2015年7月9日木曜日

「スマート・テロワール : 農村消滅論からの大転換」を読んで

 当NPOの正会員池田広君が読後感を書いてくれました。特に重要な感銘を受けた部分を整理してあります。
 この通りにできるかどうかは判りませんが、注目すべき提言がない中で、地方創生にとって、根本的で現実的な提言だと思います。
 是非、本『スマート・テロワール-農村消滅論からの大転換-』(松尾雅彦著学芸出版社)をお求めになって下さい。

http://www.amazon.co.jp/スマート・テロワール-農村消滅論からの大転換-松尾雅彦/dp/4761513446



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

隅から隅までよく行き届いた啓発の書でした。

「スマート・テロワール」とは、地域内でのできる限りの自給を目指す地域ユニットのことです。川勝平太静岡県知事は、「美しく強靭な農村自給圏」と言っておられます。
 読み進める中で、いま日本がかかえる3つのムダが浮かんできました。その3つのムダの有効利用が、著者の説く「スマート・テロワール」の実現によって解消に向かうであろうことがよく理解できました。

○「食べ物の13は口に入ることなく棄てられる」ムダ
 1970年代日本は、食料の「供給不足時代」から脱却して「供給過剰時代」になりました。しかし、《我々が食べる量は毎年減っているのに、マーケットに投入されている食べ物の勢いはとどまることを知りません。
 消費カロリーと供給カロリーの差がどんどん広がっているということです。消費されているのはわずか三分の二で、それ以外の三分の一がロスや廃棄されていることを意味します。》(29p

○「100万ヘクタールの農地が過剰状態」のムダ
《全国で水田は270万ヘクタールありますが、その内約100万ヘクタールの水田が過剰で休耕田や耕作放棄地になっており、維持するために莫大な国費をかけています。》(34p
 農業の進歩で反収増加(200kg→600kg100年間)の一方でのコメ需要は半減、過剰水田の有効活用策はなおざりのまま、金に飽かせた補助金づけ。農家はいつのまにかユデ蛙。

○「160万人が『つとめ』を果せない」ムダ
 ニート(若年無業者)数60万人、さらに40歳以上のひきこもり推定100万人とも。
 《食料品の場合、30%が捨てられています。利益の追求を至上目的にしたあげく、労働時間は増えて、休暇も取れず、作った商品は捨てられるという本末転倒な事態に陥っているのです。》(190p)娘が、専門学校時代のアルバイト先(学生食堂)で、食べ残しや売れ残りが惜しげもなく捨てられるのを見て「耐えられない」と辞めたのを思い出しました。
 その娘、義務教育はずっと学校に不適応、「困った娘」でした。ニートの多くは市場経済的利己主義への不適応、今の世の中では役立とうにも役立てない、がんばろうにもがんばれない。

 著者の発想の原点は《未利用資源の活用》(251p)です。三つのムダは見方を変えれば「未利用資源」。解決の方途(みち)が次のように示されます。

 1970年代に迎えた食料供給過剰時代、以来消費者の関心は自身の健康に向かっています。本来日本の農業は、多様な食物を供給することで時代のニーズに応えねばならなかったのです。にもかかわらず日本の農村は「瑞穂の国」の幻想でコメの単作にこだわりつづけました。
 その結果の農村破綻です。著者は断言します。《健全な農業の建設を阻んでいるのは多すぎる水田です。その破壊なくしてアルカディア(桃源郷)はありません。》(206p

