2015年8月29日土曜日

「懐かしい未来」を開く里山資本主義

森林資源の活用が、お金の流失を防ぎ、雇用を増やし、
地域を豊かにするという地方創生モデルのお話!!

「里山資本主義」(藻谷浩介、NHK広島取材班共著)
のお話です。

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国際派日本人養成講座 No.914  <<   作成日時 : 2015/08/23 08:00   >>


 里山の資源を有効活用すると「懐かしい未来」が見えてくる。

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■1.裏山の木の枝でご飯を炊く楽しさ

 広島県の北部、中国山地の庄原(しょうばら)市に住む和田芳治(よしはる)さん(70歳)は毎朝の御飯を小さな「エコストーブ」で炊いている。

 ガソリンスタンドからタダで貰ってきた石油缶に、ホームセンターで数千円ほどで買ってきた管を煙突がわりに付けて、手作りしたものだ。裏山から集めた木の枝を数本くべて炊くと、御飯はピカピカ光って旨い。

画像


 訪ねてきた客に食べさせたら、「しもうた」と思わず、漏らした。「つい先日、7万円やら8万円出して、電気釜を買ったのに、あれとは全然違う、こっちの方が旨い」と悔しがっていた。

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 毎回できが違うかもしれないと思って気を遣うこと、いろんな木をくべることも含め、不便だといわれるかもしれません。でも、それが楽しいんですね。結果、おいしいご飯。これが三倍がけ美味しいんです。こういうものを使うことによって、笑顔があふれる省エネができるんではないか。[1,p48]
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 電気代も節約でき、枝を拾うことで放置されていた裏山にも手が入る。

 炊飯器のスイッチ一つでご飯を炊けるというのは便利この上ないが、その陰には、途方もないグローバル資本主義が動いている。中東で採掘した石油をはるばる日本まで運んできて火力発電所で発電し、その電気を日本各地に送る、というグローバルな物流や送電のネットワークだ。どこか一カ所で戦争や天変地異でもあれば、たちまち電気が止まって、毎朝の炊事にも事欠く。

 その一方で、若者は仕事のある都市部に吸い寄せられ、多くの地方の集落が過疎化、高齢化して、いつ消滅するかと先行きを危ぶまれている。放置された森林は荒廃し、耕作を放棄された田畑が広がる。

 グローバル資本主義の不安や矛盾を打破しようと、里山を活用した工夫がいろいろ進められている。エコストーブはそんな工夫の一つである。これを[1]の著者は「里山資本主義」と名付けている。


■2.産業廃棄物だった木くずで発電

 里山の資源活用をより大規模に実現するのが「木質バイオマス発電」だ。バイオマスとは生物由来の有機性資源で、石油など化石燃料を除いたものを指す。

 岡山県真庭(まにわ)市は中国山地のど真ん中にあり、面積は琵琶湖よりも広いが、山林が8割を占め、住人は5万人足らずという典型的な山村である。

 町を支えるのは、林業と、切り出した木材を加工する製材業で、大小あわせて30ほどの製材業者がある。住宅着工の出口の見えない低迷で、どこも苦しい経営を続けている。

 そんな中で、製材メーカーの一つ、銘健(めいけん)工業の中島浩一郎社長は、「発想を180度転換すれば、斜陽の産業も世界の最先端に生まれ変わる」と新しい試みに取り組んできた。

 それが製材の過程で出てくる樹皮や、木片、かんな屑などを燃やして発電する「木質バイオマス発電」だ。平成9(1997)年に導入した発電装置は、高さ10メートルほどの円錐形をしており、24時間稼働して出力2千キロワット/時、一般家庭2千世帯ほどの電力を供給する。

 中島さんの工場で使用する電力はこれですべてまかない、夜間の余った電力は売る。これに従来、木くずを産業廃棄物として処理していた費用も含め、合計年間4億円も得をしている。発電施設は10億円かかったが、わずか2年半で回収した勘定となる。


■3.一般家庭2万2千世帯分の発電所

 ただ、製材工場で出る木くずは年間4万トンもあり、この発電設備では使いきれない。そこでかんな屑を直径6~8ミリ、長さ2センチほどの円筒形に固めて販売することにした。木質ペレットと呼ばれる。

 この木質ペレットを燃やすには、専用のボイラーやストーブが必要だが、灯油と同じように燃料タンクに入れるだけで良い。しかも灯油と同じコストで、ほぼ同じ熱量を得ることができる。

 市の後押しも得て、地元の小学校や役場、温水プールなどに次々と木質ペレット用ボイラーが導入された。個人宅用ストーブや農業用ボイラーにも、行政からの補助金が出て、広く普及するようになった。しかも、水分を蒸発させて熱を奪う、という方式で、冷房にも使える。

 市の調査では、全市で消費するエネルギーのうち、11%を木のエネルギーでまかなっているという。日本全体での太陽光や風力などの自然エネルギーの割合はまだ1%なので、それに比べれば、すでに主要なエネルギー供給手段の一つになっている、と言える。

 この成功例をもとに、出力1万キロワットの木質バイオマス発電所の建設が始まり、本年4月から稼働が始まった。一般家庭2万2千世帯分というから、真庭市全体をカバーできる発電量である。


■4.安心、安全な社会を築く

「1960年代に入るまでは、エネルギーは全部山から来ていたんです」と、中島さんは言う。

 裏山から薪(まき)を切り出し、風呂を沸かし御飯を炊く。山の炭焼き小屋で作られた木炭が、都市部の一般家庭でも使われていた。

 今でも60代以上の人は、子供の頃に、都市部でも七輪でサンマを焼いたり、あんかの炭火で暖をとったり、田舎の祖父母の家に行けば、いろりで薪を燃やして、なべ料理をしたり、という光景を覚えているだろう。それはわずか半世紀前の事なのだ。

 逆に言えば、ガス・ストーブで暖房したり、電気炊飯器で御飯を炊いたり、という生活スタイルは、わずか半世紀間に起こった変化でしかない。その結果として、我々の生活は大いに便利に快適になったが、その半面、グローバルな供給システムで上述したような大きな不安も抱え込むことになった。

 木くずを利用したバイオマス発電は、地域分散型だけに他地域の経済、社会、天候の変動に影響を受けることが少ない。それだけ安心、安全な社会を築くことができる。


■5.若者が帰ってきた

 バイオマス発電は、電気だけでなく、雇用も生み出す。今まで山間に放置されてきた間伐材を受け入れ、細かく砕いて燃料用のチップにする工場「バイオマス集積基地」が平成20(2008)年に設立された。そこにかつて都会に出て行った若者が帰ってきた。

