2016年4月10日日曜日

ムヒカ大統領のリオ会議スピーチ

この演説はすばらしい!重農主義とは言ってませんが、その本質を語っているように感じます。

Hana.bi から引用させてもらいました。
原文は下記ユーアールエルからどうぞ。
http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/ 

(訳:打村明)

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会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。

ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンテーターのみなさまにも感謝いたします。国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければならない素直な志をここで表現しているのだと思います。
しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。午後からずっと話されていたことは持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。私たちの本音は何なのでしょうか?現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか?

質問をさせてください:ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか。

息するための酸素がどれくらい残るのでしょうか。同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を世界の70億〜80億人の人ができるほどの原料がこの地球にあるのでしょうか?可能ですか?それとも別の議論をしなければならないのでしょうか?
なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか?
マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。

 私たちがグローバリゼーションをコントロールしていますか?あるいはグローバリゼーションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか?

このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?
このようなことを言うのはこのイベントの重要性を批判するためのものではありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危機ではありません、政治的な危機問題なのです。
現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれていません。逆に、人類がこの消費社会にコントロールされているのです。私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです。人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。
ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品やライフスタイルのために人生を放り出しているのです。消費が社会のモーターの世界では私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。消費が止まれば経済が麻痺し、経済が麻痺すれば不況のお化けがみんなの前に現れるのです。
このハイパー消費を続けるためには商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので作ってはいけないのです。人がもっと働くため、もっと売るために「使い捨ての社会」を続けなければならないのです。悪循環の中にいるのにお気づきでしょうか。これはまぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。
石器時代に戻れとは言っていません。マーケットをまたコントロールしなければならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。
昔の賢明な方々、エピクロスセネカアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

これはこの議論にとって文化的なキーポイントだと思います。
国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉がけっこうあると思いますが、みなさんには水源危機と環境危機が問題源でないことを分かってほしいのです。

根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。そして、改めて見直さなければならないのは私たちの生活スタイルだということ。

私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっとも美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。羊も800万から1000万頭ほどいます。私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が資源豊富なのです。
私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、結局は以前よりも長時間働いています。なぜか?バイク、車、などのリポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。
そして自分にこんな質問を投げかけます:これが人類の運命なのか?私の言っていることはとてもシンプルなものですよ:発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。愛情や人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして必要最低限のものを持つこと。これらをもたらすべきなのです。

幸福が私たちのもっとも大切なものだからです。環境のために戦うのであれば、人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるということを覚えておかなくてはなりません。

ありがとうございました。


参照元 Read the original here: http://hana.bi/2012/07/mujica-speech-nihongo/#ixzz45LiyOQPL 
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2016年4月4日月曜日

サステイナブルコミュ二ティのルーツと課題


HICPM メールマガジン第658号(2016.04.04)から転載させて頂きました。
 サステイナブルコミュ二ティとは何か、が判りやすく簡潔に説明されています。

(HICPMは末尾に表示)
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「サ ステイナブル」という言葉の最初のきっかけ
 サステイナブルという言葉が日本社会で使われてから、20年近くなります。HICPMが2000年を迎えるに 当たって米国とカナダの最先端の住宅政策の取り組みを調査し、「サステイナブルハウス」を開発したことを思い出します。
 そのときのサステ イナブルハウスは、サステイナブルコミュニティを形成するための住宅という意味のサステイナブルハウスで、計画の思想としてはピーター・カルソープが、カリフォルニア大学バークレイ校で「サステイナブルコミュニティ」というセミナーを実施し、大きな街造りの考え方をコペルニ クス的に転換させていました。

新しい都市計画理論の模索
 既に旧聞になっていますので、もう一度、「サステイナブル」という考え方を原点に返って考えるという意味で用語としての「サステイナブル」についてご説明いたします。
 戦後世界の都市計画は戦後経済復興という大きな目標に向けて、産業主導の都市計 画が実施されていました。その結果、住環境が産業活動の犠牲となる都市が生まれ、それを住民の生活本位に組み替える都市計画を造れないかという考えが社会の中に強くなっていました。産業が重厚長大産業から軽薄短小産業に構造変革された結果、都市計画は港湾を中心にする産業 から自由な立地型産業に変質したこともあって、産業立地を自由に行うことができるようになった環境変化もありました。
 そこで豊かな国民生活の計画を産業立地と切り離して行う可能性が高まった状況を見て、国民生活を優先して考える都市計画の提案と実践が取り組まれました。米国での最初のハビタットがカーター大統領の指揮で行われた「ミラクル・オブ・ザ・ボーダー(米国とメキシコの国境に現れた奇跡)」と呼ば れた「ランチョベルナルド」開発(カリフォルニア州、サンディエゴ))の開発やアーバイン開発(カリフォルニア州ロサンジェルス)はその典型的な試みでした。

