートとアスファルトなどの無機質で冷たい世界からは生まれないと思います。
 だから”田舎暮らし”なのですが、問題もたくさんあります。どうしても生活の利便性は都会より劣りますし、一番の問題は田舎には職場が少ないことです。生活が成立たないことにはどうしょうもありません。

 そこで考えたのは、若い現役時代は都市部で働き、第二の人生を田舎で送るということです。私が知っている”田舎暮らし”移住者のほとんどはそういう皆さんです。年金をもらいながら農楽して、自給自足的(100%は無理なので)生活をしながら、軽微な仕事で多少のお金を稼いだり、ボランティア活動に参加したりして、豊かな環境の中で自分の人生を完成させ、ピンコロの終末を目指すのです。

農楽とは

 私の造語で,農業と楽しみを引っかけました。一口で言えば,稼ぎを目的としない自給自足的農作業です。楽しくて、子供達を含めた一家の食糧自給になって、安全・安心が確保できて、健康に良い農園アスレチックになる、という一石四鳥の意味です。

 「業」という言葉は重い言葉です。それによって家族を養い、社員を養い社会に貢献して行かなければならないからです。コスト無視で稼ぎのない農楽と兼業農家を農業というのは、必死に農業をやっている人達に失礼ですし、何よりも国の政策を誤ると思います。現実に今の農政は間違いだらけです。農業政策のターゲットの中に、農業をやっていない農家が入ってしまっているからです。工業、商業、サービス業では考えられないことが行われているのです。
 夫婦二人で約200坪(660m2)の農地があれば、米と主な野菜は自給できます。お米だけで考えると日本人の平均消費量は60kgなので、この量でしたら、一人分は1アール=100平方メートルあればほぼ足ります。ごく小さい面積なので、素人でも運動代わりに全て手作業でできる程度のものです。かつ健康になって、医療費も軽減でき、介護施設にも入らずにすみ、ピンコロの生涯を送れるでしょう。

 問題は作り方ですが、全くやったことのない皆さんにとっては「本当にできるだろうか?」と、大変な不安だと思います。大雑把に表現しますと、平均的な体力と運動神経をお持ちの方なら、全くの素人でもお米と野菜が作れます。丁度良い運動の範囲だと想定しています。この農楽生活が自立できるようになるまでNPOが農地の確保から作り方までその全てをサポートします。
 期待したいのは、この生活を子どもや孫達に体験させることができるならば、彼らの人間形成と感性を養うのに大きな効果が期待できるだろうということです。
 農業について全くの素人だった私が、6年前に会社を辞めて現在まで農楽に取組んできたのは、この「”田舎暮らし”コミュニティ」を創るためのシステムをより良くするためでもあります。

田舎暮らし”の現状

 UJIターン現象(ユージェイアイ)という言葉があります。Uターン現象とは、 地方から都市へ移住したあと、再び地方へ移住すること。Jターン現象とは、 地方から大規模な都市へ移住したあと、地方近くの中規模な都市へ移住すること。Iターン現象とは 地方から都市へ、または都市から地方へ移住すること、とWikipediaにあります。

 UJIターンという言葉は、都市から地方に移り住むことの総称です。私がいう”田舎暮らし”は、これらのどれにも該当しますが、違うのは、その動機が仕事のためだけではなく、自然と親しみ、できたら食物の自給もしたいという地方の良さを享受したい思いを持って移住することを意味しています。
 そのような想いで地方に移住する人々が増えていることは事実です。実は、移住の理由や生活の内容まで把握した統計がありませんが、長野県が持ってる凡その数字では過去8年間で3000名ほどになります。家族で考えれば1500位になります。この現象自体は都市にとっても地方にとっても歓迎すべきことだと思います。大都市は過密であり、地方は過疎に苦しんでおり空家や放棄農地が増えているからです。

