2013年9月30日月曜日

大問題!日本の住宅ローン


 筆者は以前より北米の住宅ローンはノンリコースローン(住宅だけを担保にとる融資。保証人・生命保険無し)だということは知っていましたが,今回住宅生産性研究会(HICPM)のメルマガに,日本の住宅ローンの非常識が論理的に克明に解説されていました。重要かつ貴重な内容だと思います。



 住宅生産性研究会様のご了解を頂き,コピーさせて頂きました。

 一部,加除・編集させて頂いた部分があります。

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HICPMメールマガジン第524号(2013年9月9日)



 丁度2年前、東日本大震災の高潮被災を受けた方々の中には、お亡くなりになった方とともに大怪我をされたり、家族を失われた方も多数いらっしゃいます。また、住宅を高潮で流されたり、地震で住宅が倒壊し、大修理を余儀なくされ、住むことができなかった方が沢山いらっしゃいます。それらの人に対しどのような支援策が「日本の住宅政策」として行われてきたのでしょうか。

 流出した住宅のローン返済義務はそのまま残っています。住宅ローンの担保には、住宅だけでなくその土地まで取られています。そして,被災者は家と全てを失い返済能力がないのに,政府は金融機関にその担保を引き取らせず、苦しんでいる被災者が自力で立ち上がろうとしているのに、更なる2重ローンを背負わせる「おぼれる者を、再度、水に突き落とす」残酷な処置に臨んでいます。

 米国はもとより、世界の住宅ローン制度ではあり得ないわが国の住宅政策のこの理不尽さを、今回は、支援に来日した米国人の疑問を通してお話します。

<同盟国米国からの調査団の驚き>

 東日本大震災直後、米国の住宅産業界の調査団が米国の同盟国支援のためにボランタリーで日本にやってきました。最初に米国からの調査団に被災者の直面している住宅問題、即ち、「高潮で住宅が消滅した人には住宅ローン債務だけが残り、新たな住宅を買おうとすれば、2重ローンは避けられない」という日本の住宅政策について話ました。

 すると調査団は、「日本では通常でも年収の6倍を超える(米国の2倍もの)住宅ローンを背負っている人に、年収の12倍を越すローンでは、再起できないのではないか。」と日本の住宅政策の残酷さに驚きました。
 そして、「何故、流出した住宅のローン債務を金融機関が責任を負わないで、被災者が負わなければならないのか。さらに、金融機関は被災者が返済できないほどのローンを被災者に負わせ、生活自体を破綻に追い込んでいる。なぜ、政府はそれを容認しているのか。」と次々に疑問を投げ掛けてきました。

<「土地と住宅は別の不動産」(民法)の科学的誤り>

 二重ローンになる理由は、日本では住宅ローンの最終の担保が住宅不動産ではなく、個人信用であるためです。つまり、国民を守る不動産政策と住宅政策が不在だからです。
 金融機関は住宅とその土地を、それぞれ別の不動産と扱い、両者に一番抵当権を付けます。しかし、金融機関は、土地と建物の担保では、ローン債務を相殺しません。金融機関はローン担保に取っている土地・建物と生命保険の総額は、ローン額の3倍にもなっています。

 そのことを聞いて、「それは過大な担保ではないか」驚いて、「金融機関は融資に当って担保の不動産価値評価をしていないのではないか。」と質問をしてきました。そこで日本の不動産鑑定制度を説明したところ、「土地と建物を独立した別の不動産」と扱う日本の不動産評価制度に対し、科学的合理性のないことを指摘しました。

 その上で、「不動産評価を3つの方法で実施する日本の不動産鑑定評価方法の構成は米国に似てはいるが、内容は相違し、間違っている。」と一刀両断に切り捨てました。「そんな不動産評価をする国は世界中に日本しかない。」と驚き、「日本の制度が国民を不幸にしている。」と指摘しました。

<日本以外の国の「住宅不動産」の取り扱い>

 米国の調査団は、日本以外の国の住宅不動産の扱いを次のように説明しました。住宅建設は、宅地造成の延長線上の土地(環境)の加工方法です。米国社会は、世界各国同様、「建設された住宅は土地と一体の不動産になる。」と考えています。

 土地は、敷地と住宅の設計の仕方で様々な効用を持つ住宅不動産になります。敷地と住宅それぞれの効用は分離できず、不可分一体の不動産としての利用されます。それにもかかわらず、日本の「土地と住宅とをそれぞれ別の不動産」の扱いは、社会科学的に不合理で、法的扱いの理屈がわからない。つまり、土地も住宅も相互に無関係に不動産価値評価ができるとする日本の不動産評価は、一般常識や経験則に照らしてもおかしいだけでなく、日本の法律制度上および不動産学上の扱いには、それを正しいとする根拠はないと、わが国の不動産鑑定評価方法に疑問を投げ掛けてきました。

<日本の不動産取扱いで露見した矛盾>

 米国からの調査団のメンバーに理解できなかったことは、「土地と住宅は別の不動産と扱いながら、住宅のローンの担保として、土地が住宅と独立した不動産であるというならば、住宅を担保に取ることは当然としても、土地まで担保に取らねばならない法律上の根拠はない。」と言います。

 住宅が独立した不動産で、その担保として、「土地建物が不可分一体で分離できないから、土地も建物と一緒に担保とする。」と言うのならば、初めから米国のように、「住宅は土地の上に建設されることで土地の一部に吸収され、一体の住宅不動産になる。」とするべきではないか。

 住宅のローン担保として、住宅と独立した土地にまで抵当権を設定する「土地の担保」は、土地を別の不動産として扱うならば、一体の担保に土地まで押えることには、法律上の根拠がありません。さらに生命保険まで過剰な担保にする理由はないと指摘しました。

<過大のローン担保(不等価交換金融の謎)>

 日本以外の国では土地建物が一体ですから、土地と建物を住宅ローンの担保に取ることは当然です。日本の場合のローンは建物の建設費に対するローンですから、ローンの対象外の土地代を加算した担保物件の価値は、担保額としては、土地の価値分だけ高すぎます。さらに、生命保険加入を融資条件に付ける金融上の合理的理由はありません。

 しかも、「ローン額は生命保険額と同額以上でなければならない。」とする理由は理解できません。生命保険が最終的な担保であるとするならば、土地建物を担保にする必要はないはずです。なぜ、日本の住宅金融ではそんなに高額な不等価交換の担保が必要なのですか。それでは金融機関は安全過ぎ、担保を取り過ぎているのではないですか。

 融資額をはるかに上回る担保を金融機関が求めていることを、国が何故認めているか、の理由はわからないと疑問を投げかけました。
 担保設定の方法は「かつて、住宅金融公庫が国の住宅政策として実施したことを民間の金融機関も踏襲しているもの」という説明を聞いて、米国の調査団は、「政府の住宅金融機関がその方法を作ったこと自体が不当である。」と驚いていました。

<不可解な「土地・建物・生命保険合わせ担保」理由>

 日本では住宅を土地建物一緒に売っても、建物部分のために借りた住宅ローン残高以下の価格でしか売れない事例がこれまでにも多数ありました。その理由は、日本では政府も不動産鑑定士も、土地の評価は、土地には住宅が載っているから「建て屋付き土地」と評価され、また、住宅は償却資産で残存価値として評価されます。そのため、その合算した不動産価格はローン額より少なくなることもある過去の事例を説明しました。

 その説明に対して、「その説明自体が土地建物は不可分一体のものであることの証明で、それぞれが独立した不動産として扱えないこと」を説明していると指摘してきました。
 米国では建物が建てられていない土地は収益を生まず、その価値評価は低くなり、建物が立って住宅不動産から賃貸料という利益がもたらされるので、「建て付け地でないと利益を生まず、低い評価となる」、という日本とは逆の世界が米国にあることを知らされました。

