2014年5月12日付け住宅生産性研究会(HICPM)のメルマガ:オランダとベルギーの街並みと住宅 シリーズ2。
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MM559号(5月12日)
みなさんこんにちは
「オランダとベルギーの街並みと住宅」の学習研究報告,第2回と して,高密度市街地で豊かな空間をつくている「オランダの小さな 町の魅力」を確かめた報告をお送りいたします。
カールマルクス著『共産党宣言』が教えてくれたヨーロッパの都市
オランダの町を旅行すると、一番驚かされることは、日本よりはる かに人口が高密度である国であるにもかかわらず、町を出た途端、 そこには牧場が広がり、牛や羊たちが放牧されているのどかな景色 があることす。都市が豊かな自然に囲われているのはどうしてだろ うかとオランダに来る都度、何度も考えさせられました。そのとき いつも思い出すのは、学生時代に読んだカールマルクス著『 共産党宣言』です。そこで初めて知ったことは都市の作り方自体が ヨーロッパ大陸と英国は日本とは全く違っていたということでした 。ヨーロッパ大陸にある都市は常に戦禍に脅かされていたため、自 らの都市を守るために城郭を築き外敵から守り、その中に住む人に 市民権を与え、高密度に住んでいました。城郭を造ることは大変お 金がかかることでした。そのため城郭はどうしても造らなければな らなくなるまでは造らず、 既存の城壁の中にできるだけ人口を詰め込むことにしたのです。そ のため、住宅の上には住宅が載せられ、共同便所や共同水道という 住宅が普通に建設されました。そのため、フランスやイタリア、ス ペインなどの大陸の都市では城郭内にできるだけ沢山の人口を住ま せるための共同住宅(マルティ・ファミリー・ハウス)が建設され ました。
共同住宅(マルティ・ファミリー・ハウス)と戸建て住宅(シング ル・ファミリー・ハウス)
城郭の拡張が人口増加に追い付かず、そのうちに、その後ブルジョ ワジーの原型になる都市間の商業流通を営む人たちが、 日常的には城外に生活し、緊急の危険を感じ多ときには、都市に逃 げ込むことになりました。緊急事態に都市に入る鍵を与えられてい て逃げ込むことができる人が「城外市民」と呼ばれる市民です。 しかし、英国はヨーロッパ大陸とは違ってその必要性がなかったた め、土地の上下に他人の権利が重ならない住宅(シングル・ファミ リー・ハウス)がたてられました。そのため、英国では「まともな 住宅というものは,上下に他人の権利が存在しないもので、 専用のバックヤード(裏庭)を持っている」 ということが住宅の常識になっていました。長い中世の都市の歴史 の中で、人々が高密度に住むという条件の中でお互いが豊かな生活 を営むことができるまちづくりの方法を開発して来たのです。 英国で「テラス」と呼ばれる住宅は、独立住宅が隣地境界線に接し て建設される連続住宅を言います。オランダはまさに運河や城壁で 街を囲い、外敵の侵入から自らの生活を守った大陸型の都市づくり で、大都市では共同住宅が建設され、小さなな都市では、英国の都 市住宅同様なテラスにより、高密度開発を実現してきました。今回 調査したオランダとベルギーはいずれも地盤が軟弱な低湿地である ことも関係して、中低層過密住宅をつくる方法として、共同住宅で はなく、連続住宅による高密度開発が小規模開発として対応しやす いと考えられられたようです。
ヨーロッパの都市を理解するための最高の図書『共産党宣言』
私が世界を旅行し、大陸と英国の町の違いを見る都度、『共産党宣 言』を思い出します。わたくしの学生時代には、ほとんどの学生は 「共産党宣言」を読み、資本主義国家の形成の歴史を同書から勉強 したものです。『共産党宣言』 は近代資本主義経済体制がいかに形成されたかを、科学的に学ぶ歴 史書として、近世になって世界中でもっともよく読まれた本の一つ です。日本でも、欧米の社会科学を学ぶ入門書として、この本を読 まない学生はいなかったほどです。わたくしは英語の勉強をするた めにも、歴史の勉強のためにも、この本を何度も読みました。