2012年4月12日木曜日

「犬と鬼」が見た,日本の街づくり・都市づくり


「犬と鬼・知られざる日本の肖像アレックス・カー著が出版されたのは2002年ですから,10年前です。それ以来,何度か知人から,読むように薦められましたが,昨日ようやく読み終えました。

私は特に”まちづくり”の部分に注目しながら読みましたが,よくぞここまで書いてくれたと感動しました。私が長年,苦々しく,恥ずかしく思っていたことが全て書かれていました。

内容を細かく検証すれば,間違いや誤解,データの違いなどがあるのかも知れませんが,この国の流れの捉え方と,彼の理念と価値観は素直に受入れられます。10年前の本なのに,今読んでも何の遜色もありません。ということは,この10年間ーというより20年間,日本は止まったままということになります。

このブログでは,まずWebにあった書評を紹介し,続いて”まちづくり”・都市づくりに関連するところの抜粋をご紹介致します。
抜粋なので,意味がつながらないかも知れませんが,日本の”まちづくり”,都市づくり失敗の本質が語られています。

ここでご紹介するのは,極々一部分です。実物を読んで頂くのが一番良いですが,このブログに掲載した3倍位の抜粋があります。
私のアドレスにお知らせ頂ければお送り致します。

ーーーーー
著者紹介
Wikipediaより,アレックス・カーについて>
1952年,メリーランド州ベセスダ生まれ。アメリカ海軍所属の弁護士だった父親に付き添いナポリ、ホノルル、ワシントンD.C.に滞在。1964年に来日。横浜の米軍海軍基地に滞在する。
イェール大学日本学専攻卒業。国際ロータリー奨学生として慶應義塾大学国際センターへ留学(1972- 1973年)。留学中にヒッチハイクで日本中を旅し、旅の途中で訪れた徳島県祖谷に感銘を受け約300年前の藁葺き屋根の古民家篪庵を購入し修復し居住する。
日本では京都の町屋再生事業、コンサルティング事業を手がける株式会社庵(いおり)

書評
Alex Kerr.com より>
http://www.alex-kerr.com/index.html
エディターレビュー:


日本で育ち、日本をこよなく愛するアメリカ人である著者が、怒りと悲しみを込めて現代日本の病理を暴く。破壊される 自然環境、ちぐはぐな都市建築、日本の魂を崩壊させる官僚政治。慢性的に進行する日本の「文化の病」を、丹念 に掘り起こしてわれわれ日本人に突きつける、衝撃の1冊。 

コンクリートで固められダムになる美しい山河や、全長の55%もがブロックやテトラポッドで覆われている海岸。不法投棄 の産業廃棄物の山と、そこから流れ出すダイオキシン。電線が空中を走り、けばけばしい広告看板をつけたビルがごちゃ ごちゃと建ち並ぶ街なみ。そして、全国に増え続ける多目的ホール、テーマパーク、人工島、高速道路などの無意味な モニュメント。こんな光景を美しいと思っている日本人はひとりもいないだろう。なぜこんなものを作ったのか、なぜこんな国 になってしまったのかと著者に問われるのは、まったくお恥ずかしい限りである。
 
著者がその原因として指摘するのは、責任が不明瞭なまま機能してしまう行政システムと、その根本にある日本独特 の官僚制度である。外国人の視点で見ると、日本の官僚制度の奇異さがよくわかる。天下りで個人的な利益を得る 、特殊法人の運営で省庁が潤う、族議員とパイプを作り政界とも通じる。この馴れあいシステムによって、多額の公金 が本当に必要なところには施されず、官僚にメリットを与えるところに注がれる。
自分たちに従順におとなしく従う国民を、都合よく作りだす教育システムまで官僚は作ったのだと著者は言う。子どもた ちは足並みそろえて行動することを強要される。がんばることは美徳と教えられるが、これはひどい環境でも耐え忍べとい うことだ。
教育制度不信から子どもの塾通いが増え、子どもはいつも忙しくてがんじがらめになる。そしてその後の大学 生活で、成績など問われず無為に遊んで過ごせば、分析的な思考法や独創的な発想能力、自然環境に対する愛情などを持たない骨抜きの腑抜けができあがるのは当然だ。 


 
韓非子の故事から取ったというタイトルは、抜本的な解決が難しい日本の諸問題を「上手に本物らしく描くのが難しい 犬」にたとえ、日本で行われている数々の無意味な施策を「どうとでも描ける想像物である鬼」にたとえて付けられてい る。
外国人が日本に対して何かを要求するのはおかしいという信念から、本書には「日本はこうすべきである」という表現は いっさいない。が、1900年代前半の、大日本帝国の拡大とその後の悲劇的結末へのプロセスと同じ道筋を、今また日 本はたどっているという著者の警告を、われわれは真摯に受けとめるべきだろう。(篠田なぎさ)


ーーーーーーーーーーーーーーー
以下,文中よりエッセンスを抜粋

P37 アイゼンハワー大統領は,子供の頃自分の家はひどく貧しかったと語り,「しかし,これがアメリカの不思議なところだが,自分が貧乏だと感じたことは一度もない」と述べている。日本の不思議さはこれと全く逆のところにある。本当は豊かなのに,誰も豊かに感じていない。だから新しい線路だの,セメントで覆った土手だのをしょっちゅう与えられないと安心できない。
振り返ってみると,日本の「進歩」や「豊かさ」に対するスタンスは,だいたい45年から65年までの間に確立してきたものばかりだ。それが今でも続いている。60年代に始まった思考回路と,21世紀の現実とのミスマッチ,それが現在の「文化の病」の基調になっている。

P137 メディアに官僚スキャンダルがよく取り上げられるが,それは桁外れな取り過ぎを正すものであって,慢性的に金を取る制度そのものは非難されない。それは鬼(派手で表面だけ)の対処になり犬(根本的な)改革は行われていないため,腐敗のシステムはそのまま残る。本格的改革をしようとすればシステムを改める必要がある。

P168 外国人が自分達の文明レベルを日本に求めたがらないのは,心の中に二つの矛盾したイメージがダブっているからだ。経済成長を誉めながらも,発展途上国として同情の目で見ている。西洋ではやはり,第二次世界大戦の被害に対する罪悪感も少々残り,しかも日本の経済システムは産業拡大だけが目的で,一般市民の生活向上のためではないので,西洋の目でみれば,日本の街と田舎は本当に可哀相で未発展でみすぼらしく見える。

P171 日本初の女性国会議員加藤シズエは100才の誕生日に「ジャパン・タイムズ」にこう書いている。「ラフカディオ・ハーン」の文章を読み,美しい風景を期待して日本を訪れる多くの外国人は,美しく比類のない文化遺産を日本人が無惨にも破壊しているのを目のあたりにして,驚き憤っているであろう」。
残念ながら,加藤の嘆きは的外れである。海外の報道には,京都の惨状に対する驚きや憤りはまったく見当たらない。
欧米の観光客は,アジアを見下げているせいもあって,きちんと保護された観光名所と,ただ不快でしかない街の景観とを区別しようとしない。周囲の山の麓に立派な庭があるというだけで,他はガラスとコンクリートの箱の集まりであることを見逃してしまう。

結局パリやヴェネチィアには期待することを,京都には期待していない。なるほど庭や寺はすばらしいが,文化都市をつくるのは世界遺産だけではなく通りや街並だ。京都では中途半端な「特別保護区」がいくつかあるとはいえ,根本的に古い道のほとんどが一貫して歴史観を失っている。
これがパリやヴェネチィアなら,旅行者は文化遺産だけが目的で街を無視することはない。ルーブル美術館だけが観たくてパリを訪ねたり,サンマルコ大聖堂のためだけにヴェネチィアに出かける人がいるだろうか。
こういう街を訪れる楽しみは,通りを散策し,雰囲気を味わい,どうということもないが,味のある小さな店で食事をする,そんなところにある。
絵に描いたような小路の古びた風情,すり減った石,街灯,ひたひたと流れる水,木の鎧戸,そういうものが五感を楽しませてくれるのだ。
・・・中略
それでもやはり,加藤シズエは正しかった。京都を訪れた人々はどことなく失望する。頭では美しい庭に意識を集中し,おぞましい環境を無視することができても,心は逆のことを語る。このため90年代に入ると,観光客は,日本人外国人共に増加していない。
・・・中略
京都の現実をわが目で確かめたいと思うなら,エレベーターでリーガロイヤルホテルの最上階にのぼってみるといい。駅に近いこのホテルは,ほぼ街の中心に位置している。ここが京都だということをしばし忘れて,ぐるり360度眺め回してみよう。東寺の五重塔と本願寺の屋根の一部を除けば,どちらを向いてもごちゃごちゃと立ち並ぶコンクリートのビルが見えるばかりだ。世界にこれほど退屈な都市景観は少ない。

市街地の向こうには,幸いにして開発をまぬがれた周辺の山々が残っているが,荒廃はそこで終っているわけではない。南は大阪から瀬戸内海沿岸まで,途切れることなく工業地帯が続く。東の山並みを越えると,同じくコンクリートの箱の雑然として山科の街が広がり,延々と同じ光景が続いた先に名古屋がある。そこには何百万という人々が住んでいるが,まったくといっていいほど見るべきものがない。

そのまま,200300キロ似たような景色が続き,たどり着いた東京も名古屋より多少ましという程度である。96年に日本を旅したロバート・マクニールは,電車の窓から見える景色に幻滅し,「味もそっけもない効率一点張りのゴミゴミした眺めは見るのもつらく,トンネルに入るとほっとしたほどだ」と語った。
40年間で京都の美しさがことごとく消し去られたことを考えると,ほかの都市や街を襲った運命も想像がつく。国中で,京都が京都らしさを排除しようとしたのと同じことが起きていた。古い街並は取り壊され,かろうじてつまらない形で残っている。
・・・中略。


