2018年6月23日土曜日

「犬と鬼 知られざる日本の肖像」アレックス・カー著

安江が纏めた書評と抜粋です。
長いですが、本を読むより遥かに短いです!

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書評 「犬と鬼 知られざる日本の肖像」アレックス・カー著

20124月 Takasuke Yasue


題名の謂れは,韓非子に,「犬馬は難(かた)く,鬼魅は易し」とあるに拠る。
犬馬は,長期的・根本的問題を意味し,
鬼魅は,空想的なこと,意味のない豪華な構造物のことを表す。


これは2002年の出版であるが,今読んでも何の遜色もないように感じる。
時代が止まったままだということではないでしょうか。


Webの書評

http://www.honzuki.jp/book/book/no55585/index.html より>

数々の文化遺産、美しい国土、すぐれた教育制度、世界一の個人貯蓄。
それがありながら、なぜ日本は道を踏み外すのか? 『美しき日本の残像』(新潮学芸賞)の著者による衝撃的日本論!肌で感じる痛切さがあり、率直で熱烈、有益で強烈だ。 ――(ファイナンシャル・タイムズ)

『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(1979年、エズラ・ヴォーゲル)、 『日本/権力構造の謎』(1989年、カレル・ヴァン・ウォルフレン)、 そして本書。 過去10年で最も重要な日本論。 ――(バロンズ)

『犬と鬼』は、日本に対する愛のムチとでもいうべき本だ。日本人はこの本を不愉快な批判として片づけるのではなく、耳を傾け新しい道を切り開く指針とすべきだろう。 ――(ニューズウィーク)
 この重要で意外とロマンチックな本には、明快で鋭い観察があふれている。 ――(ニューヨーク・タイムズ)

『犬と鬼』は戦後日本の成長と失墜に少しでも興味がある人にとって必要不可欠だ。 ――(ウォールストリート・ジャーナル)

 日本の政治指導者は国家と国民に恐ろしい犠牲を払わせた。その大きな代償をきちんとした筆致で率直に明らかにしている。 ――(ドナルド・リッチー)

日本人、そして我々のためにも、この本が「常識に還る」動きに貢献することを望んでいる。 ――(カレル・ヴァン・ウォルフレン)


Wikipediaより,アレックス・カーについて>

1952年,メリーランド州ベセスダ生まれ。アメリカ海軍所属の弁護士だった父親に付き添いナポリ、ホノルル、ワシントンD.C.に滞在。1964年に来日。横浜の米軍海軍基地に滞在する。
イェール大学日本学専攻卒業。国際ロータリー奨学生として慶應義塾大学国際センターへ留学(1972 - 1973年)。留学中にヒッチハイクで日本中を旅し、旅の途中で訪れた徳島県祖谷に感銘を受け約300年前の藁葺き屋根の古民家篪庵を購入し修復し居住する。
日本では京都の町屋再生事業、コンサルティング事業を手がける株式会社庵(いおり)を2003年に創業し講演、執筆、コンサルティング事業も手がける。20082月より長崎県北松浦郡小値賀町の「観光まちづくり大使」を務める。


Alex Kerr.com より,アレックス・カーについて>
http://www.alex-kerr.com/index.html


エディターレビュー:

 日本で育ち、日本をこよなく愛するアメリカ人である著者が、怒りと悲しみを込めて現代日本の病理を暴く。破壊される 自然環境、ちぐはぐな都市建築、日本の魂を崩壊させる官僚政治。
慢性的に進行する日本の「文化の病」を、丹念 に掘り起こしてわれわれ日本人に突きつける、衝撃の1冊。

 コンクリートで固められダムになる美しい山河や、全長の55%もがブロックやテトラポッドで覆われている海岸。不法投棄 の産業廃棄物の山と、そこから流れ出すダイオキシン。電線が空中を走り、けばけばしい広告看板をつけたビルがごちゃ ごちゃと建ち並ぶ街なみ。そして、全国に増え続ける多目的ホール、テーマパーク、人工島、高速道路などの無意味な モニュメント。こんな光景を美しいと思っている日本人はひとりもいないだろう。なぜこんなものを作ったのか、なぜこんな国 になってしまったのかと著者に問われるのは、まったくお恥ずかしい限りである。
 著者がその原因として指摘するのは、責任が不明瞭なまま機能してしまう行政システムと、その根本にある日本独特 の官僚制度である。外国人の視点で見ると、日本の官僚制度の奇異さがよくわかる。天下りで個人的な利益を得る 、特殊法人の運営で省庁が潤う、族議員とパイプを作り政界とも通じる。この馴れあいシステムによって、多額の公金 が本当に必要なところには施されず、官僚にメリットを与えるところに注がれる。
 自分たちに従順におとなしく従う国民を、都合よく作りだす教育システムまで官僚は作ったのだと著者は言う。子どもた ちは足並みそろえて行動することを強要される。がんばることは美徳と教えられるが、これはひどい環境でも耐え忍べとい うことだ。教育制度不信から子どもの塾通いが増え、子どもはいつも忙しくてがんじがらめになる。そしてその後の大学 生活で、成績など問われず無為に遊んで過ごせば、分析的な思考法や独創的な発想能力、自然環境に対する愛 情などを持たない骨抜きの腑抜けができあがるのは当然だ。



 韓非子の故事から取ったというタイトルは、抜本的な解決が難しい日本の諸問題を「上手に本物らしく描くのが難しい 犬」にたとえ、日本で行われている数々の無意味な施策を「どうとでも描ける想像物である鬼」にたとえて付けられてい る。
 外国人が日本に対して何かを要求するのはおかしいという信念から、本書には「日本はこうすべきである」という表現は いっさいない。が、1900年代前半の、大日本帝国の拡大とその後の悲劇的結末へのプロセスと同じ道筋を、今また日 本はたどっているという著者の警告を、われわれは真摯に受けとめるべきだろう。(篠田なぎさ)



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以下,文中より納得の部分をコピー

P13 日本で起きている問題は慢性かつ長期にわたるものだ。むしろ「文化の病」と言った方が日本の現状をうまく言い得ているかもしれない。この病は長く自動操縦で走り続けてきた,いろいろなシステム(社会・行政を含めて)によって生じたものだ。そうしたシステムは現代のニーズ,また元来の日本精神から遠くかけ離れてしまっている。
 本書はそのギャップについて,つまり日本はなぜ世界の常識のみならず,真の自分の姿からもかけ離れ,彼方へ迷ってしまったのかお伝えしたい。