 28歳の樋口正樹さんは、高校を卒業後、地元・真庭市で就職先を探したが見つからず、岡山市で自動車販売会社に就職していた。それが今では、クレーンを自在に操り、間伐材を運んでいる。収入は多少減ったが、木の香りに包まれてする仕事が気に入った。

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 働いてみるといろいろなものが面白い。汗をかいて自然の中で生きるのも、ぼくにはあっているのだと気づきました。木材産業なんて古くさいかと思っていたら、バイオマスって、実は時代の最先端なのだと知り、とてもやりがいを感じています。[1,p44]
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■6.「ありがとう」と言って貰えるうれしさ

 里山資本主義は経済だけでなく、人々の生活そのものにも潤いを与えるという、身近な事例がある。

 冒頭に登場した和田芳治さんの近所に住む熊原(くまはら)保さん。同じ庄原市で、高齢者や障害者の施設を運営している。ある時、デイ・サービスを利用しにやってきたおばあさんが、熊原さんにこう言った。「うちの菜園で作っている野菜は、とうてい食べきれない。いつも腐らせて、もったいないことをしているんです」

 年齢は80を超えるお年寄りだが、自宅では毎日元気に畑に出て、野菜を育てている。何十年も農業をやってきたプロだから、見事な野菜が沢山できるが、老夫婦だけの家庭では食べきれない。

 昔は近所に子供を抱えた若夫婦などもいて、料理したものを「食べんさい」と持っていったりしていたが、今は過疎化で空き家が増え、食べてくれる隣人も少なくなった。

 それを聞いて、熊原さんは膝を打った。自分の施設の調理場で使っている野菜は、市場で仕入れた県外産ばかりだった。市場で野菜を大量に仕入れた方が安くあがる、と考えていたのだが、近隣でお年寄りたちの作る野菜を使わせて貰えば、食材費は劇的に抑えられる。

 熊原さんは「みなさんの作った野菜を施設の食材として使わせてもらえますか?」というアンケートをとった。すると、施設に通うお年寄りを含め、100軒もの家から、「是非、提供させて欲しい」との返事があった。

 試験的に施設で野菜を集めることになって、ある農家に行くと、たまねぎやじゃがいもをどっさり用意して待ち構えている。老夫婦の顔は生き生きと輝いている。「嬉しいですよね。ありがとうと言ってもらおうなんて思ってなかったのに、それくらいのことでたすかるんじゃね」


■7.「張り合いがでました」

 熊原さんは、従来の1億2千万円の食材費の1割を、地域のお年寄りの作った野菜などでまかなう目標を立てた。野菜を提供してくれたお年寄りには、自作の地域通貨を配る。施設でのデイ・サービスや、レストランで使って貰おうというのだ。

 レストランは近くの廃業した店を買い取って、改葬したものだ。客数は見込めないが、近所のお年寄りは時々、ここに集まって、おしゃべりをするのを楽しみにしていた。そんな場所がなくなった、という話を聞いて、レストランの復活を思いついたのだ。

 時々、このレストランに友だちとやってくるのが近所の一二三(ひふみ)春江さん。夫を亡くして、大きな家に一人暮らし。畑仕事に出たついでに、道で誰かと立ち話でもできないかと、あちこち当てもなく散歩する。誰とも出くわさなければ、一言も話せないまま、一日が暮れる。

 今は、時々、友だちを誘って、このレストランにお昼を食べにやってくる。春江さんの菜園で育ったカボチャで作ったグラタンが出されると、みんなが「おいしい」と褒める。会計の時には、貰った地域通貨を使うのも、誇らしい。「また、がんばって仕事をしなくちゃ。張り合いがでました」

 実は、このレストランの隣には、保育園が併設されている。春江さんたちは、時々そこで子供たちと遊ぶ。みな、何人もの子供を育ててきた大ベテランだ。子供たちの輪に入って、昔の童謡や遊びを手取り足取りしながら教える。

 しばらく遊ぶと、子供たちのお昼寝の時間になった。先生が「じゃあ、きょうはこれでおしまい」と告げると、子供たちは「もっと、遊びたい! 次はいつくるの」。

 その場に居合わせたお母さんの一人はこう語る。

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 孤立した私と子どもが、保育園に行って先生に預けて帰るという、ただ単にそれだけの関係ではなくて、周りの人に生かされている、、それがすごく温かい。私もすごく安心しますし、子どもも色々な人との関わりを通して、学ぶものがたくさんあるんじゃないでしょうか。[1,p221]
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 実は、子供を預けている母親の一人は、レストランの調理場で働いている榎木(えのき)寛子(ひろこ)さんだ。子育て中の母親に仕事の場を提供したい、というのも、熊原さんがレストランを開いた理由だ。こういう職場があってこそ、田舎の豊かな自然の中で子育てができる[a]。


■8.「懐かしい未来」

「懐かしい未来」という言葉がある。スウェーデンの女性環境活動家がヒマラヤの秘境の村で伝統的な暮らしを目の当たりにして、21世紀にはこうした価値観が先進国にも必要ではないか、という考えで、唱えだした言葉だそうな。

 前節で紹介した光景は、まさに半世紀前の懐かしい過去を彷彿とさせる。農家は庭先でとれた野菜を近隣の人々と交換し合う。近隣の子供たちは一緒になって、川で魚取りをしたりして遊ぶ。赤ちゃんや幼児は、お年寄りが面倒を見る。

 そんな光景が、わずか50年ほどで失われてしまったのだ。農作物は商品として市場で売られる。大きさや形が揃い、しかも大量に作られるものが買われ、少量の作物は庭先で打ち捨てられる。

 若者は都会に出て行って、農村では子供は数少なくなった。あちこちの家が空き家となり、耕す人のいなくなった田畑は休耕とされる。森林は朽ち果てたままとなる。その一方で、大量の食料やエネルギーを遠い外国から輸入する。こんなグローバル資本主義はどこか、おかしいのではないか。

 本稿で紹介した事例は、いずれも、この矛盾をなんとかしたい、という問題意識から出ている。

 それが、いずれも、わずか半世紀前のわが国の社会のありかたを再現しているのは、興味深い。要は、里山資本主義には我がご先祖の数千年の知恵が詰まっているということなのだろう。

 スウェーデンの女性環境活動家はヒマラヤまで行かなければ「懐かしい未来」にたどり着けないが、美しい自然と豊かな伝統に恵まれた我が国には、すぐ手の届くところに、「懐かしい未来」が待っているのである。
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2015年7月9日木曜日

