2012年1月24日火曜日

加瀬英明 納得の国体論紹介

「天皇のない日本」は日本ではない

先日、「柏朋会」という、寛仁親王殿下が主宰されている身障者の福祉団体のお招きを受けたので参りましたら、突然挨拶をするようにと言われ、そこで私はこういう話をしました。

――3カ月前、ちょうど野田内閣が発足した後にパーティーが催され、そこで以前から親しくしている中国の高官とばったり会いました。そこで、「日本では5年間で6人も首相が交代しました」と言ったら、この高官が「お国は人材が豊富ですから」と言って皮肉られました。

しかし、5年間に6人の首相が交代しても、日本国民は不安にかられて狼狽しているようなところが見受けられません。本来であれば、朝食も喉に通らないような不安を抱くはずなのに、落ち着いているわけです。

これはやはりご皇室があるためで、ご皇室の存在がいかに大切かということは、今回の東日本大震災もそうですし、こうした政治が不在の時でも日本は不思議なほど安定感を失っていない、というところに私は感じております。

本来ならば、私たちはご皇室にご心配をおかけしないように生きるのが務めであるのに、私は殿下をはじめご皇室の皆様にご心配をおかけしていることをお詫びしなければなりません――そのようなことを、そこで申し上げたのです。

「天皇のない日本」というのは日本ではありません。日本国民はもっと、お隣の中国、朝鮮半島の歴史を知るべきだと思います。わが国との一番大きな違いはどこにあるのでしょうか。中国では「易姓革命」と言って、この3000年の間に、40ぐらいの王朝――同時に10ぐらい並立していたこともありますから――が興っては滅びているわけです。

「易姓革命」とは何かと言いますと、中国の皇帝は「天子」と呼ばれますが、これは最高神である「天帝」の天命を受けて、一番徳のある者が天子の座に就くとされているわけです。そして、「徳を失った」ということになると、人民の間から徳を備えた新たな者が興って、前の王朝を倒し、新しい王朝を開く。しかし、この「徳を失った」、あるいは「徳を持っている」というのは、暴力革命の正当化に過ぎません。

一方、日本は125代にわたって、同じ天皇様を戴いています。そして、日本では「天皇が徳を独占している」ということはありません。ですから、大きな天災が起こると、その時々の天皇が国民に詫びる詔をしばしば出しておられます。

例えば、平安初期の平城天皇(第51代)は、大規模な水害が起こった時、「朕のまごころが天に通じず、天災を招いたことについて、その責任は朕一人にある」と詫びておられるわけです。その他でも、第45代の聖武天皇、あるいは第56代の清和天皇が、同じように自分が徳を欠いていたことを詫びる詔勅を出しておられます。

こういうことは、中国や朝鮮半島では考えられないことです。朝鮮半島はずっと中国の属国でしたから、歴代の王朝は「小中華」と言って、中国の完全なコピーであることを大変誇りにしていました。ですから、「日本マイナス天皇」という数式を考えてみますと、それは「イコール中国、朝鮮」になると私は思います。

日本文化のやさしさ――和の精神

日本文化の一番の「やさしさ」はどこにあるのかといいますと、やはり「和の精神」だと思います。私は英語の仕事をしていて、内閣の外交顧問として対米折衝のお手伝いをしたこともありますが、日本の「和」という言葉は外国語に翻訳できないのです。これは、中国語の「和」とも、英語の「harmony」とも全く違うものです。

日本の文化が非常に「やさしい」ということは、謙虚な文化だということです。その一番よい例が、7世紀に聖徳太子が公布された17条憲法です。第1条は「和を以て貴しとなす」から始まって、第10条が「自分だけが賢いと思ってはいけません、他の人にはそれぞれの考えと思いがあるものです」、それから第17条は「大切なことはみんなでよく相談して決めなさい。全員で合意したことは正しい」というものです。これは世界で最古の民主憲法です。

日本は神代の時代から、そういった和の精神があるわけです。私は比較神話と比較宗教の本を最近出しましたが、日本の神話は、韓国、中国、インドから、中東、ヨーロッパに至るまでのいずれの神話と比べても、これほどやさしい神話は存在しません。ギリシャ神話にしろ、ローマ神話にしろ、他の神話は非常に残虐、残酷なものです。

日本の神話には天照大御神(あまてらすおおみかみ)の話があります。高天原で大御神が一所懸命働いておられる稲田に、弟の須佐之男命(すさのおのみこと)が乱暴を働いて畔(あぜ)を壊した上、神殿に大便をまき散らしますが、大御神はお怒りにならず、「弟は酔っぱらっていたのだろう」と言ってお許しになります。

すると、須佐之男命は今度は大御神が重要なお祭りに備えて衣を織らせていた小屋の天井に穴を開けて、そこから馬の血だらけの死体を投げ込んでしまう。それを大神がお怒りになるのですが、弟を罰する代わりに、天の岩屋戸にお隠れになってしまうのです。