ラグナーウエスト
 それらの開発を理論化したものが、1980年カリフォルニア大学バークレイ校でピーター・カルソープがおこなっ た「サステイナブルコミュニテイの開発理論」のセミナーでした。元カリフォルニア州で開発行政を担当していたヒル・アンジェデリスは既に 行政担当者ではなくディベロッパーとして都市開発に取り組んでいましたが、カルソープのセミナーを聴き、その考え方に共鳴し、ピーター・カルソープをそれまでヒル・アンジェデリスが取り組んできたラグナーウエストの開発のプランナーに招聘し、サステイナブルコミュニティ—と してラグナーウエスト(カリフォルニア州、サクラメント・カウンティ)の計画を仕切り直すことにしました。
 その開発理論を聴いたアップル コンピューターは、そのグループを挙げてラグナーウエストに集団移動することを決定したことで大きな話題となり、その後ランチョベルナル ドました。

ハワードの「ガーデンシティ」の現代版理論
 サステイナブルコミュニティの計画理論は、豊かな生活環境が営まれる街は、優秀な人材が選ぶ街であるので、優秀な人材を雇用している企業や、優秀な人材を雇用しようとする企業はそこに集まってくるという考え方です。この考え方はエベネザー・ハワー ドのガーデンシティの考え方と基本的に共通するものです。
 「都市計画の目的は何か」と言えば豊かな都市生活の実現です。その意味で、カル ソープの都市計画の考え方は、ハワードの「都市はそこに住む人を豊かな生活をさせるところ」という考え方をIT時代に読み替えて発展させ たものでした。豊かな都市生活を実現する都市は、常に売り手市場であり続ける都市で、キャピタルゲインを実現し続ける都市です。

単なる営業販売上の言葉でしかない日本の「サステイナブル」
 日本で言われる「サステイナブル」という言葉は、開発業者が希望する販売を維持し続けるサステイナブル(持続可能性を有する)コミュニテイですが、ピーター・カルソープが提案するように都市が住民たちの生活を通して発展し、資産価値の上昇がサステイナブル(持続性を持っている)な訳ではありません。
 都市がサステイナブルの条件を求めるためにはそうしなければならないかということに関し、HICPMが2000年を前にアメリカとカナダを調査して回って明らかにしたことは、住宅を取得して人たちが、そこに持続的に住み続 けたいと願うコミュニテイであるとともに、何かの事情でそのコミュニテイから退去しなければならなくなったときには、その住宅は購入時よ り高い価格で、投資利益を回収する形で売却することができなくてはならないと考えました。

サ ステイナブル:生産コストを引き下げ、購入者の支払い能力の範囲で購入できること
 HICPMが当時提案し、全国で合計約1、000戸建設された住宅は、高断熱住宅(¥1,300万円)を20%以上カットして、1,000万円を切ってで供給することでした。その様な価格で供給できた住宅は、既存住宅市場で住宅地の熟成を反映して物価上昇分以上の価格で販売できると判断されたからです。実際HICPMで提案したサステイナブルハウス は、全て1,000万円以下で供給することができたわけではなく、2、000万円以上で販売されたものも沢山ありましたが、同一品質の住 宅と比較して割安であることもあって販売されました。
 私達の希望は、この住宅を使ってCMを実践していけば、住宅価格は20〜30%のコ ストカットを実現できるだろうという予測でした。しかし、それ以前に設計社の成瀬さんと建材と施工を扱う小汐さんがお亡くなりになりサステイナブルハウスを推進することが不可能になってしまいました。