暮しの場である街並を保存するには,古さと新しさを融合させる高度な技術が必要になる。たとえばエール大学は,図書館の壁をいったんはがし,ハイテクの除湿設備を組み込み,その上に古い石をもう一度並べている。日本の修復テクノロジーは65年を境に成長を止め,以来古いものをそのまま完璧に保存する方法しか考えてこなかった。そのため,古い建物のもつ温かみと雰囲気を,新しい建物に魅力的に生かそうにも,その手法を知っている人がいない。
 「テクノロジーの固定化」の結果,日本は「古い=不便」と「新しい=味気ない」という両極端の間で引き裂かれている。古い不便さ,新しさと味気なさ,この断絶を埋めるものがなにもない状態,それが現代日本の街の風景だと言えるかもしれない。
・・・中略。

国内外の観光客が日本にそっぽを向いた理由はいくつかある。一般に,最大の理由は円高と旅行費用の高さだと考えられている。しかし,日本旅行が安いとはいえないものの,近頃ではロンドンでもパリでも同じくらい高くつく。タイの贅沢なリゾートは,平気で一泊6万〜7万円使う裕福な外国人旅行者であふれている。そういう人々とっては費用などものの数ではないはずだが,彼らは日本に来ようとはしない。
 本当の理由(はっきり意識していないかもしれないが,心の中ではまちがいなく感じている)は,お金をかけて日本を旅しても,美しい景色や快適さという形でも見返りが期待できないところにある。
・・・中略。


P193 古い都市の話しはよしとして,次は新しい都市について見ていこう。京都タワーに始まる開発の動機は,古い街から逃げて,現代都市を造ることがすべてだった。したがって,現代性という基準で京都を判断しなければ公正とは言えないだろう。
もし仮に,京都から歴史的な遺産がすべて消えてなくなったとしても,老朽化した建物に代わり新しいしゃれた大都市が生まれ,最先端の現代文化が花咲いたとすれば,徹底した近代主義者はそれでよしと考えるかもしれない。日本全体について言えることだろう。

これは香港で起こったことだ。木々に囲まれ,古めかしいジャンク船がひしめいていた港が,まばゆいオフィスビルが林立する大都会へと変身した。現代の奇跡とも言える変貌ぶりだった。同じことは上海とバンコクでも起こりはじめている。
この二都市のどちらも,開発業者によってチャーミングな古い都市の中心部が手荒な扱いを受けている。とはいえ,古い都市の代わりに,ホコリの中から新しい都市が劇的に生まれつつある。ホテル,レストラン,高級オフィスビル,マンションは,香港やニューヨークの最上クラスと比較しても遜色ない。

しかし,日本はこうはならなかった。「新しいものは日本のおはこ」という一般的なイメージに反して,日本が抱える問題は真の近代化を学ばないまま発展したことにある。金融分野などと同じで,都市の設計・開発の手法も,本質的には65年前後から進歩していない。リーガロイヤルホテル京都の最上階からの醜悪な眺めは,古い建物がなくなったからではなく,新しい建物がお粗末なせいだ。
過去50年にわたる「日本の近代化」は決まり文句となり,その出版物は山ほどあるが,近代性を得られなかったという現実はこれと正反対だ。


 先進文明ではなく,日本はスラムに近い一般住宅と工業ジャンクに溢れた文化となった。住宅は狭く,ちゃちな造り,公的施設(ホテル・公園・動物園・マンション・病院・図書館)は他の先進国の目で見ると,美観や快適さを基本的に欠いている。本質的な意味で新しいものを獲得できなかったーそれが今の文化危機の中核だ。
経済・社会学者は「強国・貧民」という仕組みを,日本の強みと見てきたが,それは,ブーメランとなって恐ろしい力で跳ね返ってきた。「強国・貧民」の思想では,経費を抑え個人生活を犠牲にすれば,国のあらゆる資産とエネルギーは限りなく製造業へと流れ込む。まさにその通りになった。
 このプロセスで,真の近代化を知らないーーはっきり言えば,現代人としての潤いと輝きを知らないーー国民を育て,文化・経済面に深刻な結果となって現れてきた。

P204 容積率と日照権に,屋上の空ボックスを促進するルールを加えると,その結果,日本特有の混沌とした都市景観になる。おまけにゾーニングや看板の規制もなく,自動販売機が氾濫し,電線が上空を覆い,日本の街並を特徴づける雑然とした眺めが生まれる。くつろげる公園も,落ちついた街路も少なく,ごたごたと立ち並ぶビルもやはり看板や電中で覆われている。
この雑然とした風景がすっかり当たり前になってしまい,日本の建築家にはこれ以外の風景は想像もできなくなっている。数多くの庭園があり,整然と区画割りされた古都京都や北京,ペナン,ハノイの例を持ち出すまでもなくその反証がいくらでもあるのに,木陰もない都市がどういうわけか「アジアらしい」ものとして正当化されている。

P208 先ごろ,アンドルー・マークルという16才のアメリカの少年が,学校の休みを利用して,大阪に住む両親を訪ねてきた。そのとき,彼と両親と私と4人で,車で神戸から東に向かい,大阪を抜け,大阪湾に沿って,新関西空港近くの泉大津まで出かけたことがあった。高架の高速道路を走っていると,見渡す限り工業地帯が広がっているー何時間走っても,そのおぞましい景色はなかなか終らない。
周囲の工場とろくに見分けもつかない,無機質に立ち並ぶマンションに何百万もの人々が住んでいるのだ。点滅する看板,高圧電線を支える鉄塔,木々も公園もなくどこまでも広がるビルと炎を吹き上げる煙突を,アンドルーはしげしげと眺めていたが,やがて言った。
 「学校でよく日本のマンガを読むんだけど,日本人の描く未来にはいつも感心していた。終末的っていうのかな。ああいう発想がどこから出てくるのかこれでわかったよ」

殺風景な街並みに慣れていくように,人々は安っぽい工業製品に心地よさを感じるようになる。以前,京都に住むアート・コレクターのデイヴィット・キッドがこんなことを言っていた。「模造の木材にすっかり慣れちゃって,日本人は模造と本物の区別がつかなくなっている。同じものだと思っているんだ」。
この混同の実例が見たければ,北九州の有田陶磁美術館を訪ねるとよい。手仕事の伊万里焼という伝統美術を紹介する場所なのに,建物はロココ様式で,コンクリートを加工して石壁に見せかけてある。食堂のテーブルは木目をプリントしたプラスチック製。職人の技を称えるために,高額の費用を投じて建てられた美術館がこれである。

(なぜ,こうなってしまたのか)
P210 日本では「近代化」について時代遅れのイメージを引きずっているということだ。ピカピカ輝くものが豊かさと技術的進歩のしるしであり,静けさや落ち着いた雰囲気は古くさいと考えているわけだ。いずれにせよ,キーワードは「ピカピカ」だ。
大都会でも田舎町でも1ブロックでも歩けば,ピカピカの白いタイル張りの建物,鏡のようなクロムの外壁,閃光を放つ看板ばかりだ。屋内に入っても同じである。日本は60年代のSF映画の描く未来像にはまりこんでしまった。
61年,私が幼かったころ,わが家のキッチンの床がリノリウム張りになった。そのわくわくしたこと!当時,ピカピカのプラスチックはどこでももてはやされていた。だが世は移り,人々はプラスチックでは及ばない本物のよさに気がついたが,日本はその時代から抜け出せずにいるようだ。

P212 よくある誤解のひとつに,日本は人口に見合う国土が足りないと思い込みがある。「人口が多すぎる」せいで地価が高いと誰もが信じ込んでいる。だが実際には,ヨーロッパでは日本と同等の人口密度の国が大半である。もうひとつの土地に対する神話では,日本では急傾斜の山が多いので,人が住める面積が少ない。
それでは「人が住める土地」とはどういうことだろう。急斜面では,昔ではトスカーナ地方,近代ではサンフランシスコと香港の発展の邪魔にはならなかった。問題は土地の使い方にあるのだ。

P215 住宅の開発に失敗すれば,それに関連する多くの産業も足を引っぱられる。特に顕著なのが家具,そして室内装飾である。蛍光灯が一般的に使われていて,住宅はもちろん,ホテルのロビーや美術館までその青みがかったまぶしい光で照明されている。自然木の家具もしだいに見られなくなっている。自生の広葉樹林(桜,柿,欅,楓,ブナなど)を伐採し,用材杉の単純林にしてしまったことが,こんなところにも副作用を及ぼしている。

いずれにしても,ほとんどの人はもちろん,金持ちでさえ胸を張って他人を招待できるような家には住んでいない。なにしろ,日本ではディナーパーティと言えば外食のことだ。自宅も庭で結婚披露宴を?とんでもない,とても考えられない。
財力や趣味に関係なく,人を招いて催しをしようとすれば,だれもが公共スペースーたとえばレストランやホテルの宴会場を使わざるを得ない。要するに,現代の日本には,友人達と親しく交流する場としての住宅は存在しなくなってきている。

P218 今日の日本の若い世代は,マークル一家が神戸から泉大津へのドライブで目にしたような風景になじんでいる。関東なら,成田エクスプレスで東京に向かう時に目にする光景と同じようなものだ。こんな景色が当たり前になっているから,現代日本の建築家は,快適な環境がなんたるかがわからなくなっている。リュックルゴスが予測したように,人間は「家に合わせてベットを用意し,ベットに合わせて布団を選び,残りの家財道具もそれにあわせて」,そしてまた人生をもそれにあわせていまったのだ。

P220 ローマ帝国の興亡を書いたエドワード・ギボンは,「すべて人間に関わる物事は,進歩しなければ退化する」と書いている。すぐれた工業技術,電気,水道,ガスがちゃんと整った都市,時刻表通りに走る鉄道など,日本は外面的には近代化の要素をすべて備えていた。
官僚,建築家,大学教授,都市計画者にとっては,日本は完璧な方程式にのっとっているように見えた。あとは,定まった方向に沿ってより大きな開発をしていけばよいのだ。だが,日本では時間が止まっているということに気がつかなかった。
官僚も学者もこのままでいいのだと自信満々で,国内外の新しい発想はいっさい受けつけてこなかった。近代化の中核である「変化」を捉え損ねたので,近代化の心をなくした。新しい考え方,斬新な知識を取り入れてこなかったために,ギボンが予言した通り都市でも地方でもクォリティ・オブ・ライフは後退した。

ここで現代日本の最もおかしい,本来あってはならない不思議な現象に出会う。それは世界から「美」の国として知られている日本には,現代風景の中に人間の手が加えられたもので美しいものがほとんどといっていいほど存在しないことだ。