『 共産党宣言』の書き出しの文章が、戦後の民主化の中で東京大学の 入学試験に取り上げられたことも影響していたと思います。 この本には、戦後の民主教育を象徴する資本主義社会を学ぶ原点が 記載されていたため、多くの学生は何度も熟読しました。オランダ の都市はヨーロッパ大陸の都市とおなじように城郭に代わる運河を 使って都市を守り、市街地の人口密度は驚くほど高いのです。 しかし、市街地には市民が共有空地(コモン)を上手に使い、そこ を住民の共通のルールで管理することで、共有空間は何重にも多目 的に利用できます。私が『共産党宣言』から学んだ都市の形成史を 『建築法規概論』(共著:オーム社)で40年前に紹介し、 筑波大学などの教科書(副本)として使われました。
共有地(コモン)の利用がカギを握る都市空間利用
城郭の外には農地が広がり、そこは都市の住民にとり、農業をし食 料を確保するとともに健康のためにピクニックにでかける場所です 。都市空間と農業空間を市民が両方利用することで、メリハリの利 いた都市生活ができます。中世に骨格が作られた都市と農村の関係 が、近世以降の都市形成に大きな影響を与えてきました。都市には それぞれの歴史文化があり、中世の地方分権的な都市の歴史を背負 って近代の都市が形成されたわけですから、ヨーロッパの人々はそ れぞれ固有の地域地区に対し高い帰属意識を持っています。 その理由の原点は、人々は生活をする上に土地が限られているため 、共有の空間(コモン)地を利用せざるを得ず、共有地の利用をめ ぐてルールを設け、それを地縁的に自主的に統治(自治) してきたからです。つまり、共有地(コモン) を大切にすることから、近代のコミュニティを大切にする意識が生 まれてきた理由であるといわれています。実はコミュニティが都市 のセキュリティを高める最大の鍵を握っていることが、 1980年代のTND(トラディショナル・ネイバーフッド・ ディベロップメント:伝統的近隣住区開発)理論の構築段階に明ら かになりました。そしてそのTNDが米国のニューアーバニズムに よる都市づくりの中で中心的計画理論として再確認されてきました 。建築物の隣棟間に無意味な空地を作らない理由も、賊が隠れるこ とができなくするためといわれています。そのニューアーバニズム の原点ともいうべきセキュリティとコミュニティを育てる街づくり が、今回のオランダやベルギーの町に中世からの街づくりの中に深 く根付いています。
高密度市街地を豊かに利用する鍵:共有地(コモン)の利用
高密度に居住しながらも人々に豊かな環境を提供するためには、都 市と農村とが人びとの生活空間として有機的に繋がっている必要が あります。欧米では都市計画法の中で都市と農村とを一体的な空間 として扱い、日本のように市街化区域と市街化調整区域という線引 きで都市と農村とを対立した概念で扱うことをしません。都市居住 者にとって農村はその人間性を回復するために必要な豊かな自然を 提供する空間とされています。都市の中では過密な高人口密度で生 活をしながら、そこには豊かな緑が共有緑地(コモングリーン)と して確保されています。低湿地の水を排出するために運河が築造さ れました。その運河に関連する人たちの生命財産と運河とは不可分 に関係していることから、運河の管理を関係者の自治によって行っ てきました。運河を自治の思想で管理する仕事が近代国家の仕事に なった後も、運河を交通・運輸の手段と利用するだけではなく、水 と緑の環境を享受する手段に利用するためにも、それらをすべて国 家の管理にゆだねるのではなく、関係する利害関係者による経営管 理ルールをすることで、国家の管理として自治的なな管理とが共存 しています。そのことにより官民の役割分担がなされ、より合目的 的なメリハリのある管理がなされ、その権利を背景に、都市計画が 、官民の役割分担に沿って、野放しの自然ではなく、管理された豊 かな人間環境をつくているのです。1991年ヨセミテ公園のアワ ニーホテルで都市開発としての合意「アワニーの原則」が地域、地 区の段階に対応した官民協力の役割分担をまとめたが、その原型が オランダの伝統を担った都市の自治による�‚!