「スマート・テロワール : 農村消滅論からの大転換」を読んで

 当NPOの正会員池田広君が読後感を書いてくれました。特に重要な感銘を受けた部分を整理してあります。
 この通りにできるかどうかは判りませんが、注目すべき提言がない中で、地方創生にとって、根本的で現実的な提言だと思います。
 是非、本『スマート・テロワール-農村消滅論からの大転換-』(松尾雅彦著学芸出版社)をお求めになって下さい。

http://www.amazon.co.jp/スマート・テロワール-農村消滅論からの大転換-松尾雅彦/dp/4761513446



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隅から隅までよく行き届いた啓発の書でした。

「スマート・テロワール」とは、地域内でのできる限りの自給を目指す地域ユニットのことです。川勝平太静岡県知事は、「美しく強靭な農村自給圏」と言っておられます。
 読み進める中で、いま日本がかかえる3つのムダが浮かんできました。その3つのムダの有効利用が、著者の説く「スマート・テロワール」の実現によって解消に向かうであろうことがよく理解できました。

○「食べ物の13は口に入ることなく棄てられる」ムダ
 1970年代日本は、食料の「供給不足時代」から脱却して「供給過剰時代」になりました。しかし、《我々が食べる量は毎年減っているのに、マーケットに投入されている食べ物の勢いはとどまることを知りません。
 消費カロリーと供給カロリーの差がどんどん広がっているということです。消費されているのはわずか三分の二で、それ以外の三分の一がロスや廃棄されていることを意味します。》(29p

○「100万ヘクタールの農地が過剰状態」のムダ
《全国で水田は270万ヘクタールありますが、その内約100万ヘクタールの水田が過剰で休耕田や耕作放棄地になっており、維持するために莫大な国費をかけています。》(34p
 農業の進歩で反収増加(200kg→600kg100年間)の一方でのコメ需要は半減、過剰水田の有効活用策はなおざりのまま、金に飽かせた補助金づけ。農家はいつのまにかユデ蛙。

○「160万人が『つとめ』を果せない」ムダ
 ニート(若年無業者)数60万人、さらに40歳以上のひきこもり推定100万人とも。
 《食料品の場合、30%が捨てられています。利益の追求を至上目的にしたあげく、労働時間は増えて、休暇も取れず、作った商品は捨てられるという本末転倒な事態に陥っているのです。》(190p)娘が、専門学校時代のアルバイト先(学生食堂)で、食べ残しや売れ残りが惜しげもなく捨てられるのを見て「耐えられない」と辞めたのを思い出しました。
 その娘、義務教育はずっと学校に不適応、「困った娘」でした。ニートの多くは市場経済的利己主義への不適応、今の世の中では役立とうにも役立てない、がんばろうにもがんばれない。

 著者の発想の原点は《未利用資源の活用》(251p)です。三つのムダは見方を変えれば「未利用資源」。解決の方途(みち)が次のように示されます。

 1970年代に迎えた食料供給過剰時代、以来消費者の関心は自身の健康に向かっています。本来日本の農業は、多様な食物を供給することで時代のニーズに応えねばならなかったのです。にもかかわらず日本の農村は「瑞穂の国」の幻想でコメの単作にこだわりつづけました。
 その結果の農村破綻です。著者は断言します。《健全な農業の建設を阻んでいるのは多すぎる水田です。その破壊なくしてアルカディア(桃源郷)はありません。》(206p

 水田は、水の流れを基本にほぼ50%を畑地や草地に転換。水田は低い平地のみ。水はけのよい傾斜地は畑地に。さらに急峻な耕地は牧草地にして畜産へ。日本の食料自給率39%ということは、ひとたび消費地生産主義で自給を目指すや、大きな可能性に転じることを意味します。
 帯に「農村は15兆円産業を創造できる」とあります。《自給圏で水田を畑地に転換するのは、今から、15年程度を目標に進めます。その間に後継者を得られず離農する農家は相当数に上るでしょう。そこを引き取るのは専業農家や都市から帰還した元気な若者になります。》(74p
 畑作物、畜産物の食品加工場と農家の間には生産契約が交わされ、農家は、天候リスクや市場リスクに左右されない安定した経営が行われます。《30年後には加工場が仕事を増やして女性が活躍し、子どもたちの元気な声も聞こえる農村になっています。》(74p

 問題解決のための単なるノウハウ書ではありません。世界を変える思想書であり、世の中のあり方、人の生き方を問う哲学書でもあります。《都市部では経済的な「かせぎ」が多様性を生み、それが活力の源になっています。
 一方、農村部では地域社会のなかでの「つとめ」が活力を生みだします。共同体としての力が、人々を支えるのです。》(246p)《農村に働くのは利他主義であり、互酬に基づく経済です。それを理解せずして、市場経済の利己主義で経営を行おうとしては農村部では成功できません。》(247p

 著者は、われわれが80年代初頭『パンツをはいたサル』(栗本慎一郎)によって知ったカール・ポランニー思想(『大転換―市場社会の形成と崩壊』)紹介の、日本における最先端に位置していたことを「あとがき」で知りました。カルビー株式会社の現在はその思想実践の結果です。その実績をふまえての「スマート・テロワール」構想、夢に満ちた彩り豊かな世界が確実に見えてきます。
NPO法人信州まちづくり研究会 正会員 池田広


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「スマート・テロワール : 農村消滅論からの大転換」内容紹介


当NPOの正会員池田広君が書いてくれました。概要を知ることができます。
この通りにできるかどうかは判りませんが、注目すべき提言がない中で、地方創生にとって、根本的で現実的な提言だと思います。
 是非、本『スマート・テロワール-農村消滅論からの大転換-』(松尾雅彦著学芸出版社)をお求めになって下さい。

http://www.amazon.co.jp/スマート・テロワール-農村消滅論からの大転換-松尾雅彦/dp/4761513446


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待望の著書が発刊された。実業に携わる方が日本農業について本格的な論考を展開したことにまずは敬意を表したい。
 著者はカルビー社の経営に携わりながら、同社のビジネス戦略の要諦である原料ポテトの調達を巡って様々な破壊的イノベーションを繰り返し、その体験を通じて日本農業の抱える根本問題を読み解き、その解決策について実に深い論考を展開して、体系的でしかも極めて具体的な処方箋を描き出した。