<米国人には信じられない日本のローンの担保>

 日本でローン債務の清算を生命保険が使われた事例があります。それはバブル経済が崩壊した際、多発した事例です。企業が倒産し、またはリストラによって、住宅所有者が仕事を失い、住宅ローン返済不能に陥った事例でした。
 クレジットローン(個人信用金融)では、借受人が生きている限りローン弁済義務が残ります。その回収のため、債権者である金融機関のローン取立人が、「あなたの住宅は差し押さえられ家から追い出されても、ローン債務が残る限りその返済を迫られます。しかし、生命保険を行使(自殺)すれば、ローン債務は棒引きになり、妻子には住宅不動産をそのまま残せる」と教唆しました。

 このような住宅ローン債務者が自殺に追い込まれるケースは、毎年約3千件に及んでいます。米国から来た調査団は、再三、「冗談だろう」「信じられない」と問い返しました。そこでバブル経済が崩壊したとき、多数の生命保険会社が倒産した事実と、多くの保険会社は今も住宅ローン事故に起因する倒産の不安に脅えていると説明したところ、納得したようでした。

 かつて住宅金融支援機構に「ローンの支払えない人に自己破産の途があることを教えるのか」と質問したところ、「金融機関は口が裂けても、借金棒引きの途は教えられない」と答えました。その話には調査団は笑っていました。

<「モーゲージ」とその語源>

 米国では土地と建物は一体の不動産です。住宅ローンはモーゲージといって、融資期間内に維持される住宅の価値評価を根拠に、直接工事費分(通常は、住宅販売価格の80%)の費用を融資します。
 ローン返済が滞れば金融機関はローンの担保である住宅を差押え、それを既存住宅市場で処分しローン債務を回収します。
 担保(ゲージ)とローン債務とが相殺(モルト:死滅)されることから、「モーゲージ(モルト・ゲイジの合成語)」の語源が生まれました。

 東日本大震災の津波被害者たちは、米国であれば土地建物が一体の不動産担保ですから、担保としては住宅が流され土地しかありませんから、金融機関は担保の土地を差し押さえるしかありません。住宅所有者のローン債務は、住宅が流出した土地を金融機関に提供すれば、それでローン残高分の債務は消滅します。

<「ベニスの商人」金融を行う日本の住宅ローン>

 高潮災害は被災者の責任で生じた訳ではありません。日本国憲法(国家と国民の社会契約)に、国家は国民の納税義務の見返りとして、国家には国民の基本的人権(生命財産)を守る義務があります。
 しかし、東日本大震災の結果を見る限り、国家は住宅を失った国民の財産の損失を救済せず、住宅ローンの貸し手(金融機関)の利益を守りました。金融機関が「土地・建物を担保に押えていながら、一方的に担保を受け取らない。」とした金融機関の横暴を、政府は全面的に幇助しました。『ベニスの商人』の戯曲と同じ行為が、日本では、政府によって正当化されています。

 国家の想定外の津波に住宅をさらわれた国民は、国家と同様津波被害を想定できず、住宅の立地選択の誤りました。同様に、その住宅にローンを行った金融機関も融資対象物の判断に誤りがありました。
 とはいえ、国家(国と地方公共団体)にも想定外の災害で、対策が不備であったことの責任があります。損害は国、金融機関及び個人が、それぞれ、応分の負担をし合うべきと米国人は考えていました。日本でその論理が使えない理由は何故でしょうか。

 日本では「個人財産に関する被害者責任は、その総てが個人の責任に帰属し、国は個人の資産形成のために税金は使えない。」と説明してきました。しかし,国民の納税義務は憲法で定めた国民の生命財産の保護と表裏の関係にあります。
 その論理上の結論として、納税者の損害に対する国家の被害補償義務は、政府の言うように皆無であるとは言えません。

<国民の代理者(国会議員)の理解できない対応>

 政府が個人資産形成に税金を投入した例は、無数にあります。卑近な例では、都市再生関係事業で交付されている補助金や、長期優良住宅補助金など政策上の理由をつけて、個人財産形成に税金が1戸あたり、200万円もの補助金として交付されている例はあります。

 多くの国民は被災者のために税金を使うことに反対していません。東日本大震災の被害者に補助金を交付しない理由は、政治家や官僚が利権の絡んだ東京電力の損失に税金を投与しても、被災者のために税金を使いたくないだけのことです。

 被害者が受けた損害に国と金融機関は免責にされ、金融機関の損失が発生しないように、住宅所有者の生命保険が使われています。
 この被災者を踏みつけて、金融機関や業者救済のための事業を優先する話を聞いて日本は野蛮な国だと感じ、「そのような住宅政策に国民は黙っているのか」、「政治家は国民のひどい状態をなぜ問題にしないのか」と繰り返し尋ねていました。

<災害補償の米国の常識、日本の常識>

 ニューオリンズを襲ったハリケーン・カトリーナで住宅を失った人たちは、ローン債務も住宅と一体に消滅しました。米国からの調査団の人たちは、日本も米国と同様、高潮で流出した家屋のローンは住宅の流失と同時に消滅したものと思っていました。

 ローンの担保となっていた住宅が流されたのに、「金融機関からローンの担保価値がなくなったので、金融機関が担保の土地建物を受け取らなくてよい」と金融機関を免責にした一方で、債務者にローン債務残高を追及する不当な措置を認めているのです。このような金融担保の扱いに対する政府の監督の実態に驚いていました。
 土地担保金融を前提にした住宅金融に支えられた住宅政策の実態が、露見していました。

<国民の犠牲で金融機関を保護>

 災害復旧を被災者の立場で問題にせず、不条理な担保の扱いと損失補償のやり方を金融機関の立場で処理する国会議員しかいなかったことにも驚いていました。

 ハリケーン・カトリーナの事後調査で日本の国会議員が多数、米国に出掛け、モーゲージによる不動産担保金融の被災者救済の経験を関係者から聞いたはずです。
 東日本高潮対策を被災者本位の立場でその対策ができなかった理由は、米国に出掛けた国会議員は、米国の被災者救済の経験を何も学んでこなかったからに違いありません。

 米国の調査団は、日本の調査団が多数訪米したことを知っていました。それらの調査団と接触しながらも、日本の問題意識として被災者の住宅ローン救済は関心外のようでした。
 そのため、住宅金融も米国同様のモーゲージと信じ込まされていました。それだけに、東日本大震災の住宅ローン処理は被災者を保護せず、専ら金融機関救済であることを聞き、青天の霹靂だったようでした。

(NPO法人住宅生産生研究会 理事長 戸谷 英世)

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特定非営利活動法人 住宅生産性研究会(HICPM)
ホームページ:

http://www.hicpm.com/
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(参考情報)

ノンリコースローン
http://ja.wikipedia.org/wiki/ノンリコースローン

なぜ、日本では「ノンリコースローン」が定着しないのか?
http://sumai.nikkei.co.jp/edit/twatch/detail/MMSUc2000027092011/

上記から一部抜粋します。

< リーマンショックの発端が米国の住宅バブルを起因とするサブプライムローン問題にあったのは周知の通りだ。金利上昇リスクなど、融資内容を十分に説明しないまま低所得者を中心に住宅ローンを貸し付けたことで、焦げ付きが急増。2006年7月をピークに住宅価格が下落し始めた途端、サブプライム向けのローン債権で裏付けされた証券化商品を保有していたファンドや金融機関は、商品価値の急落により経営状態を悪化させていった。その中の1社がリーマン・ブラザーズ証券だったというわけだ。こうして100年に一度と言われた世界同時不況が幕を開けることとなった。

 しかし、住宅ローンに話を戻すと、米国では返済が滞り自宅を追い出されても、サブプライムローンの利用者は日本のように“引き続き”返済を迫られることはなかった。同国の住宅ローンは「ノンリコースローン(非遡及型融資)」といって、返還請求権が個人の資産にまで及ばない決まりになっているからだ。いくら残債があろうと融資担保(自宅の価値)を超えて借り手側に返済を請求することはない。当然、マイホームは失う(強制売却)ことになるが、自宅を手放しさえすれば住宅ローンからは完全に解放される。担保割れ分は金融機関側がリスク処理する仕組みになっている。