今 一度、住宅所有者の資産形成を実現するプロジェクト
 サステイナブルハウスに続きの物語を行おうとその後再三試みましたが復活できませんでした。私は目下最小限規模のサステイナブルコミュニテイの実践モデルは作成し、それを実現することを通してサステ イナブルコミュニテイを実現しようと努力しています。
 夏休みごろまでにはHICPMビルダーズマガジンにその考え方をご披露したいと思っ ています。これは、現代の歪んだ固定資産税制度の中で、土地所有者(住宅と土地が一体となったホームオーナーズ)をまず大切にするという 欧米の考え方に立って、ハワードが、貴族の領地経営から住宅地経営のヒントを得た原点に立ち返った考え方を現代日本で生かそうとするもの です。

「サ ステイナブルなスマートタウン」の調査を行ってきます
 サステイナブルハウスやサステイナブルコミュニテイは、その言葉自身は「持続性のある」という意味で、資産価値が上昇するという直接的な意味はありませんが、言わずもがなのこととして、購入した住宅が既存住宅市場で物価上昇以上の比率で資産価値を上昇し続ける住宅のことをいうことは、少なくとも欧米では常識になっています。
 そのための条件は、既存住宅市場で常に売り手市場を維持し続けることを言います。それを日本ではそのような条件を有しないことが明らかな住宅に無批判に「サステイナブル」という言葉を関していることです。

(NPO法人住宅生産性研究会 理事長 戸谷 英世)

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特定非営利活動法人 住宅生産性研究会(HICPM)
〒102-0072
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TEL:03-3230-4874 FAX:03-3230-2557
e-mail:info@hicpm.com
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2016年4月3日日曜日

経済低迷も農村消滅も根っこは同じ!

 下記メルマガから引用させて頂きました。
 私はこれを読んで、経済低迷も農村消滅も根っこは同じ、と思いました。
 特に日本独自の要因」には同感です。

『from 911/USAレポート』第713回
「日本経済低迷の主因は外部要因?それとも内部要因?」
 ■ 冷泉彰彦:作家(米国ニュージャージー州在住)


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■ 『from 911/USAレポート』               第713回
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 短い間ですが、日本に一時帰国していました。東京には雑踏があり、卒業式のシー
ズンとあって羽織袴姿の女子大生が行き来していたり、その一方で多くの外国人観光
客を目にしたり平和な光景には、特に何の問題もないように見えました。

 ですが、その一方で、安倍政権は「消費税率アップの先送り」を真剣に検討してい
るようですし、多くの経済指標は依然として「マイナス成長」が続き、もはや恒常化
しているということを示していました。そんな中、鴻海によるシャープの買収がよう
やくクロージングを迎えるなど、日本経済に取ってネガティブなニュースも、特に痛
みの感覚もなく報道されていたのに驚かされました。

 私は、そんな中で違和感を感じざるを得ませんでした。このまま「マイナス成長の
恒常化」ということは、要するに年率換算で1.4%なら1.4%で経済が縮小し続
けるということになります。要するに今年は、昨年のGDPの98.6%、つまり0.
986倍にしかならないということであり、仮に同じようなマイナス成長が来年も続
くのであれば、今年をはさんだ2年間で0.986×0.986≒0.972になり
ます。仮に10年このようなマイナス成長が続けば、その10乗となり、約0.86
8倍、つまり14%マイナスになるわけです。

 問題は、その原因です。

 日本がマイナス成長に陥っている原因としては、大きく2つに分けて考えることが
できると思います。外部要因か内部要因か、日本の外部に原因があって、日本にはコ
ントロールできない、つまり世界経済全体に共通のファクターか、あるいは日本一国
の問題かということです。まずは、外部要因、あるいは世界経済一般に共通の問題で
すが、これはカテゴリの(1)として(1−1)から(1−10)ぐらいに細分が可
能です。

(1−1)グローバルな流通・決済システムが完成したために、国際分業が進展し、
大量生産品は人件費の安い地域へ生産地がシフトし、全体としてはコスト安が実現さ
れた。

