2012年1月28日土曜日

新しい国づくりの考え方「公と私」


古代ロ-マと21世紀日本のインフラ・・「不毛の対立まねく『官と民』の考え方」
日本経済新聞2002.1118 16面「特別企画」より

作家 塩野七生氏(イタリア在住)の言葉


私はこの本(「ローマ人の物語Ⅹすべての道はローマに通ず」新潮社)のなかで、古代ロ-マのもっていた「公」と「私」という概念を訴えたかったんですね。それを日本の人はどう読むのかというと、「官」と「民」に置き換えていると知って、正直のところがく然としました。
ナポレオンが造ったパリの街
拡大して真ん中のロータリーを見て下さい
 「パブリック」と「プライベ-ト」の違いを私はいっているんですよ。ところが日本では、「官」と「民」なんです。これは日本のためによくない。なぜなら、「官」と「民」に分けると対立関係になってしまう。対立関係とは、一方が勝ち一方が敗れないと解決しない関係です。

また、「政」はどこに入ってくるのか。今まで「政」は「官」とくっついていたわけです。ところが「政」が今度は「民」とくっつきはじめて、共同で「官」と対立している感じ。これは実に不毛です。

ところが古代ロ-マ人は、この種の対立関係をひどく嫌っていたんですね。ただし、ロ-マでも共和制時代の中期には、平民と貴族という対立関係があったんです。その時期、平民側はこういう要求を送るんです。「執政官は二人だからそのうちの一人をわれわれによこせ」と。貴族側が一人、平民側が一人というと二大利益代表制の構造になるんです。それで、当時の先進国であったペリクレスのアテネに視察に行くんです。ところが視察から帰ってきてもアテネ式の二大政党制は採用しなかった。どうしたかというと、平民側の代表である護民官を務めたら自動的に元老院に入る、というやり方にしたのです。

 ちょうど、会社の経営側と労働組合の関係のようなもので、労働組合の委員長を務めてから取締役会議に入って、もしかしたら社長になるというのと似ている。これだと、対立関係にならないんですよ。これでロ-マ社会は安定してくるんですね。大体、普通の国家は二大政党制なっていますから、現代でロ-マと同じやり方をしている組織はどこかといえば、ロ-マの法王庁ですね。バチカンの長命の秘密はここにあるんです。これは現代の政治で二大政党制がいい、と思い込んでいる人にとっては衝撃的じゃないでしょうか。


新しい国づくりの考え方「公と私」

歴史上で長い命を保った共同体、つまり、レスプブリカ(国家)とは、他に比べて優れた資質を持っていた国家ではないんです。持っている資質の活用を知っていた国家のほうなんです。資質を活用する術(すべ)を知らなかった共同体はだいたいが短命に終わっているんですね。
 話を日本にもどせば戦後の五十年、意外と、日本人は自分たちの資質を活用するシステムをつくりあげたわけですね。それが今、うまくいかないわけでしょう。新たなシステムを作る必要に迫られているのが今の日本ならば、「官と民」を続けていたんでは絶対にダメだと思う。ならば本来の姿にもどって、「公と私」にしよう。そして公と私を分ければ、官のなかでも分かれるわけです。この仕事は「公」、あの仕事は「私」、そして民のほうも私企業とはいえ、必ずしも「私」ばっかりではない。

ロ-マ街道を例にとれば、ロ-マ人は幹線道路建設を、政治であると思ったからやったんです。つまり、「公」であると信じて疑わなかったから、国費を投入し短期の採算なんか無視して強行したのです。ただし、地方自治体にとっての有益な道は別扱いでしたが。幹線道路とそうでない公道、それから地方自治体の道と私道、これらを意味するラテン語があったということは、彼らが道路を役割別に考えていたということなんですよね。

(参考)建築家 團紀彦氏談:官庁の仕事であれ,個人の仕事であれ,街並みをいうことになれば,「官」であれ「民」であれ「公のスペース」に関与する。

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