P37 アイゼンハワー大統領は,子供の頃自分の家はひどく貧しかったと語り,「しかし,これがアメリカの不思議なところだが,自分が貧乏だと感じたことは一度もない」と述べている。日本の不思議さはこれと全く逆のところにある。本当は豊かなのに,誰も豊かに感じていない。だから新しい線路だの,セメントで覆った土手だのをしょっちゅう与えられないと安心できない。
 振り返ってみると,日本の「進歩」や「豊かさ」に対するスタンスは,だいたい45年から65年までの間に確立してきたものばかりだ。それが今でも続いている。60年代に始まった思考回路と,21世紀の現実とのミスマッチ,それが現在の「文化の病」の基調になっている。


どの国でも手強い文化的問題の場合はたいていそうだが,じゅうぶんな数の人々が問題に気づき,声をあげて初めて可能になる。だが残念ながら,本書を通じて見ていくように,日本の複雑なシステムは,まさに変化を防ぐためにこそ絶大な威力を発揮する。従順な国民と自動操縦で動く役人を前にしては,今も残る美しい自然景観の未来は暗い。


日本には独特の「役所慣性法」が存在している。ニュートンの慣性法では,物が動いていると,触らなければそのまま同じ方向に同じスピードで動く。ところが日本の役所慣性法では,何も触らなければますますスピードがアップする。


P57 数百年の鎖国から目覚めた時,国力は貧困で弱く,アジア諸国も次々西洋の植民地にのまれて行った。自国のあまりにも危険な状態にショックを受けた明治維新政府は,経済の地盤固め,軍事力の増強に力を注ぐ。
 最初は西洋諸国に抵抗するために,後に他国と競うために。当初からこの政策は産業最優先で,そのため他のことはすべて犠牲にせねばならなかった。これはいわゆる「強国・貧民」政策の始まりだった。
・・中略。この政策が,GDPのためなら何でも犠牲にする思想が生まれ,あの手この手で山や川や海を傷つけている。
 日本国民は,国や大企業におとなしく従うよう訓練されている。欧米の学者は,これを工業力の源として持ち上げてきたが,このことは言い換えればブレーキ不在ということになる。いったん廻りだしたが最後,政策のエンジンは歯止めのきかない戦車としてひたすら前進する。
このとどめなさは,第二次世界大戦という悲劇を生んだ要因で,現代日本の環境破壊の素地になっている。


P61 前述のカレル・ヴァン・ウォルフレン著「日本・権力構造の謎」で活写されているように,日本には独立の司法制度は存在しない。警察は広範にわたる権力を握り,裁判を経ずに人を拘束し,拷問すれすれの方法で自白を引き出すことができる。
 裁判官を任命するのは内閣で,裁判官は政府に歯向かうような判決を下そうとはしない。なんと,国に対する訴訟の95パーセントは原告敗訴で終っている。ブレジネフ時代のソ連をしのぐような記録である。


P83 成熟した株式市場が,経済の実態からまったくはずれたのはなぜだったのか。エリートであるはずの興銀の銀行員が,どうして縫のガマの置物に頼るほど理性を失ってしまったのか。答えは単純そのものだ。経済だけでなく,ソフトウェアから医療まで,現代日本の全てのシステムにこれが当てはまるのだが,日本の金融界は実査の価値でなく,官僚の命令によって動いていた。


日本10カ条
1.意外性排除の法則
ブレジネフ時代のロシア,官僚支配下の日本,どちらの社会も完成の域に達したと信じていた。
マキャベリが書いている。「忍耐強く用心深く行動する人は,時と状況がそのような態度を求めている時には成功するだろう。しかし,時と状況が変われば破滅する。そのような人は自分のやり方を変えないからだ。」


P105 日本について書こうとする者は,これに直面するとペンを置き,顔を背けてしまう。その要素とは情報不信である。あらゆる分野の情報が巧みに操作されているため,日本は虚か真か,掴みようのない世界になっている。
・・これは,単に学者にとって不便なだけではない。実際のデータが判らないというのは,日本と欧米の民主主義との最大の相違点だ。
・・・伝統的に日本では「真実」は神聖不可侵ではないし,「事実」も本当のことである必要はない。


P106 建て前,遠慮,慎み深さは,日本の真に優れた特質のひとつであり,人間のぶつかり合いに慣れている欧米ではみられない,気前よさと穏やかさが社会に醸し出されている。・・・しかし,これを企業のバランスシートや原発の安全報告にまで適用すると,危険で予測のつかない結果をもたらす。


P127 情報をうまく管理できないのは,伝統社会と現代文明がうまくマッチしていないことであって,この問題はしばらく課題となるだろう。


P136 日本の規制は,パラドックスである。バーチャル規制ともいわれる。
(註:パラドックス(paradox)とは、正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、 受け入れがたい結論が得られる事を指す言葉である。建て前はすばらしいが,現実はとんでもないことになっている状態をいう。バーチャル:実態を伴わない)


P137 メディアに官僚スキャンダルがよく取り上げられるが,それは桁外れな取り過ぎを正すものであって,慢性的に金を取る制度そのものは非難されない。それは鬼(派手で表面だけ)の対処になり犬(根本的な)改革は行われていないため,腐敗のシステムはそのまま残る。本格的改革をしようとすればシステムを改める必要がある。


P140 毛並みの良い滑らかな,制度化された腐敗であるため,構造の一部だと言われるくらい常識的になり「腐敗」だとは思わない。


P142 日本の政治は,「クローニーキャピタリズム」である官僚と政治家が企業と手を結び利益を分ち合う仕組み。


P158 デュカス作曲「魔法使いの弟子」。ウォルト・ディズニー「ファンタジア」。
日本はこの魔法使いの弟子の芝居を繰り返しているようだ。ファンタジアと違うのは,ほうきを止める呪文を知ってる魔法使いがいないこと。


P163 歌舞伎「阿古屋」(「壇浦兜軍記」の内)
「筒に活けたる牡丹が水を上げかねる風情かな」
 現代の日本を端的に示している。産業資本と文化遺産に恵まれていながら,内部的な活力を失っている。水は充分あるのに,何らかの欠陥によって吸い上げることができない。