 水田は、水の流れを基本にほぼ50%を畑地や草地に転換。水田は低い平地のみ。水はけのよい傾斜地は畑地に。さらに急峻な耕地は牧草地にして畜産へ。日本の食料自給率39%ということは、ひとたび消費地生産主義で自給を目指すや、大きな可能性に転じることを意味します。
 帯に「農村は15兆円産業を創造できる」とあります。《自給圏で水田を畑地に転換するのは、今から、15年程度を目標に進めます。その間に後継者を得られず離農する農家は相当数に上るでしょう。そこを引き取るのは専業農家や都市から帰還した元気な若者になります。》(74p
 畑作物、畜産物の食品加工場と農家の間には生産契約が交わされ、農家は、天候リスクや市場リスクに左右されない安定した経営が行われます。《30年後には加工場が仕事を増やして女性が活躍し、子どもたちの元気な声も聞こえる農村になっています。》(74p

 問題解決のための単なるノウハウ書ではありません。世界を変える思想書であり、世の中のあり方、人の生き方を問う哲学書でもあります。《都市部では経済的な「かせぎ」が多様性を生み、それが活力の源になっています。
 一方、農村部では地域社会のなかでの「つとめ」が活力を生みだします。共同体としての力が、人々を支えるのです。》(246p)《農村に働くのは利他主義であり、互酬に基づく経済です。それを理解せずして、市場経済の利己主義で経営を行おうとしては農村部では成功できません。》(247p

 著者は、われわれが80年代初頭『パンツをはいたサル』(栗本慎一郎)によって知ったカール・ポランニー思想(『大転換―市場社会の形成と崩壊』)紹介の、日本における最先端に位置していたことを「あとがき」で知りました。カルビー株式会社の現在はその思想実践の結果です。その実績をふまえての「スマート・テロワール」構想、夢に満ちた彩り豊かな世界が確実に見えてきます。
NPO法人信州まちづくり研究会 正会員 池田広


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
トップに戻る

「スマート・テロワール : 農村消滅論からの大転換」内容紹介


当NPOの正会員池田広君が書いてくれました。概要を知ることができます。
この通りにできるかどうかは判りませんが、注目すべき提言がない中で、地方創生にとって、根本的で現実的な提言だと思います。
 是非、本『スマート・テロワール-農村消滅論からの大転換-』(松尾雅彦著学芸出版社)をお求めになって下さい。

http://www.amazon.co.jp/スマート・テロワール-農村消滅論からの大転換-松尾雅彦/dp/4761513446


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

待望の著書が発刊された。実業に携わる方が日本農業について本格的な論考を展開したことにまずは敬意を表したい。
 著者はカルビー社の経営に携わりながら、同社のビジネス戦略の要諦である原料ポテトの調達を巡って様々な破壊的イノベーションを繰り返し、その体験を通じて日本農業の抱える根本問題を読み解き、その解決策について実に深い論考を展開して、体系的でしかも極めて具体的な処方箋を描き出した。

日本農業を巡る悲観論の洪水
 日本農業の将来について多くの悲観的な情報が飛び交っている。
 農業の担い手が高齢化し、しかも後継者が不足していること。
 政府の農業政策が長期にわたって稲作を中心に展開され、これがコメの生産過剰をまねき、多くの休耕田や耕作放棄地が政策の失敗の置き土産として残されてしまったこと。
 巨大な農業国である米国やオーストラリアそしてニュージーランドなどが主導権を握るTPPがこれまで以上に農畜産物の市場開放を進めることになり、生産性が低く高価格な日本の農畜産物の敗戦が濃厚に見えていること。
 何よりも巨額の補助金が投下されているにもかかわらず自給率39%の改善が一向に進まないこと。などなど悲観的な要素を上げればきりがない。

難問あまたの日本農業にはたして起死回生の妙手はあるか?
各方面から日本農業改革案が打ち出されている。アベノミクスの規制改革、地方創生策の中にも日本農業の再生に向けて照準が向けられている政策が散見される。
 農協改革、農地委員会改革、農業法人改革などが試行されようとしている。いずれも規模の拡大と農家の経営改革が中心に据えられている。

