2016年12月9日金曜日

安江の「座右の書」

月刊「農業経営者」さん(スマートテロワール協会の事務所がある出版社)が、「本誌読者の座右の書」という特集を組み、安江(NPO事務局)の寄稿を掲載して下さいました。
6名の方々の寄稿が載っていますが安江のだけ転載しました。

ライフワークである”まちづくり”の二つのバイブルをとりあげました。

「サステイナブル・コミュニティ」(川村健一・小門裕幸著 学芸出版社)と、
「スマート・テロワール・農村消滅論からの大転換」(松尾雅彦著学芸出版社)
お二人とも広島生まれでお友達というのがすごい!

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『サステイナブル・コミュニティ』
                  (川村健一・小門裕幸共著/学芸出版社)
『スマート・テロワール』(松尾雅彦著/学芸出版社)

【まちづくり・地方活性化のバイブル】


『サステイナブル・コミュニティ』は一見、“まちづくり”の技術書だと思うかもしれませんが、私には思想的・哲学的な意味で大きな影響を与えてくれた本です。この本に巡り合ったのは1997年、私の血気盛んな現役時代でした。当時の私は、長野県立科町の姉妹都市である米国のオレゴン市で見た美しい街並みが日本と大きく違うことにショックを受け、まちづくりについてさまざまな研究をしていました。その時期にある先生から表題の本が届き、コミュニティ」、「サステイナビリティ」の意味を知りました。晴天の霹靂とはこのことです。言葉そのものは知っていましたが、その意味、内容、本質はまったく未知のものでした。オレゴンの経験から考え出し、それなりに進歩した宅地造成を自分でやっていただけに、そのときの自分の考えとの落差の大きさに大きなショックを受けました。 (2枚の写真は、当時開発した佐久市平井のフォレストヒルズ平井)
現在、一般的に行なわれている日本の宅地開発やまちづくりといわれているものが根本的に間違っていることを思い知らされたのです。街並みの美しさについて、生活の安全・安心・心地よさと街の構造との関係性、生活が環境に与える負荷に対する方法と基本哲学、つまりサステイナビリティ。
もちろん、当時でも、日本にこれらのことに配慮した開発がなかったとはいえませんが、少なくとも私自身が目にして学んだ開発のなかにはありませんでした。まさに未知への遭遇です。
核心部分は「アワニー原則」。序言、コミュニティの原則、コミュニティを包含するリージョンの原則、実現のための戦略から成っています。ポートランド市が世界でも有数の住みよい町であることは有名ですが、そのコンセプトです。一口でいうならサステイナビリティの追求であり、まちづくりのバイブルだと思います。

一方、『スマート・テロワール』は2014年秋、『農業経営者』の広告に掲載されていた本です。限界集落、消滅可能都市などといわれ、暗い雰囲気が漂う田舎の日常に、一条の光をぱっと差し込ませてくれた本でした。最初、帯に「水田を畑地に大転換すれば、農村は15兆円産業を創造できる」とあるのを見て度肝を抜かれ、評判の高い静岡県知事・川勝平太氏が書いた「スマート・テロワールは美しく強靭な農村自給圏」という賛は、まるで美しいヌードを見せられたような訳に出会ったように感じました。そして、著者が実業家だとわかり、一気に読んでしまいました。
農業問題は半世紀以上も見続けていますが、衰退の一途であることは周知のとおりです。山本農水大臣をして「日本の農林水産業が衰退産業になっているのは、日本自体が何か間違っている、政治が間違っている、あるいはシステムが間違っていると捉えるべきだと思う」と言わせる始末です。農政をやってきた当事者が自己否定するのですから始末が悪いです。
問題は対策が何もないことです。私はNPOでこの問題に取り組んでいる関係上、大勢の人に「何か対案はございませんか?」とお尋ねしましたが、いままで「ある」と答えてくださった方は皆無です。1人だけいましたが、「米作にもっと補助金を出すべきだ」というものでした。
田んぼを畑に。奇抜な考えに聞こえるかもしれませんが、冷静に思料すれば、余っているものを生かす、必要なものをよそから買わずに自分で作るという、ごく常識的なことであり、スマート・テロワールが求めているものも地域の自立と永続、つまりサステイナビリティであることがわかります。地方を活性化させ、日本の未来を開く指南書であることは間違いありません。(寄稿) 
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