P163 近代化とは,それは都市ではなく,その都市でどう生きるかということだよ。工場ではなく,この工場をどう管理し維持するかということなんだ。
 テクノロジーは,物事を適切に管理する技術ともいえる。これは日本のお家芸だった筈なのに,それを見失っている。


P164 モダニゼーション:変化


P168 外国人が自分達の文明レベルを日本に求めたがらないのは,心の中に二つの矛盾したイメージがダブっているからだ。経済成長を誉めながらも,発展途上国として同情の目で見ている。西洋ではやはり,第二次世界大戦の被害に対する罪悪感も少々残り,しかも日本の経済システムは産業拡大だけが目的で,一般市民の生活向上のためではないので,西洋の目でみれば,日本の街と田舎は本当に可哀相で未発展でみすぼらしく見える。


P171 日本初の女性国会議員加藤シズエは100才の誕生日に「ジャパン・タイムズ」にこう書いている。「ラフカディオ・ハーン」の文章を読み,美しい風景を期待して日本を訪れる多くの外国人は,美しく比類のない文化遺産を日本人が無惨にも破壊しているのを目のあたりにして,驚き憤っているであろう」。
 残念ながら,加藤の嘆きは的外れである。海外の報道には,京都の惨状に対する驚きや憤りはまったく見当たらない。
 欧米の観光客は,アジアを見下げているせいもあって,きちんと保護された観光名所と,ただ不快でしかない街の景観とを区別しようとしない。周囲の山の麓に立派な庭があるというだけで,他はガラスとコンクリートの箱の集まりであることを見逃してしまう。結局パリやヴェネチィアには期待することを,京都には期待していない。なるほど庭や寺はすばらしいが,文化都市をつくるのは世界遺産だけではなく通りや街並だ。京都では中途半端な「特別保護区」がいくつかあるとはいえ,根本的に古い道のほとんどが一貫して歴史観を失っている。
 これがパリやヴェネチィアなら,旅行者は文化遺産だけが目的で街を無視することはない。ルーブル美術館だけが観たくてパリを訪ねたり,サンマルコ大聖堂のためだけにヴェネチィアに出かける人がいるだろうか。こういう街を訪れる楽しみは,通りを散策し,雰囲気を味わい,どうということもないが,味のある小さな店で食事をする,そんなところにある。
 絵に描いたような小路の古びた風情,すり減った石,街灯,ひたひたと流れる水,木の鎧戸,そういうものが五感を楽しませてくれるのだ。
・・・中略
 それでもやはり,加藤シズエは正しかった。京都を訪れた人々はどことなく失望する。頭では美しい庭に意識を集中し,おぞましい環境を無視することができても,心は逆のことを語る。このため90年代に入ると,観光客は,日本人外国人共に増加していない。
・・・中略
 京都の現実をわが目で確かめたいと思うなら,エレベーターでリーガロイヤルホテルの最上階にのぼってみるといい。駅に近いこのホテルは,ほぼ街の中心に位置している。ここが京都だということをしばし忘れて,ぐるり360度眺め回してみよう。東寺の五重塔と本願寺の屋根の一部を除けば,どちらを向いてもごちゃごちゃと立ち並ぶコンクリートのビルが見えるばかりだ。世界にこれほど退屈な都市景観は少ない。
 市街地の向こうには,幸いにして開発をまぬがれた周辺の山々が残っているが,荒廃はそこで終っているわけではない。南は大阪から瀬戸内海沿岸まで,途切れることなく工業地帯が続く。東の山並みを越えると,同じくコンクリートの箱の雑然として山科の街が広がり,延々と同じ光景が続いた先に名古屋がある。そこには何百万という人々が住んでいるが,まったくといっていいほど見るべきものがない。
 そのまま,200300キロ似たような景色が続き,たどり着いた東京も名古屋より多少ましという程度である。96年に日本を旅したロバート・マクニールは,電車の窓から見える景色に幻滅し,「味もそっけもない効率一点張りのゴミゴミした眺めは見るのもつらく,トンネルに入るとほっとしたほどだ」と語った。
 40年間で京の美しさがことごとく消し去られたことを考えると,ほかの都市や街を襲った運命も想像がつく。国中で,京都が京都らしさを排除しようとしたのと同じことが起きていた。古い街並は取り壊され,かろうじてつまらない形で残っている。
・・・中略。
 暮しの場である街並を保存するには,古さと新しさを融合させる高度な技術が必要になる。たとえばエール大学は,図書館の壁をいったんはがし,ハイテクの除湿設備を組み込み,その上に古い石をもう一度並べている。日本の修復テクノロジーは65年を境に成長を止め,以来古いものをそのまま完璧に保存する方法しか考えてこなかった。そのため,古い建物のもつ温かみと雰囲気を,新しい建物に魅力的に生かそうにも,その手法を知っている人がいない。「テクノロジーの固定化」の結果,日本は「古い=不便」と「新しい=味気ない」という両極端の間で引き裂かれている。古い不便さ,新しさと味気なさ,この断絶を埋めるものがなにもない状態,それが現代日本の街の風景だと言えるかもしれない。
・・・中略。
 国内外の観光客が日本にそっぽを向いた理由はいくつかある。一般に,最大の理由は円高と旅行費用の高さだと考えられている。しかし,日本旅行が安いとはいえないものの,近頃ではロンドンでもパリでも同じくらい高くつく。タイの贅沢なリゾートは,平気で一泊6万〜7万円使う裕福な外国人旅行者であふれている。そういう人々とっては費用などものの数ではないはずだが,彼らは日本に来ようとはしない。本当の理由(はっきり意識していないかもしれないが,心の中ではまちがいなく感じている)は,お金をかけて日本を旅しても,美しい景色や快適さという形でも見返りが期待できないところにある。
・・・中略。