 これに対し、日本は自宅を失っても住宅ローンはなくならない。3月11日以降、「二重ローン問題」が注目を集めていることからも分かるように、津波で自宅を流されても残債は返済し続けなければならない。日本の住宅ローンは借り手側に過剰ともいえる負担を課しているのだ。住宅金融に内在するリスクの多くを、銀行側が一方的に利用者に負わせているわけだ。
ーーーーーフッター
「田舎暮らしコミュニティ」のすすめ!
http://shinshumachidukuri.blogspot.com/2011/10/blog-post_9187.html

農楽のすすめ!
http://tateshinadayori2.blogspot.jp/2011/08/blog-post_26.html

”田舎暮らし”動画がYoutubeに300本以上

http://jp.youtube.com/user/takasukey
「街並づくり」の理念にご興味のある方は
http://www.youtube.com/watch?v=nn5OVYAwJnQ

メルマガ「蓼科便り」のアーカイブス
http://tateshinadayori2.blogspot.com/

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2013年8月8日木曜日

「穏やかな道」

 私はこの文章に大きな感銘を受けました。そして,日本はこの「穏やかな道」をこそ歩むべきと強く感じております。

 世界に日本が貢献する道も,経済と軍事力ではなく,この「穏やかな道」の延長線上にあるのではという気がします。
 コミュニティづくりにもこの考え方を入れていこうと考えています。


 この文章の著者小林徹様(カナダ在住の建築士,既にリタイアー)との出会いは,1997年1月25日~2月2日,新建新聞社と長野県輸入住宅協会共催(既に解散)の,「北米型住宅」魅力検証ツアーでした。

 バンクーバーで,「北米型住宅セミナー」の講師を務めて頂き,翌日はバンクーバーの素敵な町をご案内頂きました。その時のバンクーバーの町の美しさは今でも鮮明にイメージすることができます。


 小林様とのつきあいはそれ以来です。「シアトル酋長の手紙」や「犬と鬼」などのご紹介やら,たくさんのすてきな文章や寓話を頂きました。

 この文章は,元々は2005年,姉歯建築士による耐震偽装事件によって日本の建築業界・官界・学会が大混乱していた時に,日本の世情を憂えてカナダから送っていただいたものです。

 今回,姉歯の事件を知らない方も多いだろうと,その部分を訂正してお送り頂きました。ご了解を頂きこのブログに掲載させて頂きました。


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穏やかな道

小林 徹

 人間が生活するうえにおいて、コミュニティ造りは非常に大事なことですが、今の日本社会では、コミュニティを云々する以前の問題が多いように思います。

 たとへば、民主主義というのを例にとってみますと、民主主義というのは、文字通り、「民主」、すなわち、民が主です。しかし、そのためには、社会を構成する一人一人が、主となれるだけの、個の確立と自覚が必要なのです。
 しかし、戦後、日本は、民主主義のなんたるかを知らないまま、アメリカに民主主義を押し付けられ、戸惑ったあげく、得意の箱文化で、一見、民主主義の体裁を整えました。 箱文化とは、中味より、まず、外見を整えることが大事、つまり、外見のパッケージのデザインの方に気がいく文化のことです。人間でいえば、肩書きや、権威に、より関心が向く文化ともいえます。

 かくて、外見は民主主義の格好になりはしましたが、その実態は、民主主義の単位としての個人の確立などとは程遠く、日本独特の「会社主義」ともいえるものに走っていったのです。
 戦後、早急に経済の立て直しをはからねばならなかった政府の教育方針は、それを全面的にバックアップし、人としてあるべき成長ではなく、企業に適した人材の量産に焦点を合わせていきます。
 結果、人の幸せよりも、会社の効率を優先する社会になってしまったわけです。会社の効率をはかる単位はお金ですから、その価値基準にそった社会が出来上がっていく。あげく、「金でなんでも買える社会」の出現です。いや、この言葉は語弊があります。「金で買えるものに、なんでも価値を置く社会」と言い直した方がいいでしょう。

 しかし、会社をとっぱらい、国をとっぱらい、地球の中に存する「人間」としての観点から、自分自身をじっくり振りかえる時間的ゆとりを持ち、ベクトルの向きを、外から内へと変えさえすれば、おのずと分かってくることなのですが、この世の中で、真に自分にとって価値のあるものは、すべて、お金を払わずタダでもらったものばかりなのです。命しかり。

 教育というのは、遅れて成果が見えてくるものです。その時間的ずれは、どれくらいでしょう。少なくとも30年でしょうか。とすると、親が子を教え、その子が成人して、親になって、また子を教えて60年。今の日本の世相は、戦後60年の教育成果ともいえます。その観点からすれば、意外と、成る可くして成ったともいえるのではないでしょうか。少なくとも、最近になって急に世の中がおかしくなってきたのでは決してないのです。

 戦後の日本の教育の特徴は、外の知識の獲得、いわば、ベクトルを自分の外に向けることばかりで、ついぞ、自分自身の発見、つまり、ベクトルを自分の内面に向け、自分の中に井戸を掘り、自分の中から湧き出る水を汲み上げることは、教えてはこなかったようです。実は、この手助けをすることこそが、本当の教育なのですが。

 人間の行動の動機を掘り下げていくと、つまるところ、愛に根ざしたものと、恐怖に根ざしたものとの、二つに分けられるといいます。恐怖に根ざしたものからは、幸せや充実感、生き甲斐が得られないのは当然のことです。

 ところが、日本の教育の大半は、実は、恐怖に根ざしたものです。子供を、やみくもに塾に通わせるのは、そうしなければ、将来、いい大学に入れないという恐怖。いい大学に入れないと、いい会社に入れないという恐怖。いい会社に入れないと、いい生活ができないという恐怖。
 もし、文科系より理科系の方が、就職がし易いと聞けば、子供の適正を曲げてでも、理科系に適合させようとする。人それぞれ、成長速度が違うのに、一律のマス教育のレールに乗せようと必死なのも、もとをただせば、すべて、この恐怖心に根ざしております。

 あげく、自分を知ることなく、自分の泉を見つけることなしに大人になってしまい、気がつけば、まったく自分に向かない土俵の上で足掻いている。まるで、マラソン・ランナーが、相撲の土俵に上がったようなものです。マラソンしてれば楽しめたはずなのに、柄にもなく相撲をとっては負け、「人生は辛く厳しいものだ。負けたのは、まだまだ修行が足りないからだ」と思い込んでいる。このような人たちが日本には溢れすぎた。
 そういう親たちを、日頃、見つづけている子供たちは、将来、希望を持てるはずもなく、大人になる意欲が湧いてくるはずもありません。ニートが急増しているとしても、まったく、不思議ではないのです。

 今、ニートに必要なのは、親のいうことを聞いて既存の社会に合わせるよりも、自分の船を造ることです。「自分の船の船長になりきること」これは、北米大陸のネイティブ・インディアンの教えです。
 実は、私は、これからのサステイナブルな社会には、ネイティブ・インディアンの思想と智慧を見直すことが必要ではないかと思っているのです。

 彼らの伝承によると、今から七千年くらい前の北米大陸の社会でも、すでに、ニート的な人たちがいたのですね。当時、種族が生きていくための大切な仕事は、実や種を集めることでした。しかし、それに、うとく、適さない人たち、つまり、今でいうニートですね。
 ニートは、実や種を集める仕事を放りなげ、ブラブラしながら、ついつい遠くを眺めます。遠出して遊びます。そして、遠くに湖を見つけるんですね。懸命に、実や種を探して、近くばかり見ていた人たちには、遠くの湖が見えなかったのです。