 私が”田舎暮らし”の現状に問題意識を持つのは、移住者の生活基盤づくりの困難さと生活実態です。現状を判りやすく表現すれば、皆一匹狼的な移住なのです。夫婦で情報を集め、不動産屋を訪ね、気に入ったところに家を借りるか造るかして移住します。ですから、何もかも自分でやらなければなりません。
 インターネットで「田舎暮らし」で検索すると、日本中の自治体や民間業者が掲載する土地・建物の不動産情報と田舎暮らし体験等の情報が溢れています。様々な情報交換や交流会も自治体等で開催されています。しかしそれらは誘致するためのものであり、移住後のことはほとんどありません。

 親戚や友人・知人を頼って移住する方はそのサポートがもらえるので良いのですが、不動産屋や自治体の情報だけを頼りに移住した人達は、自治体等からある程度の情報サポートはもらえますが、基本的に全ての問題は自分で解決するしかありません。
 移住を決断する程の人でしたら、できないことではないかも知れません。ただ、効率が悪く、私が提案するシステムに比べたら時間とお金が数倍かかると思います。特に農地に関する問題は一人では解決が難しいです。農地行政ほど、建て前と本音が違い、不合理で、その影で商売する悪徳不動産屋が多いものはないからです。

田舎暮らし”コミュニティとは

 これまで述べてきた諸々の問題をスムーズに解決し、安全度と幸福度の高い生活を実現するために考えたのが「”田舎暮らし”コミュニティ」です。基本コンセプトは、「自然な自己実現の暮らしと持続可能なコミュニティを実現する」です。これを具体的にしますと次のようになります。
 1 より自然に近いところで
 2 良好なコミュニティを形成し、共有施設・設備を持ち
 3 夫婦それぞれのプライバシーを尊重した家をつくり
 4 自然エネルギーの活用や生ごみの活用などに配慮し
 5 自然と土に親しみ、より健康的で
 6 生活と食がより安全・安心で
 7 農地を確保し、食べ物の自給が可能で
 8 利便性にも配慮し、地域社会と融合し
 9 より安価に暮らせて
 10 資産の継承がうまくいく

 こんなうまいことづくめの理想的なことが実現できるのか。皆さんそう思われると思いますが、十分実現可能です。これらの考えを実現し継続できるシステムの構築と運営をNPOがサポートします。
 但し、この考えに到るには、30年にも及ぶ住宅地開発や農地問題との格闘と、NPO法人信州まちづくり研究会における欧米の”まちづくり”とコミュニティの視察と研究が必要でした。

 上記のうまいことづくめの条件をクリアするためには農地法や地方自治法などの上手な活用が必要ですし、何よりもコミュニティの運営管理に関する規約と運営システムが肝要です。
 上記の説明は非常に面倒に難しく感じられると思います。しかし、しっかりしたルールと運営システムがないと持続可能なコミュニティはできません。このコミュニティの特徴をあげれば、まず、地方自治法による地縁団体を組織し、共同の家や機械・設備を持ち、合理性と効率性を高め、生活コスト下げることです。次に農地法の特例を活用し、基本的には非農家には使うことのできない農地を使えるようにし、農楽をやります。

 以上が大きな特徴ですが、いずれもコミュニティを形成することによって可能になるということが重要です。配慮すべきは、一人より集団の方が何かと力が強いことは当然ですが、それが行き過ぎるとプライバシーと個人の自由が束縛されます。このことは人類永遠の問題なのでしょうが、この黄金バランスを追求するのがサステイナブル・コミュニティの考え方だと思います。

「”田舎暮らし”コミュニティ」の一員になりませんか?