P193 古い都市の話しはよしとして,次は新しい都市について見ていこう。京都タワーに始まる開発の動機は,古い街から逃げて,現代都市を造ることがすべてだった。したがって,現代性という基準で京都を判断しなければ公正とは言えないだろう。もし仮に,京都から歴史的な遺産がすべて消えてなくなったとしても,老朽化した建物に代わり新しいしゃれた大都市が生まれ,最先端の現代文化が花咲いたとすれば,徹底した近代主義者はそれでよしと考えるかもしれない。日本全体について言えることだろう。
 これは香港で起こったことだ。木々に囲まれ,古めかしいジャンク船がひしめいていた港が,まばゆいオフィスビルが林立する大都会へと変身した。現代の奇跡とも言える変貌ぶりだった。同じことは上海とバンコクでも起こりはじめている。この二都市のどちらも,開発業者によってチャーミングな古い都市の中心部が手荒な扱いを受けている。とはいえ,古い都市の代わりに,ホコリの中から新しい都市が劇的に生まれつつある。ホテル,レストラン,高級オフィスビル,マンションは,香港やニューヨークの最上クラスと比較しても遜色ない。
 しかし,日本はこうはならなかった。「新しいものは日本のおはこ」という一般的なイメージに反して,日本が抱える問題は真の近代化を学ばないまま発展したことにある。金融分野などと同じで,都市の設計・開発の手法も,本質的には65年前後から進歩していない。リーガロイヤルホテル京都の最上階からの醜悪な眺めは,古い建物がなくなったからではなく,新しい建物がお粗末なせいだ。
 過去50年にわたる「日本の近代化」は決まり文句となり,その出版物は山ほどあるが,近代性を得られなかったという現実はこれと正反対だ。先進文明ではなく,日本はスラムに近い一般住宅と工業ジャンクに溢れた文化となった。住宅は狭く,ちゃちな造り,公的施設(ホテル・公園・動物園・マンション・病院・図書館)は他の先進国の目で見ると,美観や快適さを基本的に欠いている。本質的な意味で新しいものを獲得できなかったーそれが今の文化危機の中核だ。
 経済・社会学者は「強国・貧民」という仕組みを,日本の強みと見てきたが,それは,ブーメランとなって恐ろしい力で跳ね返ってきた。「強国・貧民」の思想では,経費を抑え個人生活を犠牲にすれば,国のあらゆる資産とエネルギーは限りなく製造業へと流れ込む。まさにその通りになった。このプロセスで,真の近代化を知らないーーはっきり言えば,現代人としての潤いと輝きを知らないーー国民を育て,文化・経済面に深刻な結果となって現れてきた。


P195 視覚公害
ビルの屋上の設備類,けばけばしいばかでかい看板,機能しないゾーニング,相続税と日照権, (ストリート・セットバック:アメリカ),電話線・電線

P202 官僚システムの働き
第一段階 強国・貧民原則
第二段階 政策凍結 電線は埋設すべきではない,と決め込んでしまった。
第三段階 依存症 電中の製造と設置は利益大
第四段階 完全中毒 PHS中継機を数十メートル置きに電中に設置。埋設は不可能にした。
最終段階 デコレーション 本質的な技術改良をやらないで,外見的なお飾りに大金をかける。
             ファンシー電信柱


P204 容積率と日照権に,屋上の空ボックスを促進するルールを加えると,その結果,日本特有の混沌とした都市景観になる。おまけにゾーニングや看板の規制もなく,自動販売機が氾濫し,電線が上空を覆い,日本の街並を特徴づける雑然とした眺めが生まれる。くつろげる公園も,落ちついた街路も少なく,ごたごたと立ち並ぶビルもやはり看板や電中で覆われている。
 この雑然とした風景がすっかり当たり前になってしまい,日本の建築家にはこれ以外の風景は想像もできなくなっている。数多くの庭園があり,整然と区画割りされた古都京都や北京,ペナン,ハノイの例を持ち出すまでもなくその反証がいくらでもあるのに,木陰もない都市がどういうわけか「アジアらしい」ものとして正当化されている。

P208 先ごろ,アンドルー・マークルという16才のアメリカの少年が,学校の休みを利用して,大阪に住む両親を訪ねてきた。そのとき,彼と両親と私と4人で,車で神戸から東に向かい,大阪を抜け,大阪湾に沿って,新関西空港近くの泉大津まで出かけたことがあった。高架の高速道路を走っていると,見渡す限り工業地帯が広がっているー何時間走っても,そのおぞましい景色はなかなか終らない。
 周囲の工場とろくに見分けもつかない,無機質に立ち並ぶマンションに何百万もの人々が住んでいるのだ。点滅する看板,高圧電線を支える鉄塔,木々も公園もなくどこまでも広がるビルと炎を吹き上げる煙突を,アンドルーはしげしげと眺めていたが,やがて言った。「学校でよく日本のマンガを読むんだけど,日本人の描く未来にはいつも感心していた。終末的っていうのかな。ああいう発想がどこから出てくるのかこれでわかったよ」
 殺風景な街並みに慣れていくように,人々は安っぽい工業製品に心地よさを感じるようになる。以前,京都に住むアート・コレクターのデイヴィット・キッドがこんなことを言っていた。「模造の木材にすっかり慣れちゃって,日本人は模造と本物の区別がつかなくなっている。同じものだと思っているんだ」。この混同の実例が見たければ,北九州の有田陶磁美術館を訪ねるとよい。手仕事の伊万里焼という伝統美術を紹介する場所なのに,建物はロココ様式で,コンクリートを加工して石壁に見せかけてある。食堂のテーブルは木目をプリントしたプラスチック製。職人の技を称えるために,高額の費用を投じて建てられた美術館がこれである。



(なぜ,こうなってしまたのか)
P210 日本では「近代化」について時代遅れのイメージを引きずっているということだ。ピカピカ輝くものが豊かさと技術的進歩のしるしであり,静けさや落ち着いた雰囲気は古くさいと考えているわけだ。いずれにせよ,キーワードは「ピカピカ」だ。大都会でも田舎町でも1ブロックでも歩けば,ピカピカの白いタイル張りの建物,鏡のようなクロムの外壁,閃光を放つ看板ばかりだ。屋内に入っても同じである。日本は60年代のSF映画の描く未来像にはまりこんでしまった。61年,私が幼かったころ,わが家のキッチンの床がリノリウム張りになった。そのわくわくしたこと!当時,ピカピカのプラスチックはどこでももてはやされていた。だが世は移り,人々はプラスチックでは及ばない本物のよさに気がついたが,日本はその時代から抜け出せずにいるようだ。


P212 よくある誤解のひとつに,日本は人口に見合う国土が足りないと思い込みがある。「人口が多すぎる」せいで地価が高いと誰もが信じ込んでいる。だが実際には,ヨーロッパでは日本と同等の人口密度の国が大半である。もうひとつの土地に対する神話では,日本では急傾斜の山が多いので,人が住める面積が少ない。それでは「人が住める土地」とはどういうことだろう。急斜面では,昔ではトスカーナ地方,近代ではサンフランシスコと香港の発展の邪魔にはならなかった。問題は土地の使い方にあるのだ。