 彼らは、こう言い伝えます。「遠くを眺めて水を見つけることの重要性を発見したのは、実や種を集める仕事に、うとい者たちであった。生きていく上で一見筋道の通ったことだけでは、手近な情報を越えたものに決して目が向かないのだ」

 いつだったか、こちらの新聞のアンケート記事で、「人生で一番大切にするものはなにか?」という問いに、「自由」と答えたカナダ人が一番多かったそうです。
一方、日本人は、生活の為に、意外と簡単に「自由」を捨て去ってしまうようです。

 「元請け、下請け」などの日本的な絆の中で、生活の為に、人としての自由と誇りを捨て去って、会社に隷属化していくことも多々あるのではないでしょうか。

 ネイティブ・インディアンの言い伝えに、次のような言葉があるそうです。

 「身を守るためのどさくさは、穏やかな道のやさしい音を掻き消してしまうことが多い」

 昨今のニュースを見ても、目先の生活を守ろうとして、なりふりかまわずこなす仕事のどさくさの中で、たとえ、ささやかではあっても、まっとうな人として歩めたであろう穏やかな道の、やさしい音が、掻き消され、聞こえなくなってしまい、気がつけば、道を踏み外してしまっていたというような人が、実に多いようです。

「穏やかな道」とは、愛に根ざした道であり、「やさしい音」とは、自分の中から沸きおこってくる泉の音です。この「やさしい音」に導かれて辿る「穏やかな道」の向こうに、おのずと、あるべきコミュニティの形が見えてくるはずです。


注:伝承は、Paula Underwood 著 The Walking People(日本語訳 一万年の旅路 星川淳訳よる

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2013年7月25日木曜日

HICPMによる”まちづくり”開発に対する取組みの概要



住宅生産性研究会(HICPM:理事長戸谷英世)が発行しているメルマガを転載させて頂きました。
建設省で都市・住宅開発を研究・経験された戸谷理事長ならではの視点で,日本の進むべき道が示されていると思います。

日本の都市開発,住宅地開発,まちづくりのあり方を客観的に考えることができます。
できる限り,専門用語は関連サイトにリンクさせました。

尚,下記HICPMのホームページから,まちづくり,都市開発,住宅づくりに関する多種多様な情報を見ることができます。また,メルマガの配信を申込むこともできます。
http://www.hicpm.com/

日本の都市計画とまちづくり,そして住宅造りはこのような考え方でいくべきだと考えております。ご活用下さい。
青の小文字は補足説明です。アンダーライン部分はリンクしています。
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DSC00158メールマガジン第378号(2010年11月15日)

みなさんこんにちは

先週は「三種の神器」関係の小規模な個人セミナーを3回も実施し、住宅地経営をめぐってニューアーバニズムによる住宅地計画の技術と、リースホールドにする場合の土地管理団体の設立のための相談など、住宅地経営管理関係の仕事が目白押しに続きました。

その中で重要な問題に関し、なぜ、HICPMに技術を学びにくるのかという理由は、欧米の住宅地開発を紹介して来たこれまでの努力が一定の具体的成果が表れてきたからだと思います。それは私の住宅地開発との取り組みと不可分の関係があると思います。そこで、これまでの私の個人史を含む「HICPMによる都市開発に対する取り組みの概要」をご説明いたします。
「三種の神器」住宅の資産価値を向上させ続けるためには、住宅地が常時、売り手市場として経営管理される必要がある。そのためには、住宅地のハードのルール(マスタープランと建築設計指針)と計画されたとおりのソフトなルール、罰則規定を都市空間の利用のための強制規程として、住民に遵守させる統治機構(HOA)をもつことが、肝要である。ルールは最終的に遵守が強制させられなければ効力を持たない。


『リースホールド』借地で事業をするとき政府が進めている定期借地権制度によらないで、㈱大建は何故、欧米のリースホールドにしたのか。それは、日本の借地借家法による定期借地制度では、50年の定期借地期限がきたとき、住宅所有者は建てられた住宅は取り壊し、更地にし、地主に土地を返還することを義務付けています。つまり、50年後には建設廃棄物になる住宅不動産をつくっているのが定期借地制度です。そのため、定期借地権つき住宅は、住宅を建設したときから50年後に住宅を取壊すときまで一貫して資産価値は減少し続け、最後は、住宅の取り壊し費用の負担という損失が残ります。
一方、㈱大建でやっているリースホールドは、民法で定められた「契約自由の規定」を根拠に、日本の定期借地制度と喧嘩をしないで、契約を優先して実施するものですから、政府もいちゃもんをつけられません。99年の定期借地権が切れたとき、住宅は㈱大建のものになりますが、居住者はその後も同じ住宅に継続的に借家人として住み続けることができます。勿論、地主の財産になった住宅を借地人が買い戻すことも可能です。リースホールドによる住宅地は、居住者によるコミュニティが半永久的に育ていき熟成し続けます。

都市開発と私の個人史


私は建設省に入省してから、当時日本の最先端として都市開発を推進してきた日本住宅公団の技術者から団地開発の近隣住区理論と実践を学び、全国の市町に区画整理事業との合併事業を含む住宅地区改良事業(スラムクリアランス)での再開発(札幌:光星、広島:元町、京都:崇仁、下関;竹崎、神戸:番町、大阪:愛隣、東京:堤方等)を、国庫補助事業の指導を通して全国100弱の改良地区で実践したことに始まります。

インドネシアで3年間、日本住宅公団で検証された「施設計画論」を、日本住宅公団から派遣された石黒さん(高蔵寺ニュータウンの設計者:津端さん、つくばニュータウンの設計者:土肥さんの系列の経験を継承した設計者で、つくばニュータウンでがんばっていた)を中心に、建設省から派遣された長谷川さんと私が協力して、インドネシアの状況に読み替えて適用する大規模住宅団地開発計画に参加しました。

また、宅地開発公団と日本住宅公団との合併後の住宅都市整備公団で、創設以降5年間都市開発調査課長として合併公団の矛盾した事業手法の間で、都市計画に関し住宅都市公団がやってきたことと並んで世界の住宅地開発を調査研究する立場にありました。この時代に、英国の過去から現在までの住宅地開発を体系的に学ぶことができました。

その間、日本の都市開発を直接推進する立場で住宅地を計画し、建設し、それらはものづくりに偏重していることを感じてきました。そこでは都市の生活文化を創造するのではなく、住宅の量的供給中心に開発の目的がおかれてきた間違った開発のやり方であると感じていました。そこで私が実際に取り組んだ事業は、既存の計画理論や計画基準に適合しない前例に縛られないで、そこで生活している人びとの絆を育てることや、社会・経済的利益を優先して、敷地条件に合わせて「住宅棟北面配置」、「中廊下住宅」、「低層高密度開発」などの事業をしてきました。

HICPMの街づくりの取り組み

「住宅を取得することにより国民が資産を失い、不幸になっている」日本に比べ、欧米工業先進国では、「住宅を取得することで、住宅が経済的な後ろ盾となり、生活の基盤が守られている」ことを再確認し、住宅生産生研究会を設立し、欧米で実現している必然的理由を発見して、それを日本の住宅産業に技術移転をしようと考えました。
そこで15年ほど前(1995年)、プラザ合意後の輸入住宅促進で米国の日本への関心が高まったころペンシルベニア大学MBA資格のある千田さんと一緒になり、HICPMの事務局長を担当してもらい、そのコミュニケーション技術を生かし、NAHBとの外交をしてくれることになりました。そこに、私の著書を読んで住宅問題の関心を高めいた近藤鉄夫元大臣が、一緒にHICPMの運動をすることになり、急遽、理事長に就任してもらい、NAHB(全米ホームビルダー協会)と相互協力協定を締結することになりました。
『全米ホームビルダー協会』1942年に設立されたホームビルダーの全米をカバーする団体で、会員数約19万人で、新設住宅の約80%は会員会社による。研究機関、教育機関を持ち、全米の住宅関係者の技術水準の引上げと新材料、新工法の開発に取り組むとともに、消費者により良い住宅をより安価に建設できるよう政治的活動も行っている。