大御神は太陽神ですから、全世界が真っ暗になってしまいます。すると、八百万(やおよろず)の神々が天の岩屋戸の前に集まって、相談されるわけです。1番初めは、尾長鳥を連れてきて鳴かせますが、これは功を奏しない。次には、女の神様に、「乳房をあらわにして」と書かれていますが、滑稽な踊りをさせる。すると、八百万の神がどっと笑う。そこで、大御神が好奇心にかられて岩屋戸を少し開けて身を乗り出されたところを、力持ちの男の神様が引き出して、それで光が戻ったという話です。

これが外国の神話ですと、必ず最高神が全権を持っているわけです。ところが日本には、そういった全権を持った「万能の神」というのはおいでになりません。そして、天津神が日本列島に降りてくると、国津神と戦うことなく一緒になってしまいます。これもやさしいですね。

それから、神道は日本の最古の信仰ですが、「神道」という言葉はかなり新く、日本書紀に始まった言葉です。もともと名前がなかったのが、仏教が入ってくることによって、外来神に対して「神道」という名前が作られるわけです。ここでも、外来神がそれまで日本にあった神々を自分のものにしてしまうというようなことはなく、神仏が混淆(こんこう)して共存します。

キリスト教などは、ご承知のように今のイスラエルの地で生まれ、その後、地中海からヨーロッパに伝わって世界的な宗教になります。しかし、その過程で、キリスト教はヨーロッパにあった多神教を吸収し、多神教は消滅してしまうのです。クリスマスももともとは多神教の習慣で、キリスト教のものではありません。

日本には「宗教」という言葉は、明治に入るまでありませんでした。それ以前に「宗門」「宗派」「宗旨」という言葉はありましたが、自分の信仰だけが絶対的に正しくて、他の信仰を全て否定し、排斥するという考え方は、日本人にはなかった。明治に入って、「religion」の訳語として、「宗教」という新しい言葉を作ったわけです。

あるいは、「nature」を指す「自然」という言葉も江戸時代には存在せず、明治に入ってから訳語として作られました。確かにそれ以前も、仏教用語として「じねん」と読ませることはありましたが、これは全く違う意味です。それまでは、人間も自然もこの宇宙の中の1つの存在でしかなく、分け隔てがなかったのです。

しかし、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教――これは同じ神を拝む3部作の宗教ですが、ユダヤ教の聖書であり、キリスト教では旧約聖書と呼んでいる聖書のはじめに出てくる、神の人間に対する一番最初の命令は、「自然を支配し、思うがままに使うがよい」というものです。

日本にはそのように「人間」と「自然」が対立しているという考え方がないわけです。そして、「神」と「神」の間の対立もありません。これが「和」の精神で、日本以外にはないものです。

「祭り」と「お歌」

そして、日本の頂点にずっとおいでになった天皇も、謙虚なのです。今の陛下は125代目に当たられますが、この125人の中で、贅(ぜい)を極めた方というのは1人もおいでになりません。それから、恣(ほしいまま)に独裁を行った方もいらっしゃらない。そもそも、「独裁者」とか「指導者」という言葉も、明治以降に「dictator」「leader」という言葉が入ってきて、その訳語として作られたものです。

今、「中東の民主化」などと言われ、「民主化」という言葉が世界中を風靡(ふうび)していますが、日本は神代時代から民主主義があった国であり、その素晴らしい「和」の社会を束ねてこられたのが、天皇でいらっしゃるわけです。

日本は不思議なことに、超先進国になった今でも、「古代」が私たちの生活の中に生きています。例えば、宮中では、日本民族がまだ文字を持つ以前からの伝統である宮中祭祀が行われています。宮中祭祀の中でも一番重要なお祭りが「新嘗祭」です。

新嘗祭は、そこに天照大御神が降りてこられ、陛下が新穀をおすすめして、天照大御神とご一緒に新穀を召し上がられるという神聖な儀式で、その時に使われるお皿は柏の葉です。それから、箸は今の私たちが使っている2本棒の箸ではなくて、竹を火で炙ってピンセット状にした、箸の原型と言われるもので、毎年京都の石清水八幡宮で切り出された竹が宮中に献上されて、それで作っています。陛下が柏の葉に新穀を盛り付けられ、ピンセット状の竹の箸で大御神におすすめし、ご自分もご一緒にお食べになる、というのがこの儀式の一番中心にあるわけです。

あるいは、来年は伊勢の式年遷宮が行われます。式年遷宮は、20年ごとに全く同じご社殿を作って、御霊をお遷しする儀式ですが、これも世界に類例のないことです。古代ギリシャの神殿パンテオンや、ローマのコロシアムは今では遺跡になっていますが、伊勢神宮は遺跡ではありません。遷宮は、他にも熱田神宮などの大きな神社で多く行われています。

また、新聞の朝刊などに時々、和歌と俳句の投稿欄が載ります。そこに出てくる和歌の形式は、日本書紀に載っている一番初めに須佐之男命お詠みになったというお歌をはじめ百首余りの歌――当時はまだひらがながなく、漢字を表音文字として使っているのですが――の形式と全く変わらないのです。英文学にしろ、フランス文学にしろ、ドイツ文学にしろ、中国文学にしろ、古代詩と現代詩は全く形式が違うのですが、日本だけは同じなのです。中国、朝鮮半島では易姓革命が起こるたびに、その前の文化が否定されてきましたが、日本では、古代の文化が今日まで脈々と生き続けているのです。