 月刊『ザ・フナイ』誌上で恥を晒すのも大きな抵抗がありますが、お恥ずかしいことに私もNPOの仲間達も経済力に乏しいのです。そこで、希望者を募り、資金と智恵を出して頂き、推進して行きたいのです。もちろん出して頂く資金のリスクヘッジは考えております。
 米国で広がっているコウハウジングはこの考え方を使っていることが多いようです。このことは、アメリカにコウハウジングを北欧から導入したアメリカ人チャールズ・デュレとキャスリン・マッカマン夫妻の著書「コウハウジング」(風土社)に書かれています。実は、10年以上も前ですが、この夫妻をNPOが招致して佐久市で講演して頂いたことがあります。

 この計画の実現には2〜3年の時間が必要と考えています。長過ぎると思われるかも知れませんが、サステイナブル(半永久的に持続可能な)コミュニティづくりですから、百年の計とお考えください。計画通りに実現できれば歴史的・学際的価値をもったモデルコミュニティになると考えています。

 自分の余生だけの問題と考えないで頂きたいのです。日本の新しい生活文化の創造です。まずはNPO法人信州まちづくり研究会にご入会頂き、研究会から始めましょう。入会のための情報は下記NPOのホームページに掲載致します。



<参考資料>
 オレゴンから始まった”まちづくりの物語”をまとめたものが、写真入りで、NPO法人信州まちづくり研究会のホームページに掲載してありますので、お読みください。日米の住文化の比較等が参考になると思います。
 次の順序で検索して下さい。信州まちづくり研究会→”まちづくり”関係情報へのリンク・”まちづくり”関係情報→このNPO会員の”まちづくり”奮闘記 

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2014年10月23日木曜日

設立趣意書

 下記趣意書は設立時に書かれたものです。



(法第10条第1項関係様式)
設立趣意書

1.趣 旨
 日本は今混沌の中にあります。が,ようやく,全ての分野で古い価値観とシステムを見直し,新しいそれらを構築する動きが始まってきました。その中のひとつが新しい概念によるコミュニティ(連帯感のある集落)の創造です。

 戦後,経済にばかり目を奪われ,いいコミュニティを創ろうとする努力が払わなかったために,日本の古き良き地域社会が頽廃し,崩壊に瀕しております。そのために,政・官・財界も大衆も自立神経が麻痺し,日本株式会社が錯乱状態に陥ってしまいました。私たちは日本社会のこの現状を憂い,地域社会再生を目指して行動を起こすものです。

 誤解を恐れずに言えば、21世紀の日本が最重要課題にするべきは「産業」ではなく「コミュニティ」だと確信しています。それももっと生き生きした,自己責任による民主的なコミュニティです。

 コミュニティは国家・社会の土壌です。そして,「まち」こそが人間のできる最大最高の創造物であり,立派な「まち」を持つことは地域の誇りであり,その民族の誇りです。
 人と人、人と自然界が心通わせ豊かな人間性を育み,できるだけ自然の富を消耗させず,家という高価で大量の資源を使う財産の価値を減価させず,心豊かな生活を持続させる「コミュニティ」,これを世界では「サステイナブル・コミュニティ」(持続可能なコミュニティ)と呼んでいます。健全な「サステイナブル・コミュニティ」が育つ国・地域にこそ,世界から賞賛される産業・政治・文化が育つものと思います。

 長野県は,抜群の自然環境,自動車道の県全域整備拡充,新幹線の開通,首都圏・中部圏から近いこと,地価の安さ等々,好条件が揃っています。「サステイナブル・コミュニティ」の有効性と必要性の認識を,為政者と地域のリーダー達に広めれば,その実現は可能です。しかし,この運動には情熱を持った専門家集団と地域の巻き込みが必要です。組織的に各界の大勢の皆さんのご協力を頂かないと実現できません。

 この基本認識に基づき,「持続可能なまちづくり」のため,わたしたちは特定非営利組織(NPO)「信州まちづくり研究会」をつくり活動致します。

2.申請に至るまでの経過
 10年ほど前より,住宅建築やまちづくり活動をやっている仲間で,国内外のまちづくりを視察・研究してきた結果,本法人をつくる決意をしました。

平成12年12月16日


設立発起人代表 安江高亮


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