 しかしこれらの政策はいずれも農業の環境ともいうべき農村の改革を意図したものではない。農村とは切り離された形で農業が独り歩きでき得るという前提でイメージされている。
 しかし農業は農村という環境とともに語られなければ最適解は得られない。農村抜きの改革はすべてが個別最適であっても全体最適をもたらすものではない。
 農村のあるべき姿とともに農業のあるべき姿を設計しなければ農業は立ってもその環境たる農村は荒廃を極めることになる。それは農村に工業を誘致し多くの雇用創出は実現できたものの、農村が荒廃の危機に瀕している状況を経験してきたことから容易に想像可能だ。

 松尾氏の『スマート・テロワール』は農業の再生が農村の再生と一体となって実現するビジョンを見事に描き切っている。そして農業の再生は農家が主体ではなく、農村に立地する食品加工業や周辺都市の小売業との協業なしにはあり得ないことが大前提で語られている。

以下にその要旨を書き出してみよう
 日本を三分割してみる
 筆者は日本の地域を三つのクラスターに分解する。「大都市部」「中間部」「農村部」がそれだ。この3つのクラスターはほぼ4,300万ずつの人口を擁する。もちろん面積は「農村部」が一番多く全体の80%を占める。

 このように3分割してそれぞれのクラスターの比較をしてみると、これまで日本全体を対象に論じられてきたイメージとは全く異なる日本の姿が見えてくる。
例えば出生率は全国平均が1.2で少子高齢化が騒がれる根拠になっている。しかしこれを分解してみると、都市部で1.0に過ぎないが、なんと農村部では2.6にも達するのだ。
 この事実から農村部の人口を増加させる政策が唯一人口をプラスに転換させることが可能になるという論点が見えてくる。

スマート・テロワール
この「農村部」を歴史環境や郷土愛などをベースに地域住民から見て一体感の持てる地域に分解すると100~150の地域ユニットに分けられる。これらのユニットの人口は10万人~70万人、平均では40万人程度になるという。

 こうした地域ユニットをそれぞれの地域を、風土、品種、栽培法などが育む独特の地域特性を持った地域に、知恵の限りを使って実現しようという構想が「スマート・テロワール」だ。

水田を畑地へ転換して作物を米から穀物へ
 地域ユニットの創生は穀物の生産を主体とする農業の構築から始められる。昔から五穀豊穣と言われてきたが、現在は米だけに偏った一穀農業になってしまっている。
 戦後の農政が米だけを唯一の対象にして、モノ、カネの全ての資源を投下し、他の作物や畜産を強制的に止めさせてきたことが一穀物農業という怪物を創ってしまったというわけだ。

 その結果耕作地は水田ばかりになり、水田の総面積は270万ヘクタールに達することになった。しかもコメの生産性はみるみる向上し、一方ではコメの消費量は縮小に向かい、コメの過剰が問題化するに至った。
 いまや100万ヘクタールの水田が休耕田や耕作放棄地になってしまっている。この100万ヘクタールを水田から畑地に転換し、小麦、大豆、馬鈴薯、トウモロコシなどの新穀物を栽培すればいいわけだ。

畜産が農業革命の柱の一つになる
 更に地域ユニットでは畜産も不可欠の産業として育てなければならない。トウモロコシが畜産用の飼料として活用されるからだ。またその他の穀物の皮や茎など廃棄処理されるものも家畜の飼料となる。
 更には家畜の糞尿が堆肥として畑地に利用され、余剰物はバイオマス燃料として活用可能になり、地域のエネルギー源として使われる。こうした循環型の農畜産業の展開によって全く無駄のない資源の有効活用が実現するわけだ。

食品加工業も不可欠のプレイヤーだ
 地域ユニットの構成要素として農業と並んで大事な産業は食品加工業だ。食品加工業と農家が有機的な連携をすることで、地域の州民に向けた食品のうち50%程度は供給可能になり、結果として自給圏として自立が可能になる。
 加工業は消費者の要求する品質規格を農家に示し、品質による格付けによって農産物の価格を変えて、品質向上のモチベーションを農家にもたらすことが可能になる。