P271 沈む保健会社
社会の高齢化はだれのせいでもない。原因をあえて求めるなら,日本の近代化が成功した証,すなわち出生率低下のせいである。日本ほど極端ではないが,あらゆる工業国にとって社会の高齢化は避けて通れない宿命だ。日本の真の問題は,その避けられない宿命に対して用意をしなかったことだ。世界有数のGDP,貯蓄率をもって,高齢化社会に対処する資力が日本には十分あると誰もがそう思っていた。

P306 東京大学はまさにエリートの頂点に立つ大学だが,欧米の基準で見れば学問の園であるどころか学問の墓場である。大学本来の一大目的は学生に社会奉仕精神,一種の倫理観を育てることだが,東大ではまったく心得ていない。
 卒業生はまっすぐ政府の省庁に入り,そこで賄賂を受取し,暴力団に金を貸し,カルテを改竄し,河川や海岸を破壊する計画を立てるーー同僚も教授も,それに対してうんともすんとも言わない。先進国の名だたる学府で,世界にも自国にもこれほど貢献していない大学はまずないだろう。

P308 日本の教育システムで学生達が教わっていない重要課題がある----分析的な思考法や,変った,もしくは独創的な質問をする能力,人類皆兄弟という意識,自然環境に対する愛情などだ。 
とくに,環境破壊の責任は,教育システムにあると断言できる。自分の環境に責任を負うことを教えない。そのため,少数の反骨精神の持ち主を除けば,河川や山がコンクリートで塗りつぶされても,だれもそれに気づいて抗議の声を上げようとはしない。

P363 来る革命の足音が聞こえる。日本と欧米,そして新たに富を得たアジア諸国とのギャップが広がるにつれて,無念の思いは高まっている。
・・中略。何百万という人々が海外旅行に出かけ,シンガポールの美しく効率的なチャンギ空港から,不快な成田に戻ってくる。その格差は甚だしくてとても無視できない。

P365 近年では「改革」が声だかに叫ばれており,特に金融や貿易の分野では官僚も恐る恐るながら改革に向かって進みはじめている。が,日本の改革の概念には,前向き姿勢がないという大きな欠陥だある。改革の目的がおおむね現状維持にと留まるということで,いつもの「犬と鬼」的方法によって,深刻な構造的問題に取組むのではなく,表面だけの変化ですます方法を見いだしている。

P366 人体測定学研究で名高いウィリアム・シェルドンは,ギリシャ神話のプロメテウスとエピメテウスという兄弟にヒントを得て,人間の心理のふたつの基本形の違いについて述べた。エピメテウスは常に過去を向いており,いっぽう人類に火をもたらしたプロメテウスは未来を見ている。エピメテウス型の人は前例を尊重し,プロメテウス型は人類の進歩に必要と思えば神々から火を盗んでくる。

P368 先ごろ,日本学の重鎮ドナルド・リッチーは,1965年に書いた「日本人への旅」の一文についてインタビューを受けた。そこで彼は,外国へ旅行する人々が増えるにつれて,日本人はほかの国の人々と似てくるだろうと予言していた。
リッチーはインタビューに答えて,「私が言いたかったのは,外へ出て他の人がどんなふうに生き,何を考えているかを見れば,もう自己満足にはひたってはいられなくなるということでした。しかし,私は完全に間違っていた。ジャルパックを予想していなかった。
日本人はパッケージで外国に行き,日本人観光客向けのワニ園を見て,独自の旗を振り,独自の必見スポットをもっている。これが大多数の日本人の旅行のしかたであり,これでは感動などありません」。

P369 海や川や山,そして町や都市の景観の悲しむべき状況の影にあるのも,やはりゆでガエル症候群である。でたらめな開発,モニュメント,奇怪な公共工事が,国の文化財産を台無しにしている。しかし,熱さは火傷するほどではない。なぜなら「古い文化」と「自然を愛する心」という子守唄が国民をうとうとさせているのだ。

P370 現在の苦境を表現するのにピッタリの言葉は「中途半端」である。美しい自然景観は存在するが,真の感動が得られることはめったにない。視野のどこかに,建設省が建てた醜く不要なものが必ず目に入ってくる。
京都は何百という寺院や石庭を保存しているが,録音されたアナウンスがその瞑想的な静けさをみだしているし,苔むした門を一歩出れば,そこにはゴミゴミした都市が広がっている。
教育制度は子供たちに試験のための知識を効率的に教え込んでいるが,自分で思考する方法は教えない。

P374 これからの数十年間,このままやっていけるだけの蓄えはある。これこそ日本の悲劇だ。中途半端から日本を目覚めさせることができるのは破産だけだろう。

P376 残念なことだが,経済崩壊はまず起きないだろう。水はしばらくぬるいままで,国民は中途半端というスープのなかでぬくぬくと眠り続け,国は徐々に衰退していく。「文明としての日本型資本主義」への墓標銘を刻む時がくれば,その銘は「ゆでガエル」だろう。

結論
P380 「日本のパラダイム」とは「強国・貧民」をいい,過去に,海外のオブザーバーはこれをうらやましく思い続けてきた。このパラダイムの美徳は国民が大きな犠牲を払うことにより,国家の経済力が増してゆくことである。
 しかし,今こそこのパラダイムを見直し,日本のコンクリートに覆われた川,ゴミゴミした街,金融界の不振,「ハローキティ」化された文化,みすぼらしいリゾート,公園,そして病院などを直視することが必要だ。
 過去の二世紀に,日本の課題は鎖国から脱却し,世界で活躍することだった。それにみごと成功し,最も力のある国になった。しかし,この成功はその裏に途方もなく大きい代償を伴ったものであった。
家路を探し求めるーこれが今世紀の課題だ。
抜粋終り

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2012年4月5日木曜日

アマーガレット・サッチャーと住宅政策


住宅生産性研究会(HICPM)メールマガジン第450号(平成24年4月3日)より
理事長戸谷英世記


先日、「マーガレット・サッチャー」の映画を見てきました。

 マーガレット・サッチャーは、私が住宅都市整備公団で都市開発調査課長時代の1980年代、英国の歴代最初の女性首相として登場しました。
 彼女は、戦後労働党内閣が一生懸命こだわってきた公共住宅政策を、根底から覆す政策を実施し、世界の住宅政策関係者から厳しく批判されました。

(Margaret Thatcher(現在86歳)、1925年、リンカンシャー州グランサムの食糧雑貨商の家に生まれる。父・アルフレッド・ロバーツは地元の名士であり、市長を務めた経験もあった。サッチャーの生家は代々メソジストの敬虔な信徒であり、生家の家訓であった「質素倹約」「自己責任・自助努力」の精神はサッチャーにも色濃く受け継がれた。1975 年 英国史上初の女性保守党党首(当時新党)となり、4年後の1979年に、欧米初の女性政治指導者となる。)

当時、朝日新聞の記者のO氏は新聞社を休職し、約2年間英国に渡って勉強し、その成果をドメス出版から、ドニソン著『あすの住宅政策』を翻訳出版しました。
彼は私の所にやってきて、「いい本だったので翻訳したが、売れないので書評を書いてくれ」と頼んできました。「どこのジャーナリズムに掲載するのか」と尋ねたところ、「掲載するところも探してくれ」と頼まれました。

早速本を読んだところ、住宅政策史としては、私がそれまでに読んだ本の中で最も優れたものでした。そこで早速住宅関係の雑誌に紹介したところ、少しは影響があったようで、暫くすると彼から再度、書評を頼まれ、新しく書き直しました。
その都度、本を読み直し、1年間で多分5回ほど書きました。その結果、翻訳者以上にその本をよく読み、著者同様に住宅政策を理解しました。

 最初は著者ドニソンが批判するように、「国民の基本的人権に係る住宅問題を市場経済に投げ出すサッチャーの政策は間違っている」という批判が当たっていると思えました。
しかし、書評を書いているうちに、「この書評でよいのだろうか」と疑問を感じました。その後、書評を書く都度、批判されるサッチャーの立場に、自分を置いて考えました。「首相としてどのような選択ができるのか」という疑問をぶつけてサッチャーの政策を批判していくと、その批判に自分自身で納得できないと感じました。

 サッチャーの立場にあったら、私も彼女と同じ選択をしたに違いないと考えるようになり、書評の中ではっきりと「著者のドニソンのサッチャー批判は間違っている」と記述しました。
その10年後、日本の住宅政策が大きな転換点を迎えるようになったとき、年金福祉事業団の招待でドニソンが来日し、各地で講演会が開催されました。私は、どうしてもドニソンの話が聞きたいと講演会に駆けつけました。


来日したドニソンの講演

ドニソンの話は私の予想を覆し、私のドニソン批判と全く同じ考え方の講演を展開されました。講演のなかで「サッチャーの選択を世界の先進工業国の住宅政策として学ばなければならない先進例である」と絶賛されました。
 そして、かつてのドニソン自身の著書に対し、「あの著書の記述は間違っていた。」と明言されたのを聞いて、「よかった」と感じたことを今でも思い出します。

戦後の住宅政策として英国の住宅政策がもっとも先進的な政策であると考えてきた世界の住宅関係者(政策、行政、学術・研究)にとって、当時の「既存公営住宅の払い下げと新設公営住宅の廃止」というサッチャーの政策は、青天の霹靂でした。
かく言う私も、大学時代にエンゲルス著「住宅問題」(岩波文庫)を読み、西山卯三著「住宅問題」(岩波新書)や上野洋著「日本の住宅政策」(彰国社)などを読み、住宅政策を実践しようとして建設省に入省しました。

当時の住宅局の技術官僚は、S課長を筆頭に、英国の住宅政策を日本の住宅政策の目標にしていました。それを覆すサッチャーの政策は、それまで信じてきた理想の住宅政策の拠り所を否定したため、住宅問題関係者ほとんど全員が無条件にサッチャーの政策には反対でした。
財政状態が厳しかった英国にとって、「1世帯の住宅難を救済するために1戸の住宅を供給する費用で、10年間先までの家賃補助をする政策を採用すれば、同じ財政負担で20-30倍の世帯を救済することができるならば、あなたならどのような選択をしますか。」という問いをサッチャーは自らに課した結果だったということに私は気付きました。