HICPMが技術移転を受ける直接の対象としては、世界最大の住宅産業規模と、多様な需要層に対した多様な取り組みを創造的に実施してきた米国から学ぶことが、最も分かりやすく、優れた技術移転を可能にできると考えました。

米国では「住宅を取得することは、長期預金をするよりも有利な資産形成の方法」であるという現実を見せつけられて、「資産形成のできる住宅はどのような条件にある住宅か」ということを研究することになりました。

その鍵は、米国の住宅金融が住宅の資産(不動産)評価をベースに行っていること(モーゲージ:住宅ローンはローン借受人が返済不能になることを条件に,差し押さえた住宅が一般の住宅市場で売却できる際の売却益を上限にしてしか融資しないという金融)にあり、その住宅資産は、住宅地経営にその鍵があるということが分かりました。


『住宅ローン』ノン・リコースローンです。融資に伴う求償権(right of indemnity)の範囲を物的担保に限定するため担 保物件以外は遡及されないローンで,担保物件を売却して債権額に満たない場合でも,それに対す る一切の債務から免責される。保証人の必要も,残債の請求もありません。


米国において、1980年代が大きな時代の転機となり、ニューアーバニズムによる住宅地経営がなされていない住宅地の住宅は、資産価値を維持向上することができないことを見せつけられました。
HICPMの取り組みは、住宅の資産価値を維持向上するためには、TNDが米国で受け入れられた社会経済関係を背景にしたメカニズムを勉強し、それをわが国に技術移転することをしなければいけないと考えるようになりました。
米国では、TND(トラデイショナル・ネイバーフッド・デベロップメント)、又は、ニュー・アーバニズムと呼ばれている。英国ではアーバン・ビレッジとも呼ばれているヒューマン・スケールの空間を人間の絆で繋ぐ生活を実現しようとする町づくりである。

DPZ(アンドレス・ドゥアーニー、エリザベス・プラター・ザイバーグ建築家夫妻)によるTND(伝統的近隣住区開発)の理論と実際(シーサイド、ケントランド、ウインザー、ハーバーランド、セレブレーション)やピーターカルソープによるサスティナブルコミュニティの理論を書籍で学び、実際(ラグナーウエスト、ノースウエストランディング、ザクロッシング)等の開発現場を多数見学して回りました。

その結論は、現代でも人びとが生活したくなるような過去の人類の優れた住宅地の計画理論とその実績を学び、それを現代の社会経済環境に生かしたものであることが分かりました。
それらの調査研究成果はHICPMビルダーズマガジンに掲載してきたほか、「アメリカの住宅地開発」(学芸出版)のほか、HICPM作成の「米国における最新住宅地開発」「米国における伝統的近隣住区開発(TND)」、「住宅地開発のデザインガイドライン」等として利用可能な資料として纏められています。

ニューアーバニズムに基づく住宅地計画

第2次世界大戦終了後、世界の先進工業国の経済は右肩上がりを基調に成長し、都市はその内部で処理できない問題を郊外へスプロールしていくことで解決してきました。
しかし、それは問題の正しい解決ではなく、内部問題を外部化させただけで、環境・安全・経済・社会問題(「都市内部の空洞化」と「郊外住宅のセキュリテイの悪化」及び都市の自然環境の悪化)の破綻という付けを市民にもたらす結果になりました。

ニューアーバニズムの計画理論は、ハワードが、過去の住宅地経営の経験を総括して、近代社会でその経験を計画理論・都市経営理論として纏めたガーデンシティ理論の中で明らかにした基本を、「重厚長大産業から、軽薄短小産業へ」という現代社会の中に読み替えて理論化したものであることが分かりました。

私が中央政府の技術官僚や、住都公団の計画技術管理職として疑問に思っていたことを、米国における戦後の住宅地開発の見直しは、分かりやすい形で、日本の都市開発の欠陥を明らかにする結果になりました。

米国で取り組まれた新しい都市開発は、そこで対象にされる人のライフスタイルを生かし、経済力と生活ニーズに応える街づくりとして取り組まれなければならないという当然の前提に立つ街づくりでした。
生活者のライフスタイルが見えない住宅地や、家計支出から逸脱した住宅を建設して住宅ローン返済のために生活が破壊されるような住宅など、住宅地開発としては問題外の開発です。

ニューアーバニズムとは、ハワードの住宅地経営論に戻れということであったのです。その調査研究の成果は、できるだけ多くの人達に知らせるべく、「アメリカの住宅地開発」(学芸出版)及び「アメリカの住宅生産」(住まいの図書館)として公刊されています。

サスティナブルハウスから街並み景観作りによる住宅地開発

HICPMは、1999年に常滑(愛知県)で名古屋国際木工機械展に合わせて「サステイナブルハウス」事業として実施しましたが、不十分な結果しか実現できませんでした。その後、浅井(滋賀県長浜)で最初の3次元の街並み計画を取り入れた住宅地計画が実施されましたが、この計画はモデルホームとしてサスティナブルハウスを建設したところで、開発計画とモデルホームは高い評価を受けたにも拘らず、事業主が計画を中断して、計画は実現しませんでした。

東宮花の森グラチア

その後、宮崎県でHICPMの会員であるアービスホームがニッポ(旧日本土地開発)の大規模区画整理開発地で、その一部に日本で初めて三次元で街並み計画をした開発「東宮花の森:グラチア」が実現しました。
この計画は谷口さん(アービスホーム社長)がサウスキャロライナの多くのTNDプロジェクトを見学し、それに倣った事業をしようと考えました。新しいTNDの考え方を事業計画に取り入れるため、HICPMとカナダのトレードワークスが依頼を請け、そこで纏めた基本計画で実施しました。

この事業は基本計画面でもサスティナブルハウスで追及したCMによる高生産性を実現し、アービスホームに高い利潤を齎しました。現在、既に建設後10年経過していますが、この開発地はニッポの東宮花の森の中で最も美しい住宅地に育っています。
当初ニッポの住宅地は非常に売れ足の悪い住宅地でしたが、グラチアを見て「すばらしい住宅地が出来る」と考えた人達は、土地を購入し、自分の思いをこめて住宅を建築しました。しかし、そこでできた住宅は以前の貧しい住宅地にしかなりませんでした。

グラチアがTNDの考え方で実施したことは、この住宅地に住む人が協力して「セットバック」、「アースカラーの中からの色彩の選択」といった共通のルールを守って「人の和(絆)による環境形成をした「相乗効果の発揮できる」街並み景観を築いたことにあります。その結果、経年するにつれ人びとの絆の強まりが町を熟成させてきました。

ランドロードの利益を中心においたムカサガーデン

100年定期借地権事業としてレンガによる住宅を建設していたロッキーハウス(大熊社長:税理士)は、新しい住宅地を提供していました。この事業を見て、私は英国のランドロードによる街づくりと共通したものを感じ、大熊さんに英国のハワードによるレッチワースガーデンシティを見学するようにお勧めしました。
英国のリースホールドで造られた住宅地のレンガによる住宅を大熊さん以下事業関係者がご覧になって、私がお話していることが現実の住宅地開発で行われていることを確信されたようでした。

そこでムカサガーデンのマスタープランの作成の協力を依頼され、これまでの浅井の住宅地計画の経験から、HICPMで取りまとめたサスティナブルハウスを基本とした計画条件をカナダのトレードワークスの協力を得て纏めることにしました。
その計画は期待通りの内容になっていましたが、当時定期借地事業に対して住宅ローンがつかないということもあり、大熊さんのほうでは事業を進めたくても進められないという時期が続きました。また、開発許可の関係で、行政がこの地区の開発に便乗して地域の連絡道路を造らせようとしたことも事業を妨害していました。