(1−2)主としてオバマ政権の密かな努力によって、エネルギー源の多様化が進み、
世界的なエネルギー価格が安値安定の時代を迎えた。

(1−3)世界的にIT化が更に新しい段階へと進む中で、事務コストの劇的な削減
が進んでいる。

(1−4)機械製品など、多くの製品ジャンルで生産技術の進展と共にコストが下落
している。食料の価格も、生産技術の進歩により安定している。

(1−5)生活必需品に関わるライフスタイルにおける世界での標準化が進み、低価
格の大量生産品が市場を席巻し、高付加価値の奢侈品のニーズが縮小した。

(1−6)電子機器は端末の多機能化と標準化が進む中で、ハードの市場と価格は全
体で縮小の方向が著しい。

(1−7)輸送用機器や運輸サービスも、LCC航空、自動運転車などの普及という
トレンドの中で付加価値が削ぎ落とされる傾向にある。

 ここまでは、構造的な変化ですが、その結果として出てきている現象としては、

(1−8)中国経済がスローダウンを迎えている。

(1−9)ブラジルやロシア、トルコなどの新興国経済も急速なスローダウンを迎え
ている。

(1−10)北米や欧州では、2008年から09年の大きな「底」からの景気回復
が続いてきたが、波動を繰り返してきた欧州だけでなく、北米にもスローダウンの兆
しがある。

 といった問題があるわけです。アメリカの大統領選で、バーニー・サンダースに引
きずられる格好でヒラリー・クリントンが「バラマキの大風呂敷」を広げたり、真偽
は不明ですが、ポール・クルーグマンに対して安倍首相が「財政余力のあるドイツに
財政出動を期待」と言ったとか、言わないという話はこの(1−8から10)に該当
します。

 ですが、因果関係としては、7番までの構造的な問題があって、その結果として8
から10のスローダウンがあるわけです。勿論、日本から見れば、8から10という
問題も日本経済への影響が大きいわけですが、重要なのは、あくまで1から7の変化
です。こうした変化のトレンドがある限り、例えばヒラリーやメルケルといった政治
家が「積極的な財政出動」を行ったとしても、効果は限定的であると思われるからで
す。

 このことは、それこそ、2009年にオバマが実施した「景気刺激策」の効果が限
定的であり、また90年代から日本が何度も投入した「積極策」もまた決して成功し
なかったということが証明しているように思います。

 一方で、日本独自の要因ですが、こちらはかなり特殊な事情があります。

(2−1)人口減による国内市場縮小の恐怖が、企業の国内向け設備投資も、個人の
消費意欲も減退させている。

(2−2)少子高齢化の進行は、全人口における就労人口比の更なる低下をもたらす
だけでなく、将来不安により実際に負担が拡大する以前に、投資や消費を減退させて
いる。

(2−3)新興国と比較すれば、まだまだ高人件費である日本は、改めて中付加価値
大量生産の拠点という地位を奪い返すほどの競争力はない。

(2−4)国家の累積債務は、国内の消費意欲を減退させるには十分だが、債務を円
建てで消化してしまっているために、何もしなければ「比較優位で」円高に振れてし
まうという苦しさがある。

(2−5)最初は国内の高人件費や為替変動を嫌ったり、貿易摩擦の結果の譲歩とし
てスタートした「現地生産化」が、現在では「国内からは世界の消費市場が見えな
く」なった結果、必然的な問題として加速、その結果として巨大な生産量と雇用が流
出し、しかもそのトレンドが止まらない。

(2−6)エレクトロニクス産業においては、世界の最終消費者市場を獲得する継続
的な努力が途切れてしまったために、重電による法人・公共需要という分野か、また
はハイテクのコモディティ化を受けた部品産業への逃避が起きた。結果として、産業
全体の収益が収縮し、特に利幅とキャッシュフローが大きく毀損した。

(2−7)エレクトロニクス産業にしても、例えば航空機産業にしても、長期的でリ
スクを選好する資金が国内に決定的に不足している一方で、長期的な自国通貨への信
頼が欠ける中で国際的な資金調達にも躊躇がされる中で、技術や人材に比べて「慢性
的な資金不足」のために産業が拡大できない。

(2−8)リスク選好資金の不足ということは、産業としての金融業の発展も阻害し
ている。英国が長期の「英国病」から蘇ったような金融業の貢献は、日本の場合は現
時点では期待できない。

(2−9)IT産業における主導権がハードからソフトに完全にシフトしている一方
で、日本ではプログラムやコーディングを担う人材の社会的・経済的地位が低く、従
って高付加価値を生み出すような人材育成ができていない。その一方で、「ハード製
造の夢よもう一度」といった懐古的で後ろ向きなセンチメントが根強い。