 また加工場は多くの女性の雇用を創出し、都市から農村への人口の回帰を可能にする。結果として農村部の出生率は2.5を超えているので、ここでの若年人口の増加は少子高齢化に歯止めがかかり、フランスのように人口増加のトレンドが生まれる可能性を獲得できるようになる。
 そして小売業もスマート・テノワールの創生に大きな役割を果たす。小売業の棚の加工食品の40%程度を地域の農畜産品で品揃えをすることで小売業は、農家と地域住民との連結環になるわけだ。

やがて桃源郷が実現する
 こうした農業革命は農村の景観を大きく変えることになる。一穀から五穀への転換はまず畑地の景観を変える、その上に放牧された家畜の姿も農村にこれまでなかった美しい景色をもたらすことになる。

 かくしてスマート・テロワールが日本全土に出現すると、日本の姿が大きく変わる。
まずは少子高齢化に歯止めがかかり、人口増加も夢ではなくなる。
 続いて食料自給率も現状の39%から67%へと劇的に改善される。これまで輸入に頼ってきた五穀の生産と畜産の増産が効いてくるのだ。

 著者の計算では約15兆円が輸入から自給へと転換が図られる。エネルギーの自給も進み、化石燃料の輸入が大きく減少し、原子力への依存も不要になる。
 そして何よりも農村が桃源郷へと変わる。都市生活者も憩を求めて、おいしい料理や美しい景観や懐かしいコミュニティに触れるためになくてはならない地域に変貌する。もちろん海外からの観光客もどっと押し寄せる。
 まさにバラ色の未来図がここに展開されている。これほどまでに人をわくわくさせる政策論があっただろうか。これを読んで多くの関係者がここに描かれた未来の建設に関わることを望むに違いない。

「スマート・テロワール」実現へのマニュアル
 筆者は各地でスマート・テロワールを実現する具体的なプログラムまで用意してくれている。著者の示すステップを踏めば確実に実現できそうだという気になる。まさに実業に携わってきた筆者ならではの面目躍如たるところだ。

 そのいみで本書は、課題解決のメソッドを体系化し、パッケージとして提供するという、日本人離れした提案までしてくれているのだ。
 まずは地域ユニットの住民がそれぞれの地域の魅力を最大に膨らませるビジョンを描くことから始めなければならない。実行するのは地域住民ひとりひとり。地域住民の自律がこのムーブメントの成否を分けることになるということだ。

追加的に考えなければならない論点
 一つだけ問題点を指摘するとすれば、地域ユニットは自給自足で完結するわけではない。当然ながら他の農村部ユニットや中間部や大都市部との交易も不可欠になる。
 例えば北海道の十勝地方。人口35万人のこの地域は日本全国の消費者や加工業者に向けた農畜産物の巨大生産基地になっている。それだけの農畜産物を生産していながらこの地域の自給率は現状でたった7%でしかない。

 この地域が自給生産圏になってほぼ40%の自給率までになった時に、当然それまで他地域に移出されていた農畜産物の量は減少する。そのときこれまで十勝地方に頼っていた他地域の消費者や加工業者は十勝地方に替わる供給者を探さなければならない。それはどのように解決すればいいのか。
 30年もかかってようやく実現できることだから、徐々に解決が進むというように理解するということで別に不都合はないのかもしれないが問題提起しておこう。

おまけ
 なお本書全体を読み進む方々は、本書を通してカルビー株式会社の強みや成長の成功要因をうかがい知ることもできるという思わぬおまけも愉しむことができる。
という意味で本書は経営書としてもお勧めだ。
 本書は優れた日本農業論、日本経済論、経営戦略論、そして実践経済人類学さらには哲学書として、まさに多様な要素を包含する快著と言うべきだ。

NPO法人信州まちづくり研究会 正会員 池田広

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
トップに戻る