2012年3月16日金曜日

Ⅴ 10.代替エネルギー論の怪しさ 11.「どっかの手先」の人たち


10.代替エネルギー論の怪しさ

 原発問題の最中に、菅首相が急に元気になったことがあった。それは孫正義氏が多額の献金の意思のあることを発表し、津波で家が流された地域に太陽光発電を進めるアイディアを持ってきた時だった。その孫氏は、自分の企業で一番電気を食う部分を韓国に移したと指摘されている。自然界のエネルギーの活用自体は結構なことであるが、あまりそれを強調する人は、日本の脱原発を狙う韓国政府の手先になっている可能性があるといってもいいだろう。

 太陽光発電はよく言われているが、原発にすぐにでも代替できると考えている人は、全くの無知の人か韓国の手先か、手先の手先ぐらいの人でないかと私は考えてしまう。
 たとえば、リニア・モーターは宮崎県で最初に走っていた(いまは山梨県)。その軌道は当然、細く、かつ長い。それが不要になった跡地に太陽光発電のパネルを並べるのは優れたアイデアのごとく思われた。しかし実際やってみると、ひとたび火山噴火があったあとは、その火山灰がくっついてダメになった。火山灰をきれいにする労力や費用は電気代どころではないのだ。いわんや、津波の跡地にパネルを並べることは、被災者たちから郷里を奪うことにもなるのである。

 自然のエネルギーを使うアイデアは文句なく良いようだが、マイナス面も大きい。太陽光発電パネルで山手線の内側の二倍の広さの所を埋めても、発電量は浜岡原発の一基分くらいだそうである。しかも不安定だ。台風が来たらどうする。大地震が起こったらどうする。第一、そんな広い場所が日本のどこにあるのか。静岡の茶畑を全部潰す気か。
 それが使えなくなった時の廃材はどう処理するか。それを並べた下には植物は育たないであろう。そんな荒れ地をどうするのか、などなど、実に問題が大きいのだ。アメリヵの太陽光のパネル会社は潰れたし、アメリカは原発再開を決めた。わかりきった話ではないか。その他の代わりのものも、全て原発に代わりうるものでないことは、ここで繰り返す必要はないであろう。

忍び寄る産業空洞化
 いまのところ原発に代わりうるものは、火力発電だけだ。しかし、火力発電には化石燃料である石油か石炭、あるいは天然ガスが必要である。いずれも日本で産出しないものだ。それに石油を焚けば地球温暖化に連なるとされる。いずれにせよ、火力発電はものすごい外貨の消費になるのだ。

 東京電力が平均17パーセントの電気量の値上げを言い出したのも、火力発電のための燃料代が何千億円と急増したためである。他の電力会社もそれと同じことを言い出すに違いない。年間何兆円ものお金が燃料代に消えるのだ。そうしたらどうなるか。
 消費者は節電したり、貯金をはたいたりすることになる。これは各人が我慢すればよい。しかし、日本の産業はどうなる。いまでも、日本の電気料金は韓国やアメリカに比べて著しく高いのだ。高い電気料金のために、日本ではアルミの精錬をやめたという過去もある。いまより電気料金が高ければ、日本の多くの工場は潰れるか、海外に出るかになる。つまり空洞化だ。
 産業の空洞化は、とりもなおさず失業率の上昇と国力の低下である。日本の中小企業などがバタバタ潰れたら喜ぶのはどこの国か。言わなくてもわかるではないか。

11.「どっかの手先」の人たち
 敗戦後の日本人男子はだらしなくなったといわれる。なにしろ、200万人以上の最も身体能力に勝れ気迫も忍耐力もある青年が戦死したあとだから仕方がないとも言える。
 しかし、そこで生き残った人たちは「死んだ者の分まで頑張ろう」と言って、国土復興と経済再建を成し遂げた。戦後の日本から出た新技術・新製品も実に多かった。
 しかしその一方、常に「栄えゆく日本」を呪誼し、その足を引っ張る言動や運動をしてきた勢力があった。それは、日本が独立回復を成し遂げたサンフランシスコ講和条約に反対した共産党や社会党の系統の人たちと、全面講和という美辞のもとに日本の独立回復に反対した学者とその系統の人たちである。

