2017年8月7日月曜日

獣医師と日本の行政

加計学園問題は、何が問題の本質なのか? それが判る気がします。
元農水省官僚が語ります。

キャノングローバル戦略研究所(CIGS)の2017.08.04のメルマガより。
加計学園問題に隠された日本行政の疾患」(研究主幹山下一仁)全文を引用。

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加計学園問題とは何か?

 加計学園をめぐる問題を簡単に説明すると、文部科学省が、獣医師が過剰になることを理由に半世紀以上も既存の16大学以外が獣医学部を新設することを認めず、定員を規制していた中で、2007年以降の今治市の度重なる要請に応える形で、通常の行政のルートではなく、国家戦略特区の仕組みの中で4つの条件を満たせば、獣医学部の新設を認めようとしたものである。
 その際、獣医学部を新設しようとする加計学園の理事長が安倍総理の友人であったことから、安倍総理の周辺にいた人たちが文部科学省に認可するように圧力をかけたとされ、前文部科学次官がこれによって〝行政が歪(ゆが)められた〟と主張する事態に発展した。
 新聞報道を見ると、最初から加計学園の主張を入れる形で議論が進められ、これに抵抗する文部科学省に官邸側から圧力がかけられたのではないかという点が、主たる争点となっているようである。つまり、上のまとめの後段の部分である。スキャンダル的には、前段よりもこちらの方がそそられる。かつて国家公務員だった者としては、批判されているようなことがあり得ないかと聞かれると、ありそうなことのように思えるが、国家戦略特区ワーキンググループの委員が議事録を読めばそのようなことはないことがはっきりわかると断言していることからすると、そうではないのかなとも思える。

本当に歪められているものは何か?

 たしかに、このような介入が事実であれば、〝文部科学省の人たちが進めてきた行政〟が歪められたということになるのだろう。加計学園問題について議論されていることは、これに尽きるように思われる。
 しかし、そもそも獣医学部の新設を認めようとしなかった〝文部科学省の人たちが進めてきた行政〟が歪んだものだったらどうだろうか。
 そもそも獣医師が過剰か不足かどうかは、誰が判断するのだろう。
 わかりやすいように、キャベツの値段を例にとって話を進めよう。キャベツ一個が50円の時と300円の時、キャベツは過剰なのか不足なのだろうか?
 どちらの場合も、過剰でも不足でもない。価格が伸縮・変化することで、市場では常に需要は供給に等しい。これは高校の教科書で習う経済学の基本である。
 しかし、どうして過剰とか不足とか言われるのだろうか?
 それは、生産者(供給者)の目で見るか、消費者の目で見るかの違いである。キャベツが50円の時には生産者からすれば供給が多すぎる(あるいは需要が少ない)から価格が低いことになる。つまり〝過剰〟である。この時、消費者は安く買えるので文句は言わない。
 逆に、300円の時消費者は不足していると文句を言う。消費者にとっては、供給が少ないので価格が高すぎることになる。もちろん高く売れる生産者は不満を言わない。このように価格が高いか低いかは、どちらの立場で評価するかで異なる。しかし、市場からすれば、高かろうが低かろうが、需要と供給を等しくするものが価格である。

獣医は過剰なのか?

 この例からわかるように、価格が低下して過剰だと文句を言うのは生産者である。獣医の世界に置き換えると、獣医療サービスの供給者(提供者)は獣医師である。過剰でないようにしてほしい、つまり高い価格を維持してほしいというのは、獣医師の団体だと言うことになる。獣医療サービスの供給が多くなって、その価格(獣医師報酬)が下がれば、畜産農家やペットを飼っている人たちは利益を得る。しかし、そのような利益は、行政では考慮されることはない。
 これは獣医だけではない。医師、タクシー、米など日本行政にあまねく見られる特徴的な問題である。
 新規参入の抑制など供給の制限によって、一定の高い価格を維持し、これによって財やサービスの生産者・供給者の所得を保証できるよう、彼らにとって過剰でない状態に供給をコントロールしようとしてきたのである。

隠されているもの

 過剰であると言うことは、今の供給が多すぎて、行政や業界が〝想定している価格〟より市場価格が低すぎるという判断が隠されている。その〝想定している価格〟がどのくらいなのかは明らかにされない。
 経済学では、価格が需給を調整するのに、不思議なことに、国の需給についての見通しや計画では、価格という要素は一切現れない(これは経済学を勉強したものからすれば、行政による国民に対する詐欺である。しかし、ほとんどの行政官は法律家で経済学の門外漢であることから、誰も〝価格がない需給表〟に疑問を抱かない)。

日本の行政は誰の利益を保護しようとしているのか?

 獣医の問題でも、獣医師会や農林水産省に意見を聞けば、現在ですら過剰である、つまり供給が多すぎるのでこれ以上の増加は認めないでくれというだけだろう。これによって現在獣医学部を持っている16大学の経営も安定し、文部科学省の職員の大学への天下りも保証される。
 獣医師については、農政がさらに歪めている。本来、畜産農家にとっては獣医療サービスを安く提供してもらわなければならないが、高い関税などにより畜産物価格を高くしたり、畜産農家に対して補助金を交付したりすることによって、畜産農家が高い獣医療サービスを購入しても文句が出ない仕組みが出来上がっている。
 もちろん、この歪んだ政治の最終的なツケは納税者と消費者に回ってくる。
 本当に獣医師が〝過剰〟になって、獣医師の報酬が低下するようだと、獣医学部への学生の応募が減少するだけである。最初から大学の学部の数や学生数を規制する必要はない。評判が悪い学部には、応募者数が減少して、淘汰されるだけだろう。
 要するに、日本の行政の病根は、生産業界、官僚、政治家、大学で構成される共同体が、供給(生産)側の立場に立って、供給を制限し価格を高く維持することで、生産者の利得を保証しようとしているところにある。
 しかし、残念ながら、今回の加計学園問題で、この日本の行政の根本的な疾患を取り上げようとする論調は少ない。
 なお、一つだけ追加すると、過剰かどうかの判断は国内市場だけの評価である。獣医療サービスの輸出を考えると、実は日本の獣医療サービスに対する需要はもっとあるのかもしれない。しかし、獣医師会にも農林水産省にも、輸出可能性の議論はないようである。

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