結局、カナダで作成されたマスタープランはそのとおり利用されないで、全体のイメージを参考にしたというだけになってしまいました。モデルホームの設計もカナダでなされたのですが、総て使われないままで、ロッキーホームで実施設計を行って実現しました。しかし、この計画はレンガの使い方は、これまでの「レンガタイルの使い方」ではなく、

「レンガとしてのデザインをした」ことで大きな成功を齎しました。セットバックをすることで大きなみどりの道路空間に街並みを構成することになった住宅は、同じ窓を同じリズムで使った結果、全体の街並みが「街並み(ストリートスケープ)は唄(ポエム)である」という言葉のとおり、相乗効果を発揮することが出来たことにあります。

工藤建設によるガーデンヒルズ

この事業に啓発されて、横浜の工藤建設がレンガによる英国のコートハウスをイメージした100年的借地権事業が実施されました。この事業は「マークスプリング」の設計者HICPM理事の渋谷理事がデザインを提案し、ムカサガーデンを推進したHICPMの大熊監事の指導で100年定期借地権事業に倣って進められました。

レンガに関しては、黒瀬さんの指導によるレンガのデザインが採り入れられました。HICPMに対しては長期優良モデル事業にするためのシステムの支援を求められ、「三種の神器」のシステムを提案に取り入れてもらいました。(結果として第1回長期優良モデル事業の街並み部門で採択されました)

この事業は計画面では、TNDの考え方を取り入れたものですが、ニューアーバニズムの計画理論どおり実践したものではありませんし、リースホールドによる住宅地経営としても、「三種の神器」自体も、工藤建設内部の諸事情で、実行段階でHICPMが指導した基本とはかなりずれたものになっています。

ニューアーバニズムによる日本最初の事業:泊山崎ガーデンテラス

この計画をさらに飛躍的に進めた事業が四日市市のアサヒグローバル(久保川社長)による「泊山崎ガーデンテラス」です。久保川さんとは、フロリダにあるTNDのメッカとも言うべきシーサイドを一緒に訪問し、その計画理論もよく理解しておられたということで、コンサルタントとして取りまとめたHICPMの欧米の経験を下にした提案を基本的に守って事業に取り組んでくださいました。

その計画は、目下、約半分の住宅が完成又は工事中になり、全体のイメージを十分想像できる段階になっています。この住宅地を訪問した人は異口同音にこの開発規模(約3000平方メートル)で、このような開発許可基準の8倍もある(800平方メートル)ビオトープ(水の流れる自然公園)のある住宅地に驚きの声を上げています。

久保川さんは、全体が完成するまでは公式な見学会は行わないといっておられますが、私はできるかぎり多くの人達にこの開発を見学し、ニューアーバニズムによる計画を「三種の神器」の住宅地経営管理の技術で実践してもらいたいと願っています。

自動車を見ることのない住宅地の前面には各住宅が夫々の個性を生かしたガーデニングの競演した公園が広がり、そこでは水が流れ蛍が舞い、花が咲き乱れることになります。幅15メートル長さ50メートルを超すこの公園は、総ての住宅居住者の誇りにすることの出来る宝で、個人の力では得られない住環境となっています。

ビオトープを採り入れた英国型リースホールドによる荻の浦ガーデンサバーブ

この開発で取り組めなかった問題を含んで、本格的なリースホールドによる「三種の神器」を生かした取り組みを、今福岡県の大建(松尾社長)の元で取り組んでもらっています。
松尾社長には、居住者の資産となる住宅を居住者の家計支出の範囲で供給することがなければ工務店としての意味はないと考えて、そのモデルとなる英国、米国、ドイツなどをわたくしと一緒に見学してもらいました。
そのうえで、HICPMの過去の取り組みを考えたうえで、目下大建の顧問として事業支援をすることに合意し、事業計画は双方が完全に了解しあう内容の事業をするという年間契約を締結しました。

目下、わたくしはこのプロジェクトを自分自身の事業と考えて、大建の松尾社長以下社員の皆さんと同じ船に乗ったつもりで実現に尽力しています。
既に計画の基本方針はまとまり、開発許可を得たという段階で、年内に着工という運びにあります。この計画に関し、HICPMホームページで紹介したいと思っています。

以上
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2013年7月8日月曜日

脱法ハウス

住宅生産性研究会(HICPM)のメールマガジン第514号(2013年7月1日)に「脱法ハウス」問題の本質が語られていました。
戸谷英世理事長のご承諾を頂いて掲載いて掲載致します。



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「脱法ハウス(倉庫の住宅利用)」問題
「脱法ハウス」の問題を、この一週間、多くのジャーナリズムで大きな問題として取り上げている。「脱法ハウス」の言葉から連想されるものは「ドヤ」である。「ドヤ」とは、「宿(ヤド)」を逆に読んだ隠語で、1960年代の東京の山谷・吉原(玉姫)、の江東区の高橋(たかばし)、大阪の釜が崎・飛田(愛隣)など地区が、農村地帯からのターミナル駅である上野、天王寺というロケーションと結びついて、大都市の労働市場、風俗・娯楽・遊興市場、ヘップサンダルなど労働集約的下請家内工業集積地となり、歴史的には未解放部落や遊郭が集積するところに建てられた日払い家賃の代表的な住まいであった。これが旅館業法の旅館か、それとも労働者住宅なのか、労働者用簡易宿泊施設何かという議論もあった。

住宅問題・住宅政策の歴史的課題
しかし、問題の「脱法ハウス」はエンゲルスの『住宅問題』やディッケンズの『二都物語』、細井和喜蔵の『女工哀史』を連想する悲惨な労働者の住宅であることには変わりはない。新聞やTVでは、カプセルハウスとか漫画喫茶に近いもののように扱っている。しかし、その実態は、「ドヤ」の現代版である。ドヤは基本的に日雇い労働者の住宅であったが、高度成長時代の挙家離村した農家の人も、出稼ぎ労働者に混じってドヤで生活することもあった。「脱法ハウス」は、住宅の下位にある正に現代版のドヤである。政府及びジャーナリズムの扱いには、官僚の行政責任を採否させるため、「脱法ハウス」を「住宅」であるとして扱おうとする意志は見られず、人間を一時収容する「倉庫」という扱いである。

「ドヤ」と「脱法ハウス」
ドヤ街で、労働者を呼び込みにくる手配師達を、道路沿いで「朝早くから待っている労働者」が「たちんぼう」である。屈強な身体の労働者を「選り取り見取り」で高値で連れて行く。日当だけを言い、行き先も仕事も詳しく説明しない、日帰りするとは限らず、長期の場合もある。帰ってこない場合もある。朝早いほど高い賃金である。高い賃金で働く意欲と労働能力のある労働者は、早々に連れ去られる。
手配師が一段落すると仕事にあぶれた労働者を相手に、東京都や大阪市の公共職業安定所という公式名称のある「労働市場」が、8時半に開店される。高齢者、疾病を抱えた人、家族を抱えた人、前日酒によって寝坊した人などが集まってくる。彼等は「ニコヨン」と呼ばれ、生活で使い尽くす費用が最低賃金日当として、254円が支払われた。経済波及効果が高い景気刺激策・ケインズ経済学の分かりやすい政府施策事業の実践として取り組まれた。

「あぶれ」労働者の生活
それでも仕事を得られなかった人たちはドヤからも追い出され、くず拾いの仕切り場でリヤカーを借り、くず拾いや、フィッシュソーセージの繋ぎ材料とした野犬や野良猫を捕まえに出かけた。ドヤではドヤ代前払いである。毎日のように出入りある居住者が布団を持ち出されないように、窓には格子が入っている。居住密度を高めるために2段ベッドが一般的で、通常の住宅や旅館の居住密度に比べ何倍も高い。ドヤ賃も、当時大都市周辺に雨後の筍のように建築された木賃アパートや文化住宅に比べ遥かに割高であった。それでも労働市場としての好立地のため、需要と供給との関係を反映して、ドヤ賃の高さは問題にされなかった。ともかく仕事が得られなかった人、即ち、失業者は「あぶれ」といわれ、一日をパチンコに費やすわけである。