 東日本大震災の時の日本政府の中心にいた人たちの多くは、その系統の人たちであった。菅総理も学生運動ではゲバ棒組であり、「産学協同反対」の運動をしていた。これは産業界に大学、つまり学者は協力してはいけないということで、資本主義日本の産業の弱体化と日本の窮乏化を目指した運動であった。この人たちは本能的に日本に害をなすことに熱心のように見える。そしてその背後には、いつでも隣国の手がチラチラ見え隠れする気がする。

 まだ吉田茂が総理だった昭和293月にビキニ環礁で行ったアメリカの水爆実験で、第五福竜丸が被災した。この船長さんは知ってのうえで禁止海域の境界に近づき、核の灰をかぶった。乗組員全員28人がべータ線熱傷を受けた状態で母港の焼津に戻り、肝炎ウィルスに汚染した買血輸血の治療を受け、17人が肝臓障害を起こし、そのうちの一人、無線長の久保山愛吉さんが亡くなった。
 その死因は肺炎であり、放射能でなかったことを高田純博士が検証している(同氏『上掲書』16ぺージ)。しかし、世は原水禁運動・反核運動花盛りの時である。この人たちのなかには、社会主義国(ソ連や中国)の核爆弾はきれいだが、アメリカのは悪いというようなトンチキな人たちもいたほど反米親共であった。

「むつ」の最期
 これにマスコミは乗っかっていた。それで、久保山さんは買血による肝炎という本当の死因は隠されて、核爆弾の放射線によるものとされ、反米運動のシンボルにされてしまった。久保山さんは静岡漁民葬になり、木下航二作曲の「原爆許すまじ」のコーラスで送られた。日教組はこれを反原発・放射能恐怖・反米という三位一体の教育方針に利用した。その時の子供たちはいまや大人になつて、福島の放射線に神経症的反応を示しているのである。

 当時の騒ぎは大したもので、マグロ(第五福竜丸はマグロ漁船)も食べてはいけないというような話だった。その時、故・桶谷繁雄先生が「なんでもないよ、私は食べる」と発言されたのが印象に残っている。この人は、毛沢東思想で中国は農家の庭でも鋼鉄を作っていると社会党の訪中団が毛沢東革命礼賛をやった時、「ああいう鉄をわれわれは鋼鉄と言わないのである」とばっさりやっておられた。
 桶谷先生のような方は稀で、世論は滔々として放射線恐怖を煽るほうに流れた。マスコミは反米、反自民を反核と一緒にした(といっても、ソ連や中国の核開発への反対運動があったという記憶がない)、その煽りをくらって悲しい最期を遂げたのが原子力船「むつ」であった。

 この船は昭和44(1969)年、佐藤栄作内閣の時に東京湾で進水し、青森県大湊を母港にしていたが、五年後に北太平洋で放射線漏れを起こした。それはレントゲン一回分にもならないほどのものだったらしいが、マスコミが騒ぎたて、寄港できなくなった。
 ある社会党の代議士などは、「放射能がだんだんたまっていって、しまいに爆発して、そこらの村民漁民はみんな死んじゃうぞ」と言った。放射能と放射線の区別もしない乱暴な話だったのだが、それが通用したのだから恐ろしい。
 それで、時の田中角栄内閣の自民党総務会長・鈴木善幸が、陸奥湾の帆立貝漁へ被害がないのに補償金を払って帰港させてもらったが、二年半以後は大湊を母港にしないという約束までさせられた。