サッチャーは限られた予算で国家が一人でも多くの国民に公共住宅施策を及ぼすことを考えたのでした。一人でも多くの国民に自分が政治責任を負うことのできる政策としてどのような政策を取るべきかという政治判断の結果が、直接供給から家賃補助への転換だったのです。


「一般社団」という公費私物化「我田引水」の官僚の隠れ蓑

通常の政治家の政治判断は、保守党、労働党いずれの党も党利党略が何より優先します。官僚の場合も、自ら退職後の人生で楽をすることを第一に考え、「AIJの企業年金運用事件」にみられるように、目先の天下りしか見えなくなり、企業年金会計ことなど考えなくなります。

 現在の長期優良住宅政策の中で、経済特区での特例措置の議論がなされ、民間活力といって「一般社団法人」を通して補助金を使う政策が実施されています。
しかし「一般社団法人」は天下りの社団法人や財団法人の「隠蓑一般社団」であることを皆承知のうえで、膨大な財政が「一般社団」を経由し、官僚の天下り人事の人件費(生活費)と政治献金に流れています。

一般社団からのおこぼれに預かろうとする民間が、予算配分権を利権として業者を操ってきた官僚の言い訳を容認し擦り寄っているからです。政治家も官僚も国民のためという枕詞を使っていますが、その本質は自分らの利益です。

 サッチャーの生き方は、それとはまったく違うものでした。自分に与えられた政治選択の中で、限られた財政支出の中で、既得権の反対を押し切っても自分の信じる最大の費用対効果を生み出そうとしました。 この映画を自分の利益中心で動いている公的立場の人に是非見てもらい、自らに恥じない生き方を学んで欲しいと思いました。


政治家としての一分

マーガレット・サッチャーは、現在認知症を患っていますが、映画では、亡き夫の幻影との会話から始まり、過去を回想するというストーリーを通して、サッチャーがどのように政治に取り組んだかということを浮き彫りにした優れた映画作品です。
映画の中には住宅政策のことは特に出てはいませんでした。しかし、フォークランド戦争のような今でも国際的に論争となっている問題で、国家のため、フォークランドに住んでいる移民地居住者のため、歴史的事実を踏まえて、筋を通して現実的な政策を採ろうとしました。

現実的に見て合理的なことに、彼女の全ての政策への取り組みの考え方が現れていると感じました。映画を見ながら30年前の英国の住宅政策の大転換のことを思い出していました。サッチャーのような生き方ができるだろうか、とわくわくして一気に見てしまった感じで、映画が終わってからも、余韻と感動が残りました。


住宅生産性研究会(HICPM)メールマガジン第450号
http://www.hicpm.com/20120405-2004.html

トップに戻る
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2012年3月16日金曜日

☆ 原発興国論(WiLL4月号より)

 いつも貴重な情報を頂くW氏から,渡部昇一上智大学名誉教授が書かれた表記の記事を頂きました。雑誌「WiLL 平成24年4月号」に掲載されたものです。
  
 この記事は,ホルミシス論(放射線も一定の範囲では人間に良い影響を与えるとする)に立っているものですが,今日本では,LNT理論(閾値無し論:放射線はその量に正比例して害も直線的に増大するとする:文中に解説あり)が,圧倒的にマスコミと世論を支配しています。
   
 私自身は,この問題には素人ですので断定的なことは言えませんが,今まで知り得た情報を総合すると,ホルミシス論に賛同しています。
  
 しかし,この記事はどちらの立場に立つ人にも役に立つと思いましたので,このブログに載せさせて頂くことにしました。
  
 全部で13項から構成されている長い記事ですので,6つに分けて掲載いたいします。その概要を示します。項目名をクリックするとリンク致します。そこからここに戻るには「元に戻る」をクリックして下さい。
  

 この記事について安中氏に意見を求めましたら下記のようなコメントをもらいました。氏は「むつ」の地上施設の設計に携わったそうです。
  
「むつ」と「もんじゅ」の記述に関して意見が異なりますが,それは内容のことなので,先生の主張が的外れだと言うことではありません。概ね妥当な記述であり大筋で共感できます。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Ⅵ 12.日本近代史とエネルギー 13.明るい未来への道筋


12.日本近代史とエネルギー

 東日本大地震・大津波とそれによっておこされた東電福島第一原発の事故はわが国の大なる災害であり、その被災者には深く同情する。しかしこの大被害も、あえて強弁することを許されるならば、日本の未来に対する進路を示してくれたものだと解釈できるのではないか。
 思えば明治維新以来、日本の歴史に突如、大問題としてあらわれたのはエネルギー源の問題であった。近代国家を造り、かつ栄えるためには、まず化石燃料が必要であった。新しいエネルギーを使うことなくして、「富国強兵」の「富国」はありえない。

 イギリスが世界に先んじて産業革命を起こして世界に覇を唱えることができたのは、石炭の新しい使い方を発見したことと、炭田を国内に持っていたからである。開国した日本には幸いに石炭があり、その新しい利用法を先進国に学び、白人国家以外でははじめて産業革命を成功させ、近代国家への道を進むことができたのであった。
 しかし、その限界が見えはじめたのは日露戦争以後である。日露戦争から十年も経たないうちに勃発した第一次欧州大戦では、エネルギーの主体が石炭から石油に代わってきていることがはっきりしてきた。
 イギリスの海軍大臣チャーチルはフィッシャー提督の献言を入れ、軍艦の燃料を石炭から石油に変える方針を立て、また陸戦では騎兵の代わりに(彼自身は騎兵学校出身だったが)タンク、つまり石油で動く戦車を導入した。空中戦もはじまった。飛行機が石炭で飛ぶわけがなく、全て石油でプロペラは回る。イギリスは中東の石油を手に入れることにした。

エネルギー転換に衝撃
 この歴史的なエネルギー転換で最も恐怖を覚えたのが、日本の軍部でもある。軍艦も戦車も飛行機もすべて石油がなければ動かないのに、日本では石油は出ないに等しい(新潟沖で少し出たが問題にならない)。第一次大戦の観戦に出かけた日本の軍人たちは、陸軍も海軍も今後の戦争で、このままでは日本必敗を確信するに至った。この頭が空の日本の軍部のリーダーたちは、日本必敗の筋道を見て、みんな少し頭がおかしくなったのだ。秋山真之のように本当におかしくなった人もいる。近代戦をやるエネルギー源が日本にはないからだ。
 そのうち、石油を握っているアメリカの大統領に日米開戦必須論者のF・ルーズベルトがなった。そしてついに、アメリカは日本に石油を売らないことになり、その圧力を受けてオランダも蘭印(インドネシア)の石油を売らないと言い出した。

 元来は対米開戦反対論者だったといわれる連合艦隊司令長官・山本五十六が、真珠湾攻撃のための訓練開始を命じたのは、この石油問題が起こってからである。日米開戦を避けるために誕生した東條内閣、対米開戦反対論者が多かったその閣僚たちーこの人たちが一転して開戦に賛成したのは、アメリカとの話し合いにおいて、アメリカ側に譲歩の色がまったく見えず、ぐずぐず交渉を続ければ保有の石油が減り続けていくばかりで、日本の軍艦が動けなくなり、飛行機も飛べなくなることがわかったからである。まことに昭和天皇の戦後のお言葉にもあるように、「かの大戦の近因はアメリカによる石油禁輸であった」のである。
 石炭の時代だったらアメリカと戦争する必要もなく、そんなことを考える日本人もいなかった。まことに二十世紀初頭におけるエネルギー転換のため、日本の歴史は日米開戦になってしまったのである。

 日米開戦が石油問題の突発からはじまったことを示す傍証のようなものを私は体験した。それは、私が中学に入学した昭和18(1943)年の教科書である。英米と戦いをはじめてから一年半近く、イギリス領香港も、シンガポールもラングーンも日本が占領しているのに、英語の教科書にはイギリスの王冠が刷ってあり、内容も平和なものであった。そのほかに学科の教科書もみな戦前と同じであった。
 これは開戦が急であったため、新しい教科書の準備をさせる時間が文部省になかったことを示している。粗末な戦時的教科書が配布されたのは昭和十九年四月、つまり敗戦の一年数力月前である。いかに石油問題の悪化が急に進行したのであるかわかる気がする。
 そして日本は手持ちの石油をほぼ使い果たした頃に、原子爆弾という新しいエネルギーの登場によって止めを刺されたのである。

原発関係者に感謝
 戦後の復興は日本人の努力、頑張り、工夫もさることながら、エネルギーの心配がなくなったことによるものである。中東の油田の産出量はそれまでの常識を超えるものであった。石油の値段は安かった。日本は世界最大のタンカーを造り続けた。民間人も石油ストーブを使えるようになったのである。

 戦争中に「石油の一滴は血の一滴」と言われて育った私は、石油ストーブに石油を入れる時、「信じられない時代が来た」と、うたた今昔の感に堪え難いものがあった。
 ところが、オイルショックがやってきた。産油国が同盟して値上げをしてきたのである。石油輸出国機構が原油の値上げを発表した第二次オイルショックのニカ月後の昭和546月に、東京サミットが開かれた。その時、大平首相が石油輸入問題について努力する姿が痛々しかった。大平さんも、石油のために日本が大戦に突入せざるを得なかった時代を体験した人なのである。

 エネルギー問題は日本の歴史を一転させることができるし、戦後の繁栄をパーにする可能性もあることをよく知っておられたのだ。この一年後に大平さんは急死されたが、それは政局のみならず、石油の問題が心臓に悪かったのではなかったかと私は思っている。
 戦後の高度成長期のように、エネルギーを石油に頼り続けることの危険性は有識者には明白なことであった。最も効率が良いのが原発であることはあきらかであった。

 しかし、原子力船「むつ」を廃船にし、第五福竜丸の死者の原因を核の灰のせいだと虚報を流し続け、反米運動と反核運動が一緒になった左翼と歩調を合わせ続ける雰囲気のなかで、それにもめげずに原発採用に踏み切った自民党内閣や通産省、それに原発の技術を向上させ続けた電力会社の関係者には、頭が下がる思いがする。
 それで日本の歴史は再びエネルギーの問題から開放されたかに思われた。ところがそこに、福島での事故が起こったのだ。それとともに現れた反原発論者の有り様は「古事記」に「之を以って悪神の音、狭蝿姐す皆沸き、萬物の妖悉に発りき」と描写されているような感じである。