日本農業を巡る悲観論の洪水
 日本農業の将来について多くの悲観的な情報が飛び交っている。
 農業の担い手が高齢化し、しかも後継者が不足していること。
 政府の農業政策が長期にわたって稲作を中心に展開され、これがコメの生産過剰をまねき、多くの休耕田や耕作放棄地が政策の失敗の置き土産として残されてしまったこと。
 巨大な農業国である米国やオーストラリアそしてニュージーランドなどが主導権を握るTPPがこれまで以上に農畜産物の市場開放を進めることになり、生産性が低く高価格な日本の農畜産物の敗戦が濃厚に見えていること。
 何よりも巨額の補助金が投下されているにもかかわらず自給率39%の改善が一向に進まないこと。などなど悲観的な要素を上げればきりがない。

難問あまたの日本農業にはたして起死回生の妙手はあるか?
各方面から日本農業改革案が打ち出されている。アベノミクスの規制改革、地方創生策の中にも日本農業の再生に向けて照準が向けられている政策が散見される。
 農協改革、農地委員会改革、農業法人改革などが試行されようとしている。いずれも規模の拡大と農家の経営改革が中心に据えられている。

 しかしこれらの政策はいずれも農業の環境ともいうべき農村の改革を意図したものではない。農村とは切り離された形で農業が独り歩きでき得るという前提でイメージされている。
 しかし農業は農村という環境とともに語られなければ最適解は得られない。農村抜きの改革はすべてが個別最適であっても全体最適をもたらすものではない。
 農村のあるべき姿とともに農業のあるべき姿を設計しなければ農業は立ってもその環境たる農村は荒廃を極めることになる。それは農村に工業を誘致し多くの雇用創出は実現できたものの、農村が荒廃の危機に瀕している状況を経験してきたことから容易に想像可能だ。

 松尾氏の『スマート・テロワール』は農業の再生が農村の再生と一体となって実現するビジョンを見事に描き切っている。そして農業の再生は農家が主体ではなく、農村に立地する食品加工業や周辺都市の小売業との協業なしにはあり得ないことが大前提で語られている。

以下にその要旨を書き出してみよう
 日本を三分割してみる
 筆者は日本の地域を三つのクラスターに分解する。「大都市部」「中間部」「農村部」がそれだ。この3つのクラスターはほぼ4,300万ずつの人口を擁する。もちろん面積は「農村部」が一番多く全体の80%を占める。

 このように3分割してそれぞれのクラスターの比較をしてみると、これまで日本全体を対象に論じられてきたイメージとは全く異なる日本の姿が見えてくる。
例えば出生率は全国平均が1.2で少子高齢化が騒がれる根拠になっている。しかしこれを分解してみると、都市部で1.0に過ぎないが、なんと農村部では2.6にも達するのだ。
 この事実から農村部の人口を増加させる政策が唯一人口をプラスに転換させることが可能になるという論点が見えてくる。

スマート・テロワール
この「農村部」を歴史環境や郷土愛などをベースに地域住民から見て一体感の持てる地域に分解すると100~150の地域ユニットに分けられる。これらのユニットの人口は10万人~70万人、平均では40万人程度になるという。

 こうした地域ユニットをそれぞれの地域を、風土、品種、栽培法などが育む独特の地域特性を持った地域に、知恵の限りを使って実現しようという構想が「スマート・テロワール」だ。

水田を畑地へ転換して作物を米から穀物へ
 地域ユニットの創生は穀物の生産を主体とする農業の構築から始められる。昔から五穀豊穣と言われてきたが、現在は米だけに偏った一穀農業になってしまっている。
 戦後の農政が米だけを唯一の対象にして、モノ、カネの全ての資源を投下し、他の作物や畜産を強制的に止めさせてきたことが一穀物農業という怪物を創ってしまったというわけだ。

 その結果耕作地は水田ばかりになり、水田の総面積は270万ヘクタールに達することになった。しかもコメの生産性はみるみる向上し、一方ではコメの消費量は縮小に向かい、コメの過剰が問題化するに至った。
 いまや100万ヘクタールの水田が休耕田や耕作放棄地になってしまっている。この100万ヘクタールを水田から畑地に転換し、小麦、大豆、馬鈴薯、トウモロコシなどの新穀物を栽培すればいいわけだ。

畜産が農業革命の柱の一つになる
 更に地域ユニットでは畜産も不可欠の産業として育てなければならない。トウモロコシが畜産用の飼料として活用されるからだ。またその他の穀物の皮や茎など廃棄処理されるものも家畜の飼料となる。
 更には家畜の糞尿が堆肥として畑地に利用され、余剰物はバイオマス燃料として活用可能になり、地域のエネルギー源として使われる。こうした循環型の農畜産業の展開によって全く無駄のない資源の有効活用が実現するわけだ。

食品加工業も不可欠のプレイヤーだ
 地域ユニットの構成要素として農業と並んで大事な産業は食品加工業だ。食品加工業と農家が有機的な連携をすることで、地域の州民に向けた食品のうち50%程度は供給可能になり、結果として自給圏として自立が可能になる。
 加工業は消費者の要求する品質規格を農家に示し、品質による格付けによって農産物の価格を変えて、品質向上のモチベーションを農家にもたらすことが可能になる。

 また加工場は多くの女性の雇用を創出し、都市から農村への人口の回帰を可能にする。結果として農村部の出生率は2.5を超えているので、ここでの若年人口の増加は少子高齢化に歯止めがかかり、フランスのように人口増加のトレンドが生まれる可能性を獲得できるようになる。
 そして小売業もスマート・テノワールの創生に大きな役割を果たす。小売業の棚の加工食品の40%程度を地域の農畜産品で品揃えをすることで小売業は、農家と地域住民との連結環になるわけだ。

やがて桃源郷が実現する
 こうした農業革命は農村の景観を大きく変えることになる。一穀から五穀への転換はまず畑地の景観を変える、その上に放牧された家畜の姿も農村にこれまでなかった美しい景色をもたらすことになる。

 かくしてスマート・テロワールが日本全土に出現すると、日本の姿が大きく変わる。
まずは少子高齢化に歯止めがかかり、人口増加も夢ではなくなる。
 続いて食料自給率も現状の39%から67%へと劇的に改善される。これまで輸入に頼ってきた五穀の生産と畜産の増産が効いてくるのだ。

 著者の計算では約15兆円が輸入から自給へと転換が図られる。エネルギーの自給も進み、化石燃料の輸入が大きく減少し、原子力への依存も不要になる。
 そして何よりも農村が桃源郷へと変わる。都市生活者も憩を求めて、おいしい料理や美しい景観や懐かしいコミュニティに触れるためになくてはならない地域に変貌する。もちろん海外からの観光客もどっと押し寄せる。
 まさにバラ色の未来図がここに展開されている。これほどまでに人をわくわくさせる政策論があっただろうか。これを読んで多くの関係者がここに描かれた未来の建設に関わることを望むに違いない。

