2018年4月15日日曜日

食と農を地域に取り戻す



松尾雅彦氏最後の論文かと思われます。
「スマート・テロワール」の全容が判りやすく書かれています。

    食と農を地域に取り戻す
                 ― スマート・テロワール運動の息吹 
                              松尾 雅彦 

 スマート・テロワール、それは一言でいえば「地方都市を含む広 域の農村自給圏」構想である。海には魚や貝などの水産資源があり、 平地には水田、台地には畑地があり、高地には牛や豚などの畜産資源があり、いずれも太陽エネルギーによって育まれている。これら の資源を持続的に活用して、食料のサステナビリティ(持続可能性) を実現し、農村を元気にしようというのがスマート・テロワールの 目指すところである。そのために田畑輪換を畑作輪作へ転換し、地 域に女性の職場の食品加工場をつくり、住民の地元愛で地元産の食 品を創出するといった課題への取り組みを農業・加工業・流通業と 自治体の有志が一体となって進めようとするものである。 
 このような構想を立ち上げた理由は、日本の食糧問題・農業問題 への危機感からである。日本は1960年の安保改定時に食料自給を犠 牲にして、工業化政策を優先する「加工貿易立国」に舵を切った。 これによって食料自給と農村政策の議論がひねくれていき、自給率 の降下が止まらず、いまでは自給率38%という実態を甘受すること になった。 
 現在の農村の人口減少は著しく、休耕田が約100ha、耕作放棄 40ha以上が未利用資源として存在している。これらの耕地が稼 働すれば農産物出荷額は20兆円(カルビーの実績:7000haの契約 栽培から1000億円の加工品出荷の実績を敷衍)となる。これは現状 の農業出荷額約8兆円の2.5倍にあたる。この約140haを用いて、 カルビーのような付加価値の高い加工品の生産にあてれば、日本経 済の最大の浮上策になるのだが、現状の農政ではどんな手を講じて も、期待するようなことは起こらない。 
 こうした現状を背景に、私が農村問題に取り組む契機となった出 来事が二つある。一つは事業経営をリタイア後に立ち上げたNPO 「日本で最も美しい村」連合である。これはフランスをはじめ先進欧 州各国に広がっている運動である。地方の文化の再評価をつうじ て、持続的な地方再生をめざそうとするもので、成功した村では人 口増を生じていた。そこで創設したNPOでは、欧州の「最も美しい 村」の先進事例の視察会を行い、「最も美しい村」に向かう村づくり を学習する機会をつくった。ところが日本では「最も美しい村」に 認定しても一向に人口減少が止まらず、その根本原因の探索を始め ることになった。
 もう一つの契機は、私がカルビー在籍時に築いた馬鈴薯の契約栽培が思わしくない状況に陥り、その原因の探索を求められたことで ある。良質の原料確保は加工食品メーカーの死命にかかわる。探索 を始めてしばらくして、オーストラリアの馬鈴薯栽培の情報がもた らされた。それによるとオーストラリアでは反収が7tという。これ は日本の実情である平均反収 3.5 t2倍にあたる。20113( 震災の1週間後)にオーストラリアの馬鈴薯栽培の現場を視察した 後、他の作物についても日本と他国の実態を調べたところ、大豆や 小麦など穀物では日本の反収量は先進国の半分しかないことがわか った。なぜこのような「不都合な現実」が起こるのか、私の好奇心は痛く刺激された。

 この二つの契機に基づいて、2012年、解決策の提言をまとめたも のがスマート・テロワールの原型になった。スマート・テロワール とは冒頭に記したように「地方都市を含む広域の農村自給圏」構想 だが、もう少し具体的にいうと、その骨格は農産業に「耕畜連携」 「農工一体」「地消地産」という3つの連携体制を導入し、圏内で住 民と生産者(農家と加工業者)が循環システムを構築することであ (地消地産であって、地産地消ではないことに留意すること)。自 給圏を構築できれば、森林の活用・エネルギーの自給にまで積み上 げることができ、農村はアルカディアになるのである。その舞台と なるのが、未利用資源になっている約140haの耕地にほかならな い。 

 現状では、日本の農産物は、集荷組織に集められ市場に供給され て、そこから誰だかわからない消費者の元へと届けられる。そうし た市場経済のシステムが農村の苦境を招き、人口の流出につながっ ている。スマート・テロワールでは、地域で作られた農産物を、地 域内の住民の必要に供されることを第一とする。加工食品について も、現状では輸入原料に依存する大手加工食品メーカーの製品を購 入する仕組みが行き渡っているが、これも地域内に食品加工場をつ くることで女性の雇用を促進するとともに、「地消地産」が可能にな る。 

 地域内の住民の消費がベースになることには大きなメリットがあ る。なによりも為替相場や商品相場の変動のリスクを負わない。生 産者としては気象変動のリスクに絞って対策を集中できる。この形 はカルビーが40年間にわたって実践し成果を挙げているものだ。 
    私はこの提言に「スマート・テロワール」という新しい言葉を冠した。スマートとは「賢い」「無駄のない」という意味で、テロワー ルとは「風土や景観や栽培法などの、その場所ならではの特徴を もった地域」といった意味の言葉である。この提言に関心を持たれ た京都府立大学教授の宗田好史氏からスマート・テロワール論の書 籍化を勧められた。とはいえ、馬鈴薯の世界については少々の覚え はあったが、世界的な競争の中にある農業や農村の事情に習熟して いるとは言えない。そのような時に農業界気鋭の評論家浅川芳裕氏 とコーネル大学終身評議員の肩書を持つ松延洋平さんとの出会いが あり、十勝をフードバレーとする政策を掲げられていた帯広市長( )の米沢則寿氏らとの意見交換などから、フードバレー政策の研 究をかねてコーネル大学視察旅行会を敢行した。これはその後の私 の活動に大きな刺激を与えることになった。 