 地球温暖化防止のためには、化石燃料より原発がよいという意見が支配的になったため、このところ反原発運動者はおとなしくなっていた感じであった。それが福島の事故を種にして、突如として『古事記』による夏の小蝿のように湧き出てきたのである。最近もピースボートが反原発の集会をやったと報道されたが、彼らの正体はわかっているではないか。

13.明るい未来への道筋
 しかし福島の不幸は、日本にエネルギー問題のあり方と、将来の日本の歴史の進み方を示してくれたものと私は捉える。
 まず、狭蝿なす反原発論者の主張とは反対に、現実は日本の原発の安全度が極めて高いことを世界に示すことになったのだ。日本政府はこれを振りかざして、原発を世界に売ることを国家目標にすべきである。中国やインドのような大人口の国が近代化をやれば、エネルギー問題だけで地球が壊れ、温暖化が進んで太平洋の小島が沈むような事態になるであろう。資源獲得に狂奔するいまの中国の姿を見よ。
 原発は地球を守る力がある。中国は百基単位の原発を造る計画らしいが、それは日本製にしたほうが安心である。ロシアも同じだ。アフリカや東南アジアにも日本の原発が置かれるべきだ。

 曽野綾子さんも言っているように、電気のないところに民主主義はありえない。不潔・不便な生活環境も電気なしでは変えることは不可能である。水洗便所も高層マンションも電気あっての話だ。「光は日本より」がモットーとして掲げられてよい。日本自体の受ける利益も、他国に与える利益に劣らず巨大である。
 よく武器を売った国と買った国の関係は強まるという。当然のことである。エネルギー源を提供する国とされる国との関係も強くなる。しかも平和的に強くなる。日本外交の国際社会における役割も、日本製原発の普及とともに、平和的に増大するであろう。
 さらに経済的にいえば、一件数千億円もの輸出になる。GDPも楽に上がる。それに比例して税収も増加する。増税が不要になるどころか、累積赤字をも消す力があるだろう。

 そんなことよりさらに重要なのは、「もんじゅ」を成功させることである。「もんじゅ」こそは究極の理想的エネルギー源である。私はかつて福田信之先生-筑波大学設立の功労者から直接お聞きした言葉をいまも忘れることができない。
 「渡部君、"もんじゅ"が成功すると、日本は百年、千年単位でエネルギー問題に悩まされなくなるんだよ」と。

 福田先生は、戦時中は仁科研究室で原爆の研究をなさっていた人である。ビジョンのある人だった。筑波大学ができたのちに、イギリスのサッチャー首相が「日本恐るべし」というような発言をしたが、それは筑波大学の構想を知ったときである。残念ながら、「もんじゅ」はナトリウムが管に付着したとかいう故障のため止められた。唐津一氏は私に、「原発のことになるとマスコミは故障も事故と騒ぐので困る」と言われたことがある。同じようなことはのちにも起こった。原発の故障をいちいち事故だと大騒ぎし、そのたびに何ヵ月も何年も停止していては、計画は進まない。

日本の救世主
 「もんじゅ」は、日本が国家的目標の第一として揚げるべきものなのである。「はやぶさ」もすごい。スーパーコンピューターもすごい。そのなかでも「もんじゅ」が成功すれば、それはケタの違った大きな成功なのである。日本だけでなく、世界が大歓迎するであろう。
 日本が最初は原発の輸出からはじめて、そのうち「もんじゅ」の輸出になれば、地球万歳ということになるのだ。そしてそのことは明治開国以来、日本の最大の問題、そして大戦開始という残念な事態と、原爆による終戦という悲劇の原因となったエネルギー問題から半永久的に日本を解放してくれるのである。

 それでも原発反対の人たちは耳を傾けないだろう。卵を食わされたウサギのコレステロール神話がまだ通用しているのだから。しかし、非常に簡単な例を挙げるべきであろう。
あのチェルノブイリの原発事故,本物の暴走だったですらも、直後に火災と思って飛び込んだ消防士を含めても、死者は百人にもなっていないこと。福島の事故でも放射線による死者はゼロであること。
 これに反して、福島の事故で胆を潰して脱原発を決めたドイツでは、チェルノブイリのあと、いままで自動車事故で約20万人以上が死んでいる。日本でも福島の事故のあとで自動車事故死者の数は数千人である。福島の原発では死者ゼロであるが、数日間の大雪での死者は50人を超えた。福島の「汚染」した表土除去よりも、除雪のほうが人命への問題としてはずっと大きかった。

 原発事故より数千倍、数万倍も死者を出す自動車には脱自動車運動はほとんど聞かれないのに、自動車事故死に比べれば死者は零に近いと考えてもよいくらいの原発には病的な脱原発運動が燃え上がるのはなぜか。毎年、確実に死者の出る除雪になぜ、人権運動家たちは燃え上がらないか。それは元来が、昔はソ連・中国、いまは韓国がらみの反核イデオロギー運動であったから、反核運動家たちは事実にはいっさい目を向けず、嘘を造り上げて先導してきたからである。

 日本の政府、地方自治体、電力会社は、こういうイデオローグたちに操られた動きには毅然として対応し、真実を自信を持って国民に説き続け、国策としては原発の輸出、さらに大目標として「もんじゅ」の完成ということを国民に示していただきたいものである。


                            終り
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Ⅴ 10.代替エネルギー論の怪しさ 11.「どっかの手先」の人たち


10.代替エネルギー論の怪しさ

 原発問題の最中に、菅首相が急に元気になったことがあった。それは孫正義氏が多額の献金の意思のあることを発表し、津波で家が流された地域に太陽光発電を進めるアイディアを持ってきた時だった。その孫氏は、自分の企業で一番電気を食う部分を韓国に移したと指摘されている。自然界のエネルギーの活用自体は結構なことであるが、あまりそれを強調する人は、日本の脱原発を狙う韓国政府の手先になっている可能性があるといってもいいだろう。

 太陽光発電はよく言われているが、原発にすぐにでも代替できると考えている人は、全くの無知の人か韓国の手先か、手先の手先ぐらいの人でないかと私は考えてしまう。
 たとえば、リニア・モーターは宮崎県で最初に走っていた(いまは山梨県)。その軌道は当然、細く、かつ長い。それが不要になった跡地に太陽光発電のパネルを並べるのは優れたアイデアのごとく思われた。しかし実際やってみると、ひとたび火山噴火があったあとは、その火山灰がくっついてダメになった。火山灰をきれいにする労力や費用は電気代どころではないのだ。いわんや、津波の跡地にパネルを並べることは、被災者たちから郷里を奪うことにもなるのである。

 自然のエネルギーを使うアイデアは文句なく良いようだが、マイナス面も大きい。太陽光発電パネルで山手線の内側の二倍の広さの所を埋めても、発電量は浜岡原発の一基分くらいだそうである。しかも不安定だ。台風が来たらどうする。大地震が起こったらどうする。第一、そんな広い場所が日本のどこにあるのか。静岡の茶畑を全部潰す気か。
 それが使えなくなった時の廃材はどう処理するか。それを並べた下には植物は育たないであろう。そんな荒れ地をどうするのか、などなど、実に問題が大きいのだ。アメリヵの太陽光のパネル会社は潰れたし、アメリカは原発再開を決めた。わかりきった話ではないか。その他の代わりのものも、全て原発に代わりうるものでないことは、ここで繰り返す必要はないであろう。

忍び寄る産業空洞化
 いまのところ原発に代わりうるものは、火力発電だけだ。しかし、火力発電には化石燃料である石油か石炭、あるいは天然ガスが必要である。いずれも日本で産出しないものだ。それに石油を焚けば地球温暖化に連なるとされる。いずれにせよ、火力発電はものすごい外貨の消費になるのだ。

 東京電力が平均17パーセントの電気量の値上げを言い出したのも、火力発電のための燃料代が何千億円と急増したためである。他の電力会社もそれと同じことを言い出すに違いない。年間何兆円ものお金が燃料代に消えるのだ。そうしたらどうなるか。
 消費者は節電したり、貯金をはたいたりすることになる。これは各人が我慢すればよい。しかし、日本の産業はどうなる。いまでも、日本の電気料金は韓国やアメリカに比べて著しく高いのだ。高い電気料金のために、日本ではアルミの精錬をやめたという過去もある。いまより電気料金が高ければ、日本の多くの工場は潰れるか、海外に出るかになる。つまり空洞化だ。
 産業の空洞化は、とりもなおさず失業率の上昇と国力の低下である。日本の中小企業などがバタバタ潰れたら喜ぶのはどこの国か。言わなくてもわかるではないか。

11.「どっかの手先」の人たち
 敗戦後の日本人男子はだらしなくなったといわれる。なにしろ、200万人以上の最も身体能力に勝れ気迫も忍耐力もある青年が戦死したあとだから仕方がないとも言える。
 しかし、そこで生き残った人たちは「死んだ者の分まで頑張ろう」と言って、国土復興と経済再建を成し遂げた。戦後の日本から出た新技術・新製品も実に多かった。
 しかしその一方、常に「栄えゆく日本」を呪誼し、その足を引っ張る言動や運動をしてきた勢力があった。それは、日本が独立回復を成し遂げたサンフランシスコ講和条約に反対した共産党や社会党の系統の人たちと、全面講和という美辞のもとに日本の独立回復に反対した学者とその系統の人たちである。

 東日本大震災の時の日本政府の中心にいた人たちの多くは、その系統の人たちであった。菅総理も学生運動ではゲバ棒組であり、「産学協同反対」の運動をしていた。これは産業界に大学、つまり学者は協力してはいけないということで、資本主義日本の産業の弱体化と日本の窮乏化を目指した運動であった。この人たちは本能的に日本に害をなすことに熱心のように見える。そしてその背後には、いつでも隣国の手がチラチラ見え隠れする気がする。