 被害がないのに補償金をもらうという発想も情けないが、そこまで核アレルギーを日本人に起こさせた左翼的マスコミと反核運動者たちのほうが怖ろしい。これで、日本では原子力船は作れなくなってしまった。原子力船「むつ」が運航され続け、実験を繰り返せば、いまごろは日本にも原子力潜水艦もできていたであろう。これほどわかりやすい国防手段・対中抑止手段もなかったと思われるのだが。
 日本の「むつ」を葬ったマスコミや反核団体は、中国の核実験、核爆弾に反対する運動を起こしたというのは聞いたことがない。
今回の福島の原発事故にはじまつた反原発運動には、目立ったデモのほかに、日本の弱体化や窮乏化を願うようなソフトな言論がマスコミで流されていることに注目すべきである。

 そのことには筑波大学の古田博司氏も気がついて、雑誌『歴史通』の昨年九月号に注目すべきエッセイを寄せておられる。そこからすこし拾ってみよう。引用のあとのカッコは、それを掲載した新聞名である。
 作家の袈乙彦氏は言う。
 「日本はおそらく中国に負けて世界第三の国になり、更に落ちていくでしょう。しかし、そのことで日本人が不幸になると考えるのがおかしい。これが日本を不幸にしている一番の大きな原因です」(毎日)

 国が落ちぶれても国民は不幸になると考えてはいけないという珍説だ。加賀氏はたしか精神科の医師でもあるはずだが、気はたしかだろうか。中国もかつては落ちぶれ、「シナ人」は世界中でゴミのように扱われたのだ。だから彼らは必死に核兵器を作り、原子力潜水艦を作り、航空母艦まで持とうとしているのではないか。しかし、加賀氏は中国に向かって「国が落ちぶれていっても心配することはない。それがよいのです」などと絶対にいわないのである。

「成熟」ではない
 早稲田大学教授の天児慧氏は言う。
 「日本が経済成長で再び中国と張り合おうとしても不可能で、環境や社会保障など生活インフラの豊かな成熟大国を目指すべきだ」(毎日)
 経済的成長は諦めて、環境を良くし、社会保障を充実させた成熟大国にどうしてなれるのか。日本はいまのところ、エネルギーも食糧も大量に買っている。私は五十年も前にイギリスに留学し、それからも何度も訪ねている。昔は一ポンド千円以上だったのに、いまは百数十円だ。それとともに窮乏し、本屋も万引きを心配する国になるのを見てきた。経済力を落としながらの成熟大国などないのだ。あるとすれば、末期の清朝か。そういうのは「停滞」とか「衰退」とか言って、「成熟」とは言わないのである。

 また、大阪大学名誉教授の川北稔氏は言う。
 「……たしかに日本は、かつてのポルトガルのようになるかもしれません。ただし、それが不幸かと言うと、話は別です。現在のポルトガルを見てください。むしろ、ある意味で安定し、人々は幸せな人生を送っているのではないでしょうか」(朝日)
 ギリシャに続いてポルトガルは経済破綻に直面している。若者の失業率が五〇パーセントを超えているといわれる国のどこが安定して、国民が幸せな人生を送っていると言えるのか。もうこうなると妄言をバラまく詐欺師紛いの言説だ。

 古田氏が拾い集めた妄言はまだまだあるのだが、それらの言説を通じて感じられることは、日本が落ちぶれダメになることを望んでいる日本の「文化人」が少なくないことだ。こういう妄言を喜んで掲載する新聞が「朝日」や「毎日」であることも知っておいてよいであろう。この人たちの現在の共通点は、反原発ということだ。逆にいえば、「反原発」の反対は日本の「繁栄」だということをも示していて面白い。

 個人が貧乏が平気だというのは一向に構わない。西行も芭蕉も極貧と言ってよい。金持ちになったらかえって不幸になったという婦人の話もよく聞く。個人が自分の哲学で窮乏を幸福とみなすならば、私はむしろ尊敬する。神父や修道女のなかにもそういう人がたくさんいることを知っているからだ。
 しかし、一国の政治家や大マスコミが、自国の窮乏化を幸福への道だと国民に押し付けるのは許せない。政治家もマスコミも、本来は自国の富裕化を願い、そこに向かう道を示すべきなのである。そうでなかったら、「日本悪しかれ」を願っている国の手先か、手先の手先になっていると考えざるを得ないのである。

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