�ミュニティ経営に見られます。
長崎のハウステンボスの中心にある市役所のモデル:ゴーダの市役 所
今回のオランダ旅行での一つの目玉は、日本に作られたオランダの 空間ハウステンボスのモデルとなった空間がどのようにつくられ、 どのように利用しているかを知ることにありました。テーマパーク としてつくられた人々が実際に生活していない長崎のハウステンボ スは日本人にとってより訪問しやすいところです。、それを日本の 街づくりに活用する技術として吸収するために、長崎に造られてき たハウステンボスを有効に活用できないかと考えきました。実物大 のモデルを見て説明することは写真に比べてはるかに良い教材にな るからです。私がこれまで4度訪問した日本のハウステンボスとの 比較を含め、本家ゴーダの市役所のある空間を3度目の訪問をする ことで、オランダのコミュニティの説明を、長崎のハウステンボス を活用してできないかと考えました。
日本の長崎に作られたオランダの女王の宮殿・ハウステンボスの中 心広場とそこに立っている市役所が、訪問したゴーダの市役所のあ るコモン(共有地:マルクト広場)の空間です。 この市役所の建築物は、オランダを代表する美しい建築物であると いうことで、長崎のハウステンボスの中心に立てられました。中世 の市役所のデザインとして魅力的であったので、長崎のハウステン ボスの中心に立つ市役所建築物としては、ゴーダの市役所をそっく り真似た建築物が立てられました。ゴーダのマルクト広場を訪問す ることは、オランダの中世から大切に守られてきた都市空間を手っ 取り早く理解するうえで大変好都合ですし、 日本のハウステンボスを訪問し、それを疑似体験をし、ゴータ市民 が大切にしてきた空間計画を学ぶ上で、教科書的実例空間になると 思います。
以前、ゴーダに来たときは、鉄道でゴーダの駅まで来て、そこから 徒歩で市役所のある中心広場まで歩きました。駅からはほんの5分 足らずの距離で、街並みに気を取られているとマルクト広場に出て しまうといった感じでした。今回は車に車いすをつけて都心のマル クト広場の近くまでやってきて、 そこで車いすに乗ってゴーダの市役所とギルドの建物と、それらが 取り囲んでつくているコモン(マルクト広場)を見て回りました。
昔と同じように繁栄するマルクト広場
都心の中央にあるのがマルクト(マーケット)広場です。広場を囲 んで立ち並ぶ建築物は、ギルドごとの個性を主張した多種多様なデ ザインの建築物で、マルクト広場が造られています。その建築物の 連続したファサードに囲まれた広場が私たちが学ぼうとしているコ モン(都市の共有空間)の中の最大規模のものです。その中心にな ってコモンの空間利用の方向付けを定めているのが、ゴーダ市役所 です。コモン(共有地)としてはそのほかに様々な規模のコモンが 町全体に散在しています。 コモンの性格も活用の実態もそれぞれ違っています。都市全体に人 々が高密度居住しているにもかかわらず、日本では見ることができ ないほどの大きなマルクト広場が造られています。 広場ではゴーダが栄えた中世から、現代にいたるまで、チーズや食 肉加工品や野菜や果実、食品や日用品雑貨、衣料や装身具、家具や 食器など生活必需品や様々な商品の市場が立ち、人々の経済活動の 中心でした。同時にこの広場では、政治の行事が行われたりする都 市生活の中心であり、商業や文化の中心の空間(コモン)です。人 々の生活がこのマルクト広場とつながっているのです。現代も観光 事業として、同じような利用がされているようでした。ゴーダの人 々の生活がすべてこのマルクト広場との関係で作られているのでは ないかと思われました。
今でもゴーダのシンボルとして機能する「からくり人形」