「スマート・テロワール」実現へのマニュアル
 筆者は各地でスマート・テロワールを実現する具体的なプログラムまで用意してくれている。著者の示すステップを踏めば確実に実現できそうだという気になる。まさに実業に携わってきた筆者ならではの面目躍如たるところだ。

 そのいみで本書は、課題解決のメソッドを体系化し、パッケージとして提供するという、日本人離れした提案までしてくれているのだ。
 まずは地域ユニットの住民がそれぞれの地域の魅力を最大に膨らませるビジョンを描くことから始めなければならない。実行するのは地域住民ひとりひとり。地域住民の自律がこのムーブメントの成否を分けることになるということだ。

追加的に考えなければならない論点
 一つだけ問題点を指摘するとすれば、地域ユニットは自給自足で完結するわけではない。当然ながら他の農村部ユニットや中間部や大都市部との交易も不可欠になる。
 例えば北海道の十勝地方。人口35万人のこの地域は日本全国の消費者や加工業者に向けた農畜産物の巨大生産基地になっている。それだけの農畜産物を生産していながらこの地域の自給率は現状でたった7%でしかない。

 この地域が自給生産圏になってほぼ40%の自給率までになった時に、当然それまで他地域に移出されていた農畜産物の量は減少する。そのときこれまで十勝地方に頼っていた他地域の消費者や加工業者は十勝地方に替わる供給者を探さなければならない。それはどのように解決すればいいのか。
 30年もかかってようやく実現できることだから、徐々に解決が進むというように理解するということで別に不都合はないのかもしれないが問題提起しておこう。

おまけ
 なお本書全体を読み進む方々は、本書を通してカルビー株式会社の強みや成長の成功要因をうかがい知ることもできるという思わぬおまけも愉しむことができる。
という意味で本書は経営書としてもお勧めだ。
 本書は優れた日本農業論、日本経済論、経営戦略論、そして実践経済人類学さらには哲学書として、まさに多様な要素を包含する快著と言うべきだ。

NPO法人信州まちづくり研究会 正会員 池田広

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2015年6月30日火曜日

東信スマート・テロワール研究会へのお誘い

子供や孫達に
誇りに思える郷土を残したい!

東信スマート・テロワール研究会(仮称)へのお誘い
 
◯東信で「スマート・テロワール」構築が可能か一緒にスタディしてみませんか?
私たちは一足先に松尾氏の本を読んで興味を持った人間の集まりです。失礼ながら正直なところまだ半信半疑でして、本当に松尾氏のおっしゃるような事が我々のまちでも可能かを調べてみたいのです。興味のある方、お手伝いいただける方を募集しています。

◯まずは夢を語りあうだけでも楽しいではありませんか
みんな自分たちの郷土がよくなって欲しいんです。このたび松尾氏から「目からうろこ」の「農村にこそ成長余力がある」という提言をいただきました。この元気のでそうな提言をきっかけに郷土の再生や将来の可能性を語りあうことは楽しいと思います。

◯実際の地域のデータにあてはめてポテンシャルを探ってまいります。
人が少し集まれば、分担して我らが地域の生産データ・消費データ、土地利用・空家・空地状況、地域の特性などを調査して現状を把握すれば、より現実味のあるビジョンが描けるかと思います

◯資格など一切ありません。お気軽にお問い合せ下さい。
松尾先生個人や行政ほか特定の団体とは無関係のただの集まりです。ボランティアですので報酬などはありませんがどなたでも大歓迎です。下記までお気軽にご連絡をお待ちしています。


東信スマート・テロワール研究会(仮称)提唱者

NPO法人信州まちづくり研究会 理事長:齋藤兵治
(このNPOについては「信州まちづくり研究会」で検索してください。)

事務所:384-2305長野県北佐久郡立科町芦田2076-1(安江方)
電話・FAX:0267-56-1033 ケイタイ(事務局:安江高亮):090-3148-0217
問合せアドレス:contact@smk2001.com

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2015年4月23日木曜日

”素敵なコミュニティづくり”に参加しませんか!

 現在は寂れてしまっていますが、立科町芦田町区は中山道芦田宿だった由緒ある町です。この町を「永遠に持続可能な町」(サステイナブル・コミュニティ)に創り変えていこうという計画です。
 21世紀の日本のもっとも崇高で価値ある挑戦だと思います。

・・・◇◇・・・

”素敵なコミュニティづくり”に参加しませんか!

 こんなこと言われても意味が判らないよ!と皆さん仰るでしょう。
 しかし、漠然とでも「できることなら自然豊かな田舎で暮らしたい」と、考えている方はたくさんいらっしゃるだろうと思います。そんな皆さんへのお誘いです!

 実は、私も理事の一人であるNPO法人信州まちづくり研究会(平成13年設立)が、このプロジェクトの推進役を務めようとして、昨年からこの取組を始めましたが、現在、ワークショップをしながらコンセプトと推進計画を固めているところです。

 我々NPOのメンバーは、過去十数年世界のまちづくりを視察し研究を重ねて参りましたので、一応の理想像は持っていますが、個別の事象に対する時は、その地域の歴史や社会状況に合った計画をつくる必要があります。もちろん、移住をお考えの皆様の想いを考慮する必要もありますので、ことは簡単ではありません。

 住まう、生活するということは人間にとって一番大切なことであり、人の一生の基盤です。その場所がまちであり、コミュニティと呼ばれるのだと思います。又、まちは人間が造れる最大の創造物でもあり、都市遺跡が世界遺産とされる由縁ではないでしょうか。
 そして我々は、「永遠に持続可能なコミュニティ」づくりを目指しています。サステイナブル・コミュニティと呼ばれています。永遠の芦田宿を創りたいのです。



 決して大ボラなどと決めつけないで下さい。世界にはそう呼ばれているまちがたくさんあります。我々にできない訳がないと思っています。しかし、計画づくりを始めて着手するまでに3年、ある程度の姿になるまで10年、完成には30年はかかるだろうと考えています。次世代に引き継いでいく仕事です。
 

そのために、この4月から、第三土曜定例ワークショップを開始しました。今日はその初日でした。

 皆さんをお誘いしたいのは、このNPOの会員になって頂き、定例のワークショップに参加することです。年会費はたったの6,000円です。詳細は下記ホームページをご覧下さい。結果として芦田宿に移住することがないとしても、「コミュニティ」や「田舎暮らし」や「移住」を研究するためには、最高の場になると自負しております。

右サイドバーの「このNPOについて」をご覧ください。

 もちろん、入会も退会も、会合やワークショップへの参加もご本人の自由です。何の束縛もありません。仲間は皆、気さくで明るい人ばかりです。NPOの家や体験農園の利用などの特権もあります。全くの素人でも、自分のお米や野菜作りをすることもできます。

 本当の豊かさへのアプローチを始めましょう!