 まだ吉田茂が総理だった昭和293月にビキニ環礁で行ったアメリカの水爆実験で、第五福竜丸が被災した。この船長さんは知ってのうえで禁止海域の境界に近づき、核の灰をかぶった。乗組員全員28人がべータ線熱傷を受けた状態で母港の焼津に戻り、肝炎ウィルスに汚染した買血輸血の治療を受け、17人が肝臓障害を起こし、そのうちの一人、無線長の久保山愛吉さんが亡くなった。
 その死因は肺炎であり、放射能でなかったことを高田純博士が検証している(同氏『上掲書』16ぺージ)。しかし、世は原水禁運動・反核運動花盛りの時である。この人たちのなかには、社会主義国(ソ連や中国)の核爆弾はきれいだが、アメリカのは悪いというようなトンチキな人たちもいたほど反米親共であった。

「むつ」の最期
 これにマスコミは乗っかっていた。それで、久保山さんは買血による肝炎という本当の死因は隠されて、核爆弾の放射線によるものとされ、反米運動のシンボルにされてしまった。久保山さんは静岡漁民葬になり、木下航二作曲の「原爆許すまじ」のコーラスで送られた。日教組はこれを反原発・放射能恐怖・反米という三位一体の教育方針に利用した。その時の子供たちはいまや大人になつて、福島の放射線に神経症的反応を示しているのである。

 当時の騒ぎは大したもので、マグロ(第五福竜丸はマグロ漁船)も食べてはいけないというような話だった。その時、故・桶谷繁雄先生が「なんでもないよ、私は食べる」と発言されたのが印象に残っている。この人は、毛沢東思想で中国は農家の庭でも鋼鉄を作っていると社会党の訪中団が毛沢東革命礼賛をやった時、「ああいう鉄をわれわれは鋼鉄と言わないのである」とばっさりやっておられた。
 桶谷先生のような方は稀で、世論は滔々として放射線恐怖を煽るほうに流れた。マスコミは反米、反自民を反核と一緒にした(といっても、ソ連や中国の核開発への反対運動があったという記憶がない)、その煽りをくらって悲しい最期を遂げたのが原子力船「むつ」であった。

 この船は昭和44(1969)年、佐藤栄作内閣の時に東京湾で進水し、青森県大湊を母港にしていたが、五年後に北太平洋で放射線漏れを起こした。それはレントゲン一回分にもならないほどのものだったらしいが、マスコミが騒ぎたて、寄港できなくなった。
 ある社会党の代議士などは、「放射能がだんだんたまっていって、しまいに爆発して、そこらの村民漁民はみんな死んじゃうぞ」と言った。放射能と放射線の区別もしない乱暴な話だったのだが、それが通用したのだから恐ろしい。
 それで、時の田中角栄内閣の自民党総務会長・鈴木善幸が、陸奥湾の帆立貝漁へ被害がないのに補償金を払って帰港させてもらったが、二年半以後は大湊を母港にしないという約束までさせられた。

 被害がないのに補償金をもらうという発想も情けないが、そこまで核アレルギーを日本人に起こさせた左翼的マスコミと反核運動者たちのほうが怖ろしい。これで、日本では原子力船は作れなくなってしまった。原子力船「むつ」が運航され続け、実験を繰り返せば、いまごろは日本にも原子力潜水艦もできていたであろう。これほどわかりやすい国防手段・対中抑止手段もなかったと思われるのだが。
 日本の「むつ」を葬ったマスコミや反核団体は、中国の核実験、核爆弾に反対する運動を起こしたというのは聞いたことがない。
今回の福島の原発事故にはじまつた反原発運動には、目立ったデモのほかに、日本の弱体化や窮乏化を願うようなソフトな言論がマスコミで流されていることに注目すべきである。

 そのことには筑波大学の古田博司氏も気がついて、雑誌『歴史通』の昨年九月号に注目すべきエッセイを寄せておられる。そこからすこし拾ってみよう。引用のあとのカッコは、それを掲載した新聞名である。
 作家の袈乙彦氏は言う。
 「日本はおそらく中国に負けて世界第三の国になり、更に落ちていくでしょう。しかし、そのことで日本人が不幸になると考えるのがおかしい。これが日本を不幸にしている一番の大きな原因です」(毎日)

 国が落ちぶれても国民は不幸になると考えてはいけないという珍説だ。加賀氏はたしか精神科の医師でもあるはずだが、気はたしかだろうか。中国もかつては落ちぶれ、「シナ人」は世界中でゴミのように扱われたのだ。だから彼らは必死に核兵器を作り、原子力潜水艦を作り、航空母艦まで持とうとしているのではないか。しかし、加賀氏は中国に向かって「国が落ちぶれていっても心配することはない。それがよいのです」などと絶対にいわないのである。

「成熟」ではない
 早稲田大学教授の天児慧氏は言う。
 「日本が経済成長で再び中国と張り合おうとしても不可能で、環境や社会保障など生活インフラの豊かな成熟大国を目指すべきだ」(毎日)
 経済的成長は諦めて、環境を良くし、社会保障を充実させた成熟大国にどうしてなれるのか。日本はいまのところ、エネルギーも食糧も大量に買っている。私は五十年も前にイギリスに留学し、それからも何度も訪ねている。昔は一ポンド千円以上だったのに、いまは百数十円だ。それとともに窮乏し、本屋も万引きを心配する国になるのを見てきた。経済力を落としながらの成熟大国などないのだ。あるとすれば、末期の清朝か。そういうのは「停滞」とか「衰退」とか言って、「成熟」とは言わないのである。

 また、大阪大学名誉教授の川北稔氏は言う。
 「……たしかに日本は、かつてのポルトガルのようになるかもしれません。ただし、それが不幸かと言うと、話は別です。現在のポルトガルを見てください。むしろ、ある意味で安定し、人々は幸せな人生を送っているのではないでしょうか」(朝日)
 ギリシャに続いてポルトガルは経済破綻に直面している。若者の失業率が五〇パーセントを超えているといわれる国のどこが安定して、国民が幸せな人生を送っていると言えるのか。もうこうなると妄言をバラまく詐欺師紛いの言説だ。

 古田氏が拾い集めた妄言はまだまだあるのだが、それらの言説を通じて感じられることは、日本が落ちぶれダメになることを望んでいる日本の「文化人」が少なくないことだ。こういう妄言を喜んで掲載する新聞が「朝日」や「毎日」であることも知っておいてよいであろう。この人たちの現在の共通点は、反原発ということだ。逆にいえば、「反原発」の反対は日本の「繁栄」だということをも示していて面白い。

 個人が貧乏が平気だというのは一向に構わない。西行も芭蕉も極貧と言ってよい。金持ちになったらかえって不幸になったという婦人の話もよく聞く。個人が自分の哲学で窮乏を幸福とみなすならば、私はむしろ尊敬する。神父や修道女のなかにもそういう人がたくさんいることを知っているからだ。
 しかし、一国の政治家や大マスコミが、自国の窮乏化を幸福への道だと国民に押し付けるのは許せない。政治家もマスコミも、本来は自国の富裕化を願い、そこに向かう道を示すべきなのである。そうでなかったら、「日本悪しかれ」を願っている国の手先か、手先の手先になっていると考えざるを得ないのである。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Ⅳ 7.風評被害の原因 8.「汚染」は利用できる 9.菅首相の意義

7.風評被害の原因

 これは、行政の犯罪的に無知な対策によるものである。広島・長崎の原爆炸裂のあった「昭和20年にセシウムで死んだ人は一人もいない」と、核被曝の研究の第一人者の高田純博士は断言している。
 高田博士によれば、大地震が到達する前に福島第一原発では核分裂連鎖反応が自動停止したので原子炉の暴走はなく、したがって急性放射線障害になった職員はなく、当然、その原因で亡くなった職員もいなかった。暴走したのは原子炉ではなく、政治暴走した菅直人首相だったのだ。

 彼は官僚機構を使いこなせなかったから、日本の放射線防護力、緊急被曝医療体制を使いこなせなかった。それどころか、素人判断で国内外の風評被害の原因となる話題をまき散らして、福島県民を苦しめ、国民の不安を煽ったのである。
 日本は原爆の被害国ということもあって放射線防護学のレベルが高いのに、菅政権はそれに頼らずICRP2007年勧告を用いているのである。「国際的」といっても、低線量放射線の人体への影響についての科学的な根拠はないことをわれわれは知らなければならない。では、どういうふうにICRPはつくられているのか。

LNTという"ドグマ"
 広島・長崎の原爆被爆者の調査によると、被爆後のガン発生率は、500ミリシーベルト以上の被曝をした場合は、その被曝量に比例してガンの発生率が増加することが分かっている。しかし、200ミリシーベルト以下ではガンの発生率の増加は認められないどころか、むしろ一般の人より発生率が下っているのだ。それは、前に述べた「量の変化は質の変化になる」ということの顕著な例である。

 しかしICRPは、500ミリシーベルト以上の被曝量の場合の増加線を、それ以下の被曝量の場合にそのまま延長線を引いて「低線量の被曝でもガンは増加する」としたのである。この仮説ー実験を伴っていないので非科学的独断とかドグマと言うべきだ一をLNT(Liniar No Threshold)という。
 リニアーとは「直線的」ということで、500ミリシーベルト以上に認められたガン発生率の線をまっすぐに低線量のところまで引いているということで、スレショルド(閾値:イキチ)を認めない(No)ということである。

 放射線はある数値以上はガンを発生させるが、ある数値以下ではガンを減少させる。では、その逆転する数値はどこらあたりか、というのが閾値である。おそらく、500ミリシーベルトと200ミリシーベルトの問にあるらしい。その閾値以下の被曝の場合はDNA修復酵素が活性化するため、ガンの発生率は下がるという、大量被曝の場合とは反対の現象が見られるのである。
 このLNTは、DNA修復酵素の欠如しているショウジョウバエには適用されるのだが、人間には絶対に適用してはいけない非科学的なドグマなのである。

 わかり易い譬えを挙げてみょう。ある果物をハウスで育てたとする。その果物はハウスの温度が30度以上だと枯れはじめ、60度、70度にするとどんどん枯れる。その温度の高さと枯れる度合いをグラフの線にして、今度は下げたらどうなるか、ということを実験もせずに線を下に延ばしたらバカだといわれるだろう。その果物は二五度ぐらいならよく育ち、おいしい味になるということもあるからだ。