このマルクト広場と呼ばれている市役所広場には、その地に持ち込 まれる商品を運搬する運河が造られ、その運河を利用した商工業が 繁栄しました。運河の両側を商店街で造られたギルド組合の建物が 軒を連ね、バックアレー(裏通り)を背中合わせにした街並みで取 囲われた中央広場に市役所が、ゴーダの文化を象徴する建築物とし て立っていました。この中央広場や街並みの構成の姿もそのまま日 本の長崎に作られたハウステンボスに取り入れられています。中央 にあるゴーダの市庁舎の前面の壁のすぐ隣の横壁上方にに取り付け られている時を告げる「からくり人形」時計は、日本のハウステン ボスの市役所にもつけられています。この「からくり人形」 時計は、特別豪華なものではありませんが、昔から時を告げる施設 として人々の生活リズムを救ってきた施設として、 なくてはならないものでした。現代でもその歴史を伝える文化施設 としてゴーダの市民に愛され、本物の市役所でも、毎時間、市役所 の時計台から音楽とともに飛び出すため、市民も見に来たり、多く の観光客もその様子を見に集まってきていました。ほんの1分足ら ずの人形の登場・パフォーマンスを30分以上待ち、「 からくり人形」が動き始めると、望遠カメラの放列が迎えて、あっ けなく終わった分だけかえって貴重なものを見た満足を感じている ようでした。
チーズの街ゴーダ
ゴーダの街の中心広場には昔からのチーズの計量所があり、そこで はチーズも販売していました。しかし、かつて私が訪問したとき、 計量所とは別の場所に驚くほどたくさんの種類の大きなチーズの販 売店があって、そこが興味があったことを思い出しましたので、少 しその店を探してみました。チーズの専門店は中央広場にはなく、 中央広場に続く道の入口だったことを覚えていました。しかし、中 央広場とチーズの専門店の方向感覚がわからなくなっていましたの で、その場所を地元の人に確認し、分かったのでそこに出かけまし た。そこでは大きな円形の蝋でチーズの周囲をくるんだチーズが山 積みになっているだけではなく、香辛料が入ったチーズやハーブの 入ったチーズなど色とりどりで、味も形も違った驚くほどたくさん の種類のチ-ズがありました。その店にはたくさんの買い物客が入 れ替わりたちかわりやってきて、門前市をなしていました。私たち もここを訪れたオランダの観光客が楽しんでいるように、さまざま な種類のチーズを試食し、楽しみ、驚き、そして驚くほどの種類の チーズを、沢山、お土産として購入していました。ここではショッ ピングすること自体が楽しく、来店者の満足は高いように思えまし た。
運河が生き続けている町
中央広場を囲う形に周辺の運河がありますが、それは建物にブロッ クされた広場からは見えません。運河に面した道路に軒を接して建 てられている店舗と中央広場に面した店舗とが、 背中合わせに造られ、どこまでもエンドレスに並んでいました。 つまり、中央広場の裏側の運河に面した道も楽しいショッピング通 りになっていました。その通りに面してこじんまりした広場のある ゴーダ博物館がありました。 道路から狭い運河にかかっている長さ10メートル、幅4メートル 程度の橋を渡った先には入口の扉のある門がありました。 博物館の前の広場はそんなに大きな広場ではありませんが、敷地に 起伏があり、博物館の建物を背景にした変化に富んだまとまりのあ る空間になっていました。そこにはたくさんのテーブルが三々五々 にグループをつくって地盤面高さを変えて並べられていて、 そこはアウト・ドア・カフェーになっていました。
都市の共有広場(コモン)として機能しているゴーダ博物館
ゴーダ博物館の広場全体は、塀と建築物に囲われたこんもり盛り上 がった台地となっていました。そこには多数のオブジェのほか、 高い木も植えられ、起伏を利用した地盤の高さの違ったところにテ ーブルが置かれていました。広場にはおどけたユーモラスな人形や 面白いデコレーションがあり、博物館の出窓に飾られた人形が目立 つように飾られた建築の外壁と塀とが、 広場の景色の背景となっていました。来館者にとって、そこはお茶 を飲んだり軽食を楽しめるくつろげる場所になっていました。