(2−10)小規模農業や、オフィスの間接事務部門、サービス業の多くなど、全産
業の中に局所的に「生産性が先進国で最低水準」の部分を抱えている。

(2−11)コスト負担を嫌って「上場を回避」する企業の増加、東芝やオリンパス
の問題には無力であった形式だけのコンプライアンス、哲学を理解せぬまま半身の構
えで導入が進むIFRSなど、資本主義の根幹にある制度インフラに実効性が伴わな
い。

(2−12)世界だけでなくアジアの公用語も英語となる中で、依然として実用的な
英語教育が実践できていない。これに加えて、ヒエラルキーの文化が捨てられない中
で、英語圏への劣等意識から、一種の植民地のような英語への態度が残っており、
「英語を導入してもコミュニケーションの生産性が上がらない」という独特の病を抱
えている。

(2−13)非就労人口の世論形成への関与が増大しており、以上のような問題の解
決への世論の後押しが期待できない。

 というような問題が指摘できるわけです。シャープが鴻海に買われ、東芝が粉飾決
算の結果として事業の多くを切り売りすることとなり、その一方で、自動運転車の登
場が「自動車の運転」という行為とそのための自動車の購入ということの「付加価値
を破壊」する危険がある、それでも危機感が社会全体に広がらない背景には、こうし
た根深い問題を指摘することができます。

 今回の消費税率先送り論議については、「先送り」が不可避という結論に関しては、
ことここに及んでは否定するのは難しいのかもしれません。

 ですが、昨今の「先送り論議」に関しては、やはり強い違和感を感じます。という
のは、主として(1)の、つまり外部環境が厳しいから、世界経済の需要後退がある
から日本がマイナス成長に陥っているという議論が主流だからです。

 そうではない、問題は(2)の日本独自の要素であり、そこを改革していかなくて
は「プラス成長」への復帰は難しいのです。プラス成長に復帰できなければ、当然の
ことですが「プラス2%」の消費増税を吸収はできません。

 勿論、増税をしなければいいというわけには行きません。国家財政の赤字体質は何
とか改善してゆかねばならないし、仮に更に悪化するようであれば、最後には自国通
貨の価値は大きく毀損され、エネルギーや食糧の自給のできない日本としては、国民
の生活水準の大幅な切り下げを余儀なくされるからです。

 また、今後もマイナス成長が続くようでは、やがて日本は先進国から脱落していく
危険があります。近代の歴史の中には、過去にも英国が「英国病」という長期の停滞
を余儀なくされたことや、一旦は先進国並みの経済力を誇ったアルゼンチンが畜産業
の競争力喪失により、経済的地位を大きく低下させたという先例はあります。

 ですが、これだけの規模の経済を誇り、これだけの成功を誇りながら、先進国の地
位から転落するという例はありません。具体的には一人あたりGDP3万ドルの水準
を大きく超えていたのが、改めてこのラインを割っていくようなストーリーを描いた
国というのは、ないと思います。そして、あってはならないことです。

 確かに(1)にあるように、グローバルな経済縮小の要因ということは大きいと思
います。そして、この問題への処方箋は描きにくいのも事実です。この(1)が世界
共通のスローダウン要因、あるいはグローバルなデフレ構造の要因として否定できな
いとして、日本経済の場合は、更にその上に(2)にあるような日本独自の要因が重
しのように乗っかってしまっているのが現実です。

 その克服のためには改革が必要です。改革というのは、多くの産業で、その資金配
分や個々人の行動様式を変えていくということです。ですから、当然に「痛み」を伴
います。ですから、改革か、衰退かという選択肢について、国を挙げての議論を起こ
す必要があるように思います。その議論が十分でない、いやそのような議論の気配も
ないということでは、本当に日本は先進国から脱落してしまいます。

 新しい年度のスタート、そして参院選などの政局の季節の本格化を前にして、改め
てこの問題の議論を深めていかねばならないと思います。

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冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ)
作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。
著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空
気」「場の空気」』『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』『チェンジはどこへ
消えたか〜オーラをなくしたオバマの試練』。訳書に『チャター』がある。 最新作
は『場違いな人〜「空気」と「目線」に悩まないコミュニケーション』(大和書房)。
またNHKBS『クールジャパン』の準レギュラーを務める。
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