「住宅難世帯」の問題
脱法ハウスの問題が新聞のトップ記事に取り上げられたが、それは1960年代の「ドヤ」の時代をカミングバックさせるものであった。1965年に住宅建設計画法が制定され、住宅政策の基本が「量的に絶対不足の時代から住宅の質的向上へ」が住宅政策の基本に置かれることになった。政府は居住水準を国家の責任で設定し、行政主導で公営、公団、公庫住宅供給で、居住水準以下の住宅を滅失させ、居住水準以上の住宅を供給する政策である。「住宅建設計画法」に政策転換したのは、戦後の住宅難世帯が解消され、絶対的住宅難がなくなったからである。それ以前の住宅政策は「住宅難の解消」であった。住宅政策上の「住宅難の概念」は、次ぎの4種類である。戦争中の壕や倉庫や兵舎、電車やバスの車両その他雨露を凌ぐために寝泊りをする「非住宅居住」、海外からの引揚げ世帯を中心に「余裕住宅開放」を義務付け、血縁のない世帯や遠い血縁世帯が同じ住宅に居住した「同居居住」、構造耐力的にも危険な「要大修理住宅居住」および「狭小住宅過密居住」の4つのカテゴリーの居住世帯である。この「住宅難世帯」の解消が戦後の住宅政策の目標とされた。

「同居」は住宅なのか、「日本の伝統的な居住形態」なのか
その中で面白い例は「同居」であった。戦前の軍国主義を温存したのは個人の人権を認めない大家族制にあると民法改正され、「一夫婦一世帯」が家族の基礎単位とされた。その結果、別世帯が同一住宅に生活する世帯の居住形態は封建的とされ、「住宅難世帯」として計算された。その「同居」が住宅建設計画法時代の住宅統計上の数合わせで、「住宅難世帯」はなくなったので、新しい居住水準を軸にする住宅政策に変更された。当時は日本経済が朝鮮戦争以降の軍需需要を背景に、重厚長大産業が復興し、都市化が急速に発生したため宅地の需給関係が逼迫していた。そのため、政府は宅地需要を生まない住宅供給として、三世代同居や二世帯同居という以前の「住宅難解消」を掲げた時代では「住宅難」に区分された住宅を、日本の伝統的な居住形態である「伝統文化の復興」と「手のひらを裏返す」ように変更して、同居住宅の供給を開始した。

住宅難時代の国の住宅政策立案官僚が東京大学教授になったときの発言
その無節操な政策転換に乗った民間住宅が旭化成ホームズ㈱「2世帯住宅研究所」であった。その取り組みは社会経済的要請に応えたものとして発展した。住宅局で住宅難問題と住宅計画に取り組み、東京大学都市工学部教授に転出したS.・Kが、「同居問題の住宅政策上の扱いは、矛盾した扱いで良いのか」と、自ら官僚として取り組んでいた政策の弁護もしなければ、新しく転換された政策に対する批判もしないで、政策転換に対し何の説明もなかった国の住宅政策の定見のなさをぼやいた。官僚OBの学者は例外なく御用学者で、個人としての意思はなく組織の言いなりの歯車でしかない。東京大学や京都大学の学者・研究者のほとんどはその代表で、御用学者には官僚や政策批判はできないし、しようとも思わない。せいぜい皮肉か自虐的批判程度である。

脱法ハウスの住宅政策
欧米の工業先進国ではほとんど例外なく国家が国民の住宅に関し、国民の健康で文化的な内容であることを住宅行政の対象にし、一定条件を満足しない住宅は閉鎖処分にされた。しかし、日本には建築基準法があり、建築時点での建築物の安全に関し、計画の確認と完成住宅の検査済み証の交付が出されている。しかし、その住宅が計画とおり国民の生活を守る点で正しく使われているかを検査するシステムはない。民間の住宅産業は「売り逃げ」の住宅産業であるとすれば、政府は政策をやったふりをして、「御墨付け」手数料(口銭)取のやりっぱなしの住宅政策でしかない。憲法25条で定めた健康で文化的な生活の実現を、国民の住宅という視点で実施する住宅行政が存在しない。そのような非人道的な環境の住宅が供給されていることに対して、御用学者は批判をしないし、又できない無定見な知識人である。

「脱法ハウス」に対する創造される政府施策
「住宅として造られ、事務所に使われ」、逆に、「倉庫として作られ、住宅として使われ」ている。脱法ハウスは、いわゆる倉庫の荷物として人間の生活を扱っている。安倍政権は国民の住宅が憲法違反の状態を恥ずかしいと感じる常識を持っていないことが今回の「脱法ハウス」の対応で明らかになった。住宅行政担当の国土交通省住宅局から、脱法ハウスについて住宅政策の責任を、官僚から意見を聞くことは難しい。現在住宅局が推進している長期優良住宅の中で、住宅性能表示が住宅政策上、住宅減税や国庫補助金で大きな役割を担っている。住宅関係者の中でこの制度により住宅価格を高くすることがあっても、住宅の品質を向上できていると本気で信じている人はいない。 

「世界の住宅政策」と全く異質な「我が国の住宅政策」
現在の住宅行政を担当している官僚たちに、脱法ハウスで生活している国民のことなど分かるはずはないし、考えようとすることもない。脱法ハウスが次現在の住宅政策を担当している官僚にとって、利益がないと考えているからである。長期優良住宅に対しても、官僚の関心は、住宅メーカーや、工務店が消費者に売り抜くまでで、それ以降には関心を持っていない。現在社会問題になった脱法ハウスの最も重要な問題は何か。それは、居住している国民の立場で考えることである。そうすれば、憲法25条に違反して国民に「非住宅居住」をさせる一方で、脱法ハウス経営で利益を得ている企業に対し取り締まるとともに、そのような住宅にしか住めない世帯に対し、住宅政策上の救済を行うことが政治である。

脱法ハウスが政治及び行政上の取り組の対象になる条件
脱法ハウス問題は、欧米工業先進国なら、「住宅政策」の貧困の問題として政府、民間、ジャーナリズム、学会も取り上げることになる。しかし、日本では国土交通省住宅局は、「馬耳東風」の知らぬ顔の半兵衛を決め込み、それを国勢調査の調査対象から脱落した統計上の総務省国政統計課の問題として取り上げた。安倍内閣が行おうとしている憲法改正は、第9条(戦争の放棄)が目的ではなく第25条(国民の安全、健康で文化的な生活)ではないかと勘繰りたくなる。
脱法ハウスの問題は国勢調査のカテゴリーの問題であることも事実である。しかし、最も問題にされなければならないことは、憲法第25条に関係して、国民の住宅として国家がどのような責任を住宅政策として負おうとしているかである。今まで官僚が政治家と結託し、国民不在の政治行政を進めてきた。こと住宅に関し、安倍内閣の政策は、脱法ハウスに営業上の市民権を与え、そこから税金を徴収することを憲法改正の目的にしているのではないか。

国家の政治行政を私物化する日本の政治行政
政治家の関心は、自分に投票してくれる選挙民と、自分に政治献金をしてくれる業者と選挙民だけであるという。今の政治に信頼のもてないご時勢に、自分の金を信頼できない政治に出せる余裕のある人はいない。実際の政治献金を行っている人を見ると、ほとんど例外なく、税金を補助金として手に入れる仕組みを政治家と官僚とが結託して作成し、税金を補助金として手に入れる仕組みを利用して、政治献金する人を迂回して、政治家と官僚に回している。補助金で利益を得た選挙民が、その利益の一部を政治献金するように、政治家と官僚が選挙民を外郭団体などに組織化していく。社団法人、財団法人、NPO法人が行政機関の外郭団体として作られ、それが政治家に税金を補助金として交付させ、政治献金としてキックバックさせる。その外郭団体に退職後の官僚が天下りをし、実質定年延長となり収入を確保する。脱法ハウス問題が新たな船団をつくりだすことを危惧している。