 コーネル大学の農村社会学者のT・ライソン教授はその著書『シ ビック・アグリカルチャー』において、大規模化した農場の繁栄は 市民社会にいい状況を提供しないと語り、大企業の活動への懐疑を 露わにしている。その主張の基礎には、ウィーン生まれの経済学者 カール・ポランニーの思想がある。ポランニーは、市場経済は社会 にある問題を解決することはなく、終局では戦争でかたをつけるし かない経済と断じ、めざすべきは産業革命以前の経済の形である共 同体における「家政(自給自足)」と「互酬」であると主張した。 
 先進欧州の農村社会にはいまでも「共同体」の経済が力強く残っ ている。ワインやチーズなど地域のブランドが多く活躍し、地域住 民と食品の生産者が価値の高い社会をつくっている。筆者個人の経 験だが、数年前にイタリアのフィレンツェのある店でピエモンテの 高級ワインの「バローロ」を注文したところ、返ってきた言葉が 「なんでそんな不味いワインを飲むのか?」であった。店の主人は、 フィレンツェはトスカーナ地方の中核都市であり、沢山の銘醸があ ると強調した。イタリアのワインが「地元愛」に支えられて各地が張り合っていることが窺われた。それぞれの地元がテロワールを生かした製品作りを行い、地消地産の経済を構築することこそ農村の健全なありかたではないだろうか。
 このような成果や経験を取りこんで2014年に『スマート・テロワ ール 農村消滅論からの大転換』(学芸出版社)という書物を上梓し た。 

 『スマート・テロワール』の発表後、この本で述べた農村自給圏の 実現に向けて研究会も立ち上げられた。その第一歩を踏み出したの が山形大学農学部を中心とした山形県庄内地域である。大学では 20164月より、「食糧自給圏スマート・テロワール形成講座」が 開設され、5年計画でモデル作りが始められている。農学部付属の 農場ではジャガイモ、大豆、トウモロコシの畑作輪作と、豚の肥育 が開始された。畑作と畜産の耕畜連携を図り、収穫物は高品質なも のを食用に、規格外品や加工残滓は豚の餌に、豚の糞尿は堆肥とし て活用し、豚肉は地元で加工して、地域内流通させることを目指し ている。 
 山形県につづき、長野県でも2017年からスマート・テロワール構 築のための事業「地域食糧自給圏構築」の五カ年計画が開始された。 私は「食の地消地産アドバイザー」として関わることになった。 

 このような取り組みは、かつて社会システムとして当然のもので あった地消地産の再生をめざすものである。地消地産は19世紀の産 業革命以降、グローバルな商社の躍進によって崩壊し、現代は「重商主義」全盛の時代になってしまった。20世紀は科学技術の大きな 進歩と産業革命によって成立した分業体制と交易手段の発達で、ど の産業も規模の大きさを競い市場経済を推進してきた時代であった。戦後の日本では「市場経済」こそが民主主義の根幹をなすと考 えられてきた。この考え方は、米国の対共産圏政策とも合致したこ ともあって、ほとんど無批判に受け入れられてきた。そのような中で、地消地産というと、「昔はよかった」的な懐古趣味と受けとられ るかもしれない。 
 しかし、それは大きな誤解である。その逆に21世紀だからこそ地 消地産が有効なのである。なぜならば、21世紀はサステナビリティ、 つまり限られた資源を持続的に活用していくことがなによりも求め られている時代だからである。 
 今後は、供給過剰を背景にして多様性(ダイバーシティ)をベー スにした産業が活力を持ち、生命科学の分野が発展していく時代で ある。供給過剰時代だからこそ、過剰となった圃場を新たな作物に 転換する戦略が成り立つ。EUの共通農業政策でも、過剰になって いる圃場が家畜の放牧にあてられ、それに基づいて肥育基準も改定 されている。同様に、日本でも休耕田を飼料米の栽培にあてるので はなく、放牧地として家畜の肥育に活用することが、もっとも理に かなっている。 
   人はみな生態系の中で生かされている。その生態系を持続的に活用していくシステムが地消地産である。時代に合った山や農地や海などの資源の生かし方を深め、地消地産で住民の絆を結ぶ。その中で、農村は「サステナビリティ」と「ダイバーシティ」という時代の要請が交差する社会として美しく輝くのではないだろうか。


(松尾雅彦 カルビー株式会社相談役・ NPO 法人「日本で最も美しい村」連合副会長) 
学際 4号より ©2017 Institute of Statistical Research 

[略歴]1941 220日生まれ(広島県)1965 慶應義塾大学法学部 卒業 ・・中略・・1967年カルビー株式会社入社:1992年同社 代表取締役社長:2005年同社 代表取締役会長、「日本で最も美しい村連合」設立に尽力:2009年同社 相談役:2014年「スマート・テロワール・農村消滅論からの大転換」出版:2016 長野県「食の地消地産アドバイザー」、山形大学客員教授:2016NPO法人信州まちづくり研究会 顧問:2018212日死去。
[功績]馬鈴薯農家との契約栽培と加工システムを確率、1988年にシリアル市場に参入し、現在の市場の礎を築いた。

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