P215 住宅の開発に失敗すれば,それに関連する多くの産業も足を引っぱられる。特に顕著なのが家具,そして室内装飾である。蛍光灯が一般的に使われていて,住宅はもちろん,ホテルのロビーや美術館までその青みがかったまぶしい光で照明されている。自然木の家具もしだいに見られなくなっている。自生の広葉樹林(桜,柿,欅,楓,ブナなど)を伐採し,用材杉の単純林にしてしまったことが,こんなところにも副作用を及ぼしている。
 いずれにしても,ほとんどの人はもちろん,金持ちでさえ胸を張って他人を招待できるような家には住んでいない。なにしろ,日本ではディナーパーティと言えば外食のことだ。自宅も庭で結婚披露宴を?とんでもない,とても考えられない。財力や趣味に関係なく,人を招いて催しをしようとすれば,だれもが公共スペースーたとえばレストランやホテルの宴会場を使わざるを得ない。要するに,現代の日本には,友人達と親しく交流する場としての住宅は存在しなくなってきている。


P218 今日の日本の若い世代は,マークル一家が神戸から泉大津へのドライブで目にしたような風景になじんでいる。関東なら,成田エクスプレスで東京に向かう時に目にする光景と同じようなものだ。こんな景色が当たり前になっているから,現代日本の建築家は,快適な環境がなんたるかがわからなくなっている。リュックルゴスが予測したように,人間は「家に合わせてベットを用意し,ベットに合わせて布団を選び,残りの家財道具もそれにあわせて」,そしてまた人生をもそれにあわせていまったのだ。


P220 ローマ帝国の興亡を書いたエドワード・ギボンは,「すべて人間に関わる物事は,進歩しなければ退化する」と書いている。すぐれた工業技術,電気,水道,ガスがちゃんと整った都市,時刻表通りに走る鉄道など,日本は外面的には近代化の要素をすべて備えていた。
 官僚,建築家,大学教授,都市計画者にとっては,日本は完璧な方程式にのっとっているように見えた。あとは,定まった方向に沿ってより大きな開発をしていけばよいのだ。だが,日本では時間が止まっているということに気がつかなかった。官僚も学者もこのままでいいのだと自信満々で,国内外の新しい発想はいっさい受けつけてこなかった。近代化の中核である「変化」を捉え損ねたので,近代化の心をなくした。新しい考え方,斬新な知識を取り入れてこなかったために,ギボンが予言した通り都市でも地方でもクォリティ・オブ・ライフは後退した。
 ここで現代日本の最もおかしい,本来あってはならない不思議な現象に出会う。それは世界から「美」の国として知られている日本には,現代風景の中に人間の手が加えられたもので美しいものがほとんどといっていいほど存在しないことだ。


P271 沈む保健会社
社会の高齢化はだれのせいでもない。原因をあえて求めるなら,日本の近代化が成功した証,すなわち出生率低下のせいである。日本ほど極端ではないが,あらゆる工業国にとって社会の高齢化は避けて通れない宿命だ。日本の真の問題は,その避けられない宿命に対して用意をしなかったことだ。世界有数のGDP,貯蓄率をもって,高齢化社会に対処する資力が日本には十分あると誰もがそう思っていた。


P275 リンカーンのたとえ話?


P306 東京大学はまさにエリートの頂点に立つ大学だが,欧米の基準で見れば学問の園であるどころか学問の墓場である。大学本来の一大目的は学生に社会奉仕精神,一種の倫理観を育てることだが,東大ではまったく心得ていない。
 卒業生はまっすぐ政府の省庁に入り,そこで賄賂を受取し,暴力団に金を貸し,カルテを改竄し,河川や海岸を破壊する計画を立てるー同僚も教授も,それに対してうんともすんとも言わない。先進国の名だたる学府で,世界にも自国にもこれほど貢献していない大学はまずないだろう。


P308 日本の教育システムで学生達が教わっていない重要課題があるー分析的な思考法や,変った,もしくは独創的な質問をする能力,人類皆兄弟という意識,自然環境に対する愛情などだ。 
 とくに,環境破壊の責任は,教育システムにあると断言できる。自分の環境に責任を負うことを教えない。そのため,少数の反骨精神の持ち主を除けば,河川や山がコンクリートで塗りつぶされても,だれもそれに気づいて抗議の声を上げようとはしない。


P316 キーワードは「子供」である。(国中に溢れている)アナウンスの最大の特徴は,その徹底した子供っぽさである。福田(喜一郎)はこう指摘する。「そもそも,あのエスカレーターのそばに流れる『手すりにすかまって』も,駅員の『降り乗り続いて』も,『手回り品に気をつけて』も,あれもこれも幼稚園向きでありながら,これがれっきとした大人に流されているのだから驚くべき状況であるわけだ」。「幼稚園国家」に見られるナンセンスは度を超していて,とうてい信じられないところまで達している。


P317 ・・,代わって登場したのが「かわいい」である。日本には赤ん坊のような大きくて丸い目をした,カエル,子猫,子犬,ウサギが氾濫している。大きな目はとくに少女たちに好まれるが,彼女らこそ現代日本のデザインを決定づける消費者なのだ。
中略・・。全ての商品に大きな目をしたベビーフェイスがプリントされている。しゃれたウォークマンが日本の工業デザインのトレードマークだった時代は過ぎ去った。今日,アップル社や台湾のコンピューター・メーカーは,世界中を革新的でエレガントなデザインで席捲している。一方,日本工業デザインの最先端は子豚の形をしたピンク色のトースターだ。