それでは、天皇のお役目とは何でしょうか。それをなさらなかったら、天皇が天皇でなくなってしまうというものは何でしょうか。それは2つあると思います。1つは、宮中のお祭りをなさることと、もう1つは、お歌の伝統を継いでいかれることです。国会の開会式にご臨席になるとか、外国の元首を迎えて宮中晩餐会をなさるとか、閣僚を認証なさるなどというのは、今の制度の枠の中でのお仕事にすぎず、125代に渡って綿々として続けてこられたのは「祭り」と「お歌」です。

年が明けますと、宮中でお歌会始が行われます。テレビで1部を放映していますが、毎年御題が出されて国民から公募し、天皇をはじめ皇族の方々が入選者とご一緒に歌会をなさるものですが、そこでのお歌は2回繰り返して朗々と歌うように詠まれるわけです。これは、良い言葉を発すると世界の現実が言葉にそって良いものになるという言霊信仰からきていて、1つの祈りの形式なのです。ですから、日本を束ねているのは「祈り」の精神であり、日本文化の一番の根を支えておられるのがご皇室なのです。

「女性宮家」は「女系天皇」への入り口

昨年の終わりに、政府が突然「女性宮家の創設」ということを言い出しましたが、これは恐らく「女系天皇」への入り口となるもので、大変危険なことです。皇統はこれまで、125代にわたって男系で受け継がれてきました。これが女系に代わった場合には、天皇という、私たち日本国民にとって最大の無形の財産が壊されてしまいます。

私は、zェ仁親王殿下にこういうことを申し上げたことがあります。

「もし女系の天皇でよいということになったら、『歌舞伎に女優を出せ』というのと変わらなくなってしまいます。1つの伝統というものは、作り上げるのに最低でも1000年以上かかるでしょう。しかし壊すのは一瞬でできます。ですから、どんなことがあっても男系を繋いでいかなければ、天皇家が天皇家でなくなってしまいます」

そうしましたら、殿下も「その通りです」と仰られました。

私は小堀桂一郎先生などとご一緒に、この問題で2年間研究会を続けましたが、私たちの結論は、皇室典範を改めることなく臨時措置法を以て、占領下でアメリカが臣籍降下を強いた11宮家の中で、30歳以上くらいの男性――旧皇族のお孫さんにあたられますが――の中から相応しい方を3人か4人選んで、皇籍に戻っていただくことが一番良いというものです。

よく「60年も皇籍を離れていた人たちが宮様になったら、国民が馴染めない」などと言う人がいます。少々俗っぽい話になりますが、時々「ニセ皇族」というのが現れて何億円も詐欺を働くという事件が起こりますね。ニセ皇族でさえ国民はそれだけお金を渡すわけですから、本物が皇族として戻った場合に国民が馴染めないなどということは、絶対にないと思います。

また、イギリスの王室が「長子優先」を採用したと言われますが、ヨーロッパの王室と日本の皇室を比べることは全くできません。ヨーロッパの王室は、全部外国人です。今のイギリスの王室はもともとフランス人で、イギリス人ではないのです。そして、たびたびドイツの王家から血を引いてきています。例えば、ヴィクトリア女王の配偶殿下はドイツ人です。それで、次の代に王家の名前も「ハノーヴァー家」からドイツの王家の「サクス・コバーグ・ゴーサ家」に変えました。しかし、第1次大戦でドイツと戦争になった時に、ドイツの王家の名前では都合が悪いというので、ウィンザー城の名前をとって今の「ウィンザー家」になったわけです。ですから、日本の皇室とは成り立ちが全く違います。

今年は、もしかすると女系宮家創設へ向けて、事態が早く動くかもしれません。私たちとしてはあくまでも、今の各宮家の女王がそのまま宮家を創設される、あるいは宮家を継ぐのではなくて、旧皇族のお孫さんで相応しい方と結婚されることを前提として、女性宮家というよりも、旧皇族のお名前を宮家として復活させた方がよいと考えております。

今や、「日本国憲法は、占領下でアメリカが日本に強要したもので、現実にそぐわないものだから改正しなければならない」という声が国民の多数を占めるようになりました。それだったら同じように、11宮家の臣籍降下はアメリカが占領下で日本を弱体化するために強いたわけですから、どうしてこれを本来あるべき姿に近い状態に戻そうという声がもっと大きくならないのでしょうか。

小泉首相の有識者会議は、「女系天皇」ということを打ち出しましたが、これはアメリカの占領軍でさえ行わなかったことです。「女系宮家」というと一般の人には聞こえはいいですが、これは今問題になっているTPPなどよりも、はるかに大切な問題です。

民主党の中にも「男系を守らなければならない」という意見を持った人は多くいます。今年は危機感を持って、皆さんとご一緒に「女系天皇」に繋がる動きを阻止したいと思っております。
加瀬英明

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