・・・◇◇・・・

参加の仕方

 参加の仕方は、ご本人の考え方次第で自由です。ひとつだけ縛りがあるのは年会費を納めて頂くことだけです。次のような形です。

・想いに賛同し、入会し、年会費を納める。・・お金が貢献します。
・いろんな活動に参加・出席する。・・まずは月一回のワークショップ。
・農園体験や田舎暮らし体験をしてみる。・・NPOが管理している施設を利用できます。
・体験移住してみる。・・・家をご案内します。
・現実のコミュニティづくりプロジェクトに参加する。・・今後立ち上げます。
・移住し、芦田の住人になる。・・共に良いコミュニティを築きましょう。

申込書とNPO法人信州まちづくり研究会についての詳細は、
右サイドバーの「♤このNPOについて」の中にあります。

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2015年4月9日木曜日

「究極の地方創生」はこれだ!

 日本経済新聞電子版平成27年3月23日号に、電子版5周年企画として、この記事が掲載されました。すばらしい記事なので、転載させて頂きました。

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住みやすい町、日本一 「究極の地方創生」はこれだ! 
~電子版5周年企画


 名古屋市に隣接する愛知県長久手市。人口5万人の一見何の変哲もないベッドタウンだが、「快適度」「子育てがしやすい」といった各種調査で「日本一」に輝き、今も人口流入が続いている。人口減によって、2040年には日本の半数の自治体に消滅の恐れがあると指摘されるなか、長久手市は何が違うのか。日経電子版は創刊5周年企画として、地方創生の解を探ろうと長久手市を取材した。そこでは地方自治の常識を覆すような取り組みが繰り広げられていた。


■害虫を駆除するな

 異変が起きたのは、昨年末のことだった。

 長久手市の一角にある雑木林に、「樹木の害虫」と言われるカイガラムシが大量発生した。体長1ミリほどの小さな虫は隣接する新興住宅地にも広がり、外壁に黒い米粒のように張り付いていった。

 「早く駆除してくれ」。市の産業緑地課に苦情の電話が殺到し、職員が殺虫剤散布に乗り出そうとした時のことだった。

 「ちょっと待て。対処法を住民と話し合え」

 市長の吉田一平(68)は、そう言って制止した。担当者はいきり立つ住民と市長の板挟みにあう。そうした中、専門家による調査が始まった。

吉田一平・長久手市長

 事態は深刻だった。4年ほど前、雑木林で樹木が朽ちる「ナラ枯れ」が発生し、殺虫剤がまかれた。それがカイガラムシの天敵であるコバエを死滅させ、生態系が崩れて大量発生につながった可能性が高い。かつての生態系を取り戻さない限り、根本的に解決しない。

 専門家は、最後にこう指摘した。「どうしても来年、カイガラムシを発生させたくないなら、雑木林をすべて切り倒すしかない」。それを聞いて吉田は覚悟を決める。「これは激しい議論になるな」

 新築の住宅を買ったばかりの住民が、緑豊かな林をハゲ山にすることに、同意するはずがない。だが、カイガラムシは駆除したい。その問題の原因を追っていくと、宅地開発が自然環境に影響を与えた事実に直面する。

 だが、こうした難題を、吉田はあえて住民と役人の間に放り込み、自分たちで解決策を考えさせる。

■ケンカしながら、落とし所を見つける

 「この40~50年で、住民は批評家になってしまった。自分は名古屋に“出稼ぎ”に行って、面倒臭いことは役所に丸投げする」(吉田)

 1965年に7500人だった人口は5万人に膨れ上がり、多くが市外に勤務する。その間に役所の職員も40人から400人へと急増した。

 役人も、地域のことに正面から向き合わなくなった。地方再生という名のもとに、中央政府はカネをばらまいて解決を図ろうとする。すると、単年度主義の役所は、あわてて予算の消化に走る。勢い、コンサルタントに任せるため、全国で同じような施策が打たれ、箱モノばかりが増殖していく。

 「この繰り返しが、地方の力を削いでしまった」。だからこそ、地域が自分たちで解決への道を探らなければならない。

 長久手市は、すでに「住みやすい町」の各種ランキング調査でトップに立っている。今年2月、日本経済新聞の「強いまち」調査で、「子育てをしやすいまち」の全国1位を獲得。また、東洋経済の「住みよさランキング」では、快適度が3年連続で全国1位に輝いている。だが、吉田は浮かれることなく、その「負の面」も読み解く。現代人にとって「快適」とは、他人との関わりがないことを意味する。「要するに、住民につながりがないとも読める」。だから、「わずらわしさ」を地域に持ち込み、住民を議論の渦に巻き込む。

 「遠回りした方がいい。ケンカしながら、時間をかけて落とし所を見つけていく」。そして振り返れば、そこに地域再生の物語が生まれているという。
 市の職員にも、遠回りの道を求めている。「うまくやるな。できれば、失敗しろ」と繰り返す。

 これまで「有能な役人」とは、解決策を提示して市民を納得させ、短期間で成果に結びつける人材を指した。だが、長久手では、役人はできるだけ解決策を打ち出さない。「何をやるか、政策はすべて市民に考えてもらう」

 吉田は率先して声を拾い集める。市役所の入り口横に、粗大ゴミだった机と椅子を置き、公務がない時はそこに座って市民の声を聞く。


粗大ゴミを拾い集めて、市役所の玄関脇に作った「市長室」

 毎朝、2時間以上かけて歩いて出勤し、喫茶店にも立ち寄る。当初は文句ばかり言われたが、今では打ち解け、地域の話題で盛り上がる。その光景を見ながら、店長の大原由恵(49)はこうつぶやいた。「人口が増えて、町が変わっていくから、お年寄りはさびしいのよ」

■市役所を分割する

 仕事を離れた高齢者や失業者に、地域で役割を担ってもらう――。4年前に市長に就任すると、前代未聞の部署を立ち上げている。

 「たつせがある課」。面目や立場がないことを意味する「立つ瀬がない」をもじった造語だ。最初の取り組みが、「地域共生ステーション」の設置だった。6つの小学校区に住民の活動拠点を作る。住民がそこで話し合って政策を決め、予算を付けていくという。それは、市役所機能の分割とも言える。