P330 これほど成功したアニメにも停滞の兆しが見えている。究極のところ,やはりアニメは子供向けのメディアであるという事実はどうしょうない。ポケモンやセーラームーンのように,世界的にヒットした日本アニメの多くは,宮崎俊のような美的観念も深みもないーー子供のためのかわいいスクリーンプレイだ。
 その成功は,大人のための映画の不在をいっそう際立たせる。黒澤はあるインタビューでこう嘆いている。「日本の映画会社に希望はない。あれは一度壊して,作り直すべきだ。・・・大衆はわかりやすい映画しか受けつけないし,大衆に理解できるのは猫や犬が出てくる映画だけで,現代社会が出てくるものではないんだ」
 現代日本の抱える問題を眺めるには,映画は最適の窓である。ひとつは独占である。「三大」
映画会社の東宝,東映,松竹がほとんどの映画館を押さえていて,映画産業を独占している。
 年功序列システムに支配されているため,プロデューサーは社内の監督,あるいはすでに名のある監督とばかり仕事をしたがる。ハリウッドと香港なら,映画会社にはしょっちゅう電話がかかってきて,新しいアイデアの「押し売り」がひきもきらないが,日本の映画会社のオフィスは死んだように静かである。


P334 第二次世界大戦後の混乱期,教育は格別にゆるやかだった。戦争責任の表決はいまだに記憶に新しく,左翼と右翼は激烈に論争をしていたし,文部省は離婚やビザを規制するほど体制が整っていなかった。塾はなかったし,子供には自分達の時間があった。
 この比較的開放的だった時期の教育が60年代から70年代に実を結び,大正デモクラシーと同様の文化的復興が見られた。(ホンダ,ソニー,黒澤明,小津,三島由紀夫,安藤忠雄等をあげる)
 だがその機会も,おおよそ20年ほど,たった一世代に開かれたにすぎなかった。舞台裏では,これに反対する力が働いていた。


P335 1930年代には,棍棒と手錠を携えた特高が知識人や芸術家の自由を圧殺した。90年代には,幼稚園の先生がそれと同じ役目を果たしているーそれも,ただ拡声器ひとつでもっと効率よく。


P339 日本ほど,「国際」とか「インターナショナル」という言葉に取りつかれている国は少ない。ホテルからタクシー,石鹸にいたるまで,あらゆるもののネーミングにこの単語が使われて,それを見たり聞いたりせずに一日も過ごせない。にもかかわらず,外国人や外国の考え方にこれほど障壁を築いている国も珍しい。
(このことが,あらゆる分野で人材の流出を招き,長年日本で生活し活動した著名な外国人が日本を去っているという)


P348 戦後40年,日本は確かにアジアの「ナンバーワン」だったが,現在では「その他大勢」の一員にすぎない。二十一世紀に入ると,アジアに関心を持つ人にとって(西欧人だけでなくアジア人も含む),野心を実現するための場は大きく広がった。・・中略・・外国人にとって日本にいる魅力がねければ,超一級の人たちは日本にますます来なくなってしまう。


P351 「国際化」の行き詰まりを見ていくと,またしても「和魂洋才」という原理に戻ってくる。明治維新以来,日本はこのスローガンを掲げ続けてきた。
・・中略・・。80年代末のバブルの時代,アメリカの大学十数校が日本に分校を開設した。しかし,文部省が卒業認可資格を与えなかったため,これらの大学は学生を集めることができず,90年代末にはおよそ20の大学のうち1校を除いて撤退した。


P352 ヨーロッパでは自然と史跡の美しさの保存は観光客を喜ばすために起こったのではない。それは,コミュニティを守ろうとする,昔からある市民意識から生じ,観光はその副産物であった。(日本はこの逆をやろうとしている!)


P354 19995月,「アジアウィーク」にインタビューされた中学生,佐々木りゅう(15才)はこう言った。「僕の夢はアメリカの大学にいくこと。日本の若者は,今夢がない。僕はそうなりたくない。」
 このコメントには国際化の究極の意味が隠れている。「国際性」「国際観念」等を突き詰めて追求していくと,最終的にたどり着くのは,自国に対してどう思っているかということだ。進まない国際性は何も国際状況に関係なく,問題はみな内にある。
・・中略・・。第二次世界大戦後もしばらくは外国人に対してオープンで,その比較的開けた時代は80年代初頭まで続いた。楽しくないということは,日本は日本でなくなったということだ。


P359 21世紀初頭の課題は,日本が変れるかどうかだ。希望がないわけではない。この1世紀半に2度も180度の方向転換をし,完全に作り替えている。同じことがまた起きるかもしれない。しかし,変れなかったらどうだろうか。


P362 とはいえ,水面下での動きがある。マルクス理論の教えるところとは異なり,大衆が革命を起こすことはめったにない。煽動するのは,教育のある中流階級と,不満を抱く下級官吏,「エリートのアキレス腱」と呼ばれる層だ。そして今,アキレス腱は痛んでいる。


P363 来る革命の足音が聞こえる。日本と欧米,そして新たに富を得たアジア諸国とのギャップが広がるにつれて,無念の思いは高まっている。
・・中略。何百万という人々が海外旅行に出かけ,シンガポールの美しく効率的なチャンギ空港から,不快な成田に戻ってくる。その格差は甚だしくてとても無視できない。
 金融界では,東京の株式市場がしゅう落し,2001年には時価総額でニューヨークの4分の1に落ち込んでいた。中国人の映画監督が世界で興行収入のトップを争っているというのに,日本の一大成功作は「ポケモン」だ。海外の明るい光と興奮,そして国内の灰色の平凡さとの対比を感じ取り恥じている。それは恥とはいっても,ある意味ですばらしい改革を起こす原動力にもなり得る。


P365 近年では「改革」が声だかに叫ばれており,特に金融や貿易の分野では官僚も恐る恐るながら改革に向かって進みはじめている。が,日本の改革の概念には,前向き姿勢がないという大きな欠陥だある。改革の目的がおおむね現状維持にと留まるということで,いつもの「犬と鬼」的方法によって,深刻な構造的問題に取組むのではなく,表面だけの変化ですます方法を見いだしている。


P366 人体測定学研究で名高いウィリアム・シェルドンは,ギリシャ神話のプロメテウスとエピメテウスという兄弟にヒントを得て,人間の心理のふたつの基本形の違いについて述べた。エピメテウスは常に過去を向いており,いっぽう人類に火をもたらしたプロメテウスは未来を見ている。エピメテウス型の人は前例を尊重し,プロメテウス型は人類の進歩に必要と思えば神々から火を盗んでくる。