(NPO法人住宅生産生研究会理事長 戸谷英世)

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尚,インターネットで調べましたら,下記毎日新聞の記事が違う角度からこの脱法ハウスを書いています。

「脱法ハウス」は、むしろ弱者を救済しているのではないか - モジログ
http://mojix.org/2013/06/09/dappou-house




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2013年6月1日土曜日

米国工務店による「サステイナブル・コミュニティの実現」

2013.05.21から23まで、つくば、宇都宮、新潟の3市で開催された北米建材セミナーにおいてHICPM(住宅生産性研究会)理事長戸谷英世氏が行った表記の基調講演が判りやすく整理されているので,このブログに掲載させて頂きました。

私はここに整理されている10項目こそ,日本の”まちづくり”と”家づくり”に導入するべき普遍性のある指針です。

サステイナブル・コミュニティとは,持続可能なコミュニティという意味です。

尚,HICPMメルマガのアーカイブスは下記URLにあります。
http://www.hicpm.com/


HICPMメールマガジン第508号(5月27日)より

 私の基調講演は「サステイナブルコミュニティの実現」である。それは「日米の住宅産業比較」という形で、住宅の資産価値が持続的に向上(サステイナブル)するための住宅経営を、10項目に分けて説明した。
 特に、米国の住宅バブル(2002~2007年)崩壊後、2008年からの住宅産業の回復を図る方策として、米国の住宅産業では、住宅のエンベロップ(外殻)の総面積を減らし、基本的に4出隅で造る「無理、無駄、斑」を最小限にし、生産性を高める対応を実施した。その結果、優れた住宅地での住宅取引価格は、この8年でバブル崩壊前の価格水準に戻っている。
 つまり、住宅購入者の購買能力(年収の3倍)に対応したコストカットと、住宅地の経営を「三種の神器」(基本計画,コミュニティ経営システム,経営管理協会)で行い、「人びとが住みたくなる売り手市場」を形成する住宅地経営を図った、ということである。これらの取り組みは、「住宅の生産性向上重視のホームビルダー経営」として、わが国が手本とすべき経営であることを示している。

「米国に倣う工務店の経営改善の10項目」

第1:住宅の資産価が持続的(サステイナブル)に向上する社会の建設
 米国においては、国家にとっても個人にとっても、住宅の資産価値が向上することが重要であるという共通認識ができている。
 住宅取得が個人の資産形成になるためには、住宅価格が購買力を基礎にすることでなければならない。個人資産価値の増大は、地方財政収入の基礎である固定資産税を増大する。
 住宅による「アメリカンドリームの実現」は、取得した住宅の資産価値の物価上昇率以上の増大にある。住宅による個人資産の増大が、個人年金制度や医療保険制度を補っているのが米国政府の住宅政策の基本にある。

第2.住宅の価値とその評価方法
 住宅の価値は住宅の需要と供給の関係で決まり、住宅ごとに固定的に決るものではない。日本では住宅会社が巨額の広告宣伝費と営業費用とを多額に掛けて販売した住宅は、購入者がその住宅を市場で売ろうとすれば、購入価格に締める広告宣伝や営業費用は含めることはできず、結果的に購入価格の半分以下になる。
 大手ハウスメーカーの直接工事費は販売価格の僅か40%程度(実際の価値の2.5倍の価格)である。その住宅を住宅購入者が売却しようとするとき、ハウスメーカーが価格に転嫁した営業販売経費は加算できない。住宅購入者がその住宅を市場で販売できる価格がその住宅の価値である。

第3.見積りと住宅の不動産評価
 住宅の価値を事前に評価する方法は以下の3種類である。日本も欧米と同じように3種類であるが、その評価方法には全く社会科学的合理性がなく、売り手の不正販売を正当化するものである。
 3種類の不動産評価方法は、原価方式(推定再建築費:見積もり)、相対販売価格方式(住宅の3効用:デザイン、機能、性能のウエイト評価と取引価格の相対評価)、資本還元方式(不動産賃貸料の資本還元価格)である。
 日本では非償却資産の住宅を償却資産と扱い、不動産を不当に粗末に扱ってきた。

第4.    モーゲージと建設金融
 日本以外のモーゲージローンの国では金融機関による融資の対象額は、住宅ローン返済不能になれば、不動産を差し押さえて債務は相殺され、金融機関は差し押さえた不動産を不動産市場で売却できる価格(直接工事費)として融資される。
 建設工事に対する建設金融は、モーゲージ予約した住宅に対し、金融機関は各下請け工事に対してホームビルダーが支払った請負代金相当の金額をその工事部分に先取り特権をつけ、建設金融として融資する。
 これらの国では、住宅の価値評価を金融機関も政府も実施しているが、日本では住宅の価値と乖離した住宅価格を全面的に認めてクレジットローンを行い、最終的には生命保険でローンを回収しようとし、融資対象である不動産自体の評価はしていない。

第5.    住宅融資債権(MBS)
 FHA(連邦住宅庁)は、1936年に銀行が設定したモーゲージに関し、クラシックデザインによる住宅に対し債務保証をした。それは「クラシックデザインの住宅」は、既存住宅市場で確実に売却できると判断し、政府はそのモーゲージに対し債務保証を行い、MBS(モーゲージ・バックド・セキュリティ)としてFNMA(ファニーメイ:連邦全米モーゲージ協会)に買い取らせた。
 MBSは金融2次マーケットを形成し、金融市場を潤沢にした。政府による債務保証の前提は、住宅の取引価格が最低融資期間、資産価値を維持向上する住宅地経営をし、その住宅デザインが陳腐化しないことにある。

第6.    ホームプランシステム
 FHAによるMBSが、クラッシクデザインに対し債務保証をしたので、確実の住宅金融が得られ政府の債務保証を受けられる住宅の設計図書の販売が、米国ではホームプランシステムとして普及した。
 一般消費者もホームビルダーもホームプランシステムを利用し、社会的な住宅の設計能力を、一挙に「資産価値を向上させられる住宅」を造る高い水準にまで向上させることができた。

第7.「三種の神器」
 住宅の資産価値を向上させ続けるためには、住宅地が常時、売り手市場として経営管理される必要がある。そのためには、住宅地のハードのルール(マスタープランと建築設計指針)と計画されたとおりのソフトなルール、罰則規定を都市空間の利用のための強制規程として、住民に遵守させる統治機構(HOA)をもつことが、肝要である。
 ルールは最終的に遵守が強制させられなければ効力を持たない。

第8.    住宅購入者の資産形成
 「住宅購入者の利益本位で建てられる住宅」は、住宅購入者の支払い能力の範囲で、そのニーズの最大実現を図るために、コスト(原価)の切り下げ、限られた支払い能力の範囲で、そのニーズに応えようと努める(米国)。
 一方、日本の「工務店の利益中心に考える住宅」は、プライス(販売価格)を重視して取り組み、「差別化」により、如何に実際の価値より高く住宅を買わせるか営業(日本)になる。

第9.    土地の高密度利用
 日本の地価は租税措置法で固定資産税が6分の一に割り引かれている通り、本来、課税標準地価を、事実上その6倍にすることで土地担保金融を実施している。異常に高い地価を、住宅価格に反映させないためには、リースホールド(借地法式)による住宅供給により地価を直接住宅の取引価格に関係させないか、タウンハウスによる低層高密度開発で、地価の住宅価格に対する影響を半減させることである。

第10.    建物のコストカット
 住宅の販売コストを切り下げる方法は、住宅の外殻(エンベロップ)面積を(キューブ:立方体)の形態として最小限化し、材料使用量及び労務量を最小限化する方法か、同時に、CM(コンストラクションマネッジメント:建設業生産管理)技術による「期間当り建設業者の利潤と職人の賃金」の最大化を図る製造業が採用してきた方法(OM:オペレイションマネッジメント)を採用する以外に方法はない。


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