 そして、温度がゼロになったらその果物は生育しない。この温度というところに放射線という単語を入れてみれば、閾値の意味もわかるし、放射線をゼロにすると大麦が成育しないのも同じことだとわかるだろう。量と質の関係は、実験データに基づき、閾値を発見して見極めなければならないのだ。

 フランス・アカデミーのモーリス・チュビアーナ博士という放射線ガンの世界的権威がEUの科学者とともに研究してきて、2001年のダブリンで開かれた国際学会で、毎時10ミリシーベルト以下なら、どんなに細胞に傷がついても完全に修復させてしまうと発表した。いわゆる「ダブリン宣言」と言われているものだが、彼に対しては2007年にマリー・キューリー賞が与えられている。

 ところが、日本政府の方針では年間20ミリシーベルトとか、年間10ミリシーベルト以下のところの土壌まで上層部をはがすなどということをやっている。
 行政がICRPに従うのは、この委員会の頭に「国際」という字が付いているからだろう。そこの数値が何らかの科学的根拠のないLNTドグマでも、「国際」の名のついたところの数値を使っておれば、行政は「責任逃れ」ができるからであろう。そのためにどれだけ福島県民が迷惑し、また天文学的な費用を全く無駄なことに掛けることに平然としているのだ。

8.「汚染」は利用できる

 「いま福島で起こっている問題は被曝自体ではなく、被曝への恐怖である」これは『放射能と理性』の著者であるウェード・アリソン・オックスフード大学名誉教授が講演で述べた言葉である。アリソン博士はICRPの被曝に対する勧告は根拠がないから改めるべきだとし、福島第一原発周辺で住民を強制的に避難させて不自由な生活を強要したり、土壌をはいで除染することも愚の骨頂だと断言している。
 考えてみれば、広島や長崎では原子爆弾が実際に炸裂したのであり、土壌が受けた放射線の量も、福島とは比較に絶して巨大であった。広島や長崎で除染はやったか。もちろん、やらなかった。その後の住民の健康調査では、他の日本人の平均よりも、良好な数字が出されている。そして広島も長崎も、前よりもずっと発展した都市になっていることは誰でも知っている。この誰でも知っていることをなぜ福島では無視し、理由のない被害を福島の人たちは受けなければならないのか。理由は簡単,政府が悪かったからである。

9.菅首相の意義

 なぜ当時の首相・菅直人は突然、浜岡原発を停止せしめ、日本が脱原発に向かうような発言をしたのか。
 それは元来、彼は日本という国を愛さぬ、国境抜きの市民運動家だったからであろう。彼は元来、反原発をやってきている人とつながっていたようだ。彼も政府に入ってみれば、日本の電力の三割以上も担っている原発を無視するわけにもいかず、さらにそれが当代流行の二酸化炭素削減にもなるというので、「将来は原発への依存度を50パーセントぐらいにしたい」などと言っていたのだと思う。

 ところが、福島の原発事故で周章狼狽したところに、昔ながらの反原発論者に東海大地震の可能性を告げられるや、一挙に本家還りしてしまって、浜岡原発の停止を言い出し、さらに脱原発まで口にしたものと思う。彼は福島の原発事故の本質も知らず、日本の進んでいる放射線防護学の成果を利用することもできなかったのである。
 菅氏はそもそも、東海地震予測なるものの実態を知っていたのか。あの話のそもそものはじまりは、当時、東大地震研の助手だった石橋克彦氏が昭和51(1976)年に予言したものである。それから30数年経つが、彼の予言した東海地方の大地震は起こらず、彼の予知にはなかった阪神・淡路大震災が起こり、今回は東日本大震災が起こっているのだから、彼は全く当たらない予言者なのである。

 この日本列島について地震予言をすれば、誰の予言だっていつかは当たるだろう。地震学者の予知は、素人の心配といまのところ本質的に差はないのである。だから、「東海地震がすぐ来るかもしれない」などと言わたれて(菅総理にそう焚きつけたのは福島瑞穂氏だという説がある)、慌てて浜岡原発を止める必要など少しもなかったのだ。
 福島の東電第一原発でも、地震ではなく津波が原因とされているのだから、津波への対策強化と、さらなる原発の安全強化の指示で十分だったのである。菅氏は脱原発を口にすることが、日本にいかに巨大な害をなすか考えたことがあるのだろうか。これからは脱原発だ」ということが国策になれば、先ず核の研究をしようとする学者はがっくりし、この方面に進もうとする青年もいなくなるであろう。物理学の最も重要な分野に研究者が後続しなくなったら、日本の将来はどうなるか。

 それより前に、世界で最も進んでいるとされる日本の原発の学者・技術者は、底引網を仕掛けられたように韓国や中国に持っていかれる可能性が高いのである。菅氏はコリアの団体に特別の関係を持っていて、日本人よりコリア人のほうが大切だという印象さえ与えている人である。その人がすぐに原発停止・脱原発の方向に飛びついたのは、少なくとも彼の潜在意識のなかで、それがコリア人のためになるというひらめきがあったのではないか。
 
韓国を利することに
 果然、その後の新聞報道によれば、韓国の原子力安全委員会は、福島の事故のあった去年のうちに日本海側の慶尚北道に原子力発電所二基の建設を決め、また南部と東南部に建設された二基の試運転をはじめさせた。韓国では現在二十一基の原発が稼働中である。韓国政府は、これから原発八十基を輸出するのを国家目標としているのだ。
 一基の建設は数千億円の話だ。それを八十基も輸出しようという韓国政府の意気込みはすごいではないか。

 この韓国の国家的大目標にとって一番邪魔になるのは何か。それは日本の原発である。日本の原発技術が世界で最も進んでいることは、世界中が知っているのだ。
 福島での事故も地震のせいでなかったことは世界中の専門家が知っている。大地震のS波が到達する前の小さな波動をとらえて原子炉の核分裂連鎖反応を自動的に停止させるというのは、地震国・日本の独自の技術である。だから、福島第一原発でも原子炉の暴走はなかった。震源地にもっと近かった女川でも暴走はなかった。かつての中越地震でもなかった。
 今回の福島の事故も、原子炉の安全性では世界の評価を高めているのだ。津波は「想定外」とされたが、それを防ぐ手段は難しいものではないことも明らかになった(女川の原発がすでに証明している)。具体的な例をあげれば、福島第一原発事故があってから間もない去年のうちに、アメリカは実に34年ぶりに原発を着工することにし、東芝の子会社製のものがつかわれる。

 一九七九年のスリーマイル・アイランド原発事故以降、原発の新規着工は凍結されていたのである。それが今回、再開されるようになったのは、日本の技術と機械を使えば、マグニチュード9.0の大地震にも大丈夫だという信頼感が生じたからだと考えてよいだろう。
 日立製作所も同じ頃に、リトアニア政府と仮合意を締結した。三菱重工業はベトナムに二基発注が内定しており、ヨルダンでもその話がすすめられている。今年になって、トルコを訪ねた玄葉外相には、原発の話が出された。彼が十分明確な答えをしないうちに、韓国の大統領が直接乗り出して、トルコヘの原発輸出の話をすすめている。

 原子力発電の世界では、日本の東芝・日立・三菱という三社か、その協力を得なければ新しいものはできないということになっていたのだ。
 原発80基輸出を国家目標に掲げている韓国としては、その原発大国.日本の足を引っ張り、邪魔しなければならない。韓国にとって幸いなことには、福島の事故の時は日本の政党は民主党、首相は菅直人。原発反対の下地のある連中が政権の中枢にいた。これに働きかければよい。こうして働きかけたら即効があった、と私は見る。

売国奴のデマゴーグ
 朝日新聞はじめ、テレビ局などそもそも反日親韓の傾向の見えるマスコミは、一斉に反原発運動に競い立った。大江健三郎氏も気負い立った。大江氏は、「北朝鮮の青年の目は澄んでいた、日本の自衛隊に入る青年のいることを恥じる」というような趣旨の反日侮日、親朝親韓の言論活動をしてきた人である。「いまこそ日本の原発を壊せ」と声を高めてアジり、デモをやらせた。

 ミステリー小説の犯罪を解く鍵に、「それで誰が得をするかを見よ」というのがあるそうだ。日本の反原発運動を誰が一番喜ぶか。韓国政府であり、韓国人であろう。だから、いまの日本で反原発運動をやっている人たちには韓国の手が回っているか、そういう手が回っている人の手が回っているか、あるいは放射線に関する科学的情報を知らされないまま売国奴みたいなデマゴーグに煽られている心配性の善男善女か、あるいは、ともかくマスコミに叩かれたくないという行政関係者か、のいずれかと考えてよいであろう。

 元首相の菅氏、現政権の野田氏、元外相の前原氏などなど、韓国系・北朝鮮系との金の授受があった人たちが民主党には多い。それもそうだと思われるのは、民主党が大勝したこの前の選挙にはコリアの団体が積極的に参加したし、党内の選挙にも参加していた。この原発問題では、これを利用して日本に原発を断念するような政策を行い、その運動を助けるような趣旨の金が動いたと考えることが許されるのではないか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

Ⅲ 5.どうしてこんな誤解が・・6.マラーの実験の致命的欠陥

5.どうしてこんな誤解が ノーベル賞の罪

 「卵を食べると血中コレステロール値が上がるから、卵は控えなさい」と言われたことのある人は多いだろう。そこで問題になるのは、そういう結論を最初に出したのは誰か、またその実験はどのようになされたのか、ということである。
 そういう疑問を最初に出したのは、分子栄養学の開祖と言われる三石厳博士である。三石先生によれば、その研究をやったのはロシアの医学者アニチコフである。彼は1908(明治41)年頃に、ウサギに卵や牛乳を食べさせたり飲ませたりしたのである。そうしたら、血中のコレステロール値が高くなった。

 それで医者の先生たちは、「卵のようなコレステロールを含む食品を食べると血中コレステロールが上がるから、卵を食べてはいけない」というようになった。つまり、「コレステロール神話」は明治41年頃に卵を食べさせられたウサギに起源があるというのである。
 もちろん、ウサギは草食性動物で、卵も食べないし牛乳も飲まない動物である。つまり、コレステロールを含む餌は食べない動物なのである。アニチコフはウサギでなく、パブロフのように犬で実験すべきだったのだ。
 