P368 先ごろ,日本学の重鎮ドナルド・リッチーは,1965年に書いた「日本人への旅」の一文についてインタビューを受けた。そこで彼は,外国へ旅行する人々が増えるにつれて,日本人はほかの国の人々と似てくるだろうと予言していた。
 リッチーはインタビューに答えて,「私が言いたかったのは,外へ出て他の人がどんなふうに生き,何を考えているかを見れば,もう自己満足にはひたってはいられなくなるということでした。しかし,私は完全に間違っていた。ジャルパックを予想していなかった。
 日本人はパッケージで外国に行き,日本人観光客向けのワニ園を見て,独自の旗を振り,独自の必見スポットをもっている。これが大多数の日本人の旅行のしかたであり,これでは感動などありません」。


P369 海や川や山,そして町や都市の景観の悲しむべき状況の影にあるのも,やはりゆでガエル症候群である。でたらめな開発,モニュメント,奇怪な公共工事が,国の文化財産を台無しにしている。しかし,熱さは火傷するほどではない。なぜなら「古い文化」と「自然を愛する心」という子守唄が国民をうとうとさせているのだ。


P370 現在の苦境を表現するのにピッタリの言葉は「中途半端」である。美しい自然景観は存在するが,真の感動が得られることはめったにない。視野のどこかに,建設省が建てた醜く不要なものが必ず目に入ってくる。
 京都は何百という寺院や石庭を保存しているが,録音されたアナウンスがその瞑想的な静けさをみだしているし,苔むしたもんを一歩出れば,そこにはゴミゴミした都市が広がっている。
 教育制度は子供たちに試験のための知識を効率的に教え込んでいるが,自分で思考する方法は教えない。


P374 これからの数十年間,このままやっていけるだけの蓄えはある。これこそ日本の悲劇だ。中途半端から日本を目覚めさせることができるのは破産だけだろう。


P376 残念なことだが,経済崩壊はまず起きないだろう。水はしばらくぬるいままで,国民は中途半端というスープのなかでぬくぬくと眠り続け,国は徐々に衰退していく。「文明としての日本型資本主義」への墓標銘を刻む時がりれば,その銘は「ゆでガエル」だろう。


<結論>
P380 「日本のパラダイム」とは「強国・貧民」をいい,過去に,海外のオブザーバーはこれをうらやましく思う続けてきた。このパラダイムの美徳は国民が大きな犠牲を払うことにより,国家の経済力が増してゆくことである。
 しかし,今こそこのパラダイムを見直し,日本のコンクリートに覆われた川,ゴミゴミした街,金融界の不振,「ハローキティ」化された文化,みすぼらしいリゾート,公園,そして病院などを直視することが必要だ。
 過去の二世紀に,日本の課題は鎖国から脱却し,世界で活躍することだった。それにみごと成功し,最も力のある国になった。しかし,この成功はその裏に途方もなく大きい代償を伴ったものであった。
家路を探し求めるーこれが今世紀の課題だ。


抜粋終り

Webより
http://blog.goo.ne.jp/tetsu814-august/e/f326017f4c8ce02770f3250a26d52481

犬と鬼 アレックス・カー ****
20101005日  本の読後感
日本はその景観と国土の破壊、文化の破壊にブレーキをかけ、膨大なGDP以上の赤字を解消することはできるのか、筆者の答えは悲観的である。数十年はこのままでもやっていけるだけの蓄えはある、これこそが日本の悲劇だ、と指摘、大正ルネッサンスが崩壊して世界恐慌から太平洋戦争敗戦に至るまで軌道修正できなかった歴史と同じ轍を踏むのではないかという筆者、日本が目覚めるのは、国家的破綻をしてしまったときだという。

【土建国家】ニューヨークで元アンカーマンだったマクニールが広島から東京まで目にした光景は、味も素っ気もない効率一点張りのごみごみした風景、トンネルにはいるとほっとした、という。国中どこでも土地の改良がなされている。幅1メートルの小川もU字型水路に、林道建設のために山腹を爆破、川は土手だけでなく河床まで塗りつぶす。国土交通省は133の河川のうち130にダム建設、流路変更を実施、2800のダムがあるのにさらに500を建設予定だ。山村にとっては不要なダムやテトラポッド、しかし建設を止めると補助金が下りなくなるので止められない。1995年から2007年までに公共工事費として使われた予算は650兆円、同時期のアメリカの34倍である。1993年には海岸の55%2000年には60%がコンクリートで覆われた。

【治山治水】「埋める・建てる」精神が日本を覆っている。工業化の後に訪れる脱工業化に日本は失敗しているのではないかと指摘。日本人が「落ち葉に迷惑している」という住民の声から木を切り倒すようなことを繰り返しているという。自然である土や泥、落ち葉や昆虫などを不潔と感じ、金属プレートや平らなコンクリートの壁をきれいと感じる日本人の感覚は本当だろうかと疑問を呈する。

【ステロイド漬けの開発】阪神淡路大震災後の汚染土地浄化を怠ったこと、那須近郊での廃棄物処分場周辺で野生生物が死に始めていることへの対応、所沢でのダイオキシン汚染での行政としての対応、すべてが茶番である。ゴミは蓄積する、適切に処理なければ生物や人間にも悪影響が出る、当たり前のことを怠り、経済活動を優先させる、それはステロイド漬けの開発と呼ばなければならない。
(註:皮膚に塗ると、急速に肌へ浸透していくため、即効性が高いのがメリットですね。全身的なものとしては、ステロイドの機能である、副腎皮質機能の抑制により、長期間使い続けると、個の機能が元に戻らなくなてしまいます。)


【低金利の影響】日本がとっている低金利政策は年金や庶民の資産形成に大きな影響を与えている。企業にとっては資金を安い金利で借りられるだけ借りて、買えるだけの固定資産を買い絶対にそれを売らない、というのが配当をしないなら得策になる。さらに土地を担保に資金を調達、株式に投資すればいいことになる。バブルはこうして形成された。その結果が低金利である。低金利は日米の金融資産格差を大きなものにしている、このことに日本人は本当に気がついているのか。

【技術大国日本】タンカー転覆で流出した油は結局ひしゃくを持った女性達が除去している、ダイオキシンの土壌水源汚染データは公表されない、産業廃棄物処分場からの侵出水には遮水処理をしないで放置する、BSE問題で陽性の牛がいたのに焼却処理処分の確認もしない、これが技術大国の姿である。
(註:日本の産業界の国際競争力の強さは,ひとつには有害廃棄物と環境破壊の費用をまったく無視してきたおかげである。)