 「平成の大合併で、吸収された小さい町や村は白けてしまった」。人口5万人の長久手市は市政としては小規模だが、さらに細分化して権限を落とし込もうとしている。

 これまで地域活動にあまり参加しなかった20~40代の現役世代も巻き込む。公募だけでは有能な若者が集まらないため、市役所の若手職員が知人に声をかけて、参加者を引っ張ってきた。50人近いメンバーが午後7時に集まり、「まちづくり」について夜更けまで議論している。

 飲み会ばかりやっていると批判する人もいるが、吉田は「こうしたつながりをムダだとして切り捨ててきたことが、地域社会の衰退を招いた」という。短期的な成果ばかりを求める「会社の論理」が幅を効かせて、地方が力を失ったと見ている。

■「高度成長」の乱用

 「時間に追われる国」と「時間に追われない国」。それぞれの特徴を書き込んだ表を作っている。「時間に追われる国」とは、企業や軍隊、病院などを指す。目的への最短距離を走ろうと、能力価値を重視して、数値に追われる。「悪いこと」を切り捨てると良いものになると考える。

 一方、「時間に追われない国」とは子供や高齢者、地域社会を指す。雑木林のようにいろいろな人が暮らし、解決や完成とはほど遠い。感性で物事を見る。そして、いいことと悪いことは切り離せないと思っている。

 だが、高度成長の成功体験を持つ世代が、会社の論理を家庭や地域社会に持ち込んでしまった。幼児から英語や楽器を教え込み、小学校に上がれば「中学受験」、その先は就職活動と、子供を次の準備に駆り立てる。リタイア後に地域活動に参加しても、「規律」や「結果責任」を求めてしまう。

 「介護の現場では、1時間に10人を風呂に入れる介護士が優秀だとされ、1人しか入れられない人は出来が悪いと罵倒される。でも、おじいちゃんから見れば、ゆっくり1時間も風呂に入れてくれる人の方がありがたい」

 そんな非効率をよしとすれば、介護の現場が回らない…。「時間に追われる国」の人は、そう反論するに違いない。だが、吉田は市長になる以前に、30年をかけて、この難問に1つの解を導き出している。

 1946年、長久手に生まれた吉田は、商業高校を卒業すると、名古屋市の鉄鋼商社に就職する。猛烈な営業で実績を上げていくが、ハードワークがたたって、11年目に椎間板ヘルニアを患い、10カ月の休職を余儀なくされた。

 「オレが会社を背負っている。これ以上、休んではいられない」。痛む体を押して出社すると、職場は何事もなかったかのように回っていた。

 その後、徐々に地元の消防団にのめり込んでいく。燃え盛る建物に飛び込み、消火すると、住民から「ありがとう」と感謝される。一方、会社では数字のことばかり聞かされた。79年、消防団の分団長に推されたことを機に、辞表を書く。

■「何もしない幼稚園」

 地元にどっぷり浸かると、見慣れた風景が急速に失われていく現実を目の当たりにする。雑木林は、宅地造成のために消えていった。

 「これ以上、森林伐採は止めてもらえないか」。そう掛け合ったものの、何もせず放置するわけにはいかない。消防団の仲間に相談すると、「幼稚園が少ない」とこぼす。視察してみると、子供たちが制服を着せられ、体操や音楽、発表会と時間を区切られてせわしく施設内を行き来している姿があった。

 「これでは、会社と同じじゃないか」

 自分の子供時代は、まったく違っていた。兄4人が相次いで亡くなったため、母親は「勉強しなくていい。毎日、遊びまわって、楽しくすごしてほしい」と願った。だから、日が沈むまで丘を駆け巡り、林の中を探検し、自然とともに育った。

 「生きていることが、こんなに楽しいのか。子供にそう感じさせることが、大人の役割ではないか」。そう考える吉田は、「何もしない幼稚園」を作る。

 81年、雑木林の中に設立した「愛知たいよう幼稚園」。発表会や学芸会といったイベントがなく、言葉や音楽を教えることもしない。ただ、一日中、屋外で遊びまわる。

 遊具も用意していない。子供は自然の中で、遊びを考え出していく。クラスは年少から年長まで、3学年を混在させて作った。子供たちは教えられる側から、教える立場へと成長していく。違う学年がいると、足手まといになるというのは、違う人を排除する会社の論理だという。

■自然の力で子供を守る

 校舎は木造で、冷暖房は設置していない。冬は突き刺すような寒さに襲われ、年少の幼児が泣き出す。すると、年上の子供たちが雑木林に走って、薪を拾い、火を焚いて温まる。

 そうして育った子は、驚くほど怪我が少ないという。自然と向き合い、危険を察知する能力が身についている。事故を回避する知恵や約束事を、みんなで話し合う。明文化しなくても、自然と子供たちの間に広まり、世代を超えて伝えられていく。

 もう1つ、「子供を守る仕掛け」が施されていた。

 幼稚園の隣に古民家を残した。すると、近所の高齢者が集まってくる。そして、子供たちと触れ合い、監視役を果たしてくれる。ところが、年々、お年寄りの体力が落ちていき、古民家に集まることが難しくなっていった。

 吉田は老人ホームの設立を決意する。

 86年、社会福祉法人「愛知たいようの杜」を設立し、広大な雑木林の中に特別養護老人ホームとショートステイ施設を立ち上げた。ここでも「常識」の逆を行く。「施設はわざと雑で汚く作ろうと思った」

 ある老人ホームを見学した時のことだ。巨大な4階建ての鉄筋コンクリートの建物の中にエレベーターや蛍光灯、スチールデスクが整然と並び、受付で制服を来た女性が出迎える。だが、老人はもんぺをはいて、よたよたと廊下を歩いている。あまりにも不自然な光景だった。

 この光景を反面教師にした吉田は雑木林の中に、天井が低く、木目がむき出しの建物を作った。隠れる場所ができるように、廊下は迷路のように曲がりくねっている。

■「時間に追われない国」を作る

 高齢者はスタッフに「すいませんね」「ありがとう」と言い続けている。だが、本心ではないことを知った。明日も面倒を見てもらうために仕方なく言っている。「立つ瀬がない」。そう痛感した吉田は施設内に釜戸を作った。若いスタッフはうまく使えず、立ち往生する。高齢者が活躍すると、今度はスタッフが感謝の言葉を口にすることになる。

 役割が生まれ、表情に明るさが戻った瞬間だった。

 その敷地内に、巨大な「もりのようちえん」を併設した。古民家があり、高齢者が子供たちを見守っている。ケンカの仲裁は、若い先生よりも高齢者の方が長けている。

 93年に長久手市に嫁いできた横倉裕子は、義母をショートステイ施設に送り、息子をもりのようちえんに通わせた。祖母が施設にくると、先生が子供に声をかける。「おばあちゃんが、さびしがってるよ」。すると孫が施設に飛んでいく。老人ホームと幼稚園は行き来が自由で、雨が降ると子供たちが施設に入って時間を過ごす。

 施設内の古民家では、母親たちがボランティアで味噌汁を作る姿があった。露天風呂やビールサーバーを備えているため、休日には父親が集まって、掃除をした後で飲み会を開いている。

 「ゴジカラ(5時から)村」。そう名付けられている。サラリーマンも、終業後(午後5時以降)は自由の身になる。この施設内は「時間に追われない国」として、人々が支え合って機能している。

 ゴジカラ村には看護福祉の専門学校も設置した。そして、老人ホームの食堂を居酒屋として解放し、学生や老人が酒とつまみで盛り上がる。

 施設の開いている部屋に、不登校の若者を「居候」として住み込ませた。すると、老人が声をかけ、叱ったり諭したりする。世代が交わることで役割が生まれてくる。

■組織を大きくしない

 だが、成功しても、各施設の規模拡大には走らない。背景には失敗経験がある。「老人ホームの職員が数十人に増えた時、分業制になり、効率を求める組織になってしまった」(吉田)

 老人がナースコールを押したが、対応してくれない。やっと見つけたスタッフに、勇気を振り絞って「トイレに連れて行ってくれませんか」と声をかけると、職員は立ち止まりもせずにこう言い放った。「オムツをしているんだから、その中でしてください」

 だから、吉田は市内のあちこちに小さい施設を作っていく。2002年、市内の中心街に「ぼちぼち長屋」という共同住宅を設置した。1階は要介護の老人が住み、2階にはOL4人と子供がいる家族が住む。OLの家賃は6万円だが、「老人と接する」という条件で、半額を返納している。

 様々な仕掛けを作って、世代を超えた交流を生み出すことに取り組んでいた吉田にとって、転機となったのが3.11だった。効率を求めた原子力発電所が深刻な被害を撒き散らし、既存の秩序やシステムが揺らいだ。「時間に追われる世界」が幅を効かせる時代は、終わりを告げようとしている。

 その直後、吉田は首長選挙に出馬する決意を固めた。ゴジカラ村の子供たちは、「いっぺいさんが逃げちゃう」と泣き叫んだ。

 「そうじゃない。ここでやっていることを、町全体に広げていくんだよ」

 市内には、すでに吉田の取り組みが知れ渡っている。そして選挙に圧勝すると、こう宣言した。

 「日本一の福祉の町にする」

 どこの首長でも語りそうな平凡な言葉に聞こえるが、真意はまったく違っていた。福祉施設や介護予算を膨張させるつもりはない。町全体が、日常生活の中で子供や老人を支える地域に育て上げていく。

 「認知症の老人が町を徘徊したら、市民が気付いて、対処するような町にしたい」。これまで、住民は逆の方向に走ってきた。隣人との壁を高くして、面倒なことは役所任せ。高度成長時代、快適な暮らしとは「家付き、カー(車)付き、ババ抜き」と言われた。他人と接しない生活を追い求めて。

■「自治の力」を養成する

 だが、今の市民に聞けば、「快適な暮らし」の定義が変わりつつあることに気づく。

 若者を集めたワークショップで、提案された5つの企画はすべて「住民のつながり」を作り出す施策だった。また、2年前から市民による「幸せのモノサシづくり」を続けているが、「やるべきこと」として提案されたのは、知らない住民とつながるための「あいさつリーダーの育成」だ。

 だが、具体的な成果が見えにくい取り組みが多く、市議会からは「時間がかかりすぎる」「何も決まらない」と非難の声も上がっているのも事実だ。

 それでも、吉田は持論を譲らない。

 「地方自治は民主主義の学校と言われるが、市民に力がないと成り立たない」。だから、わずらわしい課題を住民に投げかけ、議論を起こし、時間をかけて考えながら合意を作り上げていく。その繰り返しが「自治の力」を高める。市役所は、そんな「場づくり」に徹する。

政策は住民と一緒に考える(市政まなび舎)

■「町全体を特養にする」

 そこには1つの原体験がある。

 30年以上前のこと。長久手に、陶磁資料館を誘致する計画が持ち上がった。地域の代表が火鉢を囲んで集まったが、世間話ばかりして、結論がでない。そうして半年が経った。最後に、おばあさんが意見を求められた。

 「そうね、まだ早いんではないかしら」。すると、誘致の話はしりすぼみになっていった。サラリーマンだった吉田は、呆気にとられた。「せっかくのチャンスを逃すなんて、田舎者はバカなんじゃないか」

 だが、今になって振り返ると、あの結論が正しかったと痛感する。「資料館の誘致なんて、30年が過ぎてみると、どうでもいいことだった。会議の場では発言しなくても、みんな地域に持ち帰って、井戸端会議でコンセンサスをとっていた」。日本の地域社会に根ざした合意形成メカニズムの深さを思い知らされた。

 だから、吉田はマニュフェストを嫌う。細かい政策は打ち出さず、フラッグ(目標)だけを謳う。しかも3つしかない。「役割と居場所があるまち」「助けが必要な人は全力で守る」「ふるさとの風景を子供たちに」

 住民が外に出て交錯すれば、自ずとやるべきことが浮かび上がり、目標に近づいていく。そんな信念がある。

 その思いを強くした出来事があった。

 障害者を受け入れている大阪市立大空小学校を、教育長とともに視察した。授業中に突然泣き出したり、徘徊する子供もいる。だが、仲間が対応して助ける。その仕組みはたった1つの約束だった。「自分がされていやなことは、人にしない、言わない」

 友だちを殴る子は、その裏で誰かに殴られている。そうした負の連鎖を断ち切る仕掛けは、1つのシンプルな決まりごとだった。細かい規則やルールなど決めていない。それぞれが考える。そして荒れていた学校が立ち直った。

 吉田は教育長を振り向いて、こうつぶやいた。

 「やるべきことは、マニュアルに書けないってことだよ」

 彼の目指す場所は、幼稚園を作った時からブレることがない。「町全体を特養にする」とも表現する。それは同時に幼稚園でもある。つながり、思いやり、支え合う地域を作り上げていく。「自治」の力を失いかけた日本の地方自治体にとって、「地方創生」に向けた根源的な取り組みとも言える。「日本一、住みやすい町」は、より高い目標に向かって、遠回りをしながら歩き続けている。

=敬称略
(編集委員 金田信一郎)

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