この広場・公園は、日本であれば、敷地造成のときに重視する「ひ らば」(平らな土地)をつくったり、コンクリート舗装をすること は敢えてせず、すべて起伏がある地形をそのままの状態で利用して いました。そのため、土地の起伏そのものが広場・公園の面白さと なっていました。その広場は隣の敷地の中庭とも連続した公園道路 がついていて、門をくぐれば隣の庭とも一体的に散策できるように もなっていました。博物館に入らなくてそこでお茶の休憩を取って 時間を過ごす人もたくさんいました。私たちもくつろいでお茶や食 事をしている人たちの雰囲気を楽しみ、 そこでお茶を楽しんでから、隣に見えるこのゴーダ最大の見せ場で ある聖ヤン教会を見学しました。
聖ヤン教会のステンドグラス
聖ヤン教会は、洗礼者ヨハネ(ヤン)に献納された教会で、ヨハネ の生涯が聖歌隊席の周りにステンドグラスでつくらています。この ステンドグラスは1573年以前に造られたこれらのいわゆる「 カトリック・ステンドグラス」は、1552年の火災後に、この教 会に寄贈によるものでした。このステンドグラスは寄贈されたもの ですが、いずれのステンドグラスも、宗教関係者と非宗教関係者が 双方とも自分たちが良い人間であり、敬虔な人間であって、その力 を持っていることを示すために寄付をしたと説明されていました。 ステンドグラスのスポンサーは、スペインのフェリペ2世、その妻 メアリーチュード、オランダの女性提督、司教その他の高位聖職者 、ゴールデンフリースの騎士たちなど著名人が多く、かれらから贈 呈された700枚近いステンドグラスがこの教会の誇る宝になって いました。ステンドグラスには作成者(依頼者)名が付けられてい るため、これらのステンドグラスが寄贈された歴史の経緯を今でも 検証することができるようになっています。これらのステンドグラ スの寄贈者や作成者名がその歴史を現在確認する手がかりになって います。そのため教会に見学に来た人にとってステンドグラスは、 時代を超えて制作時の色と光を伝えてくれる美しい評価・鑑賞の対 象であるだけではなく、その裏側に大変な歴史があることを聞かさ れ、ステンドグラスが現代に人類の歴史文化を伝えていることを感 じさせてくれました。
市民の宗教と離れても生活文化としての教会
今回は聖ヤン教会の内部が全面的に改装中でしたが、教会の内部装 飾をみやすいように解説され、展示してありました。この改修工事 は20年以上の歳月をかけて行われているものですが、 カトリック教だけではなく、行政も民間も当地の共有の財産と考え て取り組んでいます。この教会は特定の宗教施設というのではなく 、長い歴史文化を経てゴーダの人々が守り育ててきた文化遺産であ ると皆が考えているところに、「ゴーダの街造りの本質」があると 思いました。よく西欧のキリスト教社会では、人々の宗教離れが進 んでいると言われています。確かに、信者数や教会へのラ礼拝者を 統計的に見る人は信者は減少しているというかもしれません。 しかし、ヨーロッパについて勉強をすればするほど、キリスト教文 化派に飛び乗の生活基盤を構成していて、宗教行事に限定して考え ることはできないと思います。ヨーロッパにおける宗教と人々の生 活の関係は、日本とは全く異質のものがあるように感じます。
御利益信仰と違う「オランダ人の生活の骨格を作っている宗教文化 」
御利益を求める信仰や、アミニズムのような自然に対する八百万の 神に対する信仰とは違い、キリスト教は「人格神の対決」 といった個人の生き方として、人々の生き方に影響しています。キ リスト教は人間の生き方そのものを左右する宗教の重い問題として だけではなく、人間の社会、政治と深く関係して人びとのと生活に 組み込まれています。キリスト教は西欧人の生活そのものの一部こ 組み込まれた宗教としてだけではなく、 信仰以前に人々の生活との関係をもっています。ゴーダの聖ヤン教 会の改修・改装事業の中にゴーダの人々の町の育ててきた文化に対 する思いを見せられ、 ゴーダの市民にとって宗教は個人の信仰を超えて、人々の生活を支 えてきた文化風土として、市民が支えている印象を受けました。
次回はライデンを紹介します。
(NPO法人住宅生産性研究会理事長 戸谷 英世)
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