【官僚制】典型的な官僚の働き例を挙げている、エアロビクスインストラクター資格を官僚が操る例である。厚生労働省は健康・体力づくり事業財団を設立、健康運動指導士と健康運動実践指導者という二つの資格を与える。厚生労働省と文部科学省は日本健康スポーツ連盟に出資、職種認定を行い、日本エアロビックフィットネス協会を設立して認定証を発行する。文科省は日本体育協会を設立、スポーツプログラマー1種、2種という資格を創出、9万円、50万円という認定料を取り立てる。さらに中央労働災害防止協会は20日間の研修を義務づけ17万円を徴収する。エアロビクストレーナーになるにはこうした研修と資格が必要、と言うわけである。

【外郭団体】道路公団が最大の団体である。事業予算は45000億円、半分は高速道路からの業務収入、残りは財政投融資の4%にものぼる借金である。累積赤字は27兆円、国鉄の28兆円に迫っていて超えることは確実。SAPAの売り上げは道路施設協会が管理、730億円、しかし協会は道路公団に70億円しか料金を払わず、残りは協会の天下り役人の給料になっている。協会は103の会社に業務を外注、5450億円の売り上げを計上、26000人の社員が雇用されている。道路公団の予算の内、道路管理の儲かる部分は官僚OBのポケットに入る仕組みになっているのだ。既に建設済みの6000Kmの道路に加えて9200Kmの道路を造る、というのはさらなる官僚OBの収入源獲得には必須のものである。

【京都を台無しにしたのは】90年代のことである。90年代だけで京都から4万軒の古い木造建築が消えたという。洗濯物がはためくマンションに遮られた東山の稜線、空を通る電線、大徳寺の中には車が通る道路、比叡山には駐車場と頂上には遊園地、ガソリンスタンドや市バスでは機械音を鳴らし続け、バスの車体には子供の落書きのようなデザインがある。町中の建物のデザインと色彩はバラバラ、だれがこういう京都にしたのであろうか。60年代の京都タワー、90年代の京都ホテル、そして京都駅、住民の反対は押し切られた。先斗町のポンデザールと称される橋の建設は見送られたが中止にはなっていないという。

【ゾーニング】地域を機能的に分類して有効利用することであるが、日本では役所の書類上だけにあって実際にはできたためしがない。住宅地に中古車販売店があり、明かりが煌々と付けられたゴルフ練習場も混在する。ネオンサイン、看板、ライト、広告など、規制はあるのかと思いたくなる。さらに都市を破壊するのが高い相続税と日照権である。相続税が高いため、相続者は土地を手放し、購入者は土地有効利用のために平屋を壊して高層ビルを建てる。日照権の問題から屋上付近は斜めに切られて景観を壊す。容積率の問題より空調設備は屋上にむき出しになりさらに醜悪な景色を都市に作り出す。電信柱と電線はなぜ地中に埋められないのか。優先度、地下化できないのは地震対策と言い訳する不勉強、電柱製造と設置にかかわる利権、PHSの拡大などが原因であるが、責任者は不在である。

【ブレーキ】環境破壊や財政破綻にまっしぐらに進んでいても、官僚にはブレーキをかける仕組みがない。ファンタジアで水をくむ呪文しか知らなかった主人公のようである。序破急という伝統芸能では急は突進であり終局にむかって速く進む、激突でしか止まれないのではないか。

【モニュメント】地方都市には無数のモニュメントが建設されている。岡山県奈義町では磯崎新に美術館建設を打診、書道美術館の構想だったが、磯崎は知り合いの作品2点と妻の作品1点、この3点を展示する現代美術館を作った。町はこれに文句も言えず、美術品の値段3億円を支払った。人口15000人の山口県周東町では公民館を建てるつもりで竹山聖に相談、コンサートホールなら良いよとなり、田んぼの真ん中に屋上に1500人収容の野外劇場を持つコンサートホールができてしまった。建設費は補助金が出たが、維持費は町の負担となる。

【借金】日本の歳入不足額は99年度31兆円、長期債務は395兆円、自治体の歳入不足は160兆円、合計555兆円。国鉄債務、道路公団など財政投資の隠れ借金が数兆円、合計すればGDP117%にもなる。これは庶民を貧しく、国を経済大国にする、ということが国家目標であれば正しい選択なのかもしれない。

【教育】幼稚園ではみんなと同じ弁当を持ってきて、同じやり方で一緒に遊ぶことを教えられ、小学校では組に分けられて軍隊のように規律を守り時には我慢することを教えられ、中高では学校でも家庭でも規則通りに勉強と生活をすることを求められる。授業内容は記憶と訓練であり、分析や思考ではない。入試のために塾に通い睡眠不足にまでなって入った大学では勉強しなくても卒業させるという高校のおまけのような内容、大学院でも似たり寄ったりでレベルが低くて4年間がもったいない。

【幼稚】日本では手すりにつかまって、降り乗りは続いて、手回り品に気をつけて、傘は忘れないで、などなど大人に対して子供に言うようなアナウンスがあふれている。危険、危ない、という警告が鳴り響く国、これが日本だ。日本人の幼児化ではないか。いまはやりの「かわいい」これも幼児化のひとつである。

【実がない】目的なく進める土木工事、周りの環境とニーズに無関係のモニュメント、歴史や方程式の暗記中心の教育、古きを壊す街づくり、配当を払わない株式市場、利潤を生まない不動産、就職までのつなぎでしかない大学教育、世界を閉め出す日本的国際化、真のニーズに関係のないところに金を使う官僚、粉飾が見破れない企業のバランスシート、環境保護に無関心な環境省、テストされていない模倣薬、官僚による曖昧で秘密嘘の情報操作、人間を運ばず大根野菜を運ぶ地方空港、いずれも実がない。

筆者の結論は、「家路を探し求めるーこれが21世紀の課題だ」

日本人としてここまで指摘されると、反発もしたくなる。破壊や誤りを止めたり、元に戻す動きはあるが、わずかな成果しか出ていないのかもしれない。在日外国人数は増えているかもしれないが、筆者のように日本の歴史と文化を愛した外国人は日本を去っている。日本を訪れる外国観光客数はなかなか増えない。根本原因は筆者が指摘する数多くの問題に根底があるのかもしれないが日本人がゆでガエルになっているので、気づいているのにアクションにつながっていない。教育からのやり直し、時間はかかるがこれが処方箋だと思う。

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