 この「コレステロール神話」で迷惑している鶏卵業者は、有志を募って毎日10個ずつ卵を食べてみた。しかし、コレステロール値に有意の上昇はなかった。しかし、鶏卵組合の人たちは素人集団だからというわけで、今度は国立栄養研究所で同じ実験の追試をやった。
 しかし、結果は鶏卵業者たちのものと同じだった。ここから空恐ろしいことが浮き出てくる。卵は相変わらず医者たちに嫌われているのだ。患者の食膳に卵がついているのを見て、栄養士に激怒した医者の話もある。「卵を食べさせられたウサギ」の神話は、医学界でもう百年以上も続いているのである。

 私は15年ぐらい前に三石先生の本を読んで、毎日卵を食べるように心がけ、家内にもそれをすすめている。私は81歳、家内は76歳だが、今年受けた血液検査でもコレステロール値は正常値の範囲内である。三石先生の本『1901年生まれ、92歳、ボクは現役』(経済界、1993年)および『医者いらず、老い知らず』(PHP研究所、1995年)は正しかったのだ。
 そして驚くべきこと、また恐るべきことは、放射線の危険説が「ウサギと卵」の神話と完全に同じ構造をしているのである。まず、放射線が生体に有害であるという実験は、いつ、誰によって、どのようにしてなされたかを見てみよう。

「いけない点」とは
 いまから80年以上も昔、私が生まれる3年前の1927(昭和2)年に、ニューヨーク生まれでコロンビア大学で学んだアメリカ人の遺伝学者、ハーマン・G・マラーが、フート・フライと呼ばれる昆虫、日本語ではミバエとかショウジョウバエ(学名・Drosophiria melanogaster)と呼ばれるハエを使って、動物の変異の問題の研究をしていた。

 当時は生物進化の理論をめぐって、体細胞の遺伝はあるのか否かなど、アウグスト・ヴァイスマンなどが出て活発な議論が起こっていたのである。マラーはショウジョウバエのオスの生殖細胞にX線を当てることによって変異、つまり奇形が生ずること、そしてそれには遺伝性があることを確認することに成功したという論文を発表した。
 これは、ラマルク系統の主張である体細胞起源(somatic influence)の変異説を葬り去ることに連なる重要な発見であった。彼の「X線の遺伝形質上の効果(Heredity effects of Xray)に関する論文には、その年のアメリカ高等科学学会賞が与えられた。

 この彼の研究は、進化論論争関係の研究としては極めて重要なものであり、学会賞に値するものであった。しかし、それによってラマルク系統の進化論者たちが降参したわけではない。むしろ今日では、ラマルク再評価論が有力である(たとえば日本では西原克成博士)。だからこのままなら、マラーの名も、一人の重要な進化論関係論争の学者として残っただけであろう。

 ところが、思いがけないことが彼の論文の18年後に起こった。広島と長崎の原爆である。世界中の人が核爆弾は人類の滅亡につながるのではないかと恐れた。そして放射線が人体に及ぼす影響、特に遺伝子に及ぼす影響におびえた。そこで浮上したのがマラーの論文である。遺伝子に放射線が当たれば奇形児ができるだろうという恐れである。
 マラーの実験結果は、彼の名を知らぬ一般人にも知られるようになったし、学会でも新しい注目が向けられ、マラーの研究にノーベル生理学・医学賞が与えられた。日本の空で2つの原爆が炸裂した翌年、昭和21(1946)年のことであった。

 マラーは時の人となった。しかも、彼は政治的なことにも積極的に発言するタイプの人であった。核戦争や核実験から出る放射線は、長期にわたって人類に危険なものになると主張してやまなかった。その時点において、彼の信念は正当であり、主張は良心的であった。彼の実験にごまかしはなかったし、結果は嘘でなかった。
 その点、ウサギに卵を食べさせたアニチコフも、データをごまかしたわけでない点では同じである。 アニチコフの「いけない点」は、卵を食べないウサギに卵を食べさせたことである。では、マラーの「いけない点」は何であったのか。

6.マラーの実験の致命的欠陥

 それはマラーの責任ではないのだが、ショウジョウバエのオスを実験対象にしたことなのである。なぜ、マラーはショウジョウバエのオスを実験に選んだのか。それは彼の責任ではない。当時はまだDNAの研究がそれほど進んでいなかったのである。当時もヴァイスマンの研究からその方向への研究の流れがはじまっていたのであるが、その研究が飛躍的に進むのは、JD・ウォトソンとF・クリックがDNAの分子構造や遺伝の仕組みを1958(昭和33)年に明らかにしてからである。二人には1962(昭和37)年にノーベル生理学・医学賞が与えられた。そして、遺伝の仕組みもどんどん明らかにされてきている。

 その後の研究で、現在の日本人に最も関係のある発見は、DNAが絶えず傷つけられていること、そしてその傷がガンなどの原因になることである。特に活性酸素や自然に存在する放射線などにより、人体では一日に百万回くらいDNAに傷がつくという。
 それなら人体はたちまちガンだらけ、病気だらけになるはずである。しかしならない。というのは、人体にはDNAの損傷を修復する酵素があるからである。修復し損ねたところがガンなどになるわけだが、通常はすべて修復されるので、われわれは無事に生きているわけだ。 ところが、例外的にDNAに修復酵素を欠く動物がある。それがマラーが実験に使ったショウジョウバエのオスの精子だったのだ。

 しかし、DNAに与えられた傷を修復する酵素は、低線量の放射線被曝によって活性化するというのだ。これはラジウム温泉の説明にもなり得るし、宇宙飛行士が毎時0.045ミリシーベルト、すなわち半年で180ミリシーベルトの放射線を浴びながらも、帰還後に検査すると内臓の状態を示す数値はむしろより良くなっているデータの説明にもなる。女性の宇宙飛行士も、帰還後に子供を産んでも奇形児が生まれたケースがないことにも納得できる。


放射能ヒステリー
 この妊娠と子供に対する被曝の問題は、特に重要である。マラーのシヨウジョウバエの奇形の写真の与えた印象は痛烈であったから、放射線ヒステリー現象ともいうべきものが起こり、広島や長崎の被爆者のなかには、健康体であるのに結婚に差し支えがあるのではないか、と被爆の事実を隠したり、また奇形児の生まれることを恐れて出産を断念した例もあったという。

 しかし、半世紀に及ぶ研究の結果は、被爆者の両親から生まれた子供に遺伝子異常のある子供は一人もいないのだ。マラーの実験からできたモンスター・ショウジョウバエのようなものは、人間にはできなかったのである。人間のDNAにはショウジョウバエのオスの精子にはない修復酵素があり、それは低線量の放射線によって活性化されるからである。
 ラッキー博士の研究によれば、先天性欠陥、死産、白血病、ガン、子孫の死亡率、男女の出生比率、発達度合い、遺伝子異常、突然変異など、長期にわたる研究で統計的におかしい点は、被爆者たちになかった(ラッキー・茂木『上掲書』七一ぺージ)

 それどころか、広島にある放射線影響研究所のデータによると、低線量放射線を浴びた胎児のほうが、死産、先天性異常、新生児死亡の比率が低いというのだ。このような研究は、それに協力してくれた被爆者たちとその子供たちを安心させてくれるはずだ。この人たちは、ショウジョウバエのオスの研究のおかげで長い間、放射線の遺伝子異常のリスクの風評被害を受けてきたのである。

 マラーの研究の風評被害(?)は福島の事故のあと、病的なレベルに達した。世田谷区のある家の近くで放射線が発見されたというので、学童の通学の道路の変更までされた。ところが、その障害はある民家の床下に埋められていたラジウムであることがわかった。その家の人は何も知らずに50年もそこに住んでいるが、その人は現在92歳でお元気だそうである。
 札幌医大の高田純教授によると、その方の年間被曝推定線量は90180ミリシーベルトになるという。「放射線はすべて有害」という先入観が強いために、「放射線の良好な効果」と解釈すべきところを、「不気味な」現象として報じている例を紹介してみよう。それは『週刊文春』20111229日号(28ぺージ)の記事である。

 そのタイトルは「放射能汚染福島で不気味な植物巨大化進行中」としてある。あたかも、マラーの実験でモンスター・ショウジョウバエが出てきたような表現だ。しかし、記事内容はどうか。福島で20年前からシャコバサボテンを育てている女性の話だ。このサボテンは老齢のためかここ数年、花も咲かなくなり、一昨年の夏から茎がボロボロになったので、捨てるしかないとあきらめていたところ、原発事故が起きた。そうしたら、ペラペラだった葉は肉厚になり、みるみる茎が太くなり、数年ぶりでつぼみをつけたが、こんな大きなつぼみは見たことがないという。サボテンだけでなく、自宅の庭に植えられた草花はどれも「いままで見たことないくらい」よく育ち、バラも例年の倍も花を咲かせたという。

 同じく、福島市に住む女性もこういっていたと言う。
 「今年は本当にすごかったよ。家庭菜園で育てているハーブなんて、普通は20センチくらいしか伸びないのに、今年は夏頃からニョキニョキ育って垣根を越えたんだから。トマトや茗荷もまるまる大きくなってよ、味もそりゃよかった。庭いじりやってる友達もみーんな『今年(2011)はすごい』と言っている……」

 人間や動物でなくても、放射線を断絶したところでは生育力がゼロになる海藻や大麦があることが知られている。ラジウム温泉が人間の健康に良いように、放射線は光や温度のように、植物の生育に必須なのである。福島の家庭菜園をやっている人たちはそれを体験したわけだ。去年は福島では米も野菜もできがよかった。けれどもほとんどが出荷停止で、基準値を下回ったものでも全ぐ売れないそうである。

 福島の昨年の梨は一回りもふた回りも大きく、林檎も特に甘いけれども全く売れないそうである。私もよく行く天婦羅屋でタラの木の芽を食べた。独特の苦みがあってバカにおいしい。「どこの産のものですか」と聞いたら、主人は声をひそめて「福島です」と言って、「大きな声でそう言わないでくださいよ、他のお客さんが嫌がるから」とつけ加えた。放射線の